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2008年9月16日 (火)

よいこは家に帰りましょう

三連休パスは当然ながら三連休しか使えない。

昨日のうちに帰宅していたのだが、洗濯したりメールを確認したりと細々した用事を済ませているうちに億劫になってそのまま寝てしまった。ので一日遅れで更新。

前夜ホテルでいくつか計画を考えたが、三十一は基本的に自身の体力を信用していない。計画のなかで一番楽で一番早く帰宅できる案を選択することにした。それでも起床は6時前、6時半過ぎには列車に乗っていなくてはいけない。駅の目の前のホテルだからできることだ。ところが、幸か不幸か、ベッドが合わなかったらしくほとんど寝付けなかった。5時過ぎにはもう寝ていられなくなって起き出してしまう。ふかふかのベッドでは安眠できない三十一は貧乏性。

チェックアウトしてホテルを出るとさすがに少し肌寒い。20度は切ってるだろうなあ。上着がいるほどじゃあないけど。恒例の駅名をデジカメにおさめ、ちょっと早いがホームに下りる。少し離れたホームには弘南鉄道の電車が停車していた。弘南鉄道にも乗りたかったけど、今回は時間がなかったなあ。もっとも車両は東急あたりのお下がりらしい。逆光にもめげず弘南鉄道の写真をとっていると、中線に上り貨物列車が入ってきた。あ、EH500だね。もちろん写真をとる。実はこのとき気づいていなかった。前日の東北線筋でさんざん見ていたから麻痺していたのかもしれないが、もともとEH500は北海道と関東を結ぶ貨物列車牽引のために造られた。最近では九州山陽にも進出しているが、青森の隣町とは言え日本海縦貫筋の貨物列車を牽引しているという話は聞いていない。そういう意味ではこれは非常に珍しい光景のはずなのだが、そのとき三十一はそんなことは思いもつかず適当に写真をとったあとはこれから乗るべき列車が来るのを待っていた。

弘前駅のEH500
P9150006

しばらくあと列車に乗っている最中、EF510などを目撃したときにふと「そういえばさっきEH500がいなかったっけ?」と気づいたのだ。あとで調べてみると今年春のダイヤ改正以降、弘前まで足を伸ばすことになったそうだ。

さて三十一が乗り込んだのは485系3000番台の新潟行き"いなほ"。海側になる進行方向右の窓際に席を占める。意外に混んでいてそれほど選択の余地は大きくなかった。485系3000番台は、外見内装とも大幅にリニューアルされていて座席も新しくなっている。綺麗になったことは確かなんだけど、でもそこかしこに漂うくたびれ感は否定しきれない。その原因の少なくとも一部はこの香りのせいかもしれないが。どうもトイレの臭気が客席に流れてきているようだ。

ここから大館までは前日も通った道。真ん前が見えないからそう感じるのかもしれないが、昨日のE701系のほうがきびきびした走りをしてたように思う。ギヤ比が低いからしょうがないけどね。矢立峠を越え、秋田県に入ると気になることがある。前日見失った下り線の行方だ。陣場を過ぎたところで下り線がおもむろに右側にわかれはじめた。みるみるうちに離れて、向かいの山の中に消えてしまった。上り勾配になる下り線を遠回りさせて傾斜をゆるくしようというんだろう。しばらくの間あたかも単線であるかのような状態が続くが、わかれたときと同じように右の山の中から線路が現れてきて合流する。線路の脇にはすらりと高くそびえる針葉樹が文字通り林立している。これが有名な秋田杉ってやつかな。

昨日も来た大館。向かい側にはほこりまみれのEF81に牽かれた"日本海"が入ってきた。花輪線の下をくぐって東能代方面にむかうこの路線は実質的に昼間乗るのは初めての区間。東能代は鉄道の要衝だが能代川河口付近に広がる能代の市街地からは少し離れていて周囲はさびしい。このあたりから車窓には刈り入れ間近の水田が目立つようになってきた。右手に水平線まで続く田んぼが見えてくる。八郎潟だ。その向こうにアクセントのように盛り上がる山は寒風山かな。前々日に貨物列車とすれ違った停車場を通過する。やはり信号場で駅ではなかった。追分で男鹿線と合流し、やがて秋田。ここで乗客のかなりの部分が入れ替わった。

羽越本線に入る。三十一が羽越本線に初めて乗ったは去年のことで、そのときに一度に全線走破してしまったのが、その列車というのがトワイライトエクスプレスで秋田を過ぎたあたりで寝てしまって起きたのは柏崎の手前であったからほぼすべての区間を寝ていたことになる。どうせ起きていたとしても景色なんて見えなかっただろうけどね。
雄物川をわたるとやがて海岸線に出る。かつて東大のロケット実験が行われていた道川を通過、しかし羽後本荘のあたりではかなりの区間内陸を走る。羽後本荘ではかつての矢島線、現在の由利高原鉄道がわかれていくはずだが、方向が反対とあってよく見えなかった。羽越本線は右手が海、左手が陸なので景色がいいのは右側なのだが人工物はほとんど左側だ。そちらは今回諦めるしかないなあ。鳥海山も左手に見えているはずだが三十一が座っている席からはまったく見えない。仁賀保、象潟あたりは鳥海山と日本海にはさまれた狭い地域に線路と道路と集落がかたまっている。水平線上にわずかに盛り上がった平らな島は飛島だろう。女鹿で対向列車と待ち合わせのために一時停止。行き違い設備があるのだからもともとの停車場であったことは間違いないだろうが、ホームや駅舎は明らかに臨時乗降場のそれ。古くからの駅であったとは思えない。思うに信号場にホームと駅舎を追加して比較的最近駅にしたのだろう。

庄内平野に入ると、海から離れる。酒田、余目、鶴岡と停車して乗客を飲み込んでいく。やはりこの"いなほ"の主な需要はこの庄内地区と新潟を行き来する乗客らしい。自由席に空席はなくなり、立客も出始めた。そしてこれから村上までの60キロほど、山形新潟の県境は延々と海沿いを行く。北半分では国道7号線と並行しているが、南半分では7号線は内陸に入ってしまって、並行して走るのは300番台の国道だ。このあたり、そびえ立つ岩盤が海に突き出していて、その狭間に集落と漁港があるという構造になっている。いまではその岬にトンネルが掘られて舗装された道路が通っているが、岬を回る道路も峠を越える道路も見あたらない。というか想像もできない。となりの集落との連絡はどうしていたのだろう。海が穏やかならば舟を出せばいいことだが、海が荒れればまったく孤立してしまうに違いない。道路輸送が貧弱な時代、鉄道の開通がこの地域にどれだけのインパクトとどれだけの安心感をあたえたか、想像するにあまりある。この区間が開通したのは大正12年から13年にかけてのことだった。

村上からは新潟平野になるが、その前にひとつイベントがある。村上以北の電化方式は交流2万ボルトだが、村上以南では直流になるのだ。村上~間島間にデッドセクションがあって切り替えが行なわれる。間島駅を出たあたりからもう三十一はそわそわしていた。さすがにトンネルの中では切り替わらないだろう。万一うまく切りかえられなくて動けなくなったらあとが大変だからだ。村上駅の直前、川を渡っている最中に車内のあかりが消えて切り替わったことがわかる。えーと、橋の上ってのも何かあったときに面倒だと思うんだけどなあ。
新発田から新潟に向かうため白新線に入る。今日の行程の中でわずかな初乗車区間のひとつだ。新発田と新潟を結ぶ区間なのに白新線とはこれいかに。新は新発田、では白は? 実は新潟市街地、白山駅である。新潟付近の鉄道路線の動きは複雑怪奇で、新潟駅の場所は何度か変わっている。そういう動きの中で、新発田と白山を結ぶ路線として建設されたのが白新線だけれど、最終的には新潟駅に乗り入れることになった。東新潟駅を通過。旅客ホームはごくこぢんまりとした造りだけど、周囲には貨物のヤードが広がっている。EF510、EF81、EF64、DD51、DE10などが目撃できる。おや、これは珍品。ワム80000有蓋貨車とヨ8000車掌車だ。けっこう綺麗だけどまだ車籍はあるのかなあ。信越本線を乗り越して新潟駅に。路線が複雑なので徐行を始めてから実際に駅につくまでずいぶん時間がかかる。早々に席を立った降車客が通路にあふれている。三十一は逆に列車が止まってから席を立てばいいやくらいに思っているからのんびりしたものだ。弘前から6時間あまりかけて新潟着。腰が痛くなった。

もともと"いなほ"は上野から高崎線・上越線・新潟を経由して羽越本線を北上し秋田まで行く特急として設定された。当初はディーゼル車だった。のちに青森まで延長されたが、上野から終点青森はもちろん当初の終点秋田までも乗り通す乗客はいない。もっと便利な列車があるからだ。東京からであれば主に庄内地区。あるいは秋田青森地区と群馬新潟地区を行き来する旅客をターゲットにしていた。電車化後で上野~青森間を約10時間かけて走っていたのだ。6時間乗るのも辛かったのだから、10時間は厳しい。もっとも、食堂車で気分転換できたのだからむしろそのほうがよかったかもしれない。現在の"いなほ"は新潟で上越新幹線と接続することでかつての"いなほ"の役割を継承している。しかしもうひとつ役割があって、それはかつて大阪と青森を結んでいた"白鳥"の役割のうち、北陸と東北・北海道を結ぶ役割だ。大阪からなら東海道新幹線と上越新幹線を乗り継いだほうが早い。金沢~新潟間の"北越"と接続してその役割を果たしている。ちなみにかつての"白鳥"の所要時間は約14時間。ふう。

新潟で昼食をとり、臨時"とき"の指定席で上野へ。臨時なので比較的すいていたようだ。上越新幹線の新潟~長岡間は初乗車だが、長岡~高崎間はほとんどトンネルで車窓どころではない。これはもう移動手段と割り切ってしまうのが吉。200系更新車の"とき"で2時間強。

実は、今日の行程でもうひとつの計画があった。"いなほ"で新潟に到着したあと、"北越"に乗り換えて直江津まで行き、信越本線で長野に出て長野新幹線で帰京するというものだ。これだとかろうじてその日のうちに帰ってこられる。しかしこれは強行軍が過ぎるということで断念した。"いなほ"で新潟に着くまではこのオプションもまだ可能性を残していたわけだが、実際に新潟に着いたときにはもうそんなことを思いもしなかった。

当日の旅程:
弘前(0637)→新潟(1251) 2008M
新潟(1353)→上野(1558) 8364C
上野(1609)→松戸(1629) 1425M

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