2019年5月 8日 (水)

煙も見えず雲もなく

今日の第一の目的は帰宅することだが、その前に少し寄り道をしていく。
せっかく徳山に宿営できたので、山口県東部の非電化路線、岩徳線と旧岩日線に乗って行くことにする。ついでにただひとつ残った鉄道航路、宮島航路を往復して来よう。
朝7時過ぎに徳山駅を出発する。車両はキハ47の二両編成だ。休日の早朝とあって車内はガラガラ。隣の櫛ヶ浜駅までは山陽本線を行くが、櫛ヶ浜駅構内ではすでに山陽本線と岩徳線は分離していて、岩徳線側の線路には架線は張られていない。よく知られた話だが岩徳線はもと山陽本線だ。柳井方面を迂回していた山陽本線を短絡するために敷設されて本線となっていた区間だが、戦時中に輸送力増強のため複線化される際に、勾配が厳しく長大なトンネルを含むこの区間では単純な腹付け線増による複線化ができなかった。ちょうど関門海峡トンネルの掘削中でもあり、新たにトンネルを掘らなければいけない岩徳線側の複線化は断念され、ローカル線と化していた海岸線側が複線化されて再度本線となり、かつて本線だった岩徳線は単線のままローカル線になって今に至る。実際に乗ってみると、なるほどこれを複線化するのは大変だろうなと実感する。普通に地上を走っている区間でも線路の脇には地積が乏しく土木工事で路盤を作るところから始めないと複線化はできないだろう。さらに大小取り混ぜてトンネルが多く、単線並列にするとしても同じようなトンネルをもう一揃い掘削しなければいけなくなる。ところが、岩徳線にはほぼ並行して山陽新幹線が走り、国道二号線が走り、そして山陽自動車道が走っている。あとから短期間で広げようとするから大変なので、最初から複線のつもりで敷設されていたら今でもこちらが幹線だったかもしれない。
長い欽明路トンネルをぬけると分水嶺を越えて下りにかかる。山の中で一旦停車。旧岩日線、現在の錦川鉄道との合流点だ。合流するとすぐトンネルをくぐり、さらにしばらく走ったところが川西駅。ここで下車。
川西駅は錦川鉄道の起点だが、とてもそうとは思えない棒線の無人駅。ホームは周囲からかなり高いところに置かれていて、見晴らしはいいが上り下りは大変だ。さすがに起点駅だからきっぷの自動販売機くらいはあるだろうと思ったが、ホームに置かれた自動販売機はJRのみで「錦川鉄道のきっぷは車内でお求めください」の掲示。
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やがてやってきた岩国始発の錦川鉄道の列車は、ディーゼルカーの二両編成。整理券をとって乗り込む。車内は転換クロスシートで、観光客がけっこう乗っている。今きた線路を戻っていき、トンネルをまたくぐって分岐点である森ヶ原信号場を右に。ここからしばらく錦川に沿って遡上する。この渓谷が錦川鉄道の売りで、路線名も錦川清流線としているが、いちおう日本中めぐってきた三十一からすると土讃線の大歩危小歩危、肥薩線の球磨川、高山本線の飛騨川などにはかなわない。ちなみに三十一が最も愛する川沿いの風景は、宗谷本線の天塩川だ。錦川清流線ではところどころに「○○の滝」と称する滝が車窓から見られるが看板には「2010年命名」とか書かれていて萎える。名所にするために近年になって名前をつけたことが丸わかりだ。終着錦町駅では、大半の旅客がトロッコ列車に乗り換えるようだ。三十一はそのまま折り返す。
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列車は森ヶ原信号場で岩徳線と合流し、川西駅を経て岩国まで行く。岩国で電化複線の山陽本線に乗り換え。列車は新しい227系3両編成だ。もちろん乗るのは初めて。岩国基地は後方なので見えないが、広島湾が右手に見えてくる。やがて宮島が現れる。宮島が意外に大きな島だというのは知識として知っていたが、実際に見てみて実感する。宮島口駅に到着。かなりの数の乗客が降りていく。三十一も降りる。
駅から宮島に渡るフェリーの乗り場は歩いて5分ほど。有名な観光地だけあって人が多い。駅から桟橋までの間に地下道が作られている。宮島フェリーにはJR西日本のものと、松大汽船のものがあってどちらも値段は同じ。だがひとまずJR側に向かって並ぶ。ちょうどフネが出たところだが、この時期はダイヤに関係なく定員に達したら出発するピストン輸送になっているようだ。次のフネが到着し、戻りの客を吐き出したあとに乗船。デッキに上がる。有名な鳥居は宮島の桟橋に向かって右手にあるので右舷側に小さく見えている。JR西日本フェリーは往路で鳥居にもっとも近づくというの売り文句で、実際かなり近くを通っているようで、スマホのズームでもまあまあはっきり撮影できた。
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10分ほどで到着し、下船口でICカードをタッチして料金を払う。いったん建物を出て、今度は松大汽船の乗船口に向かう。往きと帰りで会社を変えてみたのは単に気分で、どっちでもよかったのだが。帰りは座ってぼーっと宮島と海をながめていた。海に浮かんでいるのは牡蛎の棚かな。いずれにせよ、これで天橋立、松島に加えて厳島も訪れたので日本三景を制覇したことになる。ちなみに今回のタイトルは軍歌「勇敢なる水兵」の出だしだが、この歌の舞台となったのは日清戦争の黄海海戦で、この海戦で日本海軍の主力として参加したのが橋立、松島、厳島のいわゆる三景艦だというまわりくどいつけ方。

本土に戻ってくると、あとは東京に戻るだけ。いったん宮島口駅に戻って、広島駅から新幹線に乗ればいいのが、ここでも三十一は寄り道をする。JRの山陽本線ではなく、広島電鉄を使うことにしたのだ。広電宮島口駅を出た電車は広電西広島駅から市内軌道に乗り入れて広島駅前まで直通運転をする。もちろん、JRより時間はかかるがいちおうこの区間は過去ブルートレインで何度か通ったことがあるのでまったく新規のこのルートを使うことにする。乗車したのは超低床の連接車でまだ新しい。
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西広島までの宮島線では、専用軌道を走るので普通の鉄道と変わらない。床が低い車両が使われているので、自分の目線が低いのと、途中駅のホームが低いのが目につく。西広島駅からは市内線に入り併用軌道になる。ところがこの日、広島では不破ラーフェスティバルがあるとかで人通りが多い。主要駅では、普段の車内精算ではなく駅ホームに社員が出張ってきて精算やきっぷの回収に当たっていた。乗降時間を短くするためだろう。しかしそうした工夫をしてもなお、ダイヤは遅れていた。途中で降りて歩こうかとも思ったが、それでは一部区間が未乗車のまま残ってしまう。帰りの時間がきっちり決まっているわけではないので、動かない電車の中に大人しく座っておく。所定のダイヤより30分近く遅れて広島駅着。あとは新幹線で東京に向かうだけだが、すでにGWも後半、無理と思いつつ指定席を探してみたがやはり空席などない。そこで狙うのは広島駅始発の列車。調べてみると1時間に1本の割合で広島始発がある。次の始発は約1時間後、いまのうちに遅い昼食を済ませて、少し早めにホームに向かう。実際にホームに上がってみると、発車まで20分以上もあるのにすでに列車が待っていたので少し焦る。自由席1号車に乗り込んでみると二人がけのほうの窓際には空きが見つからなかったが、三人がけのほうは空きが多かったので適当な窓際を確保する。あとは4時間座っていれば東京まで帰してくれる。いつも言ってることだが、新幹線は偉大だ。

今日の旅程:
徳島(0710)→川西(0831) 2228D
川西(0839)→錦町(0938) 523D
錦町(0955)→岩国(1059) 528D
岩国(1110)→宮島口(1133) 1528M
宮島口(1151)→宮島(1201) JR西日本フェリー
宮島(1211)→宮島口(1218) 松大フェリー
広電宮島口(1228)→広島駅(1350) 広島電鉄
広島(1453)→東京(1853) 134A

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2019年5月 6日 (月)

山陰警備隊、西へ

今日は山陰本線を西へ。ただし目的は警備ではなく山陰本線非電化区間の制覇。
未乗区間を一覧表にして管理するようになったのはわりと最近だが、電化区間・非電化区間を問わず一続きの区間としての未乗区間の中で常に首位にあったのが、山陰本線の西端、江津以西だった。なにしろ、200キロを越える未乗区間はこれだけで、100キロ越えも3つだけ、しかも残り二つは北海道新幹線と九州新幹線だ。新幹線ならその気になれば乗車するのはそれほど難しくないだろう。しかし山陰本線のこのあたりは、残ってしまっただけあって東京からのアプローチが遠い。おまけに益田以西の山陰本線からは特急もなくなってしまった。
幸いこの時季は日が長い。東京よりずっと西にあるということもあって、日没は夜7時前後。日没前に終点まで乗り終えるためには、益田駅を午後早い時間に出る普通列車に乗る必要があるので、それに間に合う特急に乗ることにする。特急に乗るのはいいのだが、できれば海側の窓際に座りたい。山陰本線の特に西側は大部分海沿いを走る。具体的にはD席となるのだが、試しスーパーはくとの車中でネット検索してみると「D席のみ空きなし」という非常にわかりやすい結果。うーむ、やはり皆考えることは一緒か。鳥取駅についたとき、それから若桜鉄道から戻ってきたときにそれぞれ駅の券売機で調べてはみたものの、結果は同じ。幸い鳥取は始発駅なので、早めに行って自由席でD席を狙うしかないだろうといったん諦めて、その段階でホテルに入り、もう一度だけネット検索してみてから就寝。当日朝少し早めに行って万一のキャンセルがないか確認してそれも駄目だったら自由席に並ぼう、と決めて寝て起きた翌朝、ホテルのベッドの中でもう一度検索してみると、あるじゃん。
目的の列車、「スーパーおき」は3両編成で1・2号車が指定席なのだが、1号車の後端2列、車椅子用に片側が1列になっている個所、まるまる2列分6席が空いている。これはキャンセルがあったというより、そうした席を必要とする旅客のためにもともと一般向けの販売に乗せていなかったものを、当日朝になっても予約が入らなかったので一般向けに解放したのだろう。図らずも一人席となるD席を確保できた。一番後ろとそのひとつ前のどちらも選択できたのだが、一番後ろを予約する。
鳥取からキハ187系気動車3両編成の特急で山陰本線をひたすら西へ向かう。このあたり、鳥取-米子間は過去に2度ほど乗車したことがあるが、最初は雨、二度目は夜ということで景色がよく見えなかった。今回は昼間でしかも晴れ。席は右側窓際とこれ以上ない好条件だ。このあたりでは日本海はあまりよく見えない。それどころか、東郷池のまわりをぐるりと迂回していく。この池の水を全部抜くのはちょっと大変かもしれない。倉吉到着。鳥取県第4の都市の代表駅にしては周囲はあまり開けていない。実は倉吉の中心地は山陰本線からかなり離れていた。山陰本線が開通したときに倉吉駅として開業したが、ここから分岐する倉吉線が開通するにあたり、もっと市街地に近いところに倉吉駅が開業して当駅は上井と改称された。しかし山陰本線の倉吉市街最寄り駅としてはわかりづらいということになって、再度倉吉駅と改称し倉吉線上の倉吉駅は打吹駅と改称されたのだが、最終的に倉吉線が廃止されて本線上の倉吉駅だけが残ったのだ。ちなみに鳥取県に市は4つしかない。
因幡国から伯耆国に入ってくると、残雪をいただく伯耆大山が左手にみえてくる。地図をみるとよくわかるがこのあたりは大山の山麓で線路もぐるりと円を描いているので大山の相対的な方角があまり変わらない。左側から電化の伯備線が合流すると伯耆大山、そして米子到着。不思議なもので気動車に乗っていながら頭の上を架線が走っているかと思うと少し気分が萎える。安来、松江、出雲市と島根県を代表する駅に止まっていく。右手遠く、まさに上昇していく飛行機が見え、米子か出雲かと考えてみたがどうも出雲らしい。こんなに近くにふたつも空港が要るのかなあ、などと考えているうちに宍道湖の西端、出雲空港からちょうど離陸していく飛行機が見えた。この時期は便数が多いのだろう。出雲市の次、西出雲を出ると電化路線は終わる。左手に広がる出雲車両区に向かう線路には架線が張られているが、こちらの線路には架線はない。なぜか気分が高揚する。右手に海が見え始めるとやがて田儀駅。ここは数年前に土砂崩れがあって山陰本線が不通になり、その後復旧された新しい擁壁を横目に見ながら通過する。この先はしばらく海に沿って走る。
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大田市を過ぎ、江川(ごうがわ)を渡ると江津だ。かつて乗車した三江線の路盤が一瞬見えた。この先が未乗車区間となる。かつての特急「出雲」の終着駅である浜田を過ぎ、山陰線での撮影名所である三保三隅を通過する。岡見でかつての専用線跡を見つけられなかったのは残念だった。
益田で特急を下車し、跨線橋を渡って各駅停車に乗り換える。待っていたのはタラコ色のキハ40単行列車。発車直前とあって海側の席には座れなかった。山側のクロスシートに座る。車内の客層を見渡してみると、意外に観光客が多そうだ。目の前に座った一人旅の男性客も、向かいの席の女性グループも萩のガイドを見ているので、東萩まで行けばほとんどの旅客が入れ替わると踏んで堪え忍ぶ。予想は的中、東萩で首尾良く海側の席にありつぐが、しかしこの列車はあと1時間もかからず、長門市で終着となってしまう。長門市に到着、この駅では4方向に線路が出ている。これまでやってきた山陰本線の上り方面、下関方面、仙崎方面、そして美祢線の厚狭方面。列車を降りた旅客はほとんどが山陰本線の下関方面か美祢線の厚狭方面に乗り換える。しかし三十一はここでいったん改札を出る。途中下車印を切符に捺してもらい、駅前に出て下関方面に走って行くキハ40単行と、厚狭方面に走っていくキハ120を見送る。そして三十一はおもむろに仙崎方面に向けて歩き出す。山陰本線の枝線である長門市-仙崎間に乗車するためだ。当初の計画では、約1時間後に長門市駅を出る仙崎往きに乗って、そのまま折り返してくる予定だった。しかしそれでは仙崎駅での滞在時間は7分だけ、そして戻ってきてから3分の乗り継ぎで下関方面に向かう列車に乗り換えなくてはいけない。空き時間が多すぎるかと思えば余裕が少なすぎたりしてバランスが悪い。そこで思いついたのが、ひとつ仙崎までの2.2キロを歩いてみようと言うことだった。与えられた時間は1時間弱。港町で勾配はほとんどないようだし、地図を見てみると大きな通りをまっすぐいって一度曲がればいいらしい。曲がるところさえ間違えなければ迷う心配はないし、大きな道なので案内も出ているだろう。スマホの地図を開いて歩き出す。右手の方向に線路が走っているはずだが、目印となる架線柱がない非電化路線なのでよくわからない。ふと道沿いに立っている掲示板に目をやるとそこには某国首相の顔写真が。そういやこのへんが地盤でしたね。ロシアの大統領もこの道を歩いたのかな。駅を出てから25分ほどで無事に仙崎駅に到着。
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しばらく駅構内をうろうろしているとキハ120の列車がやってきた。
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前方が見える席に座って長門市に向かう。あれだけ暑い思いをして歩いた区間も列車に乗ればあっという間だ。鉄道は偉大だなあ。
長門市でまたもや跨線橋を渡り、キハ40の列車に乗り換える。乗り継ぎ時間は3分しかないので海側どころかクロスシートにも座れず、ロングシートの一隅に座る。さきほどの列車と違って一見して観光客とわかるような乗客はいない。地元客ばかりだと予想が難しいなあ。二駅目、長門古市で山側のクロスシート席に移る。右手には油谷湾。かつて聯合艦隊も碇泊したと伝わる大きな湾だ。阿川で海側に移り、難読駅として有名な特牛(こっとい)を過ぎて長門二見で再び海沿いに。このあたりでは線路はほぼ真南に向かって走っており、つまりは車窓がまともに西を向いているということだ。すでに夕方5時をすぎ、日没までまだ多少あるにしてもかなり日は傾いている。
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小串で再度乗り換え。屋根のない跨線橋を渡ってキハ47の二両編成に乗り換える。おそらくこの先は下関市街地と往復する旅客が多いので二両編成にしているのだろう。列車の区間を短く設定してそれぞれの区間に適した車両を投入し、乗り継ぎを短くするというやり方自体に異論はないが、乗り継ぎのたびに跨線橋を上り下りさせられるのはもう少しどうにかならないものか。吉見をすぎたあたりからはだいぶ市街地らしく建物が建て込んでおり、駅の間隔も短くなってきた。左側から複線電化の山陽本線が合流してきて、山陰本線は山陽本線の上下線の間に入り込み、左手に車両区が見えてくる。あの茶色の旧型国電は小野田線を走っていたやつかなあ。放置されてだいぶ痛んでいるようだ。幡生に到着、これで山陰本線を全線制覇。ここで山陽本線に乗り換える。新下関から山陽新幹線「こだま」に乗り換え、今日の宿営地である徳山へ。700系の「ひかりレールスター」だ。この車両に乗るのは初めてだけど、座り心地いいなこの車両。

今日の旅程:
鳥取(0944)→益田(1324) 3003D
益田(1328)→長門市(1517) 1571D
長門市(1522)→仙崎(1548) 徒歩
仙崎(1627)→長門市(1631) 716D
長門市(1634)→小串(1749) 973D
小串(1753)→幡生(1830) 887D
幡生(1833)→新下関(1837) 3360M
新下関(1909)→徳山(1949) 760A

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2019年5月 5日 (日)

若桜ゆえ

今年のGWではまず智頭急行と若桜鉄道。5年前だったか、山陰地方中部を集中的に乗り潰したときに、この両線だけは残してしまった。智頭急行は関西から鳥取に行くときのメインルートで、若桜鉄道はその途中から枝分かれするため、比較的スケジュールを組むのは容易(ほかの、例えば木次線と比べての話だが)だと判断して後まわしにしていた。しかし東海地方より東の非電化区間をほとんど乗り潰してしまった今となっては、智頭急行線56キロの未乗車はかなり目立つ。このルートを潰せば、山陰地方の東部中部はほぼクリアとなるのだ。
とは言いながら、このルートの優先順位がもっとも高いというわけではない。いくつもある計画のひとつでしかない。それがどうして実際に出撃することになったかと言えば、GWの真ん中にたまたま宿がとれたからである。実のところ、空き部屋を見つけたときにはかなり悩んだ。混雑必至の連休にそこまでする必要があるだろうか。しかしこういうのは勢いだ。連休が終わるまでにはまだ少し間があるので、多少の無理はきくだろう。というわけで、GWに入る1週間前になってホテルを予約し日程が決まる。この時点では1泊2日の予定だった。しかしその数日後、駄目で元元、翌日のホテルを探してみるとなんと予約できてしまった。こうしてなし崩し的に2泊3日の予定が確定。

平成も差し迫った昭和の日に、最寄り駅で切符を買う。ちょっと面倒な経路なのであらかじめルートを紙に書いて持って行く。そのおかげで説明はそれほどしなくて済んだが、窓口のお兄さんも「こんな切符作ったの初めて」と言われてしまった。まあそうだろうね。

朝8時台前半の新幹線で新大阪へ。そこからさらに乗り継いでHOT7000系の「スーパーはくと」で鳥取に向かう。できれば始発の京都から乗り継いで「はくと」は自由席にしたかったのだが、多少なりとも朝余裕を持ちたかったので新大阪乗り継ぎにして、そのかわり指定席をとるようにした。窓際がとれなかったのだが、HOT7000は窓が大きく外を見るのにあまり不便を感じなかった。さらに客室前方の壁面に前方展望の映像を流している。
新大阪から大阪、三宮、明石、姫路を経て上郡へ。このあたり、意外と山が近い。というか、東京にいると山が遠いのだ。姫路を過ぎると景色はすっかり山中。山陽本線では瀬野八につぐ勾配区間で、かつてこのあたりにはスイッチバックの信号場がいくつもあった。それでもせいぜい10パーミルくらいだったはずだ。上郡から非電化の智頭急行線に入り、乗務員も替わる。上郡駅の中線から高架に上がって上り線をまたぎ越し、右にカーブして智頭急行線に入っていく。線路脇の架線柱が見えなくなり、非電化路線に入ったことがわかる。やがてトンネル。この先はトンネルが多い。佐用で姫新線と合流してまたすぐ分かれる。離れていく姫新線の線路を見て、いずれまた遠くない将来に乗りに来ようと決意を新たにする。智頭急行線は兵庫県の上郡と、鳥取方面を結んでいるが途中で岡山県を通っている。岡山県東北端の山間部に住民の足となる鉄道を敷くという意味もあり、智頭急行には岡山県も出資している。さらに一山越えて鳥取県へ。長いトンネルをぬけると大きく右カーブして因美線と合流。かつてはむこうの線路からこっちの線路がカーブしていくのを見送ったものだが。智頭、郡家ととまって高架にのぼり鳥取駅に到着。
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いったん改札を出て、自動販売機で若桜までの連絡きっぷを購入、ふたたび改札を入る。素直に考えると、特急を郡家で降りて若桜行きに乗り継ぐのが順当で、実際当初の計画ではそうなっていたのだが、調べ直してみるとこの若桜行きは鳥取始発で、特急で鳥取まで来ても充分間に合う。郡家で1時間待つか、鳥取で30分待つか。郡家で時間を潰すのはなかなか難しそうだ。
今回失敗したと思ったのは、荷物の中に小さい鞄を入れてこなかったことだ。荷物の大部分をロッカーにぶちこんで軽装で動くということができない。しかたないので全ての荷物を抱えた状態で若桜まで往復することにする。鳥取駅で待っていたのは若桜鉄道の、いかにもレトロ風の2両編成。
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内装は一見してファミレスのようだ。行楽客と高校生が入り混じって一種独特な車内の雰囲気だ。さっき通ってきた路線を逆戻りして、郡家から若桜鉄道にはいる。旧国鉄若桜線、現若桜鉄道は山間部を走る路線のわりには勾配は緩く、曲線もきつくない。川沿い、街道沿いにほぼ並行して宿場町の若桜まで走る。ただ最後、若桜駅の手前で大きく山を迂回して走る大カーブがある。終着の若桜駅には若桜鉄道の本社と車両基地があり、ターンテーブルとピンク一色に塗られたC12機関車が。
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はじめの予定では10分で折り返すつもりだったが、1時間待った次の列車にする。郡家で潰せないと踏んだ1時間が、若桜なら潰せるのだろうかという疑問はあるが、駅前を歩いていると若桜神社という案内をみつけたので行ってみる。
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入口にはわりとすぐたどり着いたのだが、本殿は階段のはるか上にあるようなので諦めて駅に戻る。駅に戻ってみると次の列車がもう入っていた。まだ誰も乗車していないようなので、最前列を占領して発車を待つ。戻りの列車では交換待ちによる長時間停車が複数回あって、往きよりもかなり時間がかかった。

 

本日の旅程:
東京(0800)→新大阪(1033) 207A
新大阪(1118)→鳥取(1351) 55D
鳥取(1422)→若桜(1509) 1337D
若桜(1613)→鳥取(1709) 1342D

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2019年4月28日 (日)

雨のヨコスカ

連休初日の今日は横須賀に行ってみる。
天気予報によると関東南部は午後には不安定な天候になるということだが、それほど長居をしなければ大丈夫だろうと、見切り発車で出撃する。
横須賀線の電車で横須賀に向かう。横浜あたりまでは曇りだったが、戸塚あたりで気がつくと雨になっていた。ああ、降ってきちゃったなあと思っているうちに大船から鎌倉あたりでは本降りになってしまった。これは困った。実は今日は、カメラの撮り比べをしてみようかとデジタル一眼とミラーレスの2台を鞄に詰め込んできていたのだが、この天気ではどちらも鞄から出したくない。今乗っている横須賀線の電車は逗子どまりで横須賀に行くためには乗り継がなければいけないのだが、このまま横須賀に向かってもしょうがない。そこで逗子で一度改札を出て、京急の新逗子駅に向かう。

京急の路線では本線筋の泉岳寺から三崎口まですでに乗車済みだが、分岐となる逗子線と浦賀方面が未乗車のまま残っていた。今日は横須賀の帰りにこれらの路線に乗ってこようと思っていたのだが、予定を変更して先にこれらの路線に乗車してから横須賀に行ってみることにした。うまくすればちょうど小降りになったりするかもしれない。そううまくいかない可能性ももちろんあるわけだが、うまくいくかもしれない。そこはもう賭だ。
逗子駅前で地図を見て京急新逗子駅まで歩く。新逗子駅は、こういうのも橋上駅舎と言っていいんだろうか。地平のホームにおりるとちょうどエアポート急行が入っていた。急行列車に3駅だけ乗ると本線との合流になる金沢八景駅。金沢八景といえばこの3月のダイヤ改正でシーサイドラインが仮駅から新駅に延伸してきたところだけど、その関係か構内は工事中。地下道で隣のホームに移って各駅停車で浦賀に向かう。馴染みの汐入、横須賀中央を経て浦賀へ。
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浦賀から折り返した列車には防衛大生が乗っていたが、空いていても座らないのは躾だろうか。防大生は堀ノ内で急行に乗り換えていったが、三十一はこのまま各停で汐入まで行く。
時間をつぶしてはみたものの、やはり雨。閉店したショッパーズプラザを横目にヴェルニー公園にむかう。公園の岸壁から港内を見渡してみたが目新しいフネは見当たらない。逸見岸壁に「いずも」、吉倉桟橋に補給艦「ときわ」、その向こうに碇泊艦があるかもしれないけれど、「ときわ」に隠れてわからない。米軍側ではまず目につくのが DDG-85 McCampbell、それから一番近いところに海自の「おやしお」型潜水艦。よく見ると左のほうにもう一隻。さらに McCampbell の右側に艦尾がみえている。都合3隻の海自潜水艦が見えているが、すべて「おやしお」型で今日は「そうりゅう」型は見られなかった。
McCampbell を含めてアーレイバーク級イージス駆逐艦が5隻、さらにタイコンデロガ級巡洋艦が少なくとも2隻は停泊しているようだ。なんだかんだで、イージス艦がこれだけまとまって見られるところは日本では横須賀だけ、世界的にも数少ないだろう。
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しかし雨がやむ気配もないのでJRの横須賀駅から帰宅する。横須賀線車内から見ると、吉倉桟橋には「あさぎり」型護衛艦が1隻停泊していたようだが艦名まではわからなかった。
帰宅途中に秋葉原に寄り道したのだが、その途中で少し遠回り。

今日の旅程:
新橋(1056)→逗子(1159) 1017S
新逗子(1213)→金沢八景(1220) 1219D
金沢八景(1227)→浦賀(1252) 1048
浦賀(1257)→汐入(1311) 1248
横須賀(1355)→横浜(1442) 1368S
横浜(1449)→中目黒(1516) 017142
中目黒(1520)→秋葉原(1551) 1501T

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2019年4月22日 (月)

箱根山戦争

今週は箱根山へ。
土曜日に外出ができず、日曜の朝9時以降の出発になったのと、前回は遠出してけっこう物入りだったため、近場にしておこうと思ったのだ。結果としては、関東1都6県で唯一残ったローカル私鉄、いずれも小田原を起点とする伊豆箱根鉄道大雄山線と、箱根登山鉄道を目指すことにする。
小田原までは千代田線から小田急線に乗り継いで行くことにする。地下鉄千代田線と小田急小田原線、それから箱根登山鉄道はかつて乗車した記憶があるのだが記録が残っていない、いわば「非公認」乗車区間になっている。これを改めて「公認」するためにこのルートを使う。小田急の運賃が安いというのも大事な理由のひとつだけれど。

代々木上原で小田急の急行に乗り換えて小田原へ。この区間の複々線化以降に乗るのは初めてだ。高架と地下線が入り混じる複々線区間は向ヶ丘遊園まで。その先は複線になる。厚木をすぎるとローカル感が強くなり、車窓からは丹沢が間近に見える。新松田で御殿場線と交差し、やがて小田原に到着。
いったん改札を出て、駅構内の片隅にある伊豆箱根鉄道へ。大雄山線は10キロほどの電化単線路線だが、昼間時間帯は10分程度の間隔でかなり頻繁に運転されている。車両は一見、西武車両あたりのお古かと思ったが、急カーブがあって20m車両が入線できないため、自社発注となる18m車両3両編成だった。

頻繁運転のせいか、乗客はそこそこ多い。ワンマンではなく車掌も乗務していた。途中に3個所ほど交換可能な駅があるが、そのすべてで対向列車と交換しており、ネットダイヤになっているのだろう。
終点の大雄山駅では、地元の利用客以外はバスに乗り換えるらしいが、三十一が5分で折り返し、小田原に戻る。
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小田原で再び小田急の改札を通り、箱根登山鉄道に乗り換える。とはいえ、ここから箱根湯本までは改軌もされて小田急車両ばかりが走るようになっている。実際に乗った列車も小田急の4両編成だった。それでも「登山鉄道」は伊達ではなくかなりの急勾配だ。箱根湯本駅で乗り換え。1面の島式ホームに3線が設けられており、片側は全体を小田急特急の発着に使用し、もう片側を前後に分割して小田原方面の普通列車と、強羅方面の登山列車が頭を突き合わせる形になっている。もちろん、軌間も異なる両線の間には車止めが。

箱根登山鉄道は3両編成。すでに車内はかなり混雑しており立ちとなる。旅客は大半が観光客だろうが、外国人がかなりの割合で含まれていた。箱根登山鉄道はスイッチバックと急勾配で有名だが、あまりにも有名なのでここでは詳しく説明しない。強羅から逆戻りして箱根湯本へ。

帰りはロマンスカーを張り込む。あらかじめネットで特急券を買っておいて正解。

今日の旅程:
代々木上原(1120)→小田原(1252) 1239レ
小田原(1300)→大雄山(1321) 71レ
大雄山(1326)→小田原(1347) 80レ
小田原(1355)→箱根湯本(1411) 7259レ
箱根湯本(1412)→強羅(1449) 461レ
強羅(1453)→箱根湯本(1532) 470レ
箱根湯本(1537)→新宿(1707) 0784レ

 

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2019年4月20日 (土)

「ハンターキラー」

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公式サイト

「潜水艦モノに外れなし」が売り文句だということだが、まあ「外れ」ではなかった。

たぶんバージニア級原潜が主役になる映画は初めてだろう。米海軍の協力で実艦をつかって撮影されたということだが、問題は敵役となるロシア海軍艦艇だ。アクラ級潜水艦はCGだろうけど、三十一にとっての影の主役は全編にわたって要所で登場するウダロイ級駆逐艦。「ネヴチェンコ」という艦名はもちろん架空のものだが、全景からアップから艦内描写まで、興味深い映像が多々見られたものの疑問なのは「この映像はどうやって撮ったんだろう」ということ。まさかこの映画にロシア海軍が協力するとも思えないし、セットとCGだろうか。

ストーリー自体はよくできていて映画としてはいい映画と言えるだろう。

個人的には、あたかも海中の様子が「見えている」かのような描写や、打ち出した魚雷に目標変更を「指示」している描写など、わかりにくい海中戦闘を観客にわかりやすく見せる演出は潜水艦映画の定石ではあっても、実際の潜水艦戦闘の実相とは必ずしも合致しないと思っている。

映像的には収穫は多々あって、米軍ロシア軍の艦艇航空機がいろいろ出てくるので、メディアで発売されたら買ってしまうかもしれない。ただあの両国艦隊の密集隊形は映画用だなあ。

追記:

ひとつ書き忘れていた。"Commander Glass" に「グラス指揮官」と字幕をつけてたけど、"Commander" は「中佐」だから。公式サイトに貼られている写真にも "J. GLASS CDR USN" って映ってるでしょ。

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2019年4月14日 (日)

長良といえば軽巡洋艦

さて今週は岐阜県。
今回の計画時に最初に目標としたのは明智鉄道だった。中央西線から分岐する明智鉄道はそれほど長くないが東京からたどり着くのはわりと面倒だ。本数も多くないしそれなりにしっかりと計画していかないと痛い目を見そうである。試しに自宅を常識的な(と言っても7時台の電車に乗るくらいの)時間に出たとして時刻表を調べてみると、明智鉄道を往復して起点の恵那駅に戻ってくると午後3時近くなってしまう。いくら日が長くなったと言っても、これからそれほど回れそうもない。せっかく岐阜県まで出かけるのだからせめてもう少し回りたいものだ。そこで強行軍だが名古屋に9時台前半に到着する新幹線に乗るようにすれば、明智鉄道を往復しても午後の比較的早い時間に戻ってこられる。それから太多線を通って岐阜に出、大垣から東海道本線の美濃赤坂枝線を往復してから帰京、というプランが出来上がった。今週は都合で日帰りだ。
よしじゃあこれで行こうといったんは心づもりしたのだが、これで岐阜県が制覇できるわけではない。いずれ再訪しなければならないのだが、そのときに目標となるのはまず長良川鉄道、そして樽見鉄道だ。どちらも非電化の第三セクターだが、考えてみれば美濃赤坂枝線より優先順位が高いのではないか、まあそれにしても日があるうちに乗る時間があればの話だ、と駄目元で念のため長良川鉄道のダイヤを調べてみると、午後の遅い時間、ちょうど日没前に終点北濃に到着する列車がある。だが何とかたどりつけても果たして帰宅できるだろうか。夕方の6時に岐阜県の山中にある北濃駅を出て夜11時前後にはなんとか東京まで帰ってこれそうだ。朝早く夜遅いというかなりタフな行程になるが、日帰りで明智鉄道と長良川鉄道と、ついでに太多線を制覇できるのは大きい。

朝6時半過ぎに自宅を出て、9時過ぎに名古屋着。券売機で「青空フリーパス」を購入。「JR東海&16私鉄きっぷ」とどちらにしようかと思ったのだが、日帰りだし明智鉄道と長良川鉄道の運賃を別途払っても「青空フリーパス」のほうが安い。
313系の中央西線快速で名古屋を発ち恵那に向かう。このあたりはかつて上り特急「しなの」で通ったはずなのだがあまり強い印象はない。ただひとつ気にしていたのは東海交通事業との乗り換え駅である勝川駅だ。東海交通事業城北線は名古屋郊外を走っていながら非電化で、だからいずれ乗車しなければいけないのだが、東海交通事業の勝川駅とJRの勝川駅はけっこう離れているらしく、短時間で乗り換えるような計画を立ててしまうと命取りになりそうだ。だから実際どんな感じなのか一度見ておきたかったのだが、実際に現場を見てみると初めて乗り換える人間は迷ってしまいそうだ。充分すぎるくらいの余裕を見ておく必要があるだろう。
具体的な計画がまったくできていない未来の話はさておき、高蔵寺では愛知環状鉄道の列車を目撃し、多治見ではあとで乗るはずの太多線の線路が合流してくるのを眺め、やがて恵那で下車。乗り換え口もあるがいったんJRの改札を出、明智鉄道の駅舎にまわって一日フリーきっぷを購入。明智鉄道の一日フリーきっぷは1380円で全線を往復するのとまったく料金が同じだが、それでもフリーきっぷを買ったのは、無人駅の多いこうした路線では精算が面倒で時間がかかる(行列が出来たりする)ので乗り降り自由のフリーきっぷは重宝するからだ。
明智鉄道の列車は軽快気動車のアケチ13。クロスシート車両もあるようだが、この車両はロングシートだ。
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始発の恵那駅は単線ホームだけの簡素な構造で、駅を出ると少しのあいだ中央西線と並行するがすぐに中央線は左、明智鉄道は右へと分かれていく。
明智鉄道は旧国鉄明知線で、絵に描いたような山岳路線だ。起伏の激しい地形のある区間では盛り土、またある区間では切り通しを設けてどうにかこうにか汽車が上り下りできる程度の勾配にならして線路を敷設している。ずっと登り勾配というわけでもなくアップダウンが激しい。もともと軽便規格で敷設されたせいだろうか、上りにしても下りにしてもかなりきつい勾配で、非力なタンク式蒸汽機関車で運転されていたころの苦労が忍ばれる。阿木駅は一見すると交換可能駅のようだが、相対式のホームをつなぐ構内踏切がみあたらず、よく見ると対向のホームは草むしているので機能していないのだろう。実際に交換可能なのは岩村駅で、この駅で上り列車と行き違った。ここはスプリングポイントのようだ。
1時間弱で終点明智駅着。ここは何年か前にNHKの某自転車旅行番組で取り上げられていて、見覚えがある。
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駅前では桜が満開だった。残念だったのは、駅前から恵那山が見えなかったことだ。地図で方向まで調べてみたのだが、手前の山に隠れているらしい。
30分ほどで折り返し。上り(地形的には下り)列車の所要時間は往路とほとんど変わらない。恵那駅で乗り換えのわずかな時間の間に駅前から撮影した(多分)恵那山。
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恵那駅から多治見までいったん戻る。一度改札を出て駅舎の写真を撮り、再び改札前まで戻ってきたところでおかしなことに気づく。次に乗る予定の太多線の列車が案内板に出ていないのだ。14時21分発の岐阜行きというのがあるはずなのに、電光掲示板に表示されているのは14時53分の美濃太田行き。ねんのため駅の時刻表を調べてみても、あるはずだよなあ。土曜日だから運休というわけでもなさそうだ。これは何かの間違いか、あるいは何かあったんだろうと窓口で駅員に聞いてみると、高山線でのダイヤ乱れの影響で車両がやって来ず、運休になってしまったということだ。
想定外のことにいったんパニックになりかけ、当初の予定を破棄してこのまま東京に帰るか、あるいは初期プランの通り美濃赤坂をめざすか、とも考えたのだが、気を取り直して改めてダイヤを調べてみると、太多線の列車を一本遅らせても予定していた長良川鉄道の列車に乗れることがわかった。乗り継ぎ時間がだいぶ短くなるし、次の太多線の列車が本当にダイヤ通り走るかどうかもわからないが、ともかく次の列車で美濃太田へ向かうことにする。はからずも一時間近く時間ができてしまったので、駅前に出てデパ地下の喫茶店で食事を摂る。

太多線はかなり混雑していたが、ほぼダイヤ通りに走ってくれた。中央本線と高山線をつなぐ非電化のローカル線だが、ほとんど勾配がなくまた適当に都市化されている(名鉄の路線もある)ので、例えば高山線の岐阜-美濃太田間とあわせて電化するという方法もあるのではないかと思うが、まあJR東海はやらないよね。
美濃太田駅で長良川鉄道に乗り換え。乗り換え時間は10分ほどで、その間に長良川鉄道の一日フリーきっぷ2700円を買わなくてはいけない。長良川鉄道の美濃太田駅には駅舎らしい駅舎はなく、ホーム上の事務所が出札兼改札兼待機場所になっているようだ。
長良川鉄道の列車は二両編成だったが、ワンマン運転なので1両目に乗車。だがこの車両はチャギントンのラッピングがされていて、それは別にいいのだが窓ガラスの部分までラッピングされている。その結果何が起きるかというと、窓を通して入ってくる外光が赤だったり黄色だったり青だったり緑だったりと、まるでディスコのようなカラフルさ。しばらくは我慢していたのだが、だんだん我慢できなくなってきて、二両目には誰も乗っていないのでそちらに移ろうと席を立ったものの貫通路がつながっておらず、二両目は締め切りの回送車両らしいとわかってノコノコと元の席に戻るという、はたから見ると意味不明な行動をとってしまった。
関で乗務員が交代し、回送車両も切り離される。ここからはほぼ北に向かって走るようになる。美濃市でまとまった人数が降りていき、このあたりで濃尾平野が尽きて山間部に分け入っていく。しかし長良川の河谷を川と並行して走っているので、明智鉄道ほどにはアップダウンは激しくない。郡上八幡はそれなりに開けた都会で、ほとんどの乗客が降りていく。美濃白鳥では乗客は三十一ともうひとりだけになっており、その乗客も白山長滝で降りてしまったので最後の一駅区間は三十一の貸し切りになってしまった。美濃太田からちょうど二時間で終点北濃に到着。北濃駅は1面2線の島式ホームだが無人駅になっており実際には1線しか使われていないのだろう。駅敷地内には転車台も残っている。駅前はすぐ国道で、その向こうは長良川。そのさらに向こうはもう山だ。駅前には除雪された雪が一部まだ溶けずに残っていた。折り返しを待つあいだに車で親子連れがやってきて、ひとしきりチャギントンと記念写真を撮り車内にまで入り込んで、列車に乗るのかと思ったらまたもや車で去っていった。厳密なことをいうと、車内に入るのなら運賃が必要なんやで。
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折り返しとなる列車では、いつの間にか中学生くらいの乗客がひとり乗っていて二人旅になった。美濃大和あたりまでは辛うじて外が見えていたが、あとは真っ暗。美濃太田から特急に乗り継ぎ、さらに名古屋で新幹線に乗り継いで帰宅。

昨日の旅程:
東京(0740)→名古屋(0919) 101A
名古屋(0946)→恵那(1056) 5711M
恵那(1119)→明智(1208) 9D
明智(1236)→恵那(1324) 12D
恵那(1331)→多治見(1359) 5734M
多治見(1453)→美濃太田(1523) 3633C
美濃太田(1534)→北濃(1734) 13レ
北濃(1800)→美濃太田(2014) 20レ
美濃太田(2022)→名古屋(2103) 1040D
名古屋(2112)→東京(2253) 58A

 

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2019年4月 7日 (日)

フジサン麓に王蟲哭く

春の18きっぷ通用期間最後の週末は富士急行。

昨日はマンションの防火設備と下水の点検があり家を空けられなかった。
今日は統一地方選挙だがすでに期日前投票を済ませてあるので心置きなく出撃する。

これまで飯田線や小海線に日帰りで出かけてきたという実績があるので、高をくくってよく調べもせずに適当に家を出たら思いの外接続が悪くて難儀した。しかし日がある内に充分往復できている。

東京から快速と普通列車を乗り継いで大月へ。ここまでの道行きは何度も往復しているので読書したり目が疲れたらしばらく寝たりして過ごす。ちょうど昼過ぎに大月着。
JRの駅舎を出て隣の富士急の駅舎へ。道路からはフジサン特急と、もと京王らしい普通電車がよく見える。
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はじめの心づもりでは普通電車で往復するつもりだったのだが、ちょうどよい時間帯の電車がなかったので特急料金400円ナリを払ってもと小田急20000系 RSE を譲受したフジサン特急に乗り込む。もちろん青春18きっぷは使えないが、Suica が使えるのでそのまま乗車。

富士急は単線電化だが、大月からは桂川の河谷に沿って富士吉田に向かう。地図ではそれほどでもなさそうに見えるのだが、実際に乗ってみるとかなり勾配が厳しい。カーブもきつい。これでは速度が出るまい。
日曜と言うことで観光客が多いが、その中でも大きな荷物をかかえた海外からと思しき旅客が目立つ。駅を通過するごとに駅員がホームで必ず手を振っているのが目につくが、観光以外に生き残る術をもたない地方私鉄としてはこうした施策を積み重ねるしかないのだろう。富士吉田駅が「富士山駅」と改名されたのを知ったときに三十一は憤慨したものだが、しょせん部外者のたわごとだ。
やがて頭上を横切る大きな構造物。リニア実験線あらため未来の営業線だ。もちろん下から線路が見えるわけないが、気になったのは真下に家屋などの建物が建っていること。磁場はしっかりシールドされているのだろう。

都留文科大学前駅で数人の旅客が乗ってくる。ここから河口湖までは特急料金が半額ということで、ある程度は通勤通学需要に応じているらしい。三十一の隣の席にも学生(たぶん)が座った。さらにしばらく行くと左前方に富士山が見えてくる。方角的には線路はおおむね富士山に向かって走っているので、線路が左右に振れるごとに富士山が右に見えたり左に見えたりするのだろう。

右手から線路が近づいてきて合流すると富士山駅。ここで旅客が半分くらい降りたようだ。スイッチバックして残り2駅、河口湖に向かう。後ろ向きのまま河口湖に到着。留置線にJRのE353系とE257系が停車しているのが目につく。
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駅前に出てみると、観光バスに乗り換える旅客でごった返している。有人窓口はきっぷを求める客で長蛇の列。どうしたものかと思ったが、自動券売機は空いているようなので旅客の群れをこぎ分けて帰りの特急券だけをまず購入。そう、帰りも時間帯的に特急で帰らざるを得なかったのだ。
その帰りの列車までは約30分。その間にせっかくなので富士山の写真を撮っておこう。駅の出口は富士山の反対側なので、裏側に出る道がないかと少し歩いてみたのだが、結局は駅前の駐車場と線路ごしに撮影することにした。全体にガスっていてコントラストが弱くわかりづらいかもしれないが。
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そのままフジサン特急で大月に折り返して帰京。これで山梨県内の全鉄道を乗車した。

今日の旅程:
神田(1007)→高尾(1104) 1071T
高尾(1139)→大月(1218) 537M
大月(1246)→河口湖(1335) 703レ
河口湖(1403)→大月(1450) 708レ
大月(1528)→御茶ノ水(1719) 1652M/1652T

 

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2019年4月 1日 (月)

和をもって貴しとなす

新しい年号は「令和」(れいわ)と決まった。違和感を禁じ得ないが、そのうち慣れるだろう。平成のときもそうだった。

三十一の予想は当然のように外れたが、「和」を的中させたのは上出来だろう。個人的には「和」が「貴い」とはさして思っていないのだが、世間一般にはそう思われていて、しかも現実では「和」が十分ではないと思われる場面が多いから、目標や理想として「和」を掲げるのは大方の納得が得られるのではないか。「和」の使用は20度目になるが、前の記事でも触れた通り「和銅」以外の18回(今度で19回目)はすべて2字目だ。試しに列挙してみると以下の通りになる。

承和、仁和、応和、安和、寛和、長和、康和、養和、正和、貞和、文和、永和、弘和、元和、天和、明和、享和、昭和、令和

 

しかし「令」はどうだろう。「令」は過去元号に使われたことはないし、天皇の諡号追号としても採用されていない。出典は万葉集だそうで、それ自体はまあいいとしても「令月」が「よい月」を意味するなんてことをどれくらいの人が知っているだろう。日常に使うことはまずないし(実際手元のIMEでは「れいげつ」は変換しなかった)、類似の使い方としては「令嬢」「令息」「令夫人」くらいしか残っていないだろう。そのなかでも本当に日常使われているとしたらせいぜい「令嬢」くらいであとは死語に近い。「令嬢」にしてももはや半死半生だ。
さらに気になるのが、漢文では「令」はもっぱら使役の助字として使われていることだ。「令和」という字面を見たときに「和せしむ」と訓じたくなる。「和」はいいとしても、それを上から強制あるいは指導されるようなニュアンスを感じる。「民主的でない」ということで議論を呼ぶかもしれない。

同じ「れい」という読みならむしろ「礼」のほうがよかった。「礼」はマナーだがそこには相手の感情や立場を尊重するという意味がある。「礼和」なら互いにリスペクトをもって融和するという理想を示すことになり、よほどのひねくれものでない限り文句はつけないだろう。ちなみに「礼」も過去の元号や天皇諡号追号に使用されたことはない(女院号としては例がある)。

まあいまさら何を言っても詮無いことだ。いずれ慣れるだろうし、また今後ますます西暦使用が主流になってそれほど広く使われないかもしれない。実はそれが目的だったりして。

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2019年3月31日 (日)

当たらない予想屋

まあ、当たらないだろうとは思うがここに予想しておく。

 

「和明」(わめい)

または

「和永」(わえい)

 

過去の元号を眺めていたところ、「和」という漢字は非常に多く使われているが、そのほとんどで二字目としての使用。一文字目として使われていたのは「和銅」(708年 - 715年) しかない。実のところ、ここに掲げた2種類の逆(明和/永和)は過去の元号として存在した。典拠は充分あるということだ。アルファベットの頭文字も「W」となり近年の元号と重複しない。

平成は災害が多かったから「安」がとられるのではないかという意見もあるようだが、三十一は否定的だ。余計な議論をひきおこしそうな元号は避けられるだろう。

ちなみに、過去の元号の一覧はいろいろなところで見られるだろうがこちらにも作ってある。

 

さてこの機会にひとつ新しいページを公開することにした。

calendar conversion

暦の変換をするページで、現行のグレゴリオ暦、ユリウス暦、旧暦、イスラム暦どうしの変換ができる。機能自体はだいぶ前に自分用に作ってあったのだが、Web 用のインターフェースを作って外部から利用できるようにしたものだ。
使いやすくもないし、最低限の機能しかない無骨なページだが誰かの役に立つかもしれない。

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«「武士の起源を解きあかす」