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2008年1月31日 (木)

パキスタンとネパール

去年の年末のことだが、パキスタンのブット元首相が暗殺された。
ほぼ同じタイミングで、ネパールで王制の廃止がほぼ確定したという。
南アジアで大きなニュースが続いたわけだ。関連があるわけではないが、まとめて論評してみよう。

パキスタンのムシャラフ大統領は、正直いってブット元首相を入国させたくなかっただろう。帰国を許可したのはひとえにアメリカの圧力による。アメリカにとってパキスタンはアフガニスタンへの足がかりとして死活的に重要な国になっているが、逆に言えばパキスタンはアメリカの支持によって支えられているということになる。アメリカの要求は無碍に断れない立場にあるのだ。
つまり、ムシャラフ大統領にしてみればブット元首相の入国は認めざるを得ない。認めたからには安全を確保しなければならない。彼女の身に危害が及んだとき、アメリカの態度が厳しくなることは間違いない。ムシャラフにとってそれは最も避けなくてはいけないことだ。
ブット元首相を入国させておいて殺す、というのはムシャラフにとって最悪の下策でしかない。もしこの殺害がムシャラフの指示によるものだと明らかになったら、アメリカから見れば裏切り行為である。一気に支持を失ってしまうだろう。
考えられるのは、ムシャラフの統制が及ばない跳ね上がりの反米主義者の犯行、ということだろう。ムシャラフはなんとしてでも犯人を捜し出して自らの無実をアメリカに向かって証明しなくてはいけない。

2001年6月のことだが、ネパールで当時の国王を含む多数の王族が皇太子に射殺され、皇太子も自殺するという衝撃的な事件が起きた。殺害されたビレンドラ国王は国民の信望も厚く、皇太子ディペンドラ王子も将来を期待されていた。突然生まれた王室上部の空白によって国王の椅子を得たのは国王の弟ギャネンドラだった。現国王である。その当時からこの事件はギャネンドラの陰謀ではないかという風評は絶えなかった。
そういう事情もあってギャネンドラ国王の評判ははじめからあまり良くなかった。おまけにギャネンドラは棚ぼたのように手に入れた王位を乱用し始めた。議会を停止し、憲法を停止し、内閣を解散して国王独裁制を布いた。表向きの理由はマオイストなどの反政府勢力に対抗するためということだったが、結局はより幅広い反政府運動を引き起こすことになった。ついにギャネンドラ国王は自力での政権安定化を断念、議会を復活させて政権を委ねることになった。その最終的な帰結が、議会による王制廃止合意である。
2001年6月の事件からは、結局誰も得することがなかったということか。

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