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2008年6月25日 (水)

そこにわたしはいません

6月末は上半期の終わりでぼつぼつと異動の話が飛び交っている。あ、自衛隊の話じゃないですよ。三十一の周りの話ね。

異動となるとお定まりの送別会や歓迎会が開かれることになる。残念ながら三十一は送別の対象になっていないのだが、運良く送別の対象になれたと仮定して、送別会なるものを催してほしいかというとあまりそう思わない。実際自分が送別会に送別する側として参加したときに、送別される人を見てそれを自分に置き換えて考えてみるとそれだけでいたたまれない気分になる。花束贈呈、色紙贈呈、記念品贈呈、そして挨拶。ああ虫酸が走る。

以前にも三十一は「記念品贈呈はやめよう」と提案したことがあるのだが受け入れられなかった。せめて自分が送られるときにはこの手の贈呈は断固謝絶しようとかたくかたく決心し、現在に至っている。

同じことが死んだときにも言える。もちろん当分の間死ぬつもりはないが、秋葉原であのような事件がおきるとその可能性だけは考えておかねばなるまい。

ちょっと話がずれるようだが「千の風にのって」という無闇に有名な歌がありますな。あの出だし部分「わたしのお墓の前で泣かないでください/そこにわたしはいません」という個所を最初に聞いたときの三十一の感想はというと、

「へえ、この人はそれでも墓を建てる気はあるんだ」

というものだった。
「そこにわたしはいません」というんだったら、なんでわざわざ墓なんか建てるんだろう、無駄じゃないかと思ったのである。だから三十一にとってこの歌は「言行不一致の歌」でしかない。意外に定着してしまっているようで三十一にとっては予想外のことだった。

そんなわけで、三十一は自分の墓の心配をするなんて贅沢な悩みからは無縁だ。「はかない人生」大いに結構。葬儀も供花も読経も焼香も戒名もいっさい無用。さすがに法律で規定されている火葬はしないわけにいかないので、焼くだけは焼いてください。骨もそこらにうっちゃってもいいくらいだが、これも法律で禁じられているので海にでも流してくださいな。当人がまったく必要性を感じないものに手間暇かけるのは周囲の自己満足に過ぎない。他人の自己満足の材料にされるのはまっぴらごめんである。

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