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2007年10月28日 (日)

先祖の地

目が覚めて外を見ると昨日とはうって変わった青空。時計を見るとすでに8時だった。昨日2時には寝たのにたっぷり寝てしまった。熟睡できたかどうかはまた別だけど。
ホテルの朝食をとり、荷造りをしてチェックアウトしたのは9時を少し回ったころ。すぐ側の駅に向かい、コインロッカーに荷物を放り込んでタクシー乗り場へ。「海軍記念館」というと「総監部の?」 話がはやいなあ。さすが海軍の街。それどころではない、今日はアメリカの「イージス艦」が入港しているという情報を教えてくれる。ははあ、昨日駅前でアメリカ人らしい若い男のグループを見かけて「もしや」と思っていたのは正解だったようだ。

駅から総監部まではメーター1100円。何年か前に大湊でも似たような施設を訪れたことがあるのだが、ほとんど同じような印象だ。正門のところで「記念館を見学したい」と申し出ると代表者の名前と住所を記載させられて「そっちの道をあがったところの緑の屋根の建物だから」えーと、ああ、これか。展示物ははっきり言ってたいしたことなかった。いや、それなりの人にはそれなりの感慨をもたらすのかもしれないが、正直あまり新しい情報がなかったのだよ。唯一興味を引かれたのが佐久間艇長の遺書かなあ。でも舞鶴と佐久間艇長はあまり関係がない。

30分そこそこで記念館をあとにする。いちおうカメラももっていったのだがまったく使わなかった。総監部のほぼ真向かいが桟橋になっている。道路を渡るためにのぼった歩道橋から実によく見えた。あれが「アメリカのイージス艦」だな。アーレイバークかと予測していたのだが、タイコンデロガ級でした。どうみても一般人と思われる風体の見学者が見えるので、中に入れるのかなと思っていってみたら、やはり入れるらしい。米艦の近くには寄れなかったが、艦尾方向から眺めることができた。シャイローですな。自衛艦には、乗艦はできないがすぐそばから観察できる。16DD「ひゅうが」が竣工したらお役ご免となる「はるな」がまず目につく。ペンキ臭いなあと思っていたら艦尾で塗粧作業中でした。
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あとは「はまゆき」「あぶくま」、それから対岸の岸壁上に「すずなみ」。さらにミサイル艇「はやぶさ」「わかたか」「うみたか」。これらミサイル艇の艦尾ウォータージェットの構造は実に興味深かった。これは是非カメラに収めねばとデジカメを構えたらなんとバッテリー切れ。げげ、なんでこんな絶妙なタイミングで。充電器は東舞鶴駅のコインロッカーの中。憮然。

まあそれでも久しぶりに実物の軍艦を目にして気持ちはリフレッシュした。これだけでもここまで足を伸ばした甲斐があったものだ。横須賀でもよかったような気がしなくもないけれど。帰りにPXで自分へのおみやげを、ただしかさばらないもの限定で入手して門を出る。さて、来るときはタクシーだったけど帰りはどうしよう。途中でバス停を見かけたけど、次のバスを待っていては予定の列車に間に合わないことがわかっただけ。だいたいの見当をつけて駅に向かって歩き始める。途中で流しのタクシーがいたら捕まえよう。結局、空車のタクシーはつかまらず、30分ほどで駅にたどりつく。駅で手に入れていた観光地図が役に立った。

今日の泊まりは鳥取。東舞鶴から綾部に出て山陰本線という本来のルートに復帰し、そのまま下っていくことにする。昨日は夜間だったのでよく景色を見ることはできなかったが、舞鶴線沿線の景色は昼間でも大して興味をそそらない。西舞鶴駅の手前で田辺城跡公園を見かけたくらい。乗った列車は綾部からそのまま山陰本線に乗り入れて福知山まで行く。福知山は「北近畿Xネットワーク」の要の駅というだけあって、やや複雑な配線になっているけれど、乗ってきた列車が遅れたおかげでその配線を鑑賞する時間もなく、自由席特急券を買って城崎温泉行きの特急北近畿7号に乗り込む。この列車では、進行方向左側に席を占めたのだが、これには少しわけがある。

列車は福知山盆地をしばらく走ったのち、県境を越えて兵庫県に、昔で言えば丹波国から但馬国に入った。播但線と合流する和田山駅を出たあと、三十一の視線は左側窓外に釘付けになる。実はこのあたりは三十一の先祖の地、本籍地なのである。30年ほど前に一度墓参に訪れたことがあったきり、住んでいたこともないし、一泊したことすらないのだがそれでも三十一の個人情報と切っては切り離せない土地なのだ。駅を通過。しかし求める地名は線路沿いではあるものの駅から少し離れているはず。実質的にはまったく初めて見る景色なのだが、どこかにわずかでも手がかりがないかとなおも窓外を凝視していた三十一の目にやや大きな神社が飛び込んできた。これだ。このあたりがその地だ。改めて周囲を見わたしてみると、見も知らぬ先祖が生活を営んでいたかつての様子が彷彿とされる。つまり開発がそれほど進んでいない典型的な日本の田舎なのだ。逆に言えばそれくらい辺鄙な土地であったということだ。このような山村から、ありとあらゆる人々が東京に集まってきたのだなあと改めて感慨にふける。

列車が少し遅れて城崎温泉駅に到着する。ホームのアナウンスが「乗り換え客は急げ」と言っているので急ごうとするのだが、ここが終着と思われる年配の団体客が跨線橋を塞いでいた。かき分けるようにして隣のホームに移り、列車に飛び乗るとまもなくドアが閉まった。この先、城崎温泉から鳥取までの間の山陰本線はほとんどローカル線と化している。大阪京都方面から北近畿を訪れる観光客は城崎温泉から先へは行かないし、鳥取へ行くには智頭急行経由が主流になっている。かろうじて観光客を集めているのが余部鉄橋だ。この間、山陰本線は日本海沿いを走っているのだが、海岸は断崖絶壁となっていて海岸線に線路をひくなど思いもよらない。海面の高さからかなり高いところを線路は走っている。断崖がわずかに入江になったところに集落があり、その集落から崖をあがったところに線路と駅がある、というパターンがくり返される。余部も、その隣の鎧もそういうかたちになっていた。香住駅で団体客が乗り込んできて、車内はたちまち満員になった。これから2駅さきの余部まで乗車するらしい。北海道でも経験したことだが、このようにバスで駅に乗り付けてほんの何駅かおいしいところだけ列車に乗り、その間にバスが先回りするという手法が横行している。効率はいいのかもしれないが味気ない。

余部鉄橋ははるか昔(30年ほど前に本籍地を墓参したとき)に下から見上げたことはあるのだが、鉄橋上から下を見下ろしたことはなかった。今回が最初の、そして多分最後の機会になるだろう。トンネルを抜けて鉄橋にさしかかる。下を見下ろす。まるで空を飛んでいるようだ。銀河鉄道999に乗っているような気分になった。汽車の時代にはさぞ恐ろしかっただろう。

浜坂でいったん乗り継ぐ。あとは今日の目的地鳥取に到着するのを待つだけだが、その手前にもうひとつの楽しみがある。鳥取駅の手前、山陰本線が鳥取平野におりてくるその途中に、山陰本線で唯一のスイッチバック信号場があるのだ。この滝山信号場で行き違いを行なう列車は今はないようだが、しかし設備は今も生きている。急勾配を下っていく列車の中から前方を見ていると、やがて右手前方に予告信号機が現れたので「さては」と思ったら、やはりそれであった。

まもなく高架駅の鳥取着。近代的な高架駅でありながら架線が引かれていないという光景はやや奇妙だ。しかしこうした組み合わせはすでに帯広駅で経験済みなので初体験というわけではない。ちなみに、いわゆる県庁所在地駅で非電化なのは三十一が知るかぎり5つ。鳥取はそのひとつなわけだ。希少価値と言うべきなのかどうか。

今日の旅程:
東舞鶴(1253)→福知山(1334) 338M
福知山(1343)→城崎温泉(1450) 3017M
城崎温泉(1454)→浜坂(1549) 177D
浜坂(1619)→鳥取(1710) 539D

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