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2008年8月18日 (月)

困ったときの

会社の同僚から「今度お祓いに行きませんか」というメールが来た。
課のみんなに出してるんだけど。

その日、三十一は仕事の都合で行けない。ので、そのむね返信しておいたのだが、ついでに一言書き加えておいた。

「そもそも私は無神論者だし」

余計な一言だったかなあと思わなくもないけど、しかし仮にもコンピューターで飯を喰っていながら神頼みというのは三十一には非常に違和感があり、この「お祓い」という発想には正直なところ意表をつかれた。

寺とか神社に行かないというわけではない、去年には出雲大社にも行った。しかし拝まないのだ。信じてもいないものに対して拝むのは偽善だし欺瞞でしかない。

他国ならともかく日本では、無神論者というのは平均以上に宗教に関心がある者だと思う。平均的な日本人はそもそも宗教とか神なんてことを考えもしない。多少なりとも考えた結果が無神論なのだ。もっとも三十一は正確には無神論というより不可知論に近い。人間では認識し得ない形而上の存在があってもよい。それは神と呼ばれる存在かもしれない。しかし認識し得ないものを考えても仕方ない。不毛だ。だからないものと考えるのが実際的だ。そう割り切ると非常に樂だ。しかし、無神論者として生きるのは意外に難しい。

ちょっと話がずれるようだが、先のメールで「お祓い」に出かける先として挙げられていたのが川崎大師だ。だがちょっと待てよ。川崎大師は寺だよね。「大師」というくらいだから真言宗だろう。「寺」で「お祓い」? 「お祓い」とは言わなかったかな、「ご祈祷」だったかもしれない。だけど本来の仏教とこういう祈祷、あるいはお祓いという行為は相容れないもののはずなのだがなあ。

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