値下がり保存の法則
宇宙開発ジャーナリスト(なんてジャンルがあるのか知らないが)である松浦晋也さんが blog L/D でこんなことを書いている。基本的に同感。基本的に、というのはそこまで食べ物に対する情熱がないのだ。
一般的な話をするなら、(ガソリンも含めて)物価が下がっていくのをただ単純に喜ぶほど三十一は単純ではない。値下げの裏には、何かが削られている。材料なのか手間なのか差分の利益なのか、何であるにしろそれは周り回って三十一にどう影響してくるのか。値下げはトータルとして三十一に利益になっているのか。
物理学の根本法則である「エネルギー保存則」と同じように、この「値下げ」は経済システムという「閉じた系」の中で誰かの負担になっていく。それが自分でないと言える自信は三十一にはない。
マスコミは「消費者」を振りかざすが、実は「消費者」の大半は同時に「労働者」である。誰かの「消費」によって収入を得ている。「消費者」がお金を使ってくれなければ自分が困るのだ。肝心なのは、物価がただ下がることではなく、物価と収入のバランスがとれることだ。物価が下がっても収入がそれ以上に下がったり、収入が上がっても物価がもっと高くなったりすれば当然苦しくなる。過度な競争は企業の余裕をなくし、労働者兼消費者の収入を減らす方に働きかねない。まして、値下げ競争の末に弱者が淘汰されて寡占が進めば、その後に訪れるのは値上げである。値下げ競争が始まる前より高くなっても不思議ではない。そういう危険性を認識した上で値下げをあおっているのかねえ。
良いものにはそれなりの対価を支払うべきだ。そして払う側は見かけの値段ではなく、値段と品質のバランスを考えて買い物をするべきだろう。供給側も値下げ競争ではなく品質を売りにするべきだ。もっとも、実体のないブランドに無意味な高値がつくのも逆の意味で消費者に品質を見抜く力がないことを表しているが。
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