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2007年11月 1日 (木)

バタデンと神社

今夜の夜行列車で東京に帰ることにする。理由は明白で、NFLの録画予約が明日の昼のぶんまでしかできていないためだ。夕方からのぶんは、ケーブルテレビのチューナーの予約が満杯で予約しきれなかった。まあ、頃合いかもしれない。そろそろ体力的にも辛くなってきた。

今日も今日とて、さらにさらに起床が遅くなっている。ホテルを出、松江駅のコインロッカーに荷物を放り込む。かぎをしめ、小銭入れをポーチにしまって変なことに気づく。今夜の帰りの指定券がないぞ。昨日買ったあと、このポーチにしまったはずなのだがなあ。そういえば、今朝の荷造りのときに細かいパンフレット類を旅行鞄の中に突っ込んだ記憶がある。さてはあの中に紛れたか。確認しようにも、もう鞄はロッカーの中。それだけのために閉めたばかりのロッカーを開けるのは馬鹿馬鹿しすぎる。部屋を出るときに指差確認したから、ホテルに忘れてるってことはまずないはずだ。ここは予定通り行動して、戻ってきたときに確認しよう。少し早めに戻ってきて、もし見つからなかったらそのときに対策を講じればいい。

ある意味では今回の旅のメインエベントになる一畑電車を今日一日で全線走破する。先日の銚子電鉄に続く地方ローカル私鉄の旅だ。縁起でもない言い方になるが「なくなる前に乗っておこう」というものである。「くりでん」と「鹿島鉄道」は乗り損ねたしなあ。松江駅前からバスに乗って、一畑電車の始発駅「松江しんじ湖温泉」へ。昨日、循環バスの上からこの駅は見ているのだが、改めて駅の写真をとる。ところが、次の電車まで20分近くあるのだ。今回もってきた「小型全国時刻表」にも、こちらで買った地域版の時刻表にも、一畑電車のダイヤは掲載されていない。昨日のうちにネットで調べておこうと思っていたのだが、睡魔に負けて寝てしまった。だいたい、今朝は咳が止まらず体調最悪。今日が最終日でよかった。

二両編成のワンマン電車はたぶん西武か東急あたりのお古だろう。始発駅を発車した電車はすぐ宍道湖の北岸に出る。対岸には山陰本線が走っているはずだが、はるかにかすんでとても見えない。宍道湖の景色にも飽きてきて、持参の文庫本など読んでいるうちに気づけば一畑口に着こうとしていた。この一畑口では進行方向が変わる。と言っても、これまでほぼ真西に向かって走っていた列車が北向きに進路を変えたかと思うと、そこが一畑口の駅になり、そこから南に向かって発車した列車はまたもや真西に向かって走り始める。これはかつて一畑口から北に向かって一畑薬師まで線路がつながっていた名残だが、ずいぶん昔にこの路線は廃止されてしまった。しかし今日も相変わらずここで向きを変えているのである。このあたりから宍道湖はほとんど見えなくなった。雲州平田を経て、出雲大社方面への分岐駅である川跡(かわと)に到着。これまで乗ってきた電車はそのまま終点の出雲市へ向かう。しかし、一畑電車で始発の松江から終点の出雲市まで乗り通す人はいるのかなあ。支線になる川跡~出雲大社前の間は基本的にピストン運転らしい。ここで三十一と一緒に乗り換えたのはほぼ全員が出雲大社を目当ての観光客に見受けられる。乗っていたのは10分ほどだろうか、出雲大社前に到着。

帰りの電車の時刻を確認しておいて、出雲大社方面に歩き出す。のんびり歩いても10分ほどで境内へ。そこから拝殿や本殿といった主要建造物まではさらに10分。この参道の砂利道はきれいに掃かれていて歩きやすいなあと思ったら、よく見たら下にマットが敷いてあるんでした。拝殿が見えてきたところで、太鼓や笛の音が聞こえてきた。どうもお祓いをしているようだ。ちなみに三十一は神社に来ても普通参拝はしない。それなりの礼儀は払うが、自己の良心に反することはしたくない。形だけの参拝はかえって不誠実だとも思う。上着のポケットから何かの時のお釣りだった小銭が出てきたので、それを賽銭箱に放り込む。礼も拍手もせずただ放り込むだけだ。宗教心はないが、こういった歴史的施設の維持費の足しになればいいと思うので、参拝しないこととは矛盾しない。本殿の遷宮のための浄財をつのっていたのに、幾らか払ってもいいとすら思ったくらいだ。一口千円と言われたのでやめたけど。しばらく拝殿を眺めていて、そういや肝心の本殿はこの後ろのはずだなあと思いついた。ここからでは見えなかったので気づいていなかったのである。裏に回ると本殿が見えた。本殿そのものは塀で囲まれていて、さらに手前に別の建物があるのかわずかに屋根が見えるくらいである。これじゃあなあと思ったけど、後ろにまわったほうがよく見えるかもしれないと塀の周りを一周すると、明らかに横とか後ろのほうが見やすい。あまり同じことをしてる人はいないけど。

その後、少し離れたところのバスターミナルに行ったのは、あわよくば日御碕神社まで足を伸ばそうと思ったからだけど、バスの本数がかなり少ないので断念した。少し時間があまったので、出雲大社の反対側にある古代出雲歴史博物館なる施設を見物することにした。あまり期待していなかったのだが、思ったよりも面白く、出雲大社本体よりも長い時間滞在していたようだ。その後、出雲そばなど食してから一畑電車の駅に戻り、いったん川跡まで戻ってから今度は電鉄出雲市方面の電車に乗り込む。川跡駅では両方向の電車に乗り継げるようにダイヤが組まれており、従って必然的にここで本線の電車がすれ違うことになる。つまり一時的に3本の電車が並ぶことになるわけだ。15分ほどで電鉄出雲市に到着。おそらくJRの出雲市が高架化するのに併せて一畑電車の駅も高架になったのだろう。一畑電車だけが地平で残ってたんじゃ効果が少ないからなあ。おかげでローカル私鉄には分不相応なくらい近代的な高架駅になっている。果たして誰が金を出したのやら。たぶん自治体だろうな。

一畑電車の駅とJRの駅は少し離れている。予定では一番近い特急やくもで松江に戻るはずだったのだが、どうも怪しげなアナウンスが聞こえる。やくもに乗る乗客は快速で松江まで行って乗り継げ、という内容だ。何があった? 駅でアナウンスを聞いてみると、どうも岡山あたりで事故があったらしく、伯備線のダイヤが大きく乱れていて折り返し上りやくもになるはずの下り列車が松江で打ち切られることになったようだ。出雲市で折り返す代わりに松江で折り返して、少しでも遅れを回復しようというのだろう。駅は少し混乱している。6両編成の特急に乗るはずだった乗客が2両編成の快速に流れたのだがら、座席はあっという間に埋まってしまった。三十一自身はどうしてもこの列車でなくてはいけないということでもないので、次の特急を待つという選択肢がないわけでもなかったが、この調子だと「次の特急」なんてものが予定通り来るかどうかもわからない。仕方ないので同じ快速に乗り込んだ。実はこの列車は、昨日宍道からの帰りに乗ったのと同じ列車なのだ。二日つづけて同じ列車に乗るのも芸がないと思ったので、やくもで戻る予定にしてたのだがなあ。結局この列車では、松江に着くまで立ち通しになった。

松江に着いてまずしたことは、コインロッカーから荷物を取り出して切符の確認。あったあった。これで東京まで帰れる。さて、帰りの列車が出るまでの3時間ほどどうやって時間を潰そう。まず考えたのは、どこかに本屋がないかということ。それなりの本屋があれば1時間や2時間は簡単に時間を潰せる自信(何の自信だ)があるし、帰りの列車の中で読む本を入手することもできるだろう。ところが、少し歩き回ってみたものの松江駅前にはそれなりの書店というのがないらしい。まったく書店がないわけではないけどね。駅前のデパートにも入ってみたが、書店はなかった。旅行で地方都市を訪れるたびに思うんだが、本屋のない街でよく生きていけるね。

結局本屋はあきらめ、イートインのベーカリーでサンドイッチとお茶の簡単な夕食。これは時間つぶしを兼ねているのだ。頃合いを見計らって土産物と列車の中で消費する飲み物と明日の簡単な朝食を仕入れ、ホームに上がって待つことしばし。登場したときから一度乗ってみたいと思っていた285系寝台電車、サンライズ出雲が到着。しかし残念なことに到着直前にまたもやデジカメの電池切れ。うーむ、しかしどうせ夜だからフラッシュなしじゃブレるしなあ。列車に向かってフラッシュをたくのはマナー違反以前に危険なのでやめましょう。与えられた個室は最後尾1号車の上段右側。これまで何度か個室寝台は使ったけど、上段は初めてだ。おなじく上下段になっている北斗星などのB寝台とこのサンライズが違うのは、上段下段それぞれ独立した廊下になっているということ。最近東京近郊でよく見る二階建てグリーン車と似た構造だ。従って室内に階段はない。検札が済んだところで部屋に鍵をかけ、着替えてくつろぐ。だけどこの状態だと外から丸見えのはずである。

サンライズのシングルは窓が幅広く、上下もそれなりに高い。非常に見晴らしがいい。しかし窓から外を見るためには、ベッドに座り込んで窓にもたれるしかない。長時間はつらい。いずれにせよ、外が真っ暗でとても景色なんて見れたものではない。窓ガラスがまるで鏡のようである。このままではせっかくの景色が宝の持ち腐れなので、室内の電灯を消してみる。これで外の景色が比較的よく見えるようになったが、そこまでしても外は真っ暗。なんだかんだ言って、日本の地方ってこんなもんだよなあ。やがて米子着。そういや、米子の少し手前に転車台があったけど、あれは生きてるのかなあ。すれ違いざまに見たかぎりでは、扇形車庫はからっぽ。使われていないようだ。米子でけっこう乗客が乗り込んでくる。松江で乗ったときには1両に5人くらいしか乗ってなかったから心配してたんだが。このあたりで6分遅れ。米子を出て少ししたところで日野川を鉄橋でわたる。ちょうど向かい側の下り線をEF64が牽引する貨物列車が走っていった。それほど長い編成ではないが、少なくとも連結されていたコンテナ車はほぼ満車。喜ばしいことだ。伯耆大山から右に曲がって伯備線に入る。伯備線はもちろん初めてだ。なんとなくだが、山陰本線と比べてスピードが落ちたような気がする。これまでにもまして窓の外は暗くなってきて、かなり目をこらしても景色が見づらい。しかし、かすかに目にとまった景色は、山あり渓谷ありとかなりバラエティに富んでいるようだ。やっぱり昼間に景色を見ながら通りたいなあ。やがて目に入った山中の小駅は果たしてどのあたりかと時刻表を見ると、島根県最後の駅であった。そこで改めて前方を見るとやがてトンネルに突入し、抜けたところは岡山県だ。備中神代では芸備線用と見られるディーゼルカーを見かけ、次の布原駅では下りやくもとすれ違う。このへんはSL時代の有名な撮影地で、夜に車中から見ても険しい地形が見てとれる。新見に到着したころには10分ほど遅れていた。この後はほぼ10分の遅れを保ったまま備中高梁を通過して倉敷から山陽本線に入り、岡山到着。岡山でサンライズ瀬戸と併結され、東京に向けて走り出したのもやはり10分遅れだった。その後上郡、姫路、三宮と停まっていく頃には日付が変わる。明日は東京着7時過ぎということなので、1時前には床につく。そうそう、個室内には「シェーバー専用」と注記のあるコンセントが装備されていたので、シェーバーじゃないけどデジカメを充電しておいた。寝る直前に室内の写真を何葉か。

いったん5時頃に目が覚めたがその後また二度寝して6時過ぎ、横浜到着前に放送で起こされる。外はもう明るい。片づけなどしてるうちに横浜に到着。夜中に遅れを取り戻したらしく、定時だった。しかし誰かが非常装置をいたずらしたとのことで発車は1分遅れた。東京到着もそのまま1分遅れ。荷物をかかえて通路に出ると、スーツ姿のビジネスマンがけっこう乗っていた。意外に使われているのかなあ。確かに、米子あたりを午後8時に出て、東京に朝7時には着けるのだから使いようによっては便利だろう。個室というのもあるだろうけど、やっぱり寝台列車も工夫次第でそれなりに需要は喚起できるのだよ。
Pb010057





昨日から今日の旅程:
松江しんじ湖温泉(1031)→川跡(1119) 一畑電車312
川跡(1120)→出雲大社前(1131) 一畑電車14
出雲大社前(1455)→川跡(1506) 一畑電車19
川跡(1511)→電鉄出雲市(1518) 一畑電車320
出雲市(1530)→松江(1608) 3454D
松江(1931)→東京(0708) 4032M~5032M

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コメント

いま、薮田絃一郎著「ヤマト王権の誕生」が密かなブームになっていますが、それによると大和にヤマト王権が出来た当初は鉄器をもった出雲族により興されたとの説になっています。
 そうすると、がぜんあの有名な山陰島根の青銅器時代がおわり日本海側に四隅突出墳丘墓が作られ鉄器の製造が行われたあたりに感心が行きます。当時は、西谷と安来-妻木晩田の2大勢力が形成され、そのどちらかがヤマト王権となったと考えられるのですがどちらなんだろうと思ったりもします。

投稿: 中海雲伯 | 2008年10月22日 (水) 20時45分

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