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2007年9月 6日 (木)

「夏王朝」

夏・殷(商)・周という中国古代の3王朝のうちもっとも古いのが聖天子舜から位を譲られた禹が起こしたとされる夏王朝だ。日本の中国史学会の間では、夏王朝の実在を否定、少なくとも疑問視する見解が主流だ。三十一も日本で出されている中国史の書物をもっぱら読んでいる間はそういう理解でいた。しかし、それほど数が多くないにしても中国で出版されている歴史関係の本を読んでみると、夏王朝の実在は規定の事実であるかのように書かれているのに気づいた。この温度差はいったいなんだろう。もちろん、中国の学者が自国の歴史をできるだけ古い時期までさかのぼらせたいという意図はわからなくもない。しかし、そういった政治的な判断に基づいたご都合主義だと笑い飛ばしてしまえるような、簡単な話ではないように思う。
この本は、その三十一の疑問にジャストミート、クリーンヒットだった。最初買ったときはそこまで期待していなかったのだけれども。殷(商)王朝の前に、禹王が創設した夏という固有名詞をもつ王朝が存在した、とまで断言するのは言い過ぎだろう。しかし、明らかに殷(商)王朝の存在を示した文化(文献資料と考古学資料の一致から、殷の実在は明白)と、質が異なり、しかも時間軸として先行した文化が存在したことは間違いない。問題は、その文化が「王朝」とまで言えるほどの構造を持っていたかどうかだ。現在、夏王朝の再有力候補とされている二里頭文化では、酒器や祭器などの存在により祭祀を司る特殊な階級が生まれていたことが推測される。また発掘された「王都」は、周囲の同時期の集落に比べてはるかに規模が大きい。これは中央に周囲と比べて卓越した権力があることを示すものだろう。こうした権力がある程度の期間、世襲的に継続したとするならばそれは「王朝」と呼んでいいのではないか。この文化の継続期間は文献資料から導かれた約470年という夏王朝のそれと比べてもっとずっと短かったらしく、著者は中国の学者の研究も参照しておよそ100年という意見を示している。しかし少なくとも数世代にわたって継続していたことは確かだ。世襲だったかどうかというのは、考古学的調査からは判断は難しい。しかし階級格差が生まれれば、それが世襲されていくというのはそれほど突飛な推測ではないだろう。
つまり結論として、夏王朝は実在したとしているのだ。三十一も、少なくとも殷(商)に先行する何らかの王権が存在したのは間違いないと思うので、それを「夏」という名称で便宜的に呼ぶようにするのはやぶさかではない。近頃、日本の学会でも夏王朝の実在を認める見解が出てきているようだ。

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