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2008年4月21日 (月)

「Soviet and Russian Lunar Exploration」

この本を Amazon で予約注文したのは2005年1月のことだった。はじめは「Race to the Moon」というタイトルで、その年の5月頃に発売が予定されていたと思う。ところが発売は延びに延びて、タイトルまで変わってようやく刊行されたのは2007年の1月だった。来たときにちょっとだけ読んだけど、待ちくたびれたせいか、ようやく手に入って安心したせいか、それとも当初とタイトルが変わってちょっとアテが外れた気がしたのか、本格的に読み始めたのはそれから1年以上経った先月半ば。きっかけは、たまたま発掘発見したこの本が圧力に負けて歪んでいたのに気づき、このままだと読まないうちに本が壊れてしまうという危機感を抱いたことだ。そんなことないと言い切れないところが辛い。

Soyuz」「The Rocket Men」と合わせたソビエト/ロシア宇宙開発3部作(と三十一が勝手に称しているだけ)。ソ連の月探査については、「Soyuz」の中で、現用ソユーズ有人宇宙船の開発過程に絡むエピソードとして少し触れられていたが、一冊まるまる読み終えてみると実に面白かった。
ふりかえってみれば、三十一が宇宙に興味を抱き始めたころはちょうどアポロ計画が終了し、スカイラブとかアポロ・ソユーズ・テスト・プロジェクトなどが細々と行われていたがスペースシャトルの飛行まではまだしばらく時間があるというような端境期で、むしろパイオニアなどのような無人外惑星探査が世をにぎわせていたころだった。鉄のカーテンの向こうのソ連宇宙開発についてはわずかな公式発表しか日本には伝わって来ず、サリュート宇宙ステーションもまだ開発途上で後のサリュート7号、ミール、国際宇宙ステーションのような常時滞在など夢のような話だった。実はあの頃、まだ密かに月探査計画が進行中であったと考えると感慨深い。当時はまったくそんなふうには見えなかったのだが。

人工衛星の打ち上げ、有人衛星の打ち上げ、月裏面の写真撮影、宇宙遊泳などでアメリカをリードしていたソ連が、なぜ月探査ではアメリカに負けたのか。このテーマは非常に興味深く、簡単に答えの出るものではない。だが、以前のように「N-1ロケットの失敗が致命的だった。しょせんソ連にはアメリカと競争できるような技術力はなかったのだ」という単純な見方はもはやできない。N-1ロケットは確かにまともに打ち上げが成功したことは一度もなかったが、打ち上げ実験のたびに問題は着実に修正されていった。数年のうちには安定した性能を得られただろうというのが、著者が紹介する現在の評価である。アポロの司令船/機械船にあたるLOKはソユーズ宇宙船と同様の構造で信頼性は高いし、月着陸船にあたるLKも数度の軌道上の試験を含めて実用性は確立されていた。そこまで準備を進めてきた月探査がなぜ最終的に打ち切られることになったのか。著者はそれをソ連の宇宙開発に対する構造的な欠陥にあると推測する。初期の開発では有効に作用した、各設計局が独自の計画を立案し、政府と党に提案して実行するという方法は、国の総力をあげて取り組まなければいけない月有人探査においてはマイナスに働いた。ただでさえライバルであるアメリカより国力で劣っているのに、月有人周回帰還と月着陸をまったく別のシステム(ロケット/宇宙船)を使って別々の設計局が実行していた。また政府/党にも月探査を主体的に行う意志がなかった。各設計局からの提案を審査し、許可(あるいは拒否)していただけだ。すでにコロリョフ亡き当時、各設計局がバラバラに実行していたこのような計画をまとめることのできる人間はいなかった。コロリョフの後継者ミーシンには前任者ほどの意志の強さはなかったし、ミーシンにとって代わったグルシュコはむしろ、コロリョフ路線の否定に走った。こうしてソ連の月探査計画は完全に死んだ。

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