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2007年9月25日 (火)

麻生下野

この週末のうちに、おおかたの予想通り福田康夫・自民党新総裁が誕生した。マスコミの下馬評では「9つの派閥のうち8つの支持をとりつけた」などと評して福田有利を報じていた。その下馬評はまったく間違っていたわけではないが、ふたを開けてみると、530票ほどの投票数のうち麻生陣営が200票近くを確保しており案外の接戦だった。あとづけで「派閥のコントロールが効かなかった」などと報道されているが、選挙期間中に福田候補もそのような発言をしてなかったかねえ。「派閥が支持を固めたからといって、所属議員が一糸乱れず従うようなそんな時代じゃない」のだよ。

かくして、憲政史上初めて親子で総理をつとめることになった。兄弟(岸と佐藤)とか、祖父と孫(岸と安倍)というのは例があったんだが。考えてみれば全部清和会系だなあ。偶然だろうけど。

翌日、党の主要人事が固まったんだが、これが少し意外。谷垣政調会長は予測していたわけではないが、もともと政策通で知られていたので順当と言える。二階総務会長が留任して、古賀選対委員長というのも、ある意味適材であるだろう。意外だったのは伊吹幹事長である。中曽根派の流れをくむ伊吹派の会長ではあるものの、派閥の「領袖」と呼べるほどの指導力は発揮していない。伊吹派から党幹部に引き込むなら、むしろ中川昭一であったはずだが、中川は麻生の推薦にまわってしまった。伊吹派からの次代の首相候補と自他共に任ずる中川が派閥の意向に従わなかったことで、派閥の統制力の弛みを示している。

実は三十一の予想は麻生幹事長留任であった。この情勢では麻生太郎をとりこまずには福田はやっていけないことは明白。挙党体制の形を示すためにも、麻生太郎をそれなりに処遇せざるを得ない。しかし麻生は重要閣僚から党幹部に転じたばかり。ここでまた麻生太郎を閣僚に起用するのは無理があるし、そもそもポストがない。あるとしたら外相返り咲きかなあ。町村外相の官房長官横滑りという観測が出ていたので、空いた外相に麻生太郎が戻るというシナリオもあるだろうが、1か月で外相が元に戻るというのも国際的に聞こえが悪い。そう考えると麻生太郎は党幹部に残すのが妥当で、現幹事長であったから留任というのが一番わかりやすい。
しかし実際にはこの予想は当たらなかったわけだ。今日発表された閣僚名簿によると、結局麻生太郎は入閣せず無役となった。顔ぶれを見ると基本的には留任で、あとは微調整だけ。官房長官の与謝野馨がはずれ、町村外相が官房長官に、高村防衛相が外相にそれぞれ横滑りし、あいた防衛相は経験者の石破茂に。幹事長に移った伊吹文明の穴埋めには渡海紀三朗が就任。高村も以前外相経験があるし、渡海紀三朗は初入閣だが文部科学副大臣の経験がある(元建設大臣の・・・と思ったがそれは親父のほうでした)。こうして見ると、経験者を中心とした手堅い布陣と言えるだろう。
だが麻生が外れたことで、福田政権に対する三十一の期待は急落した。

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"と"陰謀論

大阪大学の菊池教授のblogで一年近くも燃えさかっていた「ナノイーイオン」がようやく収束に向かったかと思ったら、今度は「WTC陰謀論」で盛り上がっている。世にビリーバーの種は尽きまじ。

古くからの読者はご存じと思うが、三十一は陰謀論というものを非常に嫌っている。もちろん、陰謀をたくらむような悪者はこの世に存在しないというほど善人なわけではない。陰謀はいつだってたくらまれているのだ。しかし、なんでもかんでも「アメリカ政府の陰謀だ」とか「ユダヤ人の陰謀だ」とか「フリーメーソンの陰謀だ」とか、そういった陰謀論で片づけようとする風潮、あるいはそういう趣向の人物は大嫌いである。こういう「トンデモ陰謀論」はニセ科学と似ており、究極的には単なる思考停止である。

特に三十一が「トンデモ陰謀論」を嫌うのは、結局のところそれが「逃避」にほかならないからだ。例えば「WTCの崩壊はアメリカ政府の陰謀だ」という人がいる。もし三十一がアメリカ政府の立場だったとして、あんな手の込んだ陰謀はリスクが高すぎて実際には実行できないだろうと考えるのだが、そういった技術面の評価はひとまず置こう。あのテロがアメリカの陰謀だとすると、その責任をアメリカの一部高官になすりつけることができる。つまり、イスラム過激派にテロを起こさせるほどの憎悪をアメリカ政府はその長年の政策によって買ってしまっており、そして日本もその政策を支持することでその責任の一端を負っていて、その政府を支持した日本国民にも責任がある、という事実から目をそらすことができるのだ。ねんのために言っておくが、責任があるから良いとか悪いとか言っているわけではない。単に責任があるということである。逆に「オレは自民党に投票しなかったから責任がない」というのも通用しない。このまま現状を維持して彼らの反感を買いつづけるというリスクを負うか、あるいは政策を転換して彼らの憎悪を軽減するための対策をうつか、あるいはより強硬策に出て彼らを絶滅させるか。選択と、その結果に対する責任はみんなが持っているものだ。

しかし「アメリカ政府の陰謀」にすれば、そういった責任を回避できるのだ。「悪いのはアメリカ政府だもん」というわけだ。自分以外の誰かに責任をおしつけるために、ちょっとでも疑わしい(と見える)証拠にとびつくのが「トンデモ陰謀論者」である。

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「ネクラ少女は黒魔法で恋をする5」

完結したらしい。いやまあ、読み終わったんだから完結したということはわかっているのだが、ちょっと不完全燃焼気味かなあ。
ネクラで歪んでいて後ろ向きな少女が、友人のおかげで前向きに変化するという、まとめてしまえばごく一般的な内容であった。もっとも、小説なんてものはたいていテーマはありきたりのもので、それをいかに表現するかが勝負だから、それ自体は評価を下げるものではない。
ただ、三十一の感覚としてはこの主人公には幸福になってほしくなかった、というと語弊があるが、正直言って簡単に幸福になってほしくなかった。もうちょっともがき苦しんでほしかった。そのもがき苦しむ様こそがこのシリーズの特徴であったと思う。5巻も引っ張れば充分だという考え方もあるだろうけどね。つまりは、完結を惜しいという気持ちが三十一にそう思わせるのだ。これは褒め言葉のつもりなんですよ。

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「人物アメリカ史(上)」

例えばトム・クランシーの小説などを読むとつくづく思うのだが、アメリカ人はアメリカ的価値観というものに信仰とも言うべき確信を抱いているらしい。自国内で信仰する分には勝手だが、それを国外にまで持ち出さないでほしい。これまでの歴史的背景が違う地域に押しつけられても木に竹を接ぐようなものだ。
この本を読むと、アメリカ人がそのような価値観を育ててきた過程がよくわかるが、そのなかでも特に印象に残ったことがある。アメリカは初期の移民からフロンティアが消失する前世紀初頭までの300年以上の間、アメリカ人の主観的には未開発のまま放置された無主の地を獲得して開拓することで成り立ってきた。精神的にはこの「フロンティア・スピリット」は未だに生きている。この感覚は、現在のアメリカの「行き詰まったら新しい場所で新しいことを始めればいい」という発想に直結している。それはアメリカの進取の気性の源泉でもあるのだが、そのような環境を持たない地域が持っている問題への無理解を助長している。アメリカ人の目には「能力不足」の言い訳でしかないと映っている。産業への規制は格差を是正するものではなく、能力の自由な発揮を阻害するものとみなされていた時代が長くつづいた。欧州的な「均衡のとれた成長」という考え方とは無縁だったのである。一方、アメリカの成長は事実上無限に存在した資源とその消費に支えられていたから、省資源とか二酸化炭素排出の削減といった発想からも縁遠かった。アメリカのエネルギー政策の主要な関心は「エネルギーの確保」にあって節約にはなかったと思う。

こういった発想法を一朝一夕で覆すのは無理だろう。時代が変わっているということはさすがのアメリカ人も全く理解しないわけではあるまい。でも、上空から見たあのだだっ広い平野を思い出すと、発想法の違いがそう簡単に埋まるとも思えないのである。

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2007年9月20日 (木)

School Days 放送自粛

U局で放映されていた「School Days」の最終回が放送自粛になった。
つい先日起きた女子高生の父親殺害事件のあおりを食って、似た展開の本作の放映は適当ではないと思われたようだ。

今期のアニメのなかでは一番気にいっていただけに非常に残念。
気にいってたから、というわけでもないが、この手の事件が起きるたびに自粛という名の自己規制が入ってしまう風潮を苦々しく思う。そもそも事件が起きてしまってから自粛しても意味がないんじゃないか?

しょうがないから DVD を買うか。avex に儲けさせるのは本意じゃないんだけどなあ。

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2007年9月18日 (火)

かぐや打ち上げ成功

日本としては久しぶりの月探査機「かぐや」の打ち上げが金曜日に打ち上げられた。NHKでは「月探査衛星」と呼称していたが、JAXAでは衛星軌道に投入される「衛星」と、地球の重力圏を離れた「探査機」は明確に区別している。もちろん「かぐや」は探査機である。
「かぐや」には一般から募集された月に送るメッセージが搭載されていることも注目を浴びているひとつの要因であるけれど、そして三十一もこのメッセージに応募したけれど、しかし三十一がより注目しているのは、これまでISASの固体燃料ロケットで打ち上げられてきた科学探査機を初めてJAXAのH-2Aで打ち上げたこと。
衛星軌道に載せる商業衛星の打ち上げと違って、地球外へ向かう探査機はランチ・ウィンドウが狭い。lunch ではなく launch である。打ち上げられる時間帯のことだが、数分とか数秒というのも珍しくないらしい。その限られた時間の間に予定通り打ち上げることができたのは、よい実績を示したことになろう。ISASのMシリーズでなくてもよくなったことを示すことにもなるので痛し痒しではあるが。数トンの気象衛星を静止軌道に投入する能力があるんだから、月探査機を打ち上げる能力があるのは容易に推測できることだが、この実績は強い。何にでも使える万能機という評価が定着すれば、顧客の獲得にも繋がるだろう。
もうひとつ今回は三菱重工が請け負って打ち上げた最初のケースになる。営利企業である三菱重工がどのくらい本腰を入れて利益確保、シェア拡大に乗り出すか。

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2007年9月15日 (土)

福田優勢

つい先日、「麻生本命」などと書いたのだが、ほんの数日の間に情勢が大きく動いて派閥の大勢が雪崩をうって福田支持を固める事態になってしまった。

元本命たる麻生としては、余計なライバルが出てくる前にさっさと決めてしまいたかったのだろうが、幹事長として総裁選準備に追われているうちに福田が各派閥のトップの支持をとりつけてしまった。こうなっては、当初のもくろみよりも総裁選の日程が遅れたのがかえって麻生に巻き返しのチャンスを与えることになるだろう。何が幸いするかわからない。23日の投票までに、無派閥と地方票を固めることができるかどうかが鍵。とくに重要なのは地方票。派閥が福田支持を固めていても、出身選挙区の県連が麻生を支持することになったら議員も去就に迷わざるを得ない。なかには切り崩される者もいるだろう。

公示前の段階でこんなもの を作ってみたので、観戦の参考になれば。

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2007年9月12日 (水)

本命・麻生

対抗・福田、穴・谷垣、大穴・小泉。

昼過ぎに安倍総理退陣というニュースが飛び込んできたが、それを聞いた三十一の感想は「タイミングが変だ」。いい悪いではなく「変」である。辞めるなら内閣改造する前に辞めるか、そうでなければテロ特措法の延長ができなかったときに辞めるべきだろう。

実は、先日の「政治生命を賭して」発言のあとに用意した文章があったのだが、アップする前に状況が大きく動いてしまった。もったいないので、貼り付けてみよう。

政治生命(仮)
安倍首相が、テロ特措法の延長もしくは代替法の期限前成立に政治生命を賭けると言ったそうな。決意は買わなくもないが、そんな宣言をしたところで周囲がそれを尊重するとも思えない。「やめたきゃやめれば」と言うだけだ。
ただこの発言にひとつ意味があるとするならば「もし成立できなかったら、その後のことはオレの責任じゃないぞ」という脅しであろう。仮に安倍が退陣して政権が変わったとすると、それが自民党であれ民主党であれ、アメリカから「じゃあテロ対策はどうするの」という課題をつきつけられることになろう。いわば火中の栗を拾う羽目になるわけだ。安倍を引きずり下ろそうと血道を上げている面々は、そのときのことは考えているのかね。

まるで事後予言のようだけど、本当に辞意表明の前に作った文なのである。三十一の観察力も捨てたもんじゃないな。

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「世界平和は一家団欒のあとに3」

このシリーズは三十一的にはアタリである。自分が思っているより三十一と世間はずれていないようで、あるいは三十一と似た趣味の人が一定人数以上は存在するようで、予想していたよりも早いペースで続刊が刊行されている。すでに3冊目。
柚島"ツンデレ"香奈子嬢の活躍がもう少し多ければさらに言うことはなかったのだが、ぜいたくは言うまい。星弓父に抱きかかえられて当惑する柚島嬢のイラストだけで、イケる人ならドンブリ飯3杯くらいはイケるかもしれない。「うむ!これはこれでよし!」という星弓父の感想に心の底からの同意を表明する。美智乃のアブないセリフもツボにはまった。テンポもよく、さくさくと読み終えることができた。
最近のシリーズでは、"文学少女"に次ぐおすすめ。

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2007年9月11日 (火)

「"文学少女"と慟哭の巡礼者」

三十一はこの著者の野村美月の本を、デビュー作からずっと読み続けている(「うさ恋」シリーズは読みかけで止まっているが)。

この本を読み終えたとき、三十一は自分の先見の明を誇りたくなった。これまでの巻では少し読みにくい部分もあったけれど、それもこれも、この巻への布石であったのかとすら思う。シリーズのなかでは比較的厚めの分量だったけれど、あっという間に読み終えてしまった。

ネタばらしになるので詳しくは書かないが、この先、シリーズをどうしめくくるのか、その際に遠子先輩がどういう役割を果たすのか、そもそも遠子先輩は何者なのか。

すでに次巻が待ち遠しい。

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パヴァロッティ死す

ルチアーノ・パヴァロッティが亡くなった。

以前書いたことがあると思うのだが、実は三十一はパヴァロッティをあまり買っていない。
いや、声は確かに凄いのだよ。三十一がちゃんと見始めたころにはもう絶頂期は過ぎていたらしいのだが、高音ののびは他の追随を許さない。

だけどねえ。

最初に見た「イル・トロヴァトーレ」での大根役者ぶりを見ちゃうとなあ。

ジャケ写はそこそこ格好良かったのに、動かしてみるとまるで学芸会に見えた。天は二物を与えず、というところか。

「三大テノール」などと称して演技力の要らないステージコンサートに乗りだしたのはある意味正解だったかもしれない。

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2007年9月 8日 (土)

木造客車だそうですよ!

今日と明日、陸羽東線開通90周年を記念して、D51 498の牽引するSL列車が運行されるそうですが、なんと客車は木造客車だそうですよ! すごいですね! これは見逃せないデスよ!

・・・ウソつくんじゃねえーーーーー!!!

NHKのニュースでそんなウソ八百なコメントを聞いたので、どこの馬鹿者がそんなことを言い出したのかと思ってぐぐってみたら、複数の新聞社でほとんど同じ内容の記事がみつかったので、どこかの通信社が配信したニュースなんだろう。

いわゆる「旧型客車」はイベント用としてごく小数が残存しているが、すべて全鋼製で、木造客車なんか残っちゃいない。木製客車の製造は大正時代までで、昭和に入るころには新製の客車はほぼすべてが全鋼製に切り替わり、木製客車は戦後まもなく営業用としては淘汰され、事業用も含めて現在ではまったく残っていない。
よくわかってない記者が「旧型=木造」と短絡したんだろうが、実際にはSLより遥か以前に木製客車は姿を消していたのである。その一方で、D51の製造開始は昭和11年と意外に新しい(三十一の父親より若いのである・・・)。D51と木製客車の組み合わせってのは、実際にはなかったかもしれないのだ。そもそもD51は貨物用機関車なので、山岳路線とかでないかぎり客車を牽引すること自体が珍しいのだが。

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2007年9月 6日 (木)

「夏王朝」

夏・殷(商)・周という中国古代の3王朝のうちもっとも古いのが聖天子舜から位を譲られた禹が起こしたとされる夏王朝だ。日本の中国史学会の間では、夏王朝の実在を否定、少なくとも疑問視する見解が主流だ。三十一も日本で出されている中国史の書物をもっぱら読んでいる間はそういう理解でいた。しかし、それほど数が多くないにしても中国で出版されている歴史関係の本を読んでみると、夏王朝の実在は規定の事実であるかのように書かれているのに気づいた。この温度差はいったいなんだろう。もちろん、中国の学者が自国の歴史をできるだけ古い時期までさかのぼらせたいという意図はわからなくもない。しかし、そういった政治的な判断に基づいたご都合主義だと笑い飛ばしてしまえるような、簡単な話ではないように思う。
この本は、その三十一の疑問にジャストミート、クリーンヒットだった。最初買ったときはそこまで期待していなかったのだけれども。殷(商)王朝の前に、禹王が創設した夏という固有名詞をもつ王朝が存在した、とまで断言するのは言い過ぎだろう。しかし、明らかに殷(商)王朝の存在を示した文化(文献資料と考古学資料の一致から、殷の実在は明白)と、質が異なり、しかも時間軸として先行した文化が存在したことは間違いない。問題は、その文化が「王朝」とまで言えるほどの構造を持っていたかどうかだ。現在、夏王朝の再有力候補とされている二里頭文化では、酒器や祭器などの存在により祭祀を司る特殊な階級が生まれていたことが推測される。また発掘された「王都」は、周囲の同時期の集落に比べてはるかに規模が大きい。これは中央に周囲と比べて卓越した権力があることを示すものだろう。こうした権力がある程度の期間、世襲的に継続したとするならばそれは「王朝」と呼んでいいのではないか。この文化の継続期間は文献資料から導かれた約470年という夏王朝のそれと比べてもっとずっと短かったらしく、著者は中国の学者の研究も参照しておよそ100年という意見を示している。しかし少なくとも数世代にわたって継続していたことは確かだ。世襲だったかどうかというのは、考古学的調査からは判断は難しい。しかし階級格差が生まれれば、それが世襲されていくというのはそれほど突飛な推測ではないだろう。
つまり結論として、夏王朝は実在したとしているのだ。三十一も、少なくとも殷(商)に先行する何らかの王権が存在したのは間違いないと思うので、それを「夏」という名称で便宜的に呼ぶようにするのはやぶさかではない。近頃、日本の学会でも夏王朝の実在を認める見解が出てきているようだ。

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2007年9月 3日 (月)

「彩雲国物語・白虹は天をめざす」

みんなそれぞれちょっとずつ成長しましたという感じ。秀麗はもちろん、その他のまわりの登場人物たちも。このまま行くと、劉輝はこいつとくっつくのかなあ。それもありかなという気がしてきた。
このシリーズでいろいろなカップリングを想定(妄想)して楽しんでいる読者は腐るほどいるだろうけど、三十一としてはこれまで想像もしなかった組み合わせにリアリティが出てきた。

それはさておき、本筋からすると秀麗がようやく監察御史としての自覚を獲得したということかな。このまましばらくこの官職で話が進むんだろうか。できれば秀麗には表舞台を歩いて欲しいところだけど。

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「銀河英雄伝説4」

アニメ版の銀英伝で三十一が好きなシーンのひとつが、ラインハルトが自由惑星同盟に宣戦布告する場面である。ラインハルトの強い部分が一番顕著に表われていたと思う。小説版ではそのシーンはこの4巻に含まれているけど、いざ読んでみるとアニメ版ほどわくわくしなかった。BGMと堀河亮の声が欠けているからだと思うけど。脳内アフレコで補完しよう。

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防衛大臣の椅子

小池百合子が次官人事に口出しをしたあげく、防衛大臣に留任しそこねた。まあ当然のことだろう。自分では「留任するつもりはない」などと言い訳していたが、果たして誰が信じるものやら。結果として2か月も満たない期間で退任を余儀なくされた。
例の次官人事騒動だが、シビリアンコントロールの観点から次官を批判する論調が多く見られるけど、三十一はその見方にくみしない。というのは、小池防衛大臣がどこまでその人物を知って次官昇任に反対したのかがわからないからだ。もし、それなりの考えがあって口出ししたとしても、その次官交代の前に自ら退任してるのでは説得力がない。「守屋次官が推す候補者では大臣がやりにくい」と、「自分から退任を申し出た」を両方同時に満たす解は存在しない。少なくともどちらかはウソである。
三十一は結果として防衛大臣が交代してよかったと思う。誰が来ても少なくとも前任者よりはまともになると思うけど、重量級で外相経験者の高村新防衛相というのは(いまのところ)よい人事だと評価する。
小池百合子でひとつだけ取り柄があるとすると、女性として初めての防衛担当閣僚をつとめた、というくらいかなあ。

あ、そういえば、「次官も自衛官だからシビリアンコントロールに従うべきだ」という記述をみつけたけど、後半はともかく前半は違う。次官は「自衛官」ではなく「自衛隊員」だ。自衛官は自衛隊員に含まれるけど、自衛官ではない自衛隊員というのがいて、一番わかりやすいのはいわゆる「背広組」である。だから大臣に従わなくていいというわけではないけれど、「自衛官」に与えられている服従義務とは質が異なる。

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