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2007年11月28日 (水)

「銀河英雄伝説5」

ラインハルトがついに皇帝の地位を得る。ありきたりのファンタジーとかスペオペだったらここで大団円となるところだが、まだ半分しか終わっていないところが銀英伝の銀英伝らしいところだ。
この巻、というよりは銀英伝全体でもっともお気に入りのセリフのひとつが、末尾近くの「4万隻の敵艦に囲まれて飲む紅茶というのもおつなものだな」である。ヤンの性格を一番あらわしているように思う。

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2007年11月26日 (月)

「待ってて、藤森くん!3」

突然時間軸が前に戻っていて、読んでいてとまどう。高校の話だったはずなのに、なんで急に中学の話になるのやら。まあ外伝と考えればいいんだろうけど、ちょっとわかりにくくて不親切。前巻ラストでの「ひき」は放りっぱなしで、そして次巻でいきなり完結ですか。ちゃんと説明されるんだろうなあ。
ま、そういうものだと理解できてからはそれなりにすらすら読めた。

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「さよならピアノソナタ」

ちょっと不条理系っぽい導入部とタイトルにひかれて買った本だけれど、実際にはピアノソナタはほとんど出てこなくてギター小説みたいになってた。
登場する父親(クラシック評論家)の壊れっぷりが気持ちいい。三十一もこれくらい壊れてみたいなあ。

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おとしばなし

NHKの朝ドラで上方落語が取り上げられている。薄い経験ながら長年落語を聞いてきた三十一にとってみれば、正直言って役者が演じる落語は下手糞で聞くに堪えないのである。渡瀬恒彦演じる師匠の草若よりも弟子の草原のほうが上手に見えたりして。「愛宕山」「寿限無」「寝床」「崇徳院」あたりが今のところ取り上げられているけれど、たぶんどれも最低一度は聞いたことがある。
悪いことに三十一が上方落語を聞くときにはもっぱら人間国宝桂米朝を狙っているので、そういう意味では耳が肥えているのだ。名人と素人を比べちゃいけないとはわかっているのだけれど。

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2007年11月20日 (火)

「学校の階段7」

今回、階段レースがほとんど出てこなかった。その代わりに生徒会長選挙というレースが延々描写されていたわけだが。それにしても、いまどきの高校の生徒会役員選挙って、こんなもんなのかなあ。三十一がやる気ない高校生だった頃には、生徒会選挙なんて一過性のイベントにすぎず、そもそも同期の生徒会長が誰だったかも覚えていない。
スレちまった大人から見ると青いねえ。しかし人間には青い時代というのが必要なのである。そういった時期を経なければ成熟することもできない。そういう意味ではこのライバルである御神楽はまだ「青くなって」すらいなかったのかもしれない。

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2007年11月19日 (月)

「ef - KEI」

同じノベライズの、別のヒロインのストーリー。なにしろ「ef」は3人ヒロインがいるのでねえ。「CHIHIRO」を出す予定はあるのかな。
こちらは、「MIYAKO」と違ってコミカライズで描写されていない部分にまで進んでいる。そのせいか、読んだり止めたりでけっこう時間がかかってしまった。読み終えてしまった今となっては、先のストーリーがバレてしまったのだが。そうか、やはりこのカップリングか。
ところで、「ef」アニメ版の amazon あたりの評価で「演出ウザい」という記述があるけど、三十一にはそれは好きずきだとしか思えないのだがなあ。三十一はそんなに嫌いではない。

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「ef - MIYAKO」

今期一番期待していた番組であり、かつ実際に面白く見ている番組のノベライズ。実はこのストーリーはコミカライズが先行していて、すでに話はワレているのであった。そのせいかどうか、サクサクと読み終えてしまった。
原案者の筆になるものなので、ノベライズものにときどき見られるような「アナザーワールド」に陥ってしまうおそれはなかったのだろう。しかし、時々挟まれている新しいエピソード以外に新味がなかったのは事実である。

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中国共産党第17回党大会

やや旧聞に属するが、5年に一度の中国共産党第17回大会が先月行なわれた。引き続き開かれた1中全(第一回中央委員全体会議)と合わせて、13億の「中国人民」を今後5年間率いる指導層人事が確定したわけだ。
胡錦涛(64)が党総書記に留任したのはまったくの既定路線である。むしろ興味をひかれるのは、次(つまり5年後)の党大会での胡錦涛の去就だ。69歳になる胡錦涛は「70歳定年」に近くなる。ここで後継者がきちんと育っていれば席を譲るだろうし、育っていなければもう一期5年つとめるだろう。
つまり、今回の党大会でもっとも興味を集めたのは、近い将来胡錦涛が総書記の座を譲るべき後継者候補の顔ぶれである。来期に総書記を譲ろうとするなら、今期には少なくとも政治局常務委員または政治局員には名を連ねておく必要がある。新任の常務委員の中でその条件を満たすのは2名。李克強(52)と習近平(54)である。それぞれ遼寧省党書記、上海市党書記の役職を経ている。地方の党書記というのは、例えば市長や省長といった地方組織(日本のように「地方自治体」とはとても呼べない。「自治」はないからである。中国では人民政府と呼ぶ)の長よりも上位の実質的にその地方のボスである。地方の党書記を経て中央に抜擢というのは、実は胡錦涛が通ってきた道である。違う点と言えば、胡錦涛はチベット自治区とか貴州省といった後発地域の開発に手腕を発揮してきたのに対し、彼らは沿海部の先進地域を地盤にしてきたということである。
もう一点、注意すべきは彼らのうち習近平は「太子党」つまり党高級幹部の子弟であるということだ。「習」という苗字は中国でもそれほど多くない。従って彼の父親が習仲勲であろうことは容易に想像できたし実際そうであった。
いずれにせよ、胡錦涛の後継者レースに現時点でトップに立っているのはこのふたりだ。胡錦涛が江沢民の後継者に抜擢されたときには、実際にはレースの決着はついていた。胡錦涛が政治局常務委員に名を連ねた時点で、誰がどうみても後継者は明白だったのである。しかし少なくとも今回は違う。どちらが先んじてもおかしくないし、場合によってはふたりとも落第ということもあり得る。今後5年はこのふたりにとって正念場であろう。

さて、前期の政治局常務委員9名のうち、留任したのは5名。黄菊が今年の夏に亡くなっているので、3名が退任して新たに4名が選出された。常務委員の数を以前のように7名(多数決の関係で奇数にする慣例)に戻すのではないかという観測も一部にあったようだが、結局は9名を維持するだろうという意見のほうが強くそして正しかったわけだ。留任したのは胡錦涛、呉邦国(66)、温家宝(65)、賈慶林(67)、そして李長春(63)。退任したのが曽慶紅(68)、呉官正(69)、羅幹(72)である。つまり、中国の党および政府の核心である党総書記(胡錦涛)、全人大委員長(呉邦国)、国務総理(温家宝)、政協主席(賈慶林)と、5年後でも70歳に届かない李長春を残してあとは入れ換えた、ということになる。
新任はヒラの中央委員から抜擢された習近平、李克強のほか、政治局員からの昇進になる賀国強(64)中央組織部長、周永康(64)公安部長。来年のオリンピックに備えて組織と治安の引き締めを狙ったのかと邪推したくなる。もっとも、賀国強は中央組織部長を退任して、代わりに李源潮が就任しているが。

もうひとつ気になるのは中央軍事委員会の人事。中央軍事委員会には党の委員会と国家の委員会があって、その顔ぶれは同一であるのが原則だが国家の中央軍事委員会人事を決定するのは党大会の半年後に開催される全人大だから、これから半年の間はふたつの顔ぶれにはズレが生じる。だがそのズレが修正されるのは時間だけの問題だからあまり問題にされない。むしろ問題なのは軍内の人事とズレてしまうことで、逆にこの顔ぶれから近い将来の軍人事を推測できるという利点もある。前期の軍事委員会は2004年9月の4中全会で大幅に改編され、江沢民に代わって胡錦涛が主席になったり委員が倍増されていたりするのでその点は異例であるが。
軍事委員会主席は胡錦涛の留任。副主席のうち国防部長の曹剛川が退任し、郭伯雄徐才厚副主席は留任した。委員のメンバーは梁光烈(留任)、陳炳徳(留任・総参謀長)、李継耐(留任・総政治部主任)、廖錫龍(留任・総後勤部長)、常万全(総装備部長)、靖志遠(留任・第二砲兵司令員)、呉勝利(海軍司令員)、許其亮(空軍司令員)。前期は副主席3名、委員7名だったのが副主席2名、委員8名となった。なお、主席の胡錦涛を除く全員が軍人(上将)で、これは前期も変わりない。顔ぶれに大きな変更はなく、軍種司令員が代替わりした他、新任の総装備部長が補充されたくらい。国防部長・総参謀長・総政治部主任・総後勤部長・総装備部長の「5役」と、第二砲兵・空軍・海軍の「3軍種」司令員で委員を構成するという意図が見える。
さて、この中から曹剛川に代わる次の国防部長が任命されるのは間違いない。これまでの慣例からすれば国防部長が副主席を兼ねるのが一般的なので、前総政治部主任である徐才厚が国防部長という線が考えられるのが、実は無役で前総参謀長の梁光烈が国防部長になる可能性が高い。そうすると、国防部長の地位が軍委副主席からヒラの軍委委員に格下げされることになる。これを国防部の地位低下と見るかどうかは微妙だ。かつては軍委の軍人副主席2名が国防部長と総参謀長をつとめるのが慣例とされた時代があったが、胡錦涛時代になって軍委副主席が3名となり、うち1名が国防部長を兼任し、総参謀長はヒラ委員の兼任となった。今回、軍委副主席2名が専任となり、国防部長と総参謀長がヒラ委員となったとすると、組織上の軍トップの上にさらに2名の軍人が顧問格で座るということになる。国防部長の軍内での相対的な地位低下は、軍そのものの重みが増していることを示さないか。少なくとも、そういう推測を許すのである。

11/22追記:
軍委委員の軍職がかなり間違ってました ^^; どこを見て書いたんだろうなあ>自分。修正してあります。

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容赦ないなあ

今日の昼休み、昼食を買ってきて自席で食べながら nfl.com でちょうど中継していたサンデーナイトの New England @ Buffalo を観戦。3Qに入ったところだったが、すでにその時点で得点は42対10。もちろん New England リードで、主要スタッツを見たところブレイディはこの時点で5TDパス。やれやれ、前週までと併せて10試合で38TDパスですか。同地区の Buffalo 相手とはいえ、容赦ないことするなあと人ごとながら Buffalo が可哀想になった。
しばらく見ているうちに、New England が前進をつづけてあれよあれよという間にゴール前。ここで Buffalo が少し踏ん張って 4th down に追い込んだ。こりゃFGだな、45対10かと思ったのだが、ここで New England はギャンブルに出て 1st down を獲得、ドライブを続けて結局TDを得、49対10となった。ここでギャンブルしてまでTDを狙うなんて、本当に容赦ないな。
最終的にはファンブルリカバーも出て56対10と嫌になるような強さを見せつけて圧勝。土つかずの10連勝。一方、1972年にパーフェクト・シーズンをやってのけた Miami は泥沼の10連敗。逆パーフェクト・シーズンになるかな。

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2007年11月14日 (水)

「渚フォルテッシモ2」

ツンデレラブコメ路線一直線。この巻で最初に出てくる本文イラストは美味しゅうございました。
本筋と関係ないところだけど、三十一はラーメンをあまり好かない。これは何度も表明していることなので今さらなのだが、どうも著者はラーメンが好きらしくヒロインがラーメンに執着する場面があり、そこの記述には妙に気合いが入っている。その記述で味方につけることができた読者もいるかもしれないが、三十一を含む一部の読者には距離を置かせてしまったかもしれない。

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シーズン中盤すぎての感想

開幕当初から、レギュラーシーズン中盤のひとつのヤマと考えられていたニューイングランド@インディアナポリスの試合も終わり、いよいよ第10週に突入。ある程度シーズンの行方は見えてきたけれど、まだまだ見切るには早すぎる。実際のところは終わってみないことにはわからないだろうなあ。

敵地での全勝対決を制したニューイングランドは、今週はお休み。来週からまたしばらくは楽な相手が続くので、モチベーションを落とさないかぎり有利に進められるだろう。こうなると興味をひくのは1972年のマイアミ以来のパーフェクト・シーズン、つまりレギュラーシーズンとプレーオフを全勝してのスーパーボウル制覇が実現できるかどうかである。マイアミの時代はレギュラーシーズンは14試合だったので、もし実現すれば16試合になってからは初めての快挙となる。三十一は充分実現性はあると思う。問題は、HCベリチックの考え方であろう。最優先すべきはスーパーボウルを制覇することであって、数字にこだわることは無意味だと考えるならば、全勝には重きを置かないだろう。しかし、別の考え方もできる。つまり、ひとつでも負けることで今の勢いとか雰囲気が壊れることを考えると、数字ではなく「勝ち」にこだわるという選択肢もあるだろう。その場合は、結果としてパーフェクト・シーズンが実現するかもしれない。実際に、シーズンの最後に力を温存して裏目に出た前例がある。2005年シーズンのインディアナポリスだ。シーズン開始から13連勝という圧倒的な強さでAFC首位の座を確保したインディアナポリスだったが、シーズン最終週はレギュラーメンバーを外し、シードを含めて充分休養をとった上でプレーオフに臨んだはずだったのに、初戦でシード順6位のピッツバーグに競り負けてしまった。そのときにもっぱら取り沙汰されたのは、休んでいる間にモチベーションが下がったんではないかということだった。
インディアナポリス戦を見ても、ブレイディをはじめとしてニューイングランドは恐ろしく気合いが入っている。その気合いを下げないことをベリチックHCは重視するのではなかろうか。

いっぽう、インディアナポリスは先週の試合に敗れて何かが切れてしまったのか、サンディエゴに負けて連敗。今週マニングは6インターセプトと信じられない乱調ぶり。4Qに入って立て続けにタッチダウンを決めて少し調子を戻したようだが、AFC南地区はインディアナポリスが首位を保っているものの、4チームがそれぞれ1ゲーム差で並んでいるという状態。下手すると地区優勝もできなくなるかもしれないぞ。

わがデンバーは4勝5敗と苦しい星勘定だが、地区首位のサンディエゴが5勝4敗、カンザスシティは同じ4勝5敗と並んでいるので、地区優勝の可能性は充分にある。逆に言うと、地区優勝しないかぎりはプレーオフ出場は難しい。まあ、デンバーは今年は再建の年だ。特に今年は長年攻撃をひっぱってきたオフェンスラインに怪我人が出て苦しくなっている。センターのネイレン、ガードのハミルトンといった不動のメンバーが欠けている。おかげでデンバーの強みだったラン攻撃がなりをひそめ、その影響でまだ若いカトラーが主導するパスも出にくくなっている。
それでも、守備が強ければまだ勝ちを拾えるのだろうが、ここ数年のデンバーの課題はずっと守備ラインであった。その課題は今年もまだ解決されていない。毎年守備ラインのユニットが入れ替わっている状況だが、今年もこのユニットがうまく機能しておらずランを止めきれていない。やっぱり守備でも攻撃でもプレーの起点はラインなのだな、と目立たないユニットだが非常に重要であるという現実を教わってしまった今シーズンであった。まだ終わってないけどね。

あとはまた気が向いたら書くかもしれません。とりあえず、NFCの優勝候補はダラスだと思います。

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「渚フォルテッシモ」

猫をかぶったツンデレ。

これ以上に簡潔で本質的な説明が思いつかなかった。ストーリーや設定としてはそれほど斬新なものとは思えないけれど、ヒロインのキャラがメチャメチャ立っているので読みやすい。著者もあとがきで「キャラが勝手に動いた」と言っているけれど、こういうキャラクターが作れれば作品は半分完成したも同様ではなかろうか、って小説の一本も書いたことがない人間が言っても説得力ないけど。

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「生物と無生物のあいだ」

それほど期待して読み始めたわけではないのだが、かなり面白かった。kikulog でWTC陰謀論とか血液型性格判断とかマイナスイオンなどといったお題目を弄んでいる人々に是非読んでほしい。ただし、そういった人々は読解力が乏しいのでどの程度理解できるやら。
非常に面白い本なのだが、読みきるには多少の根気が必要かもしれない。もちろん、一般向けの書籍なのでそれなりに説明がされているのだが、特有の語彙とか言い回し、厳密な論理構成がちりばめられていてその手の文章に慣れていない人にはちょっと読みづらいだろう。

「生物とは何か」という命題はむしろ科学というより哲学の問題のような気がするが、しかし生命活動の仕組みを科学の手法でもって細かく解明していくと、そこには生命活動に固有のふるまい、あるいは傾向が見いだせる。そういったものを帰納していくと、生命の本質が見えてくる。それは研究の本来の目的ではないが、違った意味で究極の目的と言えるのかもしれない。

生命の本質は「自己複製」であると考えられた時代もあった。しかし、自己複製を行なえば生命であるかというとそれは違う。また、自己複製を行なわないものは生命ではない、というとそれもまた違う。ウィルスは自ら自己複製は行なわないが、他者に寄生することによって自己複製を行なう。ウィルスが生物か否かというのは議論の余地がある。いっぽう、生命活動とは「エントロピーを減少させる活動だ」という説明をすることもある。つまり、生物は自分を構成する細胞のひとつひとつにマクスウェルの悪魔を飼っていることになる。これは一種の説明として価値があるものではあるけれど、しかし「生命」の定義としては足りない。その逆は必ずしも真ではないし、また生命は閉じた系とは言えない。
しかし、この「閉じた系ではない」という事実からまた異なった見方が生まれてきた。この著者が主張しているのがまさにそれである。人間を含む生命は「閉じた系」ではないから、外部からなんらかの栄養なり情報なりを摂取して不要なものを排泄する。常識的には、これは「生命活動に必要なエネルギーを摂取して老廃物を排出する」と考えられている。つまり「人体」という箱の中を外部から取り入れた物質が通過していく、という模式図である。ここでは「人体」はある程度固定されたものととらえられている。しかし現実は異なる。その「人体」を構成する物質を分子レベルにまで細分化して見ていくと、その個々の分子はあらゆる個所で常に入れ換えられているのである。自分の見慣れた顔、身体、手足、はては小学生の時に転んで怪我をした傷跡まで、どれひとつとして1年前と同じ物質によって構成されたものはないのである。著者はこのダイナミズムに注目する。生命とは、物質が流れていくその過程の中で一時的にとどまって仕事をする「場」にすぎない。著者はこれを「動的平衡」と呼ぶ。生命は、身体を壊して作り直すという作業を際限なく続けている。なぜそのようなことをしているかと言うと、常に作り替えることによって老朽化あるいは不慮の事故による機能損失を先回りして防止しているのだ、と著者は考える。

これは非常に面白い見方だが、多くの人間には受け入れにくい考えだろう。しかしこの考え方を受け入れたとき、人間を含む生命というものに対する見方は変わらざるを得ない。そして三十一にはその変化は、けして悪い方向には向かわないと思えるのである。

ところで、あとがきに著者が小学生の時に暮らしていた町の話が出てくる。実はこの町は三十一が今住んでいる町で、登場する小学校、短大、公営住宅、公園のすぐ横を歩いて通勤している。そうか、あの小学校でNHKの「ようこそ先輩」を撮っていたのか・・・

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「私のKnightになってよネ!ぷち」

短編集ですね。4つの短編すべてが、同じようなセリフ、ただし異なるシチュエーションで始まるというのはもちろん意図的なものだろう。
時間軸としては本編の後日譚ということになるんだろうが、こいつら少しは進展したのか? とてもそうは思えない。

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「アキカン!3缶めっ」

ライバル登場。スポコン路線ですか?
綾波レイ、じゃなくてリア・ガーネット、じゃなくて長門有希、でもなくエールが表紙。微妙に鬱展開入ってきました。お気楽おバカ小説だと思っていたのになあ。

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「アキカン!2缶めっ」

実はこのシリーズで最初に買ったのはこの2巻(缶)目だったりする。理由は一目瞭然、表紙イラスト。1巻の表紙はあまり三十一の関心をひかなかったらしいが、2巻目はストライク。
なじみ(ああ、幼なじみだから「なじみ」か。今気づいた)の天然でありながら微妙に黒いところが面白いですねえ。ストーリーはとりあえず後回し。

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「アキカン!」

これまたジャケ買い。このシリーズは鈴平ひろのイラストでだいぶ得していると思ふ。「アキカン」というのはちょっと面白い発想だが、結局は舞台装置にすぎない。天然幼なじみ、ツンデレ、無愛想無表情娘と取りそろえたいっぷう変わったハーレムものと考えればいいんだろう。

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メンテにひっかかる

エディターに書きためたコメントをココログにアップしようと思ったら、メンテナンス中でした。そういうタイミングがあるの仕方ないことだと理解してるが、しかし回数が多くてしかも一回ごとが長いという印象がある。夜8時から次の朝10時まで14時間も更新できないっていうのはサービスとしてどうよ。だいたいネット住民は宵っ張りが多いのに。

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2007年11月10日 (土)

出てらっしゃいますか

敬語としてもちょっと不自然なフレーズだと思うのだが、三十一の席の近くでよくこういうフレーズを口にする人がいる。基本的なパターンは、電話口で相手先に尋ねるというものだ。この主語(実質的には目的語)が人物であるなら「おいでになりますか」とでも聞くほうが適当だろう。しかし、この人の場合は、主語は人ではないのだ。

エラーメッセージは出てらっしゃいますか?

・・・エラーメッセージに敬語を使うなよ

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2007年11月 7日 (水)

「裁判長!ここは懲役4年でどうすか」

鳥取駅の書店で買った本。世の中には裁判傍聴マニアというのがいるらしい。いろんな趣味があるものだが、憲法で保証されている趣味というのも珍しい。
裁判というと普通の人には縁がないものと思われがちだが、無縁だと思っていた人間が突然巻き込まれるのも裁判である。わりと最近傍聴マニアになった著者は、そういった「普通の」人々が裁判という非日常な場でもがき苦しみ、自分をさらけ出してしまう様を見てきた。その中で印象的だったのは「双方の言い分が食い違っているのは、片方が正しくもう片方が嘘をついているというような単純なものではない。人によって受け取り方が違っているのだ」という感想だ。だが往々にして人は自分が正しいと思うものである。

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「海軍提督ホーンブロワー」

旅行のために何か適当な本がないかと思って物色しているうちに発掘した本。読みかけのまま、本の山に埋もれて行方不明になっていたのである。もっとも、これまで真面目に捜索したこともないけれど。
ナポレオン戦争が終結して6年、ホーンブロワーは海軍提督に昇進してカリブ海の西インド戦隊司令官に就任していた。この地域ではジャマイカ総督に次ぐ第二位の地位、海上では他に並ぶものがない絶対的な権力を握っておきながら、実際には戦後の軍縮によって与えられた戦力は乏しく、そして責任は重いという厳しい立場に置かれていた。ホーンブロワーは相変わらずくよくよぐだぐだと思い悩む。メキシコからセントヘレナのナポレオン救出に向かう元フランス近衛兵、イギリス海軍の目を盗んでアフリカからの奴隷を新大陸に送り込もうとするスペイン船、ジャマイカの奥地に潜む山賊たち。有象無象の連中がホーンブロワーを出し抜こうとする。艦上においてはあくまで「お客さん」でしかない司令官の立場に苦しみながらホーンブロワーは任務を遂行しようとする。
ようやくシリーズ完全読破。

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小沢辞職騒動

民主党の小沢一郎代表が辞職を表明したかと思ったら、慰留を受けて撤回したらしい。人騒がせな。そもそもは自民党からの連立打診に対して、執行部に政権協議入りの提案を否決されたのが直接のきっかけであるらしい。そういったいきさつを知る前に辞意表明の一報を聞いてまず思ったのは「しょせん民主党は小沢一郎でもまとめきれない党なのだな」という感想である。
自民党が実態としては派閥の寄り合い所帯であるというのは秘密でもなんでもないことだが、民主党は自民党以上に寄り合い所帯の色彩が強い。旧社会党右派から自民党の旧田中派までかかえこんでいるんだから、ひとつにまとまれというほうが無理である。その民主党にとって、小沢一郎という人物はひとつの切り札であったに違いない。それでも党をひとつにまとめきれないとなると、民主党という政党に本当に政権担当の力量があるのかどうか疑問なしとしない。つまり、小沢代表の懸念はそう外れているわけではないんじゃないかと思うのだな。そういった小細工を弄しないと形だけでも一枚岩になれないというのはどう考えても弱みだろう。

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空腹で買い物に行ってはいけない

空腹で買い物に行ってはいけない、という生活の知恵がある。見るものすべてが美味そうに見えてついつい余分な買い物をしてしまうという警句である。その警句の意味を思い知らされたのが、山陰旅行から戻った翌日に神保町へ出かけたときである。数時間放浪して、その上帰途には秋葉原まで足を伸ばした結果、ザックの重みで翌日腹筋が筋肉痛を起こす羽目になった。どっかのブートキャンプより効果的ではなかろうか。

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2007年11月 6日 (火)

「ご愁傷さま二ノ宮くん8」

つい先月も出ていたがそちらは短編集、こちらは本編。前巻あたりは鬱展開が進んでなかなか読み進めづらかったのだが、相変わらずの鬱展開のわりにはこの巻はすんなり読み進めることが出来た。新キャラの力であろう。
北条麗華をはるかに上回る究極のツンデレと言えるだろうか。間違ってないよね?

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「おおきくなりません」

鶴田謙二の表紙イラストでジャケ買いしました。アオリのあらすじにも少しひかれたけど。
成長しきれてない大人の話。身につまされるなあ。もっとも、三十一自身は最近開き直ってきて、社会人として最低の仁義さえ守っていれば何も無理して大人にならなくてもいいんじゃないかとすら思っている。どこが「最低」かというと、それが人によって違うんだけどね。だけど日本人的な「大人」というのは、別の視点から見ると子供じみた考え方を成長させたものと言えるんじゃないかなあ。むしろ堕落?

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「幕末の朝廷」

だいぶ以前に「幕末の天皇」という本を読んだ。そのときにはわりと本題と関係ない感想を残しているが、実はかなり面白かったのである。その三十一の評価は外れていなかったようで、その後に出てきた幕末史、とくに幕末の朝廷に関する研究ではほぼ間違いなくこの「幕末の天皇」が引用されている。
この本も「幕末の天皇」をベースにしている。孝明天皇が幕末の政局に大きな影響を与えていることは今では定説と言っていいだろう。幕府首脳と、朝廷の首脳(つまり摂関家)、そして孝明天皇の思惑の違いが幕末の政局を動かした。その意味で、孝明天皇が幕末の最重要人物の一人であるということに異を唱える者はいないだろう。しかしそういった論調の中で著者は、孝明天皇は「開国の流れに敢然と立ち向かった英主」とされているが、実際にはそうではなかったと主張する。実は三十一は、その「これまでの評価」に違和感を抱いた。孝明天皇が開国に反対し、公武合体路線を堅持して倒幕に奔走する勢力を制肘したのは事実だが、そこに「断固とした態度」を見いだすのは正しい見方だろうか。三十一の印象では、孝明天皇が鎖国と公武合体に固執したのはむしろ「頑固な保守主義者」の当然の帰結であって、その裏には本質的に変化を嫌う小心な性格がうかがえる。そういう意味ではこの本の著者の孝明天皇論に与するものだが、「これまでの評価」をことさら対照的にとらえるのはどうかと思う。

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「昭和天皇ご自身による「天皇論」」

タイトルはセンセーショナルだけど、それほど大した内容ではない。どちらかと言えば、著者がいろんな雑誌に投稿した原稿を集めて無理矢理共通項でくくったらタイトルがこうなりました、という趣である。
2・26事件での本庄武官長とのやりとりなんかも、本庄日記の原文そのままで引用してくれたほうが緊迫感が出てよかっただろう。変に現代語訳するとなんとなく気が抜ける。もともとが雑誌向けの原稿だからしょうがないのかもしれないけど。あまり新しい内容もなく、さくさくと読み終えてしまった。

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「ROOM No.1301 #9 シーナはヒロイック!」

登場人物の位置づけが段々変化してきたなあ。変化がないと小説の意味がないかもしれないけど。個人的には、登場人物の多くが後ろ向きであるところが好きである(ヤな趣味だな)。その「後ろ向き度」がだんだん薄まってきたような気がする。メインターゲットたるティーンエイジャーに読ませるにはあまりに後ろ向きでは困るのだろう。三十一くらいになると、うじうじぐだぐだ悶えているのを鑑賞するのが楽しいのだが。

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「バロック音楽」

これは最近出た講談社学術文庫版だが、ずいぶん前に講談社現代新書で出ていたものの文庫化であるらしい。実はかなり高い確率で既読だと思うのだが、正直なところ内容はよく覚えていない。ところどころ見覚えのあるエピソードが紹介されてはいるものの、この本で読んだものかそれとも別の本で知ったのかも定かではない。
さてバロック音楽ブームと言われて久しいが、現実によく聴かれているのはバロック後期のバッハやヘンデルやヴィヴァルディや、せいぜいがパヘルベルくらいだろう。もちろん、前期バロックや中期バロック、あるいはフランス・バロックやイギリス・バロックなどのあまり知られていない音楽に触れる機会は以前に比べて格段に増えたものの、依然として好事家の興味の対象にとどまっているのが現実だ。三十一も「事を好む」という点では人後に落ちないので、興味はある。しかしそれはまだ興味にとどまっていて、バッハのように愛好するには至っていないのだな。
著者は「個人的にはヴィヴァルディはあまり好まない」と言っているが、三十一もわりとそれに近い。実はヴィヴァルディで一番気に入っているのは、有名な協奏曲ではなく宗教曲の「グローリア」であったりする。

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2007年11月 1日 (木)

バタデンと神社

今夜の夜行列車で東京に帰ることにする。理由は明白で、NFLの録画予約が明日の昼のぶんまでしかできていないためだ。夕方からのぶんは、ケーブルテレビのチューナーの予約が満杯で予約しきれなかった。まあ、頃合いかもしれない。そろそろ体力的にも辛くなってきた。

今日も今日とて、さらにさらに起床が遅くなっている。ホテルを出、松江駅のコインロッカーに荷物を放り込む。かぎをしめ、小銭入れをポーチにしまって変なことに気づく。今夜の帰りの指定券がないぞ。昨日買ったあと、このポーチにしまったはずなのだがなあ。そういえば、今朝の荷造りのときに細かいパンフレット類を旅行鞄の中に突っ込んだ記憶がある。さてはあの中に紛れたか。確認しようにも、もう鞄はロッカーの中。それだけのために閉めたばかりのロッカーを開けるのは馬鹿馬鹿しすぎる。部屋を出るときに指差確認したから、ホテルに忘れてるってことはまずないはずだ。ここは予定通り行動して、戻ってきたときに確認しよう。少し早めに戻ってきて、もし見つからなかったらそのときに対策を講じればいい。

ある意味では今回の旅のメインエベントになる一畑電車を今日一日で全線走破する。先日の銚子電鉄に続く地方ローカル私鉄の旅だ。縁起でもない言い方になるが「なくなる前に乗っておこう」というものである。「くりでん」と「鹿島鉄道」は乗り損ねたしなあ。松江駅前からバスに乗って、一畑電車の始発駅「松江しんじ湖温泉」へ。昨日、循環バスの上からこの駅は見ているのだが、改めて駅の写真をとる。ところが、次の電車まで20分近くあるのだ。今回もってきた「小型全国時刻表」にも、こちらで買った地域版の時刻表にも、一畑電車のダイヤは掲載されていない。昨日のうちにネットで調べておこうと思っていたのだが、睡魔に負けて寝てしまった。だいたい、今朝は咳が止まらず体調最悪。今日が最終日でよかった。

二両編成のワンマン電車はたぶん西武か東急あたりのお古だろう。始発駅を発車した電車はすぐ宍道湖の北岸に出る。対岸には山陰本線が走っているはずだが、はるかにかすんでとても見えない。宍道湖の景色にも飽きてきて、持参の文庫本など読んでいるうちに気づけば一畑口に着こうとしていた。この一畑口では進行方向が変わる。と言っても、これまでほぼ真西に向かって走っていた列車が北向きに進路を変えたかと思うと、そこが一畑口の駅になり、そこから南に向かって発車した列車はまたもや真西に向かって走り始める。これはかつて一畑口から北に向かって一畑薬師まで線路がつながっていた名残だが、ずいぶん昔にこの路線は廃止されてしまった。しかし今日も相変わらずここで向きを変えているのである。このあたりから宍道湖はほとんど見えなくなった。雲州平田を経て、出雲大社方面への分岐駅である川跡(かわと)に到着。これまで乗ってきた電車はそのまま終点の出雲市へ向かう。しかし、一畑電車で始発の松江から終点の出雲市まで乗り通す人はいるのかなあ。支線になる川跡~出雲大社前の間は基本的にピストン運転らしい。ここで三十一と一緒に乗り換えたのはほぼ全員が出雲大社を目当ての観光客に見受けられる。乗っていたのは10分ほどだろうか、出雲大社前に到着。

帰りの電車の時刻を確認しておいて、出雲大社方面に歩き出す。のんびり歩いても10分ほどで境内へ。そこから拝殿や本殿といった主要建造物まではさらに10分。この参道の砂利道はきれいに掃かれていて歩きやすいなあと思ったら、よく見たら下にマットが敷いてあるんでした。拝殿が見えてきたところで、太鼓や笛の音が聞こえてきた。どうもお祓いをしているようだ。ちなみに三十一は神社に来ても普通参拝はしない。それなりの礼儀は払うが、自己の良心に反することはしたくない。形だけの参拝はかえって不誠実だとも思う。上着のポケットから何かの時のお釣りだった小銭が出てきたので、それを賽銭箱に放り込む。礼も拍手もせずただ放り込むだけだ。宗教心はないが、こういった歴史的施設の維持費の足しになればいいと思うので、参拝しないこととは矛盾しない。本殿の遷宮のための浄財をつのっていたのに、幾らか払ってもいいとすら思ったくらいだ。一口千円と言われたのでやめたけど。しばらく拝殿を眺めていて、そういや肝心の本殿はこの後ろのはずだなあと思いついた。ここからでは見えなかったので気づいていなかったのである。裏に回ると本殿が見えた。本殿そのものは塀で囲まれていて、さらに手前に別の建物があるのかわずかに屋根が見えるくらいである。これじゃあなあと思ったけど、後ろにまわったほうがよく見えるかもしれないと塀の周りを一周すると、明らかに横とか後ろのほうが見やすい。あまり同じことをしてる人はいないけど。

その後、少し離れたところのバスターミナルに行ったのは、あわよくば日御碕神社まで足を伸ばそうと思ったからだけど、バスの本数がかなり少ないので断念した。少し時間があまったので、出雲大社の反対側にある古代出雲歴史博物館なる施設を見物することにした。あまり期待していなかったのだが、思ったよりも面白く、出雲大社本体よりも長い時間滞在していたようだ。その後、出雲そばなど食してから一畑電車の駅に戻り、いったん川跡まで戻ってから今度は電鉄出雲市方面の電車に乗り込む。川跡駅では両方向の電車に乗り継げるようにダイヤが組まれており、従って必然的にここで本線の電車がすれ違うことになる。つまり一時的に3本の電車が並ぶことになるわけだ。15分ほどで電鉄出雲市に到着。おそらくJRの出雲市が高架化するのに併せて一畑電車の駅も高架になったのだろう。一畑電車だけが地平で残ってたんじゃ効果が少ないからなあ。おかげでローカル私鉄には分不相応なくらい近代的な高架駅になっている。果たして誰が金を出したのやら。たぶん自治体だろうな。

一畑電車の駅とJRの駅は少し離れている。予定では一番近い特急やくもで松江に戻るはずだったのだが、どうも怪しげなアナウンスが聞こえる。やくもに乗る乗客は快速で松江まで行って乗り継げ、という内容だ。何があった? 駅でアナウンスを聞いてみると、どうも岡山あたりで事故があったらしく、伯備線のダイヤが大きく乱れていて折り返し上りやくもになるはずの下り列車が松江で打ち切られることになったようだ。出雲市で折り返す代わりに松江で折り返して、少しでも遅れを回復しようというのだろう。駅は少し混乱している。6両編成の特急に乗るはずだった乗客が2両編成の快速に流れたのだがら、座席はあっという間に埋まってしまった。三十一自身はどうしてもこの列車でなくてはいけないということでもないので、次の特急を待つという選択肢がないわけでもなかったが、この調子だと「次の特急」なんてものが予定通り来るかどうかもわからない。仕方ないので同じ快速に乗り込んだ。実はこの列車は、昨日宍道からの帰りに乗ったのと同じ列車なのだ。二日つづけて同じ列車に乗るのも芸がないと思ったので、やくもで戻る予定にしてたのだがなあ。結局この列車では、松江に着くまで立ち通しになった。

松江に着いてまずしたことは、コインロッカーから荷物を取り出して切符の確認。あったあった。これで東京まで帰れる。さて、帰りの列車が出るまでの3時間ほどどうやって時間を潰そう。まず考えたのは、どこかに本屋がないかということ。それなりの本屋があれば1時間や2時間は簡単に時間を潰せる自信(何の自信だ)があるし、帰りの列車の中で読む本を入手することもできるだろう。ところが、少し歩き回ってみたものの松江駅前にはそれなりの書店というのがないらしい。まったく書店がないわけではないけどね。駅前のデパートにも入ってみたが、書店はなかった。旅行で地方都市を訪れるたびに思うんだが、本屋のない街でよく生きていけるね。

結局本屋はあきらめ、イートインのベーカリーでサンドイッチとお茶の簡単な夕食。これは時間つぶしを兼ねているのだ。頃合いを見計らって土産物と列車の中で消費する飲み物と明日の簡単な朝食を仕入れ、ホームに上がって待つことしばし。登場したときから一度乗ってみたいと思っていた285系寝台電車、サンライズ出雲が到着。しかし残念なことに到着直前にまたもやデジカメの電池切れ。うーむ、しかしどうせ夜だからフラッシュなしじゃブレるしなあ。列車に向かってフラッシュをたくのはマナー違反以前に危険なのでやめましょう。与えられた個室は最後尾1号車の上段右側。これまで何度か個室寝台は使ったけど、上段は初めてだ。おなじく上下段になっている北斗星などのB寝台とこのサンライズが違うのは、上段下段それぞれ独立した廊下になっているということ。最近東京近郊でよく見る二階建てグリーン車と似た構造だ。従って室内に階段はない。検札が済んだところで部屋に鍵をかけ、着替えてくつろぐ。だけどこの状態だと外から丸見えのはずである。

サンライズのシングルは窓が幅広く、上下もそれなりに高い。非常に見晴らしがいい。しかし窓から外を見るためには、ベッドに座り込んで窓にもたれるしかない。長時間はつらい。いずれにせよ、外が真っ暗でとても景色なんて見れたものではない。窓ガラスがまるで鏡のようである。このままではせっかくの景色が宝の持ち腐れなので、室内の電灯を消してみる。これで外の景色が比較的よく見えるようになったが、そこまでしても外は真っ暗。なんだかんだ言って、日本の地方ってこんなもんだよなあ。やがて米子着。そういや、米子の少し手前に転車台があったけど、あれは生きてるのかなあ。すれ違いざまに見たかぎりでは、扇形車庫はからっぽ。使われていないようだ。米子でけっこう乗客が乗り込んでくる。松江で乗ったときには1両に5人くらいしか乗ってなかったから心配してたんだが。このあたりで6分遅れ。米子を出て少ししたところで日野川を鉄橋でわたる。ちょうど向かい側の下り線をEF64が牽引する貨物列車が走っていった。それほど長い編成ではないが、少なくとも連結されていたコンテナ車はほぼ満車。喜ばしいことだ。伯耆大山から右に曲がって伯備線に入る。伯備線はもちろん初めてだ。なんとなくだが、山陰本線と比べてスピードが落ちたような気がする。これまでにもまして窓の外は暗くなってきて、かなり目をこらしても景色が見づらい。しかし、かすかに目にとまった景色は、山あり渓谷ありとかなりバラエティに富んでいるようだ。やっぱり昼間に景色を見ながら通りたいなあ。やがて目に入った山中の小駅は果たしてどのあたりかと時刻表を見ると、島根県最後の駅であった。そこで改めて前方を見るとやがてトンネルに突入し、抜けたところは岡山県だ。備中神代では芸備線用と見られるディーゼルカーを見かけ、次の布原駅では下りやくもとすれ違う。このへんはSL時代の有名な撮影地で、夜に車中から見ても険しい地形が見てとれる。新見に到着したころには10分ほど遅れていた。この後はほぼ10分の遅れを保ったまま備中高梁を通過して倉敷から山陽本線に入り、岡山到着。岡山でサンライズ瀬戸と併結され、東京に向けて走り出したのもやはり10分遅れだった。その後上郡、姫路、三宮と停まっていく頃には日付が変わる。明日は東京着7時過ぎということなので、1時前には床につく。そうそう、個室内には「シェーバー専用」と注記のあるコンセントが装備されていたので、シェーバーじゃないけどデジカメを充電しておいた。寝る直前に室内の写真を何葉か。

いったん5時頃に目が覚めたがその後また二度寝して6時過ぎ、横浜到着前に放送で起こされる。外はもう明るい。片づけなどしてるうちに横浜に到着。夜中に遅れを取り戻したらしく、定時だった。しかし誰かが非常装置をいたずらしたとのことで発車は1分遅れた。東京到着もそのまま1分遅れ。荷物をかかえて通路に出ると、スーツ姿のビジネスマンがけっこう乗っていた。意外に使われているのかなあ。確かに、米子あたりを午後8時に出て、東京に朝7時には着けるのだから使いようによっては便利だろう。個室というのもあるだろうけど、やっぱり寝台列車も工夫次第でそれなりに需要は喚起できるのだよ。
Pb010057





昨日から今日の旅程:
松江しんじ湖温泉(1031)→川跡(1119) 一畑電車312
川跡(1120)→出雲大社前(1131) 一畑電車14
出雲大社前(1455)→川跡(1506) 一畑電車19
川跡(1511)→電鉄出雲市(1518) 一畑電車320
出雲市(1530)→松江(1608) 3454D
松江(1931)→東京(0708) 4032M~5032M

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