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2007年10月30日 (火)

ふたたびの城

なんだかだんだん起床が遅くなっている気がする。朝食をとって部屋にもどったら9時をまわっていた。米子駅の改札を入ったら、目の前でDE10が入れ換えをしていて慌ててカメラを構える。入れ換えてるのは何かの客車かなあと思ったが、よく見たらキハ181系の特急気動車だった。キハ181とキハ180の2両を引っ張っている。この説明でわかるひとはわかるだろうが、要するに片側はアタマがない状態なのだ。どうするんだろうと思って見ていたら、やがて牽機のDE10は離れていってしまい、そのうち片方にしか運転台のない2両編成は、運転台のほうを先頭にして(当たり前だ)走り去っていった。どういうことなんだろうなあ。バックできないから、その間だけDE10のお世話になったってことかな。

ついでにすぐ側にとまっていたEF64もカメラに収めたりしているうちに、下り列車がやってくる。岡山からやってきた「やくも1号」だ。381系も登場して30年以上になるけれど、三十一が乗車するのは初めてである。米子から松江まで、ほんの30分にも満たない間の乗車時間というのが少し残念なくらいだ。はじめは中海の海岸べりを走っていた線路だが、松江が近づくと宍道湖につながる大橋川が見えてくる。昨日の境水道を思い出すなあ。
松江駅も鳥取と同じ高架になっており、近代的ではあるが味気ない。

昨日の鳥取と同じく、松江にも循環バスがある。しかしこちらは一回200円で、観光客向けのコースだ。10分ほどで松江城の大手門前に到着。松江城は、市内の山に築かれたとはいうものの標高差はせいぜい数10メートル。外様の雄池田氏の居城であった鳥取城と違って、親藩の松平家が長らく支配した出雲松江城は実質的には平城と言っていいだろう。松江城の最大の特徴は山陰地方で唯一天守閣が現存していることだ。鳥取城なんぞ、江戸時代初期に天守閣が焼失して以後再建されなかったというのに。

二日つづけて城を見ているからどうしても比較してしまうが、まったく違う構造をもつ城を単純に比較してもしょうがない。とにかく本丸までのぼって下から天守閣を見上げる。中に入れるらしいのだが金が必要らしい。そこまでして高いところに昇りたいと思うほど馬鹿ではないと思うので昇らない。上がってきたのとは反対の本丸北門から降り、内堀の中に建てられている護国神社と稲荷社をのぞいてお堀端に出てくる。ところで、この神社の鳥居の前に建っている住宅はいったい何なんだろう。お城の中ですぜ。この神社の神職かなあ。

内堀のすぐ外側に建っている小泉八雲記念館、小泉八雲旧居、そして武家屋敷などをやはり外からみて、また循環バスを捕まえて駅前に戻ってきた。もう少し見所があるかと思ったのだが、三十一的にはもうおなかいっぱい。ちょうど昼を過ぎたくらいだが、午後をどうしよう。ここはやはり昨日思いついた計画を実行するか。周遊きっぷ「山陰ゾーン」にはバス路線も含まれているが、鉄道路線はJR山陰本線の鳥取~出雲市、境線・米子~境港、伯備線・伯耆大山~根雨、木次線・宍道~木次、そして一畑電車の全線。この中で当初から乗車する予定がなかったのは木次線である。この際だからここを乗り潰してしまおうというのがその計画である。

快速アクアライナーで宍道へ。この列車は益田までいく特急補完列車なのだが、30分ほどで下車。隣のホームにキハ120気動車が待っているので乗り換える。ぼつぼつ高校生が見えるなあ。正直、行きは半分くらい眠っていた。松江城に昇るのでもけっこう疲れたのである。最近体力がないなあ。40分ほどで木次に到着。走り去っていくディーゼルカーを見送り、改札を出て駅舎の写真を撮ったりしているうちに、ホームにすべりこんできたのは「トロッコ奥出雲おろち」であった。そうだった、ひょっとしたら見られるかもと思っていながら、今の今まで忘れていた。乗客がみんな降りていってしまったタイミングを見計らって、改札の中に入って写真を撮る。お仲間数名。
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駅のすぐ横にある木次鉄道部の基地に引き揚げたすぐあとに、宍道に向かう列車が入ってくる。今度はゆっくり車窓外を眺める。これまた懐かしい日本の田舎だなあ。一昨日見てきた先祖の地を思い出す。宍道に戻ってきてまたもやアクアライナーで松江に戻ってくる。途中、宍道湖畔を走っている。このあたりは電化と複線化という改善を経ているが、そのせいだろうが上下線がときどき大きく離れる。東北本線あたりでも見る線形だ。

松江に戻ってきて、そろそろ戻りの切符を確保しておいたほうがよかろうということで指定席を確保する。もし予定していた切符がとれなかったら、明日の行動に少し修正が必要になるところだったが、これでまるまる一日確保できた。

今日の旅程:
米子(0957)→松江(1020) 1011M
松江(1342)→宍道(1405) 3455D
宍道(1416)→木次(1454) 1449D
木次(1511)→宍道(1545) 1454D
宍道(1549)→松江(1610) 3454D

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2007年10月29日 (月)

城と海

今朝は昨日よりもっと遅く目が覚めた。今日は旅程に余裕があるだけに、切迫感がないのだろう。実は、余裕があるどころの話ではなく、今夜は米子に泊まるという以外何も決まってないのだ。鳥取から米子までは特急で1時間弱。その他はまるまる空白なのである。本来なら(普通の観光客なら)鳥取を訪れればまず砂丘、というところなのだろうがそこは三十一のすることである。砂丘に行って自分が何をするかまったく想像できない。つまり行って見たいものなどないということだ。天気もよくないし、違った方向で考えよう。ひとつ目についたのが、街の北にそびえる鳥取城である。石垣以外何も残ってないようだが、池田家が長年因幡伯耆両国を支配した拠点だけあって、それなりの規模はあるだろう。さて、では駅からどうやって城まで行くか。タクシーかバスかそれとも歩きか。駅の観光案内所でバス路線を研究していたら、100円循環バスというのがあって、このうち1系統で城のすぐ下までいけるらしい。20分に一本という比較的頻度の高い運転をしているそうなので、これで行って帰ってくるのがよかろう。

バスに20分ほど揺られて城跡の公園前で降りる。降りた目の前がすでに堀になっていた。左手は県立博物館、右手はかつて大正天皇が皇太子時代に鳥取を行啓したときに宿舎として建造されたという瀟洒な仁風閣。しかし今日は月曜とあってどちらも休館。しょうがないので城跡を登りはじめる。来てみてわかったのだが、鳥取城は平山城で、主要部分は平地からそれほど高い位置にあるわけではないが、背後は標高差200メートルはくだらないと思われる山を背負っており、その山頂に山上丸という最終防衛拠点が置かれていた。とりあえず二の丸まで登り、さらにその上の山上丸に向かう登山道に挑戦したが、これがかなり本格的な登山道で早々にリタイア。しかし二の丸からでも鳥取の市街地が一望できて、池田のお殿様はこんな気分だったのかなあと思う。
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ちなみにすぐ下に見えるのが仁風閣。

景色を堪能して下山し、またもや循環バスに乗って駅にもどってきたのは昼前。昼食を求めて放浪しているうちに雨がぽつりと降ってきた。雨だという予報も砂丘に足を向かわせなかった一因だ。
1時過ぎころ、乗る予定の列車には少し早いがホームにあがる。ちょうどそのくらいの時間に「スーパーはくと」が入ってくるからだ。HOT7000系で運転される「スーパーはくと」は東京にいてはお目にかかれない。今回、乗車する予定はないがせっかくだから実物だけでも見ておきたい。そうこうしているうちに若桜鉄道からの直通車両が入ってきた。4本ある鳥取駅のホームのうち、1番線にはHOT7000系のスーパーはくと、2番線にはローカルのキハ47、3番線にはこれから乗り込むキハ187系のスーパーおき、そして4番線には若桜鉄道の「さくら4号」。すべてのホームが埋まることがあるなんて思っていなかったのでちょっと意外だった。思わず記念写真を撮ってしまう。
スーパーおきでは進行方向右側、つまり海側に席を占める。もっとも、どの程度海を眺めることができるかわからないが。JR西日本が誇る(と三十一が勝手に思っている)キハ187系振り子気動車のスーパーおきは、このあと5時間かけて長駆、新山口まで走るが、三十一は1時間ほど乗るだけで米子で降りてしまう。スーパーおきの走りはかなりきびきびしていて小気味良い。昨日乗っていたキハ47とは大違いだ。比べるほうが間違っているけれど。並行する国道9号線を走る自動車を次々に追い抜いていく。実に気分がいい。昨日は逆に抜かれてたからなあ。天気予報通り、雨が降ってくる。しかしそれほど激しい雨ではなさそうだ。伯耆大山で電化された伯備線と合流して、やがて米子着。

当初考えていたよりも鳥取で時間を食わなかったので、このまま境線で境港まで足を伸ばす。できたら米子で荷物をコインロッカーに預けていきたかったんだが、乗り継ぎ時間が短かかったのでそのまま荷物をかかえて境線に乗りこむ。大篠津では、すぐ上を米子空港に着陸する旅客機が通り過ぎていく。おお、駅から駐機場のエアバスがよく見えるぞ。よく見えるどころの話ではない、境線は米子空港の滑走路延長のためにやがて迂回させられることになるのだ。だったらどうせのこと、米子空港と駅を直結して境線を空港アクセス鉄道にすればいいのになあ。

境港に到着して、すぐそばに見える港へ。境水道を挟んで向かい側には美保関半島の山がそびえている。山陰地方でも有数の港湾である境港には海上保安庁の基地があるんだが、巡視船岸壁は空っぽ。すべて出払っているらしい。あとでニュースで知ったのだが、ちょうど不審船対策の合同訓練があって、それに参加していたようだ。思ったよりも見るべきものがないので早々に引き返す。境港駅を出てすぐ、右手に更地が見えたのだが、えーと、地面の一部が黒く焦げてないか? そういや、境線沿線で火事があったってニュースがなかったかな。次の駅で大量の高校生が乗り込んでくる。しまった、そんな時間帯か。次の駅でもほぼ同数の高校生が乗ってきて車内は非常にやかましい。しかし、午前中の鳥取城登山未遂の疲れが出たのか、そのやかましさに睡魔が勝ってしまう。起きたり意識を失ったりをくり返しているうちに米子に到着。

米子で列車を降りると、ホームの向こう側に見える側線にDE15が停車していた。米子はまだ地平駅で、ホーム脇に側線が何本もひかれているという近頃珍しい構造の駅だ。ホームからDE15のショットを狙おうとデジカメを構えていたら、目の前のホームに列車が入ってくる模様である。近づいてくるのは、どうやら客車だ。いわゆるジョイフルトレインで、先頭にみえるサインによると「サロンカーなにわ」である。そう、先頭が客車ということは推進で進入してきたのだ。米子駅自体は電化されているけれど、普段JR西日本の客車列車はないから、ひょっとしたら・・・という期待通り、牽引(推進)機はDD51であった。DD511186。何枚か撮影したところで、跨線橋をわたって反対側のホームに移る。足回りを含めて写真を撮るためである。ふと見ればえらくごっついカメラを構えた男性が何人か見受けられる。鉄ですな。この団臨が鳥取方面に(あるいは岡山方面に)去っていくのを見送ったあと、改札を出てホテルへ。

今日の旅程:
鳥取(1334)→米子(1431) 1005D
米子(1437)→境港(1520) 1657D
境港(1608)→米子(1649) 1662D

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2007年10月28日 (日)

先祖の地

目が覚めて外を見ると昨日とはうって変わった青空。時計を見るとすでに8時だった。昨日2時には寝たのにたっぷり寝てしまった。熟睡できたかどうかはまた別だけど。
ホテルの朝食をとり、荷造りをしてチェックアウトしたのは9時を少し回ったころ。すぐ側の駅に向かい、コインロッカーに荷物を放り込んでタクシー乗り場へ。「海軍記念館」というと「総監部の?」 話がはやいなあ。さすが海軍の街。それどころではない、今日はアメリカの「イージス艦」が入港しているという情報を教えてくれる。ははあ、昨日駅前でアメリカ人らしい若い男のグループを見かけて「もしや」と思っていたのは正解だったようだ。

駅から総監部まではメーター1100円。何年か前に大湊でも似たような施設を訪れたことがあるのだが、ほとんど同じような印象だ。正門のところで「記念館を見学したい」と申し出ると代表者の名前と住所を記載させられて「そっちの道をあがったところの緑の屋根の建物だから」えーと、ああ、これか。展示物ははっきり言ってたいしたことなかった。いや、それなりの人にはそれなりの感慨をもたらすのかもしれないが、正直あまり新しい情報がなかったのだよ。唯一興味を引かれたのが佐久間艇長の遺書かなあ。でも舞鶴と佐久間艇長はあまり関係がない。

30分そこそこで記念館をあとにする。いちおうカメラももっていったのだがまったく使わなかった。総監部のほぼ真向かいが桟橋になっている。道路を渡るためにのぼった歩道橋から実によく見えた。あれが「アメリカのイージス艦」だな。アーレイバークかと予測していたのだが、タイコンデロガ級でした。どうみても一般人と思われる風体の見学者が見えるので、中に入れるのかなと思っていってみたら、やはり入れるらしい。米艦の近くには寄れなかったが、艦尾方向から眺めることができた。シャイローですな。自衛艦には、乗艦はできないがすぐそばから観察できる。16DD「ひゅうが」が竣工したらお役ご免となる「はるな」がまず目につく。ペンキ臭いなあと思っていたら艦尾で塗粧作業中でした。
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あとは「はまゆき」「あぶくま」、それから対岸の岸壁上に「すずなみ」。さらにミサイル艇「はやぶさ」「わかたか」「うみたか」。これらミサイル艇の艦尾ウォータージェットの構造は実に興味深かった。これは是非カメラに収めねばとデジカメを構えたらなんとバッテリー切れ。げげ、なんでこんな絶妙なタイミングで。充電器は東舞鶴駅のコインロッカーの中。憮然。

まあそれでも久しぶりに実物の軍艦を目にして気持ちはリフレッシュした。これだけでもここまで足を伸ばした甲斐があったものだ。横須賀でもよかったような気がしなくもないけれど。帰りにPXで自分へのおみやげを、ただしかさばらないもの限定で入手して門を出る。さて、来るときはタクシーだったけど帰りはどうしよう。途中でバス停を見かけたけど、次のバスを待っていては予定の列車に間に合わないことがわかっただけ。だいたいの見当をつけて駅に向かって歩き始める。途中で流しのタクシーがいたら捕まえよう。結局、空車のタクシーはつかまらず、30分ほどで駅にたどりつく。駅で手に入れていた観光地図が役に立った。

今日の泊まりは鳥取。東舞鶴から綾部に出て山陰本線という本来のルートに復帰し、そのまま下っていくことにする。昨日は夜間だったのでよく景色を見ることはできなかったが、舞鶴線沿線の景色は昼間でも大して興味をそそらない。西舞鶴駅の手前で田辺城跡公園を見かけたくらい。乗った列車は綾部からそのまま山陰本線に乗り入れて福知山まで行く。福知山は「北近畿Xネットワーク」の要の駅というだけあって、やや複雑な配線になっているけれど、乗ってきた列車が遅れたおかげでその配線を鑑賞する時間もなく、自由席特急券を買って城崎温泉行きの特急北近畿7号に乗り込む。この列車では、進行方向左側に席を占めたのだが、これには少しわけがある。

列車は福知山盆地をしばらく走ったのち、県境を越えて兵庫県に、昔で言えば丹波国から但馬国に入った。播但線と合流する和田山駅を出たあと、三十一の視線は左側窓外に釘付けになる。実はこのあたりは三十一の先祖の地、本籍地なのである。30年ほど前に一度墓参に訪れたことがあったきり、住んでいたこともないし、一泊したことすらないのだがそれでも三十一の個人情報と切っては切り離せない土地なのだ。駅を通過。しかし求める地名は線路沿いではあるものの駅から少し離れているはず。実質的にはまったく初めて見る景色なのだが、どこかにわずかでも手がかりがないかとなおも窓外を凝視していた三十一の目にやや大きな神社が飛び込んできた。これだ。このあたりがその地だ。改めて周囲を見わたしてみると、見も知らぬ先祖が生活を営んでいたかつての様子が彷彿とされる。つまり開発がそれほど進んでいない典型的な日本の田舎なのだ。逆に言えばそれくらい辺鄙な土地であったということだ。このような山村から、ありとあらゆる人々が東京に集まってきたのだなあと改めて感慨にふける。

列車が少し遅れて城崎温泉駅に到着する。ホームのアナウンスが「乗り換え客は急げ」と言っているので急ごうとするのだが、ここが終着と思われる年配の団体客が跨線橋を塞いでいた。かき分けるようにして隣のホームに移り、列車に飛び乗るとまもなくドアが閉まった。この先、城崎温泉から鳥取までの間の山陰本線はほとんどローカル線と化している。大阪京都方面から北近畿を訪れる観光客は城崎温泉から先へは行かないし、鳥取へ行くには智頭急行経由が主流になっている。かろうじて観光客を集めているのが余部鉄橋だ。この間、山陰本線は日本海沿いを走っているのだが、海岸は断崖絶壁となっていて海岸線に線路をひくなど思いもよらない。海面の高さからかなり高いところを線路は走っている。断崖がわずかに入江になったところに集落があり、その集落から崖をあがったところに線路と駅がある、というパターンがくり返される。余部も、その隣の鎧もそういうかたちになっていた。香住駅で団体客が乗り込んできて、車内はたちまち満員になった。これから2駅さきの余部まで乗車するらしい。北海道でも経験したことだが、このようにバスで駅に乗り付けてほんの何駅かおいしいところだけ列車に乗り、その間にバスが先回りするという手法が横行している。効率はいいのかもしれないが味気ない。

余部鉄橋ははるか昔(30年ほど前に本籍地を墓参したとき)に下から見上げたことはあるのだが、鉄橋上から下を見下ろしたことはなかった。今回が最初の、そして多分最後の機会になるだろう。トンネルを抜けて鉄橋にさしかかる。下を見下ろす。まるで空を飛んでいるようだ。銀河鉄道999に乗っているような気分になった。汽車の時代にはさぞ恐ろしかっただろう。

浜坂でいったん乗り継ぐ。あとは今日の目的地鳥取に到着するのを待つだけだが、その手前にもうひとつの楽しみがある。鳥取駅の手前、山陰本線が鳥取平野におりてくるその途中に、山陰本線で唯一のスイッチバック信号場があるのだ。この滝山信号場で行き違いを行なう列車は今はないようだが、しかし設備は今も生きている。急勾配を下っていく列車の中から前方を見ていると、やがて右手前方に予告信号機が現れたので「さては」と思ったら、やはりそれであった。

まもなく高架駅の鳥取着。近代的な高架駅でありながら架線が引かれていないという光景はやや奇妙だ。しかしこうした組み合わせはすでに帯広駅で経験済みなので初体験というわけではない。ちなみに、いわゆる県庁所在地駅で非電化なのは三十一が知るかぎり5つ。鳥取はそのひとつなわけだ。希少価値と言うべきなのかどうか。

今日の旅程:
東舞鶴(1253)→福知山(1334) 338M
福知山(1343)→城崎温泉(1450) 3017M
城崎温泉(1454)→浜坂(1549) 177D
浜坂(1619)→鳥取(1710) 539D

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2007年10月27日 (土)

西へ旅立つ

古典落語の世界だと「西へ旅立つ」ってのは「西方浄土へ赴く」、つまり死ぬってことなんだけど、ここでは文字通りの意味でしかない。
日本の47都道府県のうち、地続きでない沖縄を除いた都道府県のうち三十一がこれまで足を踏み入れたことがないのは6県。今回はそのうち2つを制覇しようという旅である。鉄道趣味的には、建て替え前の余部鉄橋とサンライズを経験するのが主要目的だ。

しかし、天気は台風のおかげであいにくの雨。大荷物を抱えて、雨の中でかけるのはあまりうれしくない。大きな傘を持って行きたくなかったので、けっこう強い雨の中折りたたみ傘でなんとか駅までたどりつく。こんなときに限って、途中でデジカメを忘れたことに気づいて一度引き返す羽目になる。まあ、台風さえ行ってしまえば天気も回復するようなので今日明日の辛抱だ。

東京で切符を買う。山陰ゾーンの周遊きっぷ、「ゆき」は東京から京都を経て山陰本線経由で鳥取まで、「かえり」はサンライズを使う予定なので伯備線・山陽本線・東海道本線経由で東京に。ところが、今や関西から鳥取の経路は智頭急行経由はくと利用が主流になっているため、最初「ゆき」の経路を間違えて発券された。「作り直したほうがいいですか?」もちろん、そうしてもらわなければ困る。そうじゃないと余部鉄橋を通れない。

今夜の宿は舞鶴。経路からは少し外れているが、当日になって城崎温泉に宿を求めるなんて無謀な試みをするよりはずっとまし。それに一度舞鶴という街には行ってみたかった。

新幹線で京都に着く頃には雨はあがっていた。山陰線に乗り換える途中で、跨線橋から写真を撮ってる人がたくさんいたので「変わった車両の列車でも来ているのか」と思ったらさにあらず、虹が出ていたのだった。
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京都から乗り換えた「たんご5号・まいづる7号」はいい加減くたびれた183系、それも485系を直流化改造した183系だから相当古い。車内で綾部~舞鶴間の飛び出した区間の清算をする。京都駅を出てしばらくは、京都市街の西部を北上する。京福線の上を越えるときにちょうど単行の電車が走っていった。この市街地を走る路線が比較的最近まで非電化のまま放置されていたのは、国鉄の無策を示している。途中、山城国から丹波国に移るあたりの国境で、嵯峨野渓谷を越える。このあたりは電化の際に新線に切り替わった区間だが、旧線を廃止せず観光鉄道として活用している。ときどき眼下にその旧線が見えるのだが、うーむ、確かにこれは観光鉄道としては絶品に違いないが、山陰を代表する幹線がこの急曲線では、輸送力の増強も難しかったろう。丹波に入ったちょうどそのころからまた雨が降ってきた。途中で渡った鉄橋から何気なく下を見たらとんでもなく高かったので少し驚いた。そうは思っていなかったが、実際に来てみると思いのほか山深いところだとわかる。亀岡あたりでは複線化工事が進んでいた。すっかり暗くなっていた和知駅では、測線にDD51が牽引する工事列車が停車していた。マヤ検かな。暗くてよくわからなかった。綾部で福知山行きと分かれて舞鶴線に入る。西舞鶴を経て東舞鶴に到着。東舞鶴は小浜線と舞鶴線の境界駅だが、一見なんの変哲もない高架駅でしかない。雨は少し小やみになったようだが、風は激しい。

今日の旅程:
東京(1333)→京都(1553) 89A
京都(1624)→東舞鶴(1802) 5095M~3047M

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2007年10月20日 (土)

「『夢の超特急』、走る!」

戦後日本でもっとも世界に誇れる工業的作品といえば、やっぱり新幹線なのだな。正直ほかに思いつかない。世界で初めて200キロを超える速度で営業運転を行ない、しかも開業以来半世紀近く運転に起因する犠牲者を出していないという実績は充分に誇るに足るものだ。新幹線が先鞭をつけた高速鉄道は、フランス、ドイツ、イタリア、スペインなどのヨーロッパ諸国、韓国や中国、台湾といったアジアに広まろうとしている。
しかし新幹線が計画された1950年代当時、鉄道はすでに斜陽の輸送機関とみなされていた。いまさら新線をひくのは無駄、そんなカネと土地があるなら高速道路を作ったほうがいいという言説がまかりとおっていたのである。それに対して国鉄が反論として提出したのは「新幹線と同じだけの輸送力を道路で確保しようとすると線路の8倍の幅の道路が必要になる」という計算結果だった。実はこういう計算はこのときに初めて用いられたもので、それまでは少なくとも日本ではこうした比較はなかったのである。それもアメリカで作成された論文をもとに計算したものだった。
実際に新幹線が走り始めてみると、そんな試算をはるかに超える効果を生み出したのは周知の通りである。日本人は新幹線を作らせた十河国鉄総裁と島技師長にどれだけ感謝しても足りないはずだが、あまり正当に評価されてるとは思えないなあ。

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「オオカミさんとマッチ売りじゃないけど不幸な少女」

このシリーズを読むたびに思うのだが、よくもまあ「少年向け」のはずの電撃文庫というレーベルから出すことを許されているものだ。少なくともR-15くらいが適当じゃなかろうか。この本の本当のおもしろさがわかるのもそのくらいの年齢だろう。
ちなみに三十一はその年齢をとうに過ぎているので楽しく読めました。

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宗教戦争

先日、会社の同僚に誘われて食事がてら語り合ったときの感想。
宗教とか宗派の違いで戦争になったりするのって、こんな感じかもしれない。
根本的な価値観の相違というものは容易に埋めがたいものだ。しかもそれを押しつけられようものなら反発は必至である。相手は善意であるだけにかえって始末が悪い。

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2007年10月10日 (水)

「ナポレオンの密書」

ホーンブロワーシリーズのうち、未完に終わった断片集。「マックール」はいちおう完結してるのかな? 最初の「ナポレオンの密書」は、ストーリーの骨格くらいは推測できるところまで書かれている。いっぽうで、「海軍元帥ホーンブロワー」のほうはほとんど導入部分だけ。どちらも「ナポレオン」絡みであるところは偶然だろうか。
「ホーンブロワーの誕生」は、小説ではなく著者がこのシリーズを書き続けてきたいきさつを記したエッセイ。当初著者は、このシリーズをシリーズにするつもりはなく、あくまで初期の3部作のための主人公としてホレイショ・ホーンブロワーという人物を創作した。ところが、その後著者が着想した新しい小説の構想を煮詰めていくうちに、主人公の性格として既存のホーンブロワーが最適であることを発見し、結果としてシリーズになったしまったそうだ。本当か? そこには無意識の作為があるようにしか思えないなあ。

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2007年10月 5日 (金)

「マリア様がみてる 薔薇の花かんむり」

瞳子と祐巳がようやく姉妹に。ひっぱったなあ。祐巳がすっかり姉らしくなっているのを、娘を見るような目で見ている三十一がいたりして。
とはいえ、相変わらずなところは相変わらずで、隠し芸のことをすっかり忘れてしまっていたのは祐巳らしい。来年は生徒会長か・・・大丈夫かリリアン。

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「おあいにくさま二ノ宮くん3」

真由と俊護のお昼寝の巻。いつもの短編集だが、この昼寝のところだけ読み返してしまった。電車に乗っている最中に全部読み終えてしまって時間が余っていたというのもあるけれど。本編が少々シリアス入ってきているのでこういう脳天気な話は気楽に読めていい。
今月からアニメが放映されているのでそれにあわせて刊行ペースが早まっている。アニメのほうは録画しただけでまだ見ていない。今期の中では、比較的期待しているほうだ。

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2007年10月 2日 (火)

「ガン×スクール=パラダイス!」

全校生徒が実銃とラバー弾を使って校内でサバゲーを繰り広げるというもの。あえてカテゴライズするなら「オバカ小説」に分類されるだろう。
主催者の思惑とか主人公の動機付けとかは「あとづけ」かもしれない。要するに学校全部でサバゲーをやったら楽しかろうというそれだけの内容だと思って、アタマ空っぽにして読むのが正解。
ベレッタとかグロックとかデザートイーグルとかSIGザウアーとかH&Kとか、有名どころが登場してそれなりに楽しめはするのだが、ガバメントとかワルサーPPKとかAK47とかKar98などの通好みの銃が出てきてもよかったような。ああ、そういやウィンチェスターが出てたっけ。

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「単位の進化」

アポロの月面着陸とか、東京オリンピックとかが「最近の話題」として取り上げられてることからもわかるように、原本はかなり古いものである。もともとはブルーバックス用に書かれた本らしい。ブルーバックスから講談社学術文庫に収録っていうパターンはあまり見かけない。
三十一が学生のみぎりには、MKSA単位系からSI単位系への過渡期(といっても、実態はMKSAなのだが)で、両方の表記が見られた。この本の中ではSIへの言及はあるけど、紹介にとどまっている。最近ではもっぱらSIなんだろうなあ。学生時代に授業で提出したレポートでは「単位は何だ」としつこく確認され、等式の左右で単位の次元が一致しているかどうか何度も検算した三十一としては、懐かしくも苦々しい記憶を呼び戻されたことである。

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2007年10月 1日 (月)

「人物アメリカ史(下)」

最初に苦言。
この訳者は軍事に詳しくないらしい。ニミッツ提督を「ミニッツ」と記載しているのは誤植もしくはケアレスミスだとして許容できなくもないが、ハルゼー(と思われる提督)を「ハルシー」と表記しているのは勉強不足としか言えない。アメリカ史上4名しかいない Fleet Admirals のうち半数の名前を間違えるってのはどうよ。

さて下巻ではマークトウェインからリチャードニクソンまでを掲載しているが、上巻と同じくアメリカの自由資本主義信奉と成長拡大路線が印象づけられる。特にヘンリーフォードの項で顕著だ。確かにヘンリーフォードは貧しい農村から身を起こして一大コンツェルンを築き上げた立志伝中の人物である。しかし、こうした「実例」の存在が大多数の民衆の生活水準引き上げを妨げてきた。実際に実例がある以上、それと同じことができないのは本人の責任、というわけである。

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Football Register & Guide

今年も早いもので1か月が過ぎました。ああ、三十一が説明なしで「今年」と言ったらNFLのレギュラーシーズンが始まる9月からのことなので。

ぼつぼつ、各チームの力関係が見えてきて、予想通りに勝っているチーム、負けているチーム。期待を裏切って負けているチーム、予測に反して勝っているチームがはっきりしてきた。
3週目まで見たところでは、ニューイングランドとインディアナポリスの強さが目立つ。強いチームというよりは、むしろ「負けない」という印象が強い。この2チームがAFCの優勝争いの核になるだろうというのはおおかたの予想だったのだが、こうなるともう予想というより事実を述べていただけという感じすらする。途中の経過はともかくとして、AFC決勝でこの2チームが顔を合わせ、勝ったほうがスーパーボウルをとる(出る、ではなく、とる)というシナリオが容易に推測される。シンシナティあたりがからんでくれると面白くなるんだが、まだ力不足かなあ。

さて、シーズン前にはNFLの選手名鑑を買うのがここ何年かの決まり事になっている。今年も、昨年シーズンが終わった直後にAmazonに出ていたので予約注文した。ドラフトが終わって6月から8月くらいに出るのが例なのだが、今年は Sporting News 版の Register & Guide の出版が遅れているようだ。現地での出版そのものが何らかの事情が遅れているらしいのだが、Amazonによると入荷予定は来年の1月か2月になるという。

シーズン終わってるがな・・・

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「科学は不確かだ!」

ずいぶん前に買って以来未読のままだったのだが、ナノイーイオンとか血液型性格診断だとかWTC制御解体説とか、そういった話題で菊池教授のblogがお祭り状態のようになっているのを見て引っ張り出してきた本。
説明するまでもないが、著者はノーベル賞も受賞した物理学者。世間一般でいう「科学者」の代表格と言ってもいいだろう。しかし、その著作を読むと「科学者」らしく見えない。「科学者」の代表格の言動が「科学者」の典型的なイメージと合致しないということは、要するにイメージのほうが実際と合致していないと考えるのが妥当だろう。そういや、菊池教授のblogでもかつて「科学者以外が考える科学者のイメージ募集」というトピックがあったっけ。

著者本人がつけたとしたら、このタイトルはずいぶん刺激的だが、実際には日本語版訳者がつけたもの。これは著作というより、講演を文章にしたものだから、そもそもきちんとしたタイトルがあったわけではなかろう。しかし、このタイトルは本の内容のうちもっとも重要で意外と思われがちな個所を抜き出したものといえる。

一般の人が「科学者」に抱くイメージと、実際の「科学者」の間の最大のギャップは、この点にあるかもしれない。実際のところ、「科学者」は「不確実だ」ということに慣れている。世の中には「不確実なこと」がいっぱいある。科学者の仕事は、まずその「不確かだ」ということを受け入れることから始まる。もちろん、科学者の目的は「不確か」な事柄を「確か」にすることだが、「確か」であることが確かめられるまでは「不確か」のままにしておくのである。当たり前のことを言っているようだが、実はこれが意外に難しい。「不確か」なままでいることに耐えられず、証明されていない説明に寄りかかって「確かだ」と事実を曲げた認識をするという例は珍しくない。しかしそれは「科学」ではないのである。

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