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2008年9月29日 (月)

離れたい人、別れたいもの

この週末最大の話題といえば、中国の神舟7号が打ち上げられ、飛行士のひとりが船外活動(要するに宇宙遊泳)を行なったこと。

China accomplishes its first spacewalk (spaceflightnow.com)

以前から「次の神舟は船外活動だ」と言われていたから、予想通りの展開でそれほどの新味がなかった。ま、そんな情報が流れていなかったとしても、そう遠くない将来に中国が船外活動を行なうであろうことは推測できるけどね。ハイハイをし始めた赤ん坊が次にはつかまり立ちをするように、誰もが一度は通る道だ。
肝心の宇宙服だが、実際の映像を見て「ロシアのオルランにそっくりだなあ」と思った。背中にまるで冷蔵庫の扉のような大きな出入り口があるのはオルラン宇宙服の特徴である。アメリカの船外活動用宇宙服は上下セパレートになっていて、下をはいてから上をかぶり、ベルトのところで密閉している。アメリカのほうが動きの自由度は高そうだが、ソ連の宇宙服は実用性で高い評価を得ている。

解説に出てきた的川先生も言っていたが、今回はまず船外活動を"行なう"こと自体を目的としていたのだろう、神舟カプセルから大きく離れるようなことはなかった。もちろん第一の目的は宇宙服それ自体の動作確認だから、今回はこれでいいのだ。
今後の目標は、船外で実際に作業をすること、それからランデブーとドッキングだろう。これらのテクニックはアメリカが40年以上前のジェミニで習得したものだ。

そしてもうひとつ、三十一がむしろ神舟よりも注目したニュースがこれ。

Russians believes cause of recent Soyuz problems found (spaceflightnow.com)

最近2度のソユーズカプセルの帰還で、降下モジュールと軌道モジュールがうまく分離できず、大事にはいたらなかったものの揚力突入ではなく弾道突入になってしまう(つまり、再突入時のGが大きくなる)という不具合が発生した。
シャトルの退役が目前に控えている現在、国際宇宙ステーション(ISS)への往還にはソユーズ宇宙船が主役にならざるを得ない。そのソユーズの信頼性がゆらぐとなると今後のISSの利用にも影響しかねない。地味に重要な問題だと思っていたのだが、その原因が判明したというのだ。
それによると、ソユーズ宇宙船のコンポーネント間で電位差のためにアーク(放電)が起こり、そのために爆発ボルトがうまく動作しなかったらしい。そして、この原因となった電位差をもたらしたのは、最近ISSに取り付けられた太陽電池パネルだというのだ。
記事の内容を完全に理解し切れているかどうか自信がないのだが、それでも非常に興味深い記事だった。宇宙空間という環境では、地上では想像もできない現象がおこるもんだねえ。

ともかくこれで、ソユーズも信頼性を取り戻すことになるだろう。喜ばしいことだ。

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2008年9月28日 (日)

「ヒットラーと鉄十字の鷲」

久しぶりの「読み捨てられた本」。実は20冊くらいバックログがたまってしまっていてどうにかしなきゃと思ってはいるのだが、とりあえず一番最近読み終えた本から。

副題に「ドイツ空軍戦記」とあるのだけど、どちらかと言えば「ドイツ空軍人物絵巻」とでも言ったほうがいいような。ゲーリングからグライムまで、主要なドイツ空軍指揮官、参謀の人物を中心に第二次大戦のドイツ空軍を語ったものという感じが強い。

"ルフトヴァッフェ" Luftwaffe という言葉は、ミリタリーな人にはある種の説明不能な感覚を呼び起こすものだが、この本を見ると実はそんな大したものではなかったのかもしれないと思わせる。この著者(アメリカ人だ)は、ドイツ空軍に戦略爆撃思想がなかったことを重大な欠点としてくり返し指摘しているけど、そもそも米英と同レベルの戦略爆撃部隊を作り上げるだけの国力があったんでしょうか。1944年のドイツの軍用機生産は約4万機、これに対しアメリカは10万機。4発機も含めた数だから、実質生産能力は3倍以上でしょう(よく3倍でおさまったと思うくらい)。戦闘機なんかの損耗を補充するので精一杯だったんじゃないかなあ。そりゃあ、できればよかったかもしれないけど無い袖は振れない。無限の国力を誇るアメリカの感覚で言われても困る。

ま、内容自体はけっこう面白かった。

ところが、著者の問題なのか訳者の問題なのか、細かいミスがけっこう目についた。たとえばドイツ空軍でもっとも規模が大きい部隊 Luftflotte だが、これをだいたいは「航空艦隊」と呼んでいる(一般的な訳語である)けれど、ときどき唐突に「航空軍」という組織名称が登場する。どうもこれは同じものをさしているらしい。意訳ならそれでもいいんだけど、同じ内容を同じ本の中で違った表現をしてるのはダメだろう。
それから、Sperrle を「シュペール」と訳すのはまあ許す(「シュペルレ」が一般的)としても、グデーリアンを「元帥」としてるのは明らかな間違い。リスト元帥を「ヴィルヘルム・"フォン"・リスト」としている誤りもある。「ヴィルヘルム・リスト」が正しい。貴族じゃありません。これはひょっとしたら原著者の間違いかもしれない。

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2008年9月24日 (水)

祖父孫から親子、そして祖父孫へ

麻生太郎がようやく政権を握った。麻生の祖父が吉田茂だというのはよくしられている。考えてみれば福田康夫の父は福田赳夫で親子で首相をつとめ、その前の安倍晋三の祖父は岸信介である。近い血縁に総理大臣経験者がいないと日本の総理大臣というのはつとまらないのかね。ちなみに小泉純一郎は三代続いた代議士の家系。

さて組閣だが、留任新任が入り交じって「新鮮」というほどでもないし「堅実」ともいいきれない。まあさすがに改造後2か月にも満たない組閣でそうそう首ばかりすげ替えてもいられないという配慮が働いたのかもしれないが。

三十一が「へえ」と思ったのは、谷垣が抜けたこと。国土交通大臣の職を退いた一方で、党四役は幹事長以外留任だから入る場所がない。ヒラ総務にでもなれればいいところだろう。確かに今回の総裁選で谷垣の存在感はなかった。これが次なる飛躍のための雌伏となるか、それとも凋落の一里塚となるか。

そして問題の防衛大臣である。また替わりましたか。新大臣の浜田靖一は防衛政務次官や防衛副長官を歴任しているので、防衛畑と言えるかもしれない。今回が初入閣で、父の果たせなかった入閣を果たしたことになる。
それにしても、昨年1月の防衛省昇格以来、1年9か月で防衛大臣は6人目ですよ(久間章生・小池百合子・高村正彦・石破茂・林芳正・浜田靖一)。小池が2か月、高村が1か月、林が2か月。一番長い石破が10か月。久間は防衛庁長官から通算すると9か月になるけど。こんなにアタマがころころ変わる有様で「防衛省改革」なんてできるんかねえ。官僚が政治家のいうことをまともに聞く気になれないのも無理はなかろう。

ついでに言うならば、巷間近いうちの解散総選挙が確実視されている。予算審議に与える影響を考えるならば、どんなに遅くても年内だろう。麻生としては新政権に対する期待感が高いうちに選挙にうって出たいところだ。紛糾する国会審議を長々と国民に見せてしまっては、その期待感もしぼんでしまう。そうならないうちに総選挙に挑み、ここで勝利すれば「最新の民意」というこれまで野党勢が使ってきた論法を逆手につかって強気の国会運営に乗り出せる("ねじれ"は解消し得ないにしても)。総選挙が行われれば、結果がどうなろうとまた組閣だ。下手したら2年で7人ですぜ。

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2008年9月17日 (水)

"いなほ"から「コロネット」へ

旅行最終日、特急"いなほ"で窓の外を眺めていたときに展開された三十一の思考の流れを再現してみよう。三十一がぼうっとしてるように見えたときはたいていこんなことを考えているのだ。ひとつの典型と言えるだろう。

1. 窓の外に海が見える。海岸線には漁港、その陸側には道路とちょっとした厚みの集落。線路は海岸段丘の高台を走っている。仕事をやめたらこういうところに住むのもいいかもしれない(最近、何かというとこういうことを考えている三十一であった)。

2. 住むなら線路脇の高台の家だなあ。海にあまり近いところは嵐になったら直撃だ。

3. 日本海岸の海沿いってことは、某国の拉致が心配だ。

4. でも高台なら海岸からそこそこ離れてるからそんなに心配しなくていいかなあ。家の中まで押し入ってくるのはリスキーだろうし。海岸でヒットエンドランが主体になるだろうし。

5. それよりも、ちゃんとした軍隊が上陸作戦をはじめたときにはまともに戦場になっちゃうだろうなあ。

6. そういえば、今住んでいるところは大丈夫かな。

7. 海からは離れてるから上陸作戦にまともにさらされることはないだろう。

8. 国道(水戸街道)沿いだから、敵軍が進軍してきたときにはヤバいかもしれない。

9. 水戸街道を敵軍が東京に向かって進軍するとなると、上陸地点は鹿島灘あたりかな。

10. でも鹿島灘は後背地に北浦と霞ヶ浦があって、大部隊の上陸にはむかないなあ。

11. そうやって考えると、大戦末期の関東侵攻作戦でアメリカが九十九里浜と相模湾を上陸地点に選んだのは合理的なのだな。

12. 日本側も同じ推測をしていたということだけど、要するに他に選択の余地がないわけだ。

13. 上陸地点が2個所ということは、必然的に片方が主攻でもう片方が助攻になる。

14. 外海に直接面した九十九里浜より、やや入り込んだ相模湾のほうが主攻になるだろう。

15. 相模湾から東京に向かうためには、多摩川を越えなきゃいけないわけだけど、九十九里浜からでも江戸川があるのでそういう点ではあまり条件は変わらない。

16. 海岸段丘があるけど、それはノルマンディーでも同じなので織り込み済みと考えればいいだろう。

17. そういや、この作戦の米軍の作戦名って何だっけ。「オリンピック」か「コロネット」だったことは間違いないけど。

18. 確か九州上陸作戦が「オリンピック」で、関東上陸作戦が「コロネット」だったよね。

この後、三十一の思考は「オリンピック」から現在誘致中の東京オリンピックへと流れていくのであったが、きりがないのでこのあたりにしておこう。

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2008年9月16日 (火)

よいこは家に帰りましょう

三連休パスは当然ながら三連休しか使えない。

昨日のうちに帰宅していたのだが、洗濯したりメールを確認したりと細々した用事を済ませているうちに億劫になってそのまま寝てしまった。ので一日遅れで更新。

前夜ホテルでいくつか計画を考えたが、三十一は基本的に自身の体力を信用していない。計画のなかで一番楽で一番早く帰宅できる案を選択することにした。それでも起床は6時前、6時半過ぎには列車に乗っていなくてはいけない。駅の目の前のホテルだからできることだ。ところが、幸か不幸か、ベッドが合わなかったらしくほとんど寝付けなかった。5時過ぎにはもう寝ていられなくなって起き出してしまう。ふかふかのベッドでは安眠できない三十一は貧乏性。

チェックアウトしてホテルを出るとさすがに少し肌寒い。20度は切ってるだろうなあ。上着がいるほどじゃあないけど。恒例の駅名をデジカメにおさめ、ちょっと早いがホームに下りる。少し離れたホームには弘南鉄道の電車が停車していた。弘南鉄道にも乗りたかったけど、今回は時間がなかったなあ。もっとも車両は東急あたりのお下がりらしい。逆光にもめげず弘南鉄道の写真をとっていると、中線に上り貨物列車が入ってきた。あ、EH500だね。もちろん写真をとる。実はこのとき気づいていなかった。前日の東北線筋でさんざん見ていたから麻痺していたのかもしれないが、もともとEH500は北海道と関東を結ぶ貨物列車牽引のために造られた。最近では九州山陽にも進出しているが、青森の隣町とは言え日本海縦貫筋の貨物列車を牽引しているという話は聞いていない。そういう意味ではこれは非常に珍しい光景のはずなのだが、そのとき三十一はそんなことは思いもつかず適当に写真をとったあとはこれから乗るべき列車が来るのを待っていた。

弘前駅のEH500
P9150006

しばらくあと列車に乗っている最中、EF510などを目撃したときにふと「そういえばさっきEH500がいなかったっけ?」と気づいたのだ。あとで調べてみると今年春のダイヤ改正以降、弘前まで足を伸ばすことになったそうだ。

さて三十一が乗り込んだのは485系3000番台の新潟行き"いなほ"。海側になる進行方向右の窓際に席を占める。意外に混んでいてそれほど選択の余地は大きくなかった。485系3000番台は、外見内装とも大幅にリニューアルされていて座席も新しくなっている。綺麗になったことは確かなんだけど、でもそこかしこに漂うくたびれ感は否定しきれない。その原因の少なくとも一部はこの香りのせいかもしれないが。どうもトイレの臭気が客席に流れてきているようだ。

ここから大館までは前日も通った道。真ん前が見えないからそう感じるのかもしれないが、昨日のE701系のほうがきびきびした走りをしてたように思う。ギヤ比が低いからしょうがないけどね。矢立峠を越え、秋田県に入ると気になることがある。前日見失った下り線の行方だ。陣場を過ぎたところで下り線がおもむろに右側にわかれはじめた。みるみるうちに離れて、向かいの山の中に消えてしまった。上り勾配になる下り線を遠回りさせて傾斜をゆるくしようというんだろう。しばらくの間あたかも単線であるかのような状態が続くが、わかれたときと同じように右の山の中から線路が現れてきて合流する。線路の脇にはすらりと高くそびえる針葉樹が文字通り林立している。これが有名な秋田杉ってやつかな。

昨日も来た大館。向かい側にはほこりまみれのEF81に牽かれた"日本海"が入ってきた。花輪線の下をくぐって東能代方面にむかうこの路線は実質的に昼間乗るのは初めての区間。東能代は鉄道の要衝だが能代川河口付近に広がる能代の市街地からは少し離れていて周囲はさびしい。このあたりから車窓には刈り入れ間近の水田が目立つようになってきた。右手に水平線まで続く田んぼが見えてくる。八郎潟だ。その向こうにアクセントのように盛り上がる山は寒風山かな。前々日に貨物列車とすれ違った停車場を通過する。やはり信号場で駅ではなかった。追分で男鹿線と合流し、やがて秋田。ここで乗客のかなりの部分が入れ替わった。

羽越本線に入る。三十一が羽越本線に初めて乗ったは去年のことで、そのときに一度に全線走破してしまったのが、その列車というのがトワイライトエクスプレスで秋田を過ぎたあたりで寝てしまって起きたのは柏崎の手前であったからほぼすべての区間を寝ていたことになる。どうせ起きていたとしても景色なんて見えなかっただろうけどね。
雄物川をわたるとやがて海岸線に出る。かつて東大のロケット実験が行われていた道川を通過、しかし羽後本荘のあたりではかなりの区間内陸を走る。羽後本荘ではかつての矢島線、現在の由利高原鉄道がわかれていくはずだが、方向が反対とあってよく見えなかった。羽越本線は右手が海、左手が陸なので景色がいいのは右側なのだが人工物はほとんど左側だ。そちらは今回諦めるしかないなあ。鳥海山も左手に見えているはずだが三十一が座っている席からはまったく見えない。仁賀保、象潟あたりは鳥海山と日本海にはさまれた狭い地域に線路と道路と集落がかたまっている。水平線上にわずかに盛り上がった平らな島は飛島だろう。女鹿で対向列車と待ち合わせのために一時停止。行き違い設備があるのだからもともとの停車場であったことは間違いないだろうが、ホームや駅舎は明らかに臨時乗降場のそれ。古くからの駅であったとは思えない。思うに信号場にホームと駅舎を追加して比較的最近駅にしたのだろう。

庄内平野に入ると、海から離れる。酒田、余目、鶴岡と停車して乗客を飲み込んでいく。やはりこの"いなほ"の主な需要はこの庄内地区と新潟を行き来する乗客らしい。自由席に空席はなくなり、立客も出始めた。そしてこれから村上までの60キロほど、山形新潟の県境は延々と海沿いを行く。北半分では国道7号線と並行しているが、南半分では7号線は内陸に入ってしまって、並行して走るのは300番台の国道だ。このあたり、そびえ立つ岩盤が海に突き出していて、その狭間に集落と漁港があるという構造になっている。いまではその岬にトンネルが掘られて舗装された道路が通っているが、岬を回る道路も峠を越える道路も見あたらない。というか想像もできない。となりの集落との連絡はどうしていたのだろう。海が穏やかならば舟を出せばいいことだが、海が荒れればまったく孤立してしまうに違いない。道路輸送が貧弱な時代、鉄道の開通がこの地域にどれだけのインパクトとどれだけの安心感をあたえたか、想像するにあまりある。この区間が開通したのは大正12年から13年にかけてのことだった。

村上からは新潟平野になるが、その前にひとつイベントがある。村上以北の電化方式は交流2万ボルトだが、村上以南では直流になるのだ。村上~間島間にデッドセクションがあって切り替えが行なわれる。間島駅を出たあたりからもう三十一はそわそわしていた。さすがにトンネルの中では切り替わらないだろう。万一うまく切りかえられなくて動けなくなったらあとが大変だからだ。村上駅の直前、川を渡っている最中に車内のあかりが消えて切り替わったことがわかる。えーと、橋の上ってのも何かあったときに面倒だと思うんだけどなあ。
新発田から新潟に向かうため白新線に入る。今日の行程の中でわずかな初乗車区間のひとつだ。新発田と新潟を結ぶ区間なのに白新線とはこれいかに。新は新発田、では白は? 実は新潟市街地、白山駅である。新潟付近の鉄道路線の動きは複雑怪奇で、新潟駅の場所は何度か変わっている。そういう動きの中で、新発田と白山を結ぶ路線として建設されたのが白新線だけれど、最終的には新潟駅に乗り入れることになった。東新潟駅を通過。旅客ホームはごくこぢんまりとした造りだけど、周囲には貨物のヤードが広がっている。EF510、EF81、EF64、DD51、DE10などが目撃できる。おや、これは珍品。ワム80000有蓋貨車とヨ8000車掌車だ。けっこう綺麗だけどまだ車籍はあるのかなあ。信越本線を乗り越して新潟駅に。路線が複雑なので徐行を始めてから実際に駅につくまでずいぶん時間がかかる。早々に席を立った降車客が通路にあふれている。三十一は逆に列車が止まってから席を立てばいいやくらいに思っているからのんびりしたものだ。弘前から6時間あまりかけて新潟着。腰が痛くなった。

もともと"いなほ"は上野から高崎線・上越線・新潟を経由して羽越本線を北上し秋田まで行く特急として設定された。当初はディーゼル車だった。のちに青森まで延長されたが、上野から終点青森はもちろん当初の終点秋田までも乗り通す乗客はいない。もっと便利な列車があるからだ。東京からであれば主に庄内地区。あるいは秋田青森地区と群馬新潟地区を行き来する旅客をターゲットにしていた。電車化後で上野~青森間を約10時間かけて走っていたのだ。6時間乗るのも辛かったのだから、10時間は厳しい。もっとも、食堂車で気分転換できたのだからむしろそのほうがよかったかもしれない。現在の"いなほ"は新潟で上越新幹線と接続することでかつての"いなほ"の役割を継承している。しかしもうひとつ役割があって、それはかつて大阪と青森を結んでいた"白鳥"の役割のうち、北陸と東北・北海道を結ぶ役割だ。大阪からなら東海道新幹線と上越新幹線を乗り継いだほうが早い。金沢~新潟間の"北越"と接続してその役割を果たしている。ちなみにかつての"白鳥"の所要時間は約14時間。ふう。

新潟で昼食をとり、臨時"とき"の指定席で上野へ。臨時なので比較的すいていたようだ。上越新幹線の新潟~長岡間は初乗車だが、長岡~高崎間はほとんどトンネルで車窓どころではない。これはもう移動手段と割り切ってしまうのが吉。200系更新車の"とき"で2時間強。

実は、今日の行程でもうひとつの計画があった。"いなほ"で新潟に到着したあと、"北越"に乗り換えて直江津まで行き、信越本線で長野に出て長野新幹線で帰京するというものだ。これだとかろうじてその日のうちに帰ってこられる。しかしこれは強行軍が過ぎるということで断念した。"いなほ"で新潟に着くまではこのオプションもまだ可能性を残していたわけだが、実際に新潟に着いたときにはもうそんなことを思いもしなかった。

当日の旅程:
弘前(0637)→新潟(1251) 2008M
新潟(1353)→上野(1558) 8364C
上野(1609)→松戸(1629) 1425M

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2008年9月14日 (日)

振り出しに戻る

昨日の時点では、朝イチの「リゾートしらかみ」で五能線を制覇した上で花輪線経由で盛岡に出て一泊するつもりでいた。ところが「リゾートしらかみ」の指定席がとれなかったのでこの計画はおじゃんになった。

次に考えたプランでは宿泊予定地は青森になった。ところが青森では宿がとれなかったのである。その次の日の行動を考えた上で周辺の都市で宿を探したところ、弘前なら予約できることがわかった。正直悩んだけど、考えてみればこれはこれでひとつのメリットがある。朝ホテルを出て、駅のコインロッカーに荷物を放り込めばあとは身一つで行動できるのだ。これは魅力だ。そして三十一はこの魅力に敗北を喫した。

今日のプラン通りに行動するためには、8時前の列車に乗らなくてはいけない。ところが目が覚めたときには7時をまわっていた。いくら駅前のホテルとは言え、PCを片づけ荷物を片づけ荷造りをしてチェックアウトするには時間が足りない。どうにか荷物をコインロッカーに突っ込み、どうにか目的の列車に滑り込んだ。弘前から大館方面行きの普通列車。E701系に実際に乗車するのは初めてだと思う。運転席を通して前方がよく見える。このあたりは昨夜も通ったけれど、夜で景色がほとんどわからなかった。大館までの間はちょうど秋田青森の県境で、SL時代には三重連が行き来していた難所だったけれど、電化にともなって線形が改良され、この区間のかなりの部分が複線化されている。実際に前面の窓を通して見ると、上下線が離れている個所が多い。こういう個所は単線の旧線に腹付け線増して複線にしたところだろう。東北本線でもよく見るやりかただ。峠を越え、トンネルを出たあたりでふと見ると右側を走っていたはずの下り線が見えなくなっていた。あれ、単線になっちゃったかな、それにしては合流した気配がなかったけどと思っているうちに、ずいぶん離れて走っていた(と思われる)下り線が近寄ってきた。どこに行ってたんだろう。

大館に着く。4分であわただしく乗り換え。花輪線はキハ110系に置き換わっている。水郡線から押し出されてきた車両だ。写真など撮っているあいだにクロスシートにありつけなくなり、ロングシートに座って苦しい姿勢で外を見る。西向きに発車し、奥羽本線から右側にわかれる。つまりこの時点では北西方向に走っているわけで、目的地盛岡とはまったくの反対方向になるわけだ。やがて列車は大きく左に曲がり、奥羽本線を乗り越して南東方向に走り始める。周りは典型的な日本の農村風景だ。やや遠景に折り重なるように山が見え、その手前に田んぼ。線路と道路と集落は、低地の田んぼと山の間のやや高くなった場所を走っている。去年見た我が先祖の地と構造はまったく同じだ。十和田南で進行方向が変わる。ついでにクロスシートに席を移す。このあたりからだんだん勾配がきつくなってくる。鹿角を過ぎるあたりから、すぐ横を流れる川が見下ろすと吸い込まれそうな渓谷になった。そして上空には覆い被さるように高速道路の巨大な橋脚と高架。実はこの花輪線は、ほぼ東北自動車道と並行している。三十一もかつてこの路線をクルマで走った経験があるが、その下を単線非電化の花輪線が走り、さらにその下を渓谷が流れているなどまったく思いもよらなかった。今三十一のはるか頭上をクルマで走る人々も同じだろう。昨日越えた分水嶺を反対方向に超えて、やがて荒屋新町。かつてここには盛岡機関区の支区があって、花輪線を行き交うハチロク(蒸気機関車8620形式)がたむろしていたのだが、今ではまったく面影がない。花輪線はピークの竜ヶ森トンネルに向かってひたすらのぼる。キハ110のエンジンがうなる。SL時代はさぞや大変だったろうと思わせる長い竜ヶ森トンネルを越えると、安比高原。はじめこの駅は「竜ヶ森」という名前だったのが、リゾート開発に便乗して現在の駅名に改称した。しかし「安比高原」より「竜ヶ森」のほうがよほど詩的だと思うのは三十一だけだろうか。「Dragon's Forrest」と「Comparatively cheap」ですぜ。さて「竜ヶ森」を出た列車は、今度は急勾配を転がるように下りていく。33パーミルという急勾配は国鉄路線でも有数だ。ブレーキをきしませて下りきるとそこは岩手山のふもと。右手に岩手山が見えるがあいにく山頂に雲がかかっている。そして再びお馴染みの農村風景。前方に複線電化の架線柱が見えると東北本線、もとへアイジーアールいわて銀河鉄道と合流する好摩だ。昨日の岩沼では合流してから駅だったが、好摩では駅を出てから下り本線を横断して上り本線に入っていく。線路のよいアイジーアールいわて銀河鉄道線(長いなあ)では全開で飛ばしていく。このあたりでも上下線が離れている個所が多い。盛岡に近づくと、アイジーアールいわて銀河鉄道が路線譲受後に新設した駅がいくつか。あからさまに造りが簡素なのですぐわかる。列車はそれらの駅にいちいち停まっていく。右手から昨日見た田沢湖線の高架が近づいてくると盛岡。

盛岡で列車をおりて、好摩~盛岡間のアイジーアールいわて銀河鉄道線(いいかげんにしてくれ)の運賃を精算しようと窓口に並んでいたら改札のお兄さんに指摘される「三連休パスは精算不要ですよ」 へ?
そういや、渡された注意書きをろくすっぽ読まないで置いてきちゃったっけ。しかしこのきっぷでアイジーアールいわて銀河鉄道線に乗られるとなると、ちょっと計画の変更が必要になってくる。そもそも乗れないものとばかり思っていたので、これから新幹線を使って八戸に出る予定にしていたのだ。
人の説明をそのまま鵜呑みにしないのが三十一だ。アイジーアールいわて銀河鉄道の改札を出てむかったのはJRのみどりの窓口。ここに備え付けられている時刻表の説明で確認しようというのだ。おお、あるじゃん。アイジーアールいわて銀河鉄道と青い森鉄道も三連休パスのフリー区間に含まれている。追加料金なしで乗れるなら、もちろん乗ります。盛岡~八戸間の東北新幹線には何度か乗っているが、同じ区間の東北本線(あるいはその後身であるアイジーアールいわて銀河鉄道と青い森鉄道)には、夜間「北斗星」で通っただけで昼間に通ったことがないのだ。30分ほど後に快速八戸行きがあるのでそれに乗ることにする。その間に盛岡で土産にするため「南部せんべい」の発送を頼んだら、おまけだと言ってバラで何枚かもらってしまった。うーむ、正直荷物になるんだが嫌いではないし、どうしよう。八戸につくまでに電車の中で食べてしまうことにする。

八戸行きの快速はJRと同じE701系電車。発車直後はそこそこ混んでいたが、好摩あたりから空いてきたので運転席のすぐ後ろに席を移しかぶりついて見る。ちょっと運転しづらかったかもしれない。感心したのは、信号の確認が早いこと。三十一は前面窓に加えて運転席の後ろのガラスを通して見ているので、運転席よりは間違いなく見づらいはずだがそれでも運転士が指差確認しているのを見ても信号がわからない。やっぱり信号の位置をわかってるんだろうなあ。はたで見るほど運転士という仕事は簡単ではないと痛感。線路がよいのでけっこう飛ばす。ときどきすれ違う電車とは、手振りと汽笛で挨拶をかわしている。それにしても、貨物列車となかなかすれ違わないなあ。運転席のうしろにかぶりついているのは、すれちがう貨物列車を確認するという目的もあるのだ。盛岡駅でちょうど上り貨物列車が停車していたのを見たが、残念ながら牽引機関車は確認できなかった(おそらくEH500だろうけど)。この路線は日本海縦貫線以上に貨物列車が行き交ってるはずなのでかなり期待していたのだけど、どうして三十一がいいポジションを得たときにかぎって。
電車は快速なのでかなりの駅を通過していく。蒸気機関車時代の撮影名所、奥中山峠を駆け抜ける。たぶんここだよね。まもなくアイジーアールいわて銀河鉄道と青い森鉄道の境界である目時駅。実際に見ると何の変哲もない山中の棒線駅でしかない。快速はこの駅をあっさり通過する。八戸に向かって駆け下る列車。対向列車とすれ違う。あれ、さっきまでは手を振って挨拶してたのに、今度は帽子に手をやってお辞儀してるぞ。先輩か何かだったのかな、と思ってハタと気づく。ここは青い森鉄道の路線だ。しかし直通快速の運転士は盛岡からずっと代わっていない。おそらくアイジーアールいわて銀河鉄道の運転士なのだろう。よその会社のテリトリーなので遠慮してるのかな。終点も近づきこのまま貨物列車とすれ違わないまま終わるのかなと思ったころ、八戸のひとつ手前である北高岩でEH500牽引の上りコンテナ貨物列車とすれ違う。なぜかほっとする。ATSのベルが鳴り響いて八戸到着。

八戸では1時間半ほど時間があいた。盛岡では時間がとれなかったので、ここで腹ごしらえしようと思っていたのだが。うーむ、食べるところがない。なんだかあやしいレストランしかないし。ここまで来て得体のしれないレストランになど入りたくない。入るなら間違いのないチェーン店か、この土地でしか食えないものを出す店のどちらかだろう。結局、東京でもおなじみのコーヒー店(スタバではない)でサンドイッチを詰め込む。南部せんべいのおかげでそんなに腹が減っていなかった。

3時過ぎに八戸を出るキハ100が2両の快速に乗車。実はこのとき勘違いをしていたのだが、その話はまた後で。新幹線からの乗り継ぎなのか、けっこう混んでいた。最初の停車駅三沢停車。東の方向にはうっそうとした森が茂っていた。あの向こうかな? あやしげな建物が森の影にちらほらと見える。上昇していく民間機と思われる飛行機も見えた。説明不要な三沢基地だ。滑走路はもちろん、格納庫もレーダーも見えないけど。そのへんアメリカは厳重だなあ。野辺地到着。到着直前、合流してくるであろう大湊線を窓の外にさがす。しかしそれらしきものはまったく見あたらない。そうこうしている間に駅についてしまった。そこで初めて気づいたのだが、大湊線と東北本線の合流方向を勘違いしていたのだ。この勘違いがどう影響するかというと、八戸で乗り込むときに三十一はこの列車の進行方向が野辺地で逆になると思いこんでいた。その前提のもとに座る席を決めたのだ。しかし実際にはこの列車は野辺地からそのまま大湊線に入っていく。大湊線は陸奥湾にそって走る路線で、右か左かで車窓の景色が全然違うのだ。しょうがないので反対側の座席から海を眺めようとするのだが、ちょうど夕方とあって向いに座っている人々はみんなカーテンをひいてしまい、ほとんど外が見えない。いっそデッキに立ってしまったほうがよかったかもしれない。乗客は終点のひとつ手前、下北で大半下りてしまったが、もうあとひと駅だけだし一番景色のよいところは過ぎてしまった。このまま終点大湊まで乗ってしまって帰りに期待することにする。

終点大湊といえば三十一的には海軍と海上自衛隊の町である。下北半島には2度ほどクルマで来たことがある。そのうち1度は大湊総監部の海軍記念館「北洋館」を訪れている。正直あまり面白くなかったけど。しかし列車で来たのは今回が初めてだ。
そのまま10分の折り返しで野辺地に戻る。今度は進行方向右側、つまり海側に席を占める。海岸線に出たころには5時を回っていた。陸奥湾の向こうに見える津軽半島のさらに向こうに太陽が沈みかけている。思いっきり逆光になりしかもガラス越しだが40枚ほどデジカメで写真をとる。何枚かうまく撮れていれば御の字だ。

これがマシなほうかな。
P9140052_2

野辺地につくころにはすっかり暗くなっていた。最初の予定ではE751系のつがるに乗り、一本で弘前まで行くつもりだったが、そのつがるは50分後。この駅で50分つぶすのは辛いと思った三十一は、4分で接続する普通列車でとりあえず青森に向かうことにする。まだ列車に乗ってるほうがマシだ。来たのはE701系。席が微妙にあいていないので立ったまま窓の外を眺める。このあたりは海のそばを走っているはずなのだが、かろうじて海だとわかるくらいの暗さになっている。浅虫温泉までくるとそれも難しくなり、もう外を眺めるのを諦めて立ったまま本を読む。青森に着く。またもや4分の接続で弘前行きの普通列車が案内されていた。一瞬そちらのホームに向かいかけて足をとめる。あれE701系だよなあ。あれに乗ったら今日4本目だ。さすがに飽きたよ。30分後に出るE751系のつがるを待って弘前に向かうことにする。実はさっき野辺地で待とうかと思ってた列車だけどね。

つがるが入ってくる予定のホームの反対の番線に日本海が入っていたので写真を撮る。これにも一度乗ってみたいけど、個室がないなあ。そうこうしているうちにつがるが入ってくる。自由席に座を占める。もう窓の外は真っ暗なのでどの席でも同じだ。それでもいちおう窓際に座る。何気なく座って、しばらくは何の疑問も持たなかったが突然気がついた。八戸からやってきたつがるは青森で方向が変わるのだが、三十一を含めたほぼ全員が駅に入ってきた方向、つまりこれから走り出す方向とは反対方向に向いて座っている。昨日の大曲でのこまちと同じように、この人々は後ろ向きのまま弘前までいくのかな。ちょうどそのころ、反対側にやってきた逆方向のつがるの乗客もみんな逆向きに座ってるから、きっとそうなのだろう。3分ほど遅れて青森を発車したつがるは、やはり3分ほど遅れて弘前に到着。ちょうど12時間かけて元の駅に戻ってきた計算になる。

本日の旅程:
弘前(0754)→大館(0836) 638M
大館(0840)→盛岡(1127) 1928D
盛岡(1210)→八戸(1340) 101M
八戸(1509)→大湊(1644) 3731D
大湊(1654)→野辺地(1754) 736D
野辺地(1758)→青森(1844) 577M
青森(1920)→弘前(1957) 23M

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「ファ○コンウォーズ」が出たぞ

元ネタがわかる人はそれなりのトシ。

ちょうどいまNHKで戦争神経症の特集を流してるけど、海兵隊の訓練を見せてあたかもアメリカ軍全体のやり方のような印象を与えるのはどうかなあ。

海兵隊の新兵訓練について知りたければ「フルメタル・ジャケット」を観よう。

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「あたご」の得点

今朝、豊後水道の領海内で国籍不明の潜水艦が潜航しているのが発見された。

国籍不明の潜水艦が領海侵犯 高知県沖 (asahi.com)

面白いのが(面白がってちゃいけないのだが)、これを見つけたのがあの「あたご」だというところだ。高性能のイージス艦「あたご」であってもその潜水艦探査能力は建造価格が半分以下の汎用護衛艦と変わるものではないのだが、そもそも発見のきっかけが海面上に露出していた潜望鏡を目視で発見したことによるという。漁船との衝突事故の教訓がこういう形で生かされたと言えなくもない。

潜水艦らしき目標を発見したのでソナーで探査に移ったということなのでそれまではソナーを使っていなかったということなのだろう。そりゃまあ、必要もないのに四六時中使ってられないわな。

軍艦には他国領海の無害通航権が保証されているけれど、潜航しての通航は無害通航とは認められない。敵対行為とみなされて攻撃されても文句は言えないのだ。冷戦期に領海に侵入した国籍不明の潜水艦をスウェーデンは警告ののちに攻撃している。

1時間半ほどの追跡で取り逃がしたということだけど、原潜だったのかなあ。中国か北朝鮮あたりの潜水艦ではなかろうか。ロシアという可能性もある。意外と韓国とかだったり。

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2008年9月13日 (土)

寄り道のススメ

ひと月遅れの夏休み。

いつものことだが直前までどこに行くか決まっていなかったのだが、今回はひとつ画期的なことがある。前日に切符を入手したのだ。
意図したわけではないのだが、始まりが三連休に重なったので、JR東日本の三連休パスを使ってみることにした。しかしこの切符は連休の前日までしか発売していないのだ。そこで三十一としては珍しいことに、土曜日から使う切符を半日も前の金曜夜に帰宅途中みどりの窓口に寄って手に入れてきたのだ。

しかし初日のホテルはその当日の朝起きてからネットで探した。三連休の初日にそんな泥縄なことで大丈夫かと思ったが、案の定最初に考えていた秋田のホテルはとれなかった。秋田の周囲で大曲とか東能代とか横手とか大館とかも探してみたけど、宿がとれたのは弘前。こんなことを、列車が駅を出るまで1時間もないときにやってるんだから無計画にもほどがある。

さて三十一が前からやってみたいと思っていたことを、この旅行の最初に達成することにする。松戸に停車する現時点で唯一の特急ひたちに乗って、一気に常磐線を全線踏破しようというのだ。E651系の仙台行きスーパーひたちに乗り込む。さすがに自由席はあいてない。しょうがないのでとりあえずデッキに立ってコンビニで買い込んだ朝食を詰め込むことにするが、この列車で終着仙台まで乗り通すような物好きはいない。絶対に途中で座れると踏んでいた。その通り、水戸でごっそり乗客が降りて席にありつき、日立では窓際に移ることができた。このあたりまでくるとE651系でも130キロ運転はできなくなり、目に見えてスピードが落ちている。福島県に入るころには単線区間が入り交じるようになり、やがて単線ばかりになる。駅を通過するごとにポイントでスピードが落ちる。見ていると今走っている線路の海側に古くは線路が走っていたことがわかる。特にはっきりわかるのは使われなくなったトンネルだ。電化にあたって断面積が足りずにトンネルを掘りなおしたものだろう。いわき付近では、かつてお馴染みだった、しかし近所ではまったく見なくなってしまったE501系が走っているのを目撃し懐かしく嬉しく思う。というほど古い車輌じゃないんだけどね。仙台にちかづくとE701系やE721系が目立つようになる。通過する駅の駅名標に書かれた次駅名に亘理の文字を見て思い出したのは、中学のときの数学担当で部活顧問の教師のことだ。当時我が家のすぐ裏のアパートに住んでいて何度か遊びにいったことがあるが、このあたりの出身だったはず。その後地元に戻ったようなことを風のうわさで聞いたが、計算してみればもう定年近い年になっている。時の流れというのは残酷だなあ。当の亘理駅だが、駅前に城のような土蔵のような大きな建物があってびっくりさせられた。郷土博物館か何からしい。阿武隈川をわたるとまもなく東北本線に合流する岩沼。複線の東北本線の上り線を横切って合流。かつての特急街道もいまや昼間に走る特急はわずかなひたちだけだ。右手に急上昇する旅客機が見えるとやがて仙台空港鉄道の高架線路が右から寄ってきて、上下線の間に割り込んで合流すると名取。ちょうどSAT721系の列車が高架を降りてくるところだった。仙台が近づくと連続立体工事のせいか高架の新しい線路になる。古いテツには郷愁をそそられる駅である長町も近代的な高架駅になってしまっているが、長町を過ぎると複線が複々線になった。川を渡り終えると複線が右手に分かれていく。貨物線健在と知ってうれしくなる。やがて去年にも来た仙台到着。

仙台でいったんおりて、秋田までの新幹線の指定席を手に入れる。空席表示を見たら、13:09に出る季節列車に空きがあるようなのでそれを頼み、首尾良く指定席を確保する。仙台でおりた理由はもうひとつあって、松戸でひたちに乗る前に買うつもりで忘れていた時刻表を買おうと思ったのである。駅のなかをぐるぐる回ってみたが小型時刻表しかみつからない。本当はこれよりもうひとつ大きいサイズの時刻表がほしかったんだが、しょうがない。腹ごしらえもしたいところだけど昼時ということでけっこう混んでいる。30分くらいしか時間がないので諦めた。
そして今日2つめのトピック、E3系のこまち。盛岡までの東北新幹線には何度ものっているのでそれほど感慨はないけれど、仙台を出てまもなく左下方にEH500やED75がたむろしているのが見えた。仙台総合鉄道部かなあ。ノンストップで盛岡に到着し、八戸行きのはやてを置いて、かつて指をくわえながら見ていた田沢湖線にむかう分岐線をおりていく。おお、在来線と合流するところには点灯式の信号機が。新幹線といいつつ実体は標準軌の在来線だという証拠だなあ。しばらくは建物の間を縫って走っていたがだんだん建物が少なくなり畑や田んぼのなかを走るようになる。それもやがて林にかわり、明らかに勾配をのぼりはじめる。眼下には渓流が見える。東北の屋根奥羽山脈を横断しようとしているのだ。このあたりときどき意識を失っていたのだが、トンネルを抜ける気配にふと目覚めると、景色の印象はかわらないのだが眼下の渓流の流れる方向がかわっていた。分水嶺をこえたのだ。大曲で奥羽本線にはいり、進行方向がかわる。しかし終点の秋田までは30分あまり、ほとんど座席の向きを変えることはないと聞いて「へー」と思っていたのだが、実際に車内のほとんどの乗客が何事もないように進行方向に背をむけたままなのを見て興味深かった。秋田着。秋田駅はあいかわらず地平だが駅屋は新しくなっている。

弘前行きの列車まで2時間近くあるので、この間に腹ごしらえをしておく。ついでに東北地方のガイドブックも。普通は出発する前に買うものだろうに。

秋田から弘前に向かう奥羽本線は、いわゆる日本海縦貫線の最終行程だ。北陸に行ったときにも思ったことだが、日本海縦貫線は貨物列車の密度が高い。絶対数から言えば東海道山陽筋や東北本線のほうが多いだろうが、旅客列車も多いので比率としては日本海縦貫線のほうが高いかもしれない。秋田を出てすぐEF510とED75、それにDD51を目撃した。EF510って、運用範囲が秋田までひろがってるんだったっけ・・・まあいいや。DD51は東新潟の車体だろう。土崎には秋田総合車両センター、かつての国鉄土崎工場があり、駅を出ると非電化単線の貨物線が秋田港にむけ分かれていく。ふと気づくと、左側に線路が並行して走っていた。このへん複線だっけ、と思いながらも仮に複線だったとしても左側に見えるのはおかしいと思い直す。首をひねっている間に、その線路の上空に架線がはられていないことに気づき「ああ」と閃いたちょうどそのころ、左にカーブを描いて離れていった。男鹿線だ。左手に八郎潟の周囲の水路が見えてくる。進行方向左側のまどぎわに座っているのほとんど左側しか見えないのだが、窓の外に貨物列車が見えた。すれちがう列車が左に見えるのは一般的ではないが駅の構造によってはないことではない。北海道でもそんなすれちがいかたをしたことがある。ひょっとしたら駅じゃなくて信号場だったかもしれないけど。東能代につくころにはほとんどまわりの景色がみえなくなった。はじめてのる路線なのになあ。

弘前でおりて、みどりの窓口へ直行。明日のきっぷは・・・・売り切れ。第一候補の計画はこれで水泡と帰した。また考えなきゃ。

写真は仙台駅に進入するE3系のこまち77号。ピンが甘いけどご容赦。
P6080157

本日の旅程:
松戸(0820)→仙台(1223) 7M
仙台(1309)→秋田(1540) 5077B/5077M
秋田(1730)→弘前(1929) 2045M

9/14追記

これで終わってしまってはタイトルの意味がわからなくなる。

東京から弘前まで行くときは、鉄道なら東北新幹線で八戸まで行って特急津軽に乗り継ぐのが一般的だろう。これなら最速パターンで5時間くらいだ。そこを常磐線を通り秋田を通りと寄り道をして結局11時間あまりかけてやってきたのだから物好きもいいところだが、たまにはこういう寄り道もアリだろう。いいじゃん、所詮遊びなんだから。

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2008年9月 9日 (火)

英語で読む「あなたとは違うんです」

便乗ネタだが。

 

「あなたとはちがうんです」って、どう英訳します? (間歇日記)

確かに三十一も、different という言葉を使うのには違和感がある。言われてから気づいたってちっとも偉くないけど。三十一が訳すなら、そうね、カンニングのそしりを覚悟の上であえて述べるならば、

  I can see myself objectively, unlike you.

ってとこかなあ。ほとんどロイターそのまんまや。

メールのシグネチャに使ってみようかな。何人が気づくことやら。

I can see myself objectively, unlike you. - by Yasuo Fukuda, resigning Premier of Japan.

まるで何かの警句のようではないか。

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2008年9月 6日 (土)

ブラクラ踏んだかと思いましたよ

Firefox が自動更新されて再起動したあと、NFL の公式サイトの中の各チームのページに飛んだら、ブラウザがクラッシュするようになってしまいました。

困るんだよなあ、早く直してくれないと。

上に貼り付けたリンクは、トップページなので Firefox で開いてもクラッシュしません。でも、同様事例がたくさんあると対応が早くなるかもしれないので、是非みんな踏んでクラッシュレポートを送りつけてやってくださいな。

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2008年の始まり

三十一にとって、一年は9月に始まり2月に終わる。残りの期間は何かというと、年と年のはざまの年末年始の休みのようなものだ。ずいぶん長い休みだけど。

そういう意味で今年の元旦は昨日9月5日(現地時間4日)になる。

今年の開幕試合、ワシントン @ ニューヨークジャイアンツは、三十一にとってあまり興味をそそられる組み合わせではなかった。どちらも三十一にとってあまり好きではないチームだ。ジャイアンツは去年のスーパーをとったチームだけど、好きでないものはしょうがない。それでも、実際に見始めると止まらなくなってしまう。どうしてアメリカンフットボールというスポーツはこうも三十一をひきつけてやまないのだろうか。

わがデンバーの今年の補強はいくつかあるけれど、改めてデプスをながめてみて気づいたのはWRコルバートの加入。一瞬我が目をうたがいましたよ。反対側のレシーバーのマーシャルも成長著しいし、控えにはストークリーもいる。WRは充分と言えるだろう。あとは・・・もう何度も書いたからもういいだろう。

デンバーの開幕戦はマンデーナイトだ。

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2008年9月 2日 (火)

福田退陣

まるでデジャブーのようである。

「既視感」ではなく「既視」だと言えなくもない。

まあしかししょうがないのかなあとも思う。このねじれた国会の現状では、最大野党たる民主党となんらかの交渉もしくは妥協がなくてはものごとは進まない。だが、民主党は参議院選での勝利に浮かれて政権奪取も間近ともくろみ、遮二無二対決姿勢を貫いた。妥協の構えをかいま見せた小沢党首も、党内の突き上げをくらって交渉を引っ込めざるを得なくなった。もうこうなってはまったく交渉の余地はない。なんらかの打開策が必要なのだ。

「解散総選挙こそが打開策だ」という者がいるが、政権党たる自民党にとって解散のメリットはない。与党で3分の2を占めている衆議院を解散して、議席を減らせばもちろん打撃だし、仮に議席が増えたとしても党としてはあまり意味がない。(自民党にとって)根本的な問題は過半数を割った参議院だ。衆議院解散は参議院の現状を変えるものではない。

だがいずれにせよ遠くない未来に総選挙はやってくる。このまま福田が総理として在職していても、何も進まないままずるずると時間だけが過ぎて最悪の状況のまま総選挙に突入するというシナリオだけは避けたい。内閣改造もさして効果をあげられなかった現在、衆議院解散をのぞいてもっともインパクトのある「変化」は内閣の交代だ。

福田総理は、辞任会見の中で「わたしはあなたと違って自分を客観的に見ることができる」と述べていた。それが本当かどうかは本人しかわからないが、ある程度突き放して自分自身を「コマ」として見ることができるのだろう。「自分」をはずすことがこの際ベストとまでいかなくともベターな選択であるということを受け入れ、そして実行できる人間はそれほど多くない。だからこそ一般受けしなかったんだろうなあ。

さて、2008年総理杯の行方やいかに。去年と大して顔ぶれは変わってないけど。

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8月の打ち上げ

8月は4回。うち1回は失敗。

・3日 03:34GMT、クウェゼリン(マーシャル諸島)、ファルコン1、失敗
・14日 20:44GMT、クールー(仏領ギニア)、アリアン5(スーパーバード7・アメリコム21)
・18日 22:43GMT、バイコヌール(カザフスタン/ロシア)、プロトンM(インマルサット)
・29日 7:15GMT、バイコヌール(カザフスタン/ロシア)、ドニエプル(RapidEye ×5)

ファルコン1は、最近多く登場しているベンチャー系の打ち上げロケットだけど、いまだに実績を作れていない。

ICBMを転用したドニエプルで打ち上げられた RapidEye は、要望を受けてから1日以内に衛星軌道からの地上の写真を提供することでタイムリーな対応を可能にする企業向けのサービスだ。農業分野での利用を見込んでいるらしい。

アイデア次第で宇宙の利用法はいくらでもあるということだ。

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