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2006年12月30日 (土)

「戦争の日本史15・秀吉の天下統一戦争」

前にもどっかで書いたことだが、三十一はあまり秀吉が好きではない。どうも運の良さと小利口さでのし上がってきたような印象がある。特に本能寺の変に続く清洲会議と賤ヶ岳の戦で織田家の実権を簒奪してからは「天下人」の権威と中央日本の経済力をバックに東西の諸大名を力押しに破っていったように思える。もちろん、戦略的には「力押し」が正しい。それだけにおもしろみがないのである。

しかしながら、秀吉が長年の戦国時代に終止符をうち、近世日本の形成に一役買ったことは評価せざるを得ない。刀狩りによる兵農分離はその代表である。

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ブラームスなめてんじゃないですヨ

このセリフ(by ミルヒー・ホルスタイン@のだめカンタービレ)をきっかけに「また」ブラームスにハマっている。何年か前にもハマっていたことがあるので、そのとき集めたCDやら本やらをまた引っ張り出してきて聞いたり読んだりしているだけなのだが。


ここには「定番」を挙げただけで、別に勧めない。ミュンシュの1番は癖が強すぎて万人向きではないし、クライバーの4番もそういう部分がある。ブラームスには管弦楽のほかに室内楽やピアノ曲にも佳作があるが、そちらはもういちいち挙げていられないので自分で探してくれと言うしかない。そもそもブラームスはモーツァルトのような「万人向き」ではなく、きわめて内省的なため演奏する者の解釈が強く反映される。そこに共感できるかできないか、が評価の分かれ目になる。つまり演奏の善し悪しの評価基準が個々人に依存してしまうのである。だから「ブラームスのこのCDはいいよ」と推薦するなんていう、おこがましいことは三十一にはできない。ただ「自分は好きだ/嫌いだ」というだけだ。

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「トンデモ本の逆襲」

改訂新版。ある意味「ニセ科学」批判の古典でもあるけれど、上段にふりかぶって正面から批判するのではなく、トンデモぶりを笑って楽しもうという趣旨だから楽しんで読めばよろしい。

これまで読んでなかったのは不思議なくらいだけど、唐沢なをき(と唐沢俊一)の漫画でずいぶん前に知っていたので、すっかり読んだ気になっていた。
トンデモさんの言説を本で読んだりネットで見たりして笑っているうちはいいのだが、仕事上で相手をしなきゃいけないとなるとそうそう笑っても・・・げふんげふん。

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2006年12月27日 (水)

「戦争の日本史13・信長の天下布武への道」

日本史上で「英雄」の名にふさわしい人物は、と尋ねられたとき「信長」の名を挙げる者はかなり多いだろう。三十一もそれに同意する。中世から近世へと転換する時代のその立役者であったことに異論はあるまい。

しかしその「天下布武」への道は一般に思われているよりも紆余曲折に富んだものだ。1560年の桶狭間の合戦から1582年の本能寺の変まで、20年あまりに過ぎないがその間には浅井朝倉軍のために京都と本拠地美濃の連絡もおぼつかない状況に追い込まれたこともあるのである。そういった状況をなんとか切り抜けて領国の拡大に転じることができたのは反信長同盟の中核であった武田氏の信玄が急死したというタイミングもあるが、同時多方面作戦を可能にした内線の利と、それを支えた東海近畿地区の経済力を見逃すことはできまい。

この本を読んでの感想は、信長と言えば冷酷非情という印象を持たれているようだが、実際にはかなり計算尽くで行われている部分がある、ということである。非情に徹する場合も、また情に訴える場合も、とる手段は常に目的に合しているかどうかという基準で決定しているようだ。もちろんそこには信長個人の性向にともなう傾向はあるにしても。

本能寺の変がなければ天下統一は5年は早まっただろう、という著者の推定は、それなりの根拠があるだけあって説得力がある。その後の日本史もよほど変わった展開になっただろうが、そこから先はさすがに歴史学の領域ではない。

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2006年12月25日 (月)

プレーオフに行けそうだ

先日、わがデンヴァーが三連敗したという記事を書いたが、その翌週には四連敗してしまった。そのときにはもう記事にする気にもなれないくらいがっかりしてしまったのだが、その後、先週今週と連勝してワイルドカード争いの中ではトップに躍り出た。特に今週、シンシナティに勝ったのは大きい。今週もまだMNFのNYジェッツの結果が出ていないので安心してはいられないのだが、残り1試合のサンフランシスコ戦を確実にとるのが大事だろう。去年までならたとえロードとは言えサンフランシスコなんて眼中になかったのだが、今年は後半にきて調子を上げているので要注意。

なんだか饒舌になっているのは、わずかながら希望が見えてきたからだろう。今週の試合では24対23と1点差ゲームをモノにしている。これまで僅差のゲームでは負けていることが多かったから、これまでとは少し違った傾向が出ているのかもしれない。

これで一月がだいぶ楽しみになってきた。

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2006年12月23日 (土)

「マリア様がみてる クリスクロス」


実は最近一番楽しみにしているシリーズだったりする。

ストーリーのネタバレにならない程度に感想を言うと、まず一枚目の文中イラスト(p.20)、グッドジョブ。こういうのもツンデレって言うんだろうか。それから、主人公の祐巳も大人になったなあと、思わず父親とか姉のような感想を持った。うーん、ネタバレにならない感想は難しいので、このへんにしておこう。

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「まん延するニセ科学」

kikulog  を読んでいたら、この blog の主である大阪大学の菊池誠教授が NHK の「視点論点」に出演して「まん延するニセ科学」について語ったことを知った。
残念ながら三十一は見ていなかったので、再放送があったら是非見ようと思っていたのだが、翌日だったか同じ blog で「早朝に再放送があった」ことを知った。また見逃したわけである。

正直あきらめてかけていたが、YouTube に動画があっぷされていることがわかり、無事教授のご尊顔を拝することができた。しゃべっているうちにだんだん熱が入ってくるのが丸わかりで微笑ましかった(失礼)が、正直言って普段 blog で議論されている内容のほんの一部、さわりの部分を触れているに過ぎなかった。しかし、10分間という限られた時間の中で不特定多数の視聴者の注意を喚起し、問題の本質を説明するという目的には十分な内容であり、より大きな議論のきっかけを作るという役割は十分に果たしたと思う。

実際、YouTube へのブックマーク数はかなり増えており、NHK という日本中ほとんどの家庭にアクセスできるコンテントプロバイダーで放送されたことは大きい。先日、学習院大学の田崎教授がネットに出したアピール「水からの伝言」を信じないでください もかなりの反響を産んだが、まだまだテレビの力は大きいということか。ネットやコンピューターと普段あまり接触のない層にもアピールしたかもしれない。

注意しておきたいのは、菊池教授や田崎教授は単に「ニセ科学」そのものを問題視しているというよりは、「ニセ科学の蔓延を許してしまう土壌」にむしろ危機感を抱いているように思う。「土壌汚染」を食い止めるための手段として「ニセ科学」批判を行っているのだろう、と三十一は考えている。だから「そんなことをいくら言っても『信者』は考えを変えない」という批判は、菊池さんや田崎さんの懸念を読み違えているのだ。菊池さんたちのターゲットは「ボーダーライン上の人々」である。今回はその「ボーダーライン上の人々」に直接アクセスできた。それも NHK というまだまだ一般的には信頼度の高い(最近だいぶ評判を落としたが)メディアで流されたことは意義がある。

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2006年12月21日 (木)

「ローマ人の物語XV ローマ世界の終焉」

これもシリーズか。ラノベのシリーズとは少々趣が異なるけど。

3日で読了。年に一度の恒例行事も今年が最後になった。全15巻の完結となる。ローマ帝国最後の日々ということで、395年の東西分離から476年の西ローマ帝国滅亡を経て565年のユスティニアヌス大帝の死までを記している。世界史の授業で教わった476年で記述を止めなかったところに著者の見識が現れている。
ローマ皇帝という肩書きの消失にそれほど重きを置かず、その後のオドアケルの王国と東ゴート王国をどちらかというと西ローマ帝国の継続と考え、その断絶を東ローマ帝国による「イタリアの回復」に帰している。結局「ローマ化したゲルマン人」よりも「ギリシア化したローマ人」のほうがよほど「非ローマ的」であるということであろうか。

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2006年12月18日 (月)

H2AF11打ち上げ成功

今日、H2Aの11号機が無事打ち上げられた。

ペイロードの技術試験衛星8号(ETS-VIII)はGTOに乗ったらしい。正式な軌道の発表はまだみたいだが。普通、日本の衛星は軌道にのってはじめて正式に命名されるんだが、今回の場合は打ち上げ前から「きく8号」という名前で呼ばれていた。もし軌道に乗らなかったらどうするんだろう。まあ無事にあがったから言えることではあるが。今後アポジモーターキックを行い静止ドリフト軌道を経て静止軌道に移り、打ち上げ後約一週間で定常モードに移行する。

清水愛の声でしゃべり始めるのが楽しみだ<そりゃ「キク8号」だって。

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「戦争の日本史1・東アジアの動乱と倭国」

この秋から配本が始まった吉川弘文館の「戦争の日本史」シリーズの第一巻。配本としては第三回らしいのだが、こんなシリーズが出始めていることを知ったのが最近なもんで、まとめて既刊を入手したうちの一番最初の巻になる。

さてこの「戦争の日本史」全23巻のタイトルを眺めてみると特に近代以前では国内戦が大半を占める。対外戦は戊辰戦争以前では蒙古襲来と文禄慶長の役くらいである。その中でこの第一巻では記述のほとんどが朝鮮半島南部の加耶諸国を焦点とした外交と戦役に関する考察になっている。では当時国内が完全に一枚岩で国内戦は影を潜め一致して外国にあたっていたかというとそうではあるまい。要するに当時の史料がもっぱら中国や朝鮮に依拠しており、これらの史料の執筆者の主たる関心がそれぞれの母国との関係にあったことを反映しているのであろう。

さて読み終えての感想。ひとことでいうと、日本人の外交下手、ひとりよがりはこの時代から現代まで本質的に変わっていないんだなあ、ということ。ちょっと哀しくなった。

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2006年12月15日 (金)

映画「硫黄島からの手紙」

先週に引き続き、今週は日本担当分を。アメさんのほうはわりとすいてたのに、こっちは行列ができていた。理解できん。とは言え、三十一もその行列作りに一役買ってるわけだが。

戦争映画では戦闘シーン描写にもっとも重きを置く三十一の正直な感想は、「ふたつ見る必要はなかった」というもの。「星条旗」にない独特のシーンというのはほとんど見受けられず、むしろ「これ『星条旗』の使い回しじゃねえ?」というシーンが多い。

そういう観点を離れて見ると、とにかく渡辺謙がすべて。少しいい人すぎるような気がするけど。準主人公の元パン屋の兵士の苦悩もさんざん使い古されてきたテーマだ。永遠のテーマと言えないこともないが。中村獅堂(漢字あってる?)が演じる将校はあまりにステレオタイプ。ステレオタイプな役なりの掘り下げ方が欲しかったけど、そのへんがおざなりなのでリアリティがない。

両方見て初めてつながるようなシーンがいくつかあるけど、それだけのために見るのはちょっともったいない。個人的にはアメリカ版だけで十分だった。

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2006年12月14日 (木)

クラシック音楽少女漫画を大人買いする

「のだめ」は既刊16巻、「金色」は既刊7巻。合計23冊。

実際に買っちゃうのもどうかと思うが、一日で全部読み終えてしまうのもどうかしてる。夕方から読み始めて6時間くらいで両方読破。
一見似たようなテーマではあるけれど、少しテイストが違う。まず気づくのは絵柄の違い。「金色」の次に「のだめ」を読むとやけに画面が白く見える。まあそれは好みだから深く問うまい。
ストーリー的には「金色」は音楽を小道具にした学園ドラマで、登場人物と音楽の関わり方も所詮個人的なものにとどまっているのであまり書き込まれていない。もともとがゲームで、女性ユーザーを対象にした逆ハーレムものなので主人公の女子を美男子が取り囲むという構造になっている。しかしこの主人公女子が意外にいいキャラクターに仕上がっていてけっこう三十一好みだという一点でかなりポイントが高い。

一方の「のだめ」のキャラクターは主人公(?)ののだめを筆頭として変わり者揃い。それは現実のクラシック音楽界を正しく反映していると言えるかもしれないが。そのせいかストーリーとしてはばっちりクラシック界の裏話をちりばめたものになっている。どこまでフィクションでどこまでノンフィクションなんだか。指揮者とコンマスが対立して・・・とか(シャレになんねー)。
最近の指揮の話はなかなか楽しくてよい。もっとしつこくやれ、千秋。前にDVDで見たバルビローリはとんでもなく細かくしつこかった。

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2006年12月11日 (月)

はやぶさ2が欲しい

「はやぶさ2」実現に向けて

「欲しい」と思ったものは「欲しい」と声をあげよう。子供がおねだりをしているのとは全く違う。税金という形でカネを出してるのは我々なのだ。自分が出したカネの使い道に口を出すのは当然の権利である。

日本の宇宙探査は日本国内よりもむしろ海外で評価が高いらしい。X線天文観測衛星などもその一例だが、もっともわかりやすいのが「サイエンス」を貸し切りにした「はやぶさ」の成果である。
しかし三十一が脇から見ていると、せっかく確保した成果を自ら拡大していくような発展性に乏しい印象がある。アイデアはいいのだが、あとが続かないうちに着々と地歩を進めるNASAや欧州に追い抜かれ、気づいたら彼らの後塵を拝している。「はやぶさ」にしても、NASAはさっそく小惑星探査を計画しているようだ。このままでは、NASAはその地力にものを言わせて小惑星探査とサンプルリターンを成功させようとするだろう。そのときには日本がやったような盛りだくさんの探査機を一機送り込むのではなく、もっとシンプルな目的に特化した探査機をいくつも用意して全体で大きな成果を得られるように狙うはずだ。それぞれの探査機はできるだけシンプルな目的、シンプルな構造のほうが信頼度が高まることはいうまでもあるまい。

日本は「はやぶさ」で世界の頂点に立った。せっかく世界の頂点に立ったのだから、単にその地位を守るにとどまらず、もっと高みを目指すべきであろう。それが「はやぶさ2」の目指すC型小惑星である。

だから言う。「はやぶさ2」が欲しいと。

最後にひとつ。
「そのための独立行政法人なんだからJAXAの裁量でやればいい」という財務省どの。JAXAが望みもしない情報偵察衛星などという仕事をおしつけておいてカネは出さないというのが「独立法人」に対する仕打ちですか。「独立」ではあっても「対等」ではないということですかね。独立で対等な法人同士の契約として情報偵察衛星の打ち上げを「請け負った」のならそれなりの対価を要求するのが当然だと思うのですが。
そのときどきで都合のいいことを使い分けないでほしいものだ。

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「ぼくのご主人様!?3」

最近はやりのメイドもの。これも著者女性だと思うなあ。

いまどき実在の「メイド」なんてまずあり得ないし、リアリティもないので、メイドものを描こうとするなら違う時代か外国を舞台にするか、さもなくばファンタジーな別世界を設定するかが王道だろう。しかしこの本ではパラレルワールドというSF的な小道具を使っている。その結果、メイドとご主人様の道ならぬ恋という古今東西使い古された悲恋のプロットに抜け穴を提供することになった。
単にメイドを見たいだけだったら週末に秋葉原に行けばいいけれど、しょせんバッタもんだし、もう見飽きた。

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2006年12月 8日 (金)

映画「父親たちの星条旗」

久しぶりに会社帰りに映画を見てきた。
硫黄島二部作のうちアメリカ担当分の「父親たちの星条旗」だ。もちろん三十一が注意して見るのはドラマやストーリーなどではなく戦闘シーンの描写である。
戦闘シーンの大部分が細切れに挿入されている演出は、三十一的にはうっとうしいだけである。前半部分で比較的まとまって流される上陸シーンの質も「プライベートライアン」を超えるものではない。おそらくこの映画でもっとも刺激的な死体描写も、わかりやす過ぎてかえってお化け屋敷のような嘘っぽさを感じてしまう。そこがスピルバーグとイーストウッドの違いなのかな。
しかし損をした気分にはならなかった。主人公たる米軍の視点からみた映像よりもむしろNPCたる日本軍の視点でみた映像がなかなか出色だった。日本軍が手ぐすねひいて待ちかまえているところにのこのこと姿をさらす米軍というシーンでは思わず背筋がぞくぞくした。三十一の体内の日本人の血が騒いだということかな。

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「ネクラ少女は黒魔法で恋をする3」

またまたシリーズだなあ。こうしてみると最近新しいシリーズに挑戦する意欲がなくなってるのかもしれないと思ってしまう。

正直言って、ストーリーはそんなに飛び抜けておもしろいというわけではない。似たような話をよそで見かけても不思議ではない。だが三十一がこのシリーズを気に入ってるのは、文章センスが秀逸だからである。斜に構えたねじ曲がりっぷりが心地よい。この巻ではその特長はあまり顕著に発揮されていなかったけれど。

あとがき読んでふと思ったんだけど、この著者は女性じゃないかな。男性の名前だけど、ペンネームかもしれない。桜庭一樹の例もあるし。間違いだったら失礼。

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「はやぶさ」

著者自身が「はやぶさのマニアやファンには既知の内容ばかりで物足りないかもしれない」と言っていたが、実際その通りだった。

考えてみれば「はやぶさ」のイトカワ着陸からもう一年がたつ。世間ではもうすっかり忘れられて、後継機の予算確保もままならない状況らしい。そういう時期にこうした本が出るのは悪いことではない。
しかし実際に読み終えてみると、無条件で推薦できないひっかかりが残った。あまりに手放しで褒めちぎっていて、現実味が感じられないのである。むしろ著者がはしゃげばはしゃぐほど読んでいるこちらは醒めてきてしまう。
そのあたりは好みだろうが、三十一はどちらかというと「事実そのものに語らせる」手法のほうが感情移入しやすく、過剰な演出は好まない。

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2006年12月 4日 (月)

月に願いを

セレーネ「月に願いを!」キャンペーン (JAXA)

火星の「のぞみ」、イトカワの「はやぶさ」に続く第三弾となる。実は三十一は前二度とも応募しそこねた。普段ちゃんとニュース見てないからなあ。

火星とイトカワはともかく、月なら自分で実際に訪問できる可能性がまったくゼロではないと思うので(限りなくゼロには近いが)、いつかこの目で自分のメッセージを見るシーンを思い浮かべてそれにふさわしい文面でも考えることにしよう。

一月いっぱい有効なので、じっくり時間をかけて。

そんなことしてるうちにまた応募しそこねたら間抜けだな・・・

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3連敗

またまたデンヴァーが負けたらしい。

これで3連敗ですか。KCも負けたので地区内での順位は並んでいるが、サンディエゴは勝ったので置いていかれたわけだ。残り試合は4試合で、ゲーム差は3つ。地区優勝はかなり絶望的になりつつある。

それより切実なのはワイルドカード争いで、7勝5敗で4チームが並んでいる。この中でプレイオフに進むことができるのは2チーム。AFC内での成績は7勝3敗なのでその点では有利だけど、勝ち星で上に行かれては意味がない。

今週はとうとうエースQBのプラマーが見切りをつけられて、新人のJ.カトラーが投げたようだ。始めのうちは勝ってたが、終わってみれば20-23で逆転負け。
数字はさほどよくないがカトラーを責めるのは酷だろう。

ここ何年か、最大のネックはヘッドコーチだと思っている。功労者であることは間違いないけれど、だからと言ってNFLのヘッドコーチは過去の業績だけでその座にとどまれるものではない。

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「空とタマ」

これはシリーズじゃないなあ。だけど実は「二ノ宮くん」シリーズと同じ作者だったりする。実際に買ったのは少し前のことだけれど、しばらく積ん読状態になっていた。

うーん、広い意味ではツンデレになるのかもしれない。かなり広く解釈して、だけれども。
昭和時代の少年が一度はやったであろう冒険と、そこにボーイミーツガールの要素を加えた少しノスタルジックな香りがするが、しかしこの終わり方は救いがあるのだろうかないのだろうか。そこは読む側の受け取り方に任されているのかな。

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2006年12月 2日 (土)

防衛庁の「省」昇格

先日のことになるが、防衛庁設置法改正法案および関連法案が衆議院を通過した。自民・公明・民主が賛成したということだから、参議院での可決成立はほぼ確実だろう。この法案の最大の眼目は報道されている通りこれまで内閣府の外庁という扱いだった防衛庁を独立した防衛省とするというものだ。

三十一はもちろん反対ではない。喜ばしいことだと思ってはいる。しかし正直に言えば、それほど急いでやるほどの重要なことだとも思っていない。できるときにやればいいことで、今ができるときだと判断したのならそれでいいだろう、という程度である。

「庁」から「省」になるメリットとしては、法案を内閣府を経由せずに直接提出できるとか、省令を発することができるようになるとかいった手続き的なことのほかに、隊員の士気の高揚も目的とされているようだ。むしろそっちのほうが大きいだろう。
だが三十一から見ると、順序が逆のように思える。省昇格によって隊員の社会的地位向上をはかるというよりは、自衛隊というものが社会的に認知されたからこそ省昇格が容認されるようになったというのが事実ではないだろうか。いわば現状追認にすぎない。もちろん自衛隊や自衛隊員に対する社会の認識はまだ十分なものではない。しかしそれは一片の法律でどうこうなるものでもない。

名称いじりをするよりは、もっと本質的な部分で日本の防衛というものに対する議論を深めるほうが先決じゃなかろうか。

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2006年12月 1日 (金)

「ご愁傷様二ノ宮くん6」

これもシリーズだなあ。会社帰りの電車の中1時間ほどでほぼ読み切る。

表紙を張っているのは新キャラのメガネっ娘。三十一にはメガネ属性はないと思っているが、メガネにはメガネの良さがあるとも思っている。これもアリ、だ。
この新キャラについてこれ以上掘り下げるとネタバレになるのでこのあたりでやめておこう。

これから読む人に忠告しておくが、この本は電車の中で読む本ではない。ましてやいい年した大人が通勤途中の電車の中でスーツを着て読む本ではない。さすがの三十一も「これはまずい」と思って何ページかすっ飛ばした。ラノベにイラストはつきもので、イラストページを飛ばすというのはけっこうあるのだが、イラストのない文章のページを飛ばしたのは初めてかもしれない。帰宅して改めて読み直してみたけれど、この辺やたらと文章に気合いが入ってるように思えたのは気のせいだろうか。

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「鉄道忌避伝説の謎」

著者の青木栄一氏は交通史学者の第一人者だと三十一が勝手に思っている人物。「シーパワーの世界史」の最終巻は出ることがあるんだろうか。もし出たら少なくとも1冊は売れるはず。

この本では、誰もが一度は聞いたことがあるはずの「鉄道がはじめて引かれたころ、旧来の宿場町が反対したため、離れたところに線路が敷設された」という話が「伝説」にすぎず歴史的事実ではない、と言う。確かに当時の市街地からややはずれたところに駅や線路が設けられた例は多いが、密集した市街地の真ん中に線路をひいたり、駅を作るのはそれほど簡単なことではない、というのだ。考えてみればその通りである。
しかし後年、駅と旧市街の位置関係からそんなことを想像した当時の事情をしらない人物がまことしやかに「伝説」を伝えたのだろう。

この本を読んでいて思ったのが、「鉄道」というシステムに対する世人の無関心である。著者も「鉄道史はアカデミズムの対象ではなく趣味の部類に属すると考えられてきた」という趣旨の記述をしている。
三十一の実感でも、自動車などの類推で鉄道を語るものがけっこう多いようだ。「前に電車が詰まっている」と聞いて「もっと車間距離をつめればいいのに」と発言する輩とか、「電車はハンドル切らないでいいから運転は自動車より簡単だよね」という連中のことである。鉄道というシステムを知るものには噴飯ものの発言なのだが、同調する人間は珍しくない。
鉄道線路が市街地からはずれたことにありもしない「反対運動」を持ち出す人間が、国道のバイパスが町はずれの水田の真ん中を通っていることには何の疑問も持たないのは不思議である。

困ったことにこの「伝説」は初等教育の場であたかも事実であるかのように教えられているらしい。教える側の教師も疑問を抱く様子がないことから、この「伝説」がどれくらい「普及」してしまったかがわかるというものだ。しかし鉄道史の世界では「鉄道忌避」が「伝説」にすぎないことはかなり共通の認識となっているという。学校で嘘を教えるのは勘弁してもらいたい。「水伝」とやってることが変わらないぞ・・・

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