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2008年11月30日 (日)

"くじら"と"まぐろ"

当夜の夜行か、あるいはその日のうちに帰京することにする。アメフトの予約録画が土曜日までしか設定できなかったのでね。そのためには早めに出なくてはいけない。朝出て最初の特急に乗ることにする。間に合ったのはソニックでした。白いソニックね。白いかもめと同じく885系だけど、白いソニックに使われている885系はまだ多少新しいせいか綺麗。ああ、やっぱり綺麗な白の885系は格好ええなあ。
平日9時前とあって車内はサラリーマンが主体でわりと混んでいる。ホームの自由席の列はかなり長い。座れるかどうかなあと思ったけど、窓際の席にありついた。進行方向右側。この鹿児島本線の博多小倉間は九州でもっとも往来が多い路線のひとつだ。鹿児島本線方面の特急、日豊本線の特急、博多に向かう通勤電車、そしてコンテナを積んだ貨物列車。折尾駅を出て黒崎駅に近づくと、右側に線路が見えてくる。筑豊電鉄のようだ。目測した印象ではあるけれど、軌間は普通だが軌道中心間隔がかなり狭いようだ。見かけた車両はまるで路面電車である。福北ゆたか線が電化された今、かなり厳しい状況であろうことは容易に想像できる。このあたりで雨がふりはじめた。
小倉でソニックを見送り、向かいのホームに停まっていた普通列車で門司港へ向かう。門司と門司港の間は、関門トンネル開通後は東京~九州間のルートから外れてしまった。それでもかつては優等列車の一部がこの駅を始発としていたが今では普通列車しか走らない。門司港駅は今では珍しい頭端駅。レトロということを売りにして街作りをしているらしく、新しさを感じさせるものはほとんどない。そこに停車しているのが813系とか817系の新しい電車で、そこだけ違和感がある。古い駅だが頭端式なのでホームから改札まで段差がない。かつてはみんなバリアフリーだったのだよ。近代的な橋上駅のほうがひとにやさしくない。門司港駅はおそらく大正から昭和初期を想定しているのだろうなあ。しかし三十一的には昭和30年頃が好みである。鹿児島本線の起点を示す0キロポストを見かけたのでカメラに収める。門司港まで足を伸ばしたのは未乗車区間の踏破も目的のひとつだが、最大の目的は駅前にある九州鉄道博物館だ。道路から入るところがちょっとわかりにくい。平日ということもあってかかなり空いていた。ゲートでまず目につくのが屋外展示車両。屋根付きのせいかかなり綺麗だ。先頭は9600。やはり筑豊と言えばキューロクでしょう。その後ろはC59だなあ。C59って個人的にはC62より好きなのである。屋外展示車両はあとの楽しみにとっておいて、まずは屋内展示に。展示物はそれほど多くない。内容はまあまあというところかな。入り口に戻って、売店をのぞく。あまり購買意欲をそそられない品揃えで、結局何も買わなかった。そして楽しみにしていた屋外展示。まず気づいたのが、一番奥に石炭車が置かれていること。九州の鉄道は筑豊の石炭を運ぶために建設されたと言っても過言ではない。このホッパー式の石炭車が九州では主に使われた。九州と並ぶ炭田である北海道ではボギー構造の石炭車が多用されていて対照をなしている。次は月光のヘッドサインをかかげたクハ581。だが中に入ってみてがっかりした。余剰の581系を近郊電車に改造した715系の塗装だけ元に戻して展示しているのだ。内装は改造されたままである。その次はクハ481。さらに戦前型ディーゼル車キハ07。九州向けで最初に量産された交流電気機関車ED72。関門トンネル開通時に使用された電気機関車EF10。そして最初に見たC59と9600。どれもきれいに手入れされているように見える。電車とディーゼル車は車内にも入れる。もう少しバリエーションがあったりするといいんだが、それはぜいたくというものだろう。鉄で古いものが好きな人にはお勧めだ。かかった時間は全体で40分くらいかなあ。普通の人が展示を見学するだけなら30分で足りるだろう。シミュレーターとかミニ鉄道を試しているともっと時間がかかるだろうけど。門司港駅に戻る。駅を中心にレトロな街並みで観光客誘致を狙っており、それにひっかかったと見られる観光客がちらほらと。三十一はまっすぐ駅に戻って小倉に戻る。戻り電車に使われていたのも813系だった。

小倉から新幹線に乗り九州に別れを告げる。自由席特急を買ってホームにのぼるとちょうど来たのが700系のひかりレールスターだ。700系に乗るのは初めてだと思う。およそ1時間で広島。この間はほとんどトンネルもしくは高架で海が見えるのはほんのわずか。最初から車窓に期待していなかったので適当に座り本など読む。広島へは2年前にも来ているのだが、あまり変化がないように見える。まずは荷物をコインロッカーに放り込み、ついでみどりの窓口で帰りのチケットを確保する。「はやぶさ・富士」の個室寝台を第1候補に、もしそれがダメなら岡山まで新幹線で行ってサンライズに乗り継ぐというのを第2候補に。それもダメなら「はやぶさ・富士」の開放B寝台が第3候補となり、最後の手段としては夕方の新幹線でその日のうちに東京に帰ってしまうというふうに心づもりをしていたのだが、首尾良くB個室を確保できた。しかしこのみどりの窓口氏、新人にも見えないのだがB個室の操作がわからないらしくしばらく迷ったあげく他の人に聞いていた。それで焦ったのか頼んでもいない乗車券まで発券してくれて三十一の指摘をうけて取り消すというドタバタぶり。ドタバタはあったのだが帰りはこれで確定したので、残りの午後いっぱいを存分に使えることになった。

早速きっぷを買って呉へ。2年前にも九州の帰りに広島で下車しているのだが、そのときの目的も呉だったような気がする。だけどしょうがないんである。前回、呉を訪れたのは2年前の9月、それからすぐの11月に潜水艦「あきしお」が搬入され、やがてそれを目玉とする海上自衛隊呉史料館、通称「てつのくじら館」が開館した。実にタイミングが悪いとしか言いようがない。呉線の電車は前回にも乗った103系。呉までは30分強といったところか。前回訪れた大和ミュージアムと「てつのくじら館」はすぐ隣。直進は大和ミュージアム、右折は「てつのくじら館」という分かれ道を右に曲がる。目の前に潜水艦の船体が現れる。でかい。見上げるその鉄(鋼製だけど)のかたまりには圧倒させられる。大きすぎて写真ではスケール感がわからないのが残念。佐世保と同じく海上自衛隊の広報施設という位置づけなので、入館は無料。佐世保のように名前を書かされることもない。まずは潜水艦の隣に建てられた展示館に。展示スペースは佐世保と同じか、少し狭いくらいか。しかし、佐世保のような総花式の展示ではなく、2階は掃海艇、3階は潜水艦に特化した展示を行なっており、対象を絞り込んだせいか内容は遙かに濃い。そして3階からは連絡橋と船体開口部を通って「あきしお」艦内の見学ができる。発令所では実際の潜望鏡をのぞくことも可能。順路を全部まわるのに1時間かからなかった。しかしこれはお勧め。佐世保よりはるかにお勧め。ただ売店の品揃えは佐世保と大差なかった。建物の外に出て、あらためて「あきしお」を間近で眺める。船首のほぼ真下にマッシュルーム・アンカーが置かれていた。

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「てつのくじら館」を出て道路を渡り大和ミュージアムへ。こちらは海自も協力しているはずだが基本的には民間施設で入場料は500円。そして目玉は映画のために作成された10分の1の大和の模型。まわりを何周もしていろんな角度から写真を撮る。前回は見るのに一生懸命で写真を撮るのを忘れていた。展示自体は2年前にも来たので、ざっとまわってすぐに下りてくる。実際、大和以外にはあまり見るべきものがないのだ。前回にも見つけた展示の誤りはまだ訂正されていなかった。ただし、ミュージアムショップはさすがに充実。商売気というものは偉大ですなあ。ここなら会社に持っていってウケるお土産が買えるに違いないと大人買い。宅配を頼んで大和ミュージアムを後にする。時刻はようやく3時半といったところで、帰りの列車までは6時間以上ある。呉駅前でちょっと食べ物を腹に入れても4時にもならない。うーむ、あとどうやって時間を潰そう。あとになって考えてみたら、呉線を反対方向に三原まで行って戻ってきてもよかったんだ。その時点では思いつかず残念なことをした。広島まで戻ってから思い出して、それから日没まではもう時間がなくなってしまった。

広島駅で実家への土産を物色。あとは1本で帰るだけなので送らずに持って帰ることに。パスタで夕食とし、本屋があったので本を1冊買って残り時間をスタバで潰す。ところがこのスタバが入っている商業施設が9時で閉まってしまうので三十一も追い出され、しばらく放浪したあげく駅のマックでお茶など飲む。パスタにもドリンクが付いていたし、スタバでカフェラテを飲み、そしてマックでアイスティーを飲む。お茶飲み過ぎだ。頼んでしまってから思い出したのだが、マックのお茶は不味いので頼んではいけない。結局かなり残してしまって、発車時間がようやく近づいてきたのでキオスクで翌日の朝食を確保してからホームに向かう。ここにもカメラ小僧がいるなあ。
雨の影響か少し遅れて到着、個室寝台車に乗り込む。「北斗星」の個室は何度も乗っているが九州特急の個室は初めてだ。三十一の個室は下段。「北斗星」の個室とは構造はかなり似ているが、窓際に座ろうとするとテーブルが足につかえて邪魔である。もう11時も近いが、さっきまでずっとお茶を飲んでいたのでまずトイレに行き、帰ってきてPCを開いて当日の行程を簡単にメモしたりしているうちにバッテリーが早くも怪しくなってきたので適当に切り上げる。もう放送も終わってしまったので寝てしまおう。

夜中の3時にやはり尿意に襲われて起き出す。お茶の飲み過ぎには注意しましょう。窓から車外を見る。新幹線とおぼしき高架橋が見えた。それからしばらくの間外を見ていたがどのあたりを走っているのか見当がつかない。いくつも駅を通過するのだが駅名が読み取れない。それほど都会というわけでもないが田舎というわけでもなさそうだ。電車区らしいものがあり何本もの電車が留置されているんだが、果たした何区だろう。岐阜とかかなあ、でもこんな電車区あったかなあと思っているうちに目に入ったのが転車台と扇形機関庫と「梅小路」の文字。おや、京都ですかい。思いの外進んでいなかったのだね。てことは、さっきの車両基地は向日町だったと見える。京都駅を通過すると山科に向けてトンネルに入る。これから逢坂越えでトンネルになるのがわかっているのでまた寝てしまう。

翌朝、放送があって起きたのは浜松の手前。天気はいいらしい。二度寝したりしているうちに静岡も過ぎて富士に近づく。このあたりでは海側が通路、つまり個室は山側を向いているのだが、雲がかかっていて富士山は見えなかった。丹那トンネルを抜け熱海を出たところで廊下に出、海を眺める。写真撮影の名所、根府川橋梁も転落防止フェンスのせいで眺望がきかず興醒め。小田原を過ぎたところでまた自室に戻って荷物の整理などはじめていると、茅ヶ崎を過ぎたあたりでなぜか停車。放送によるとこの先の踏切で非常停止ボタンが押され停車したとか。さらに追加情報では踏切に人が倒れているとか。救急車や消防車が集まってきて何やら作業を行なっている気配。「救護作業」を行なっているとか言ってるけど、事実としては「搬出作業」でないのかねえ。野次馬根性を出して前のほうにいってみると、実際に何か見えたわけではないがあの踏切だとすると位置関係からして機関車の先頭は踏切にかかっているはずだ。ああ、関係ないけど牽引機はEF6643だ。初日に三十一が乗った「はやぶさ・富士」を牽いてた機関車だね。戻ってくる途中、「何かにブルーシートをかけている」という声が聞こえた。やっぱり、"下山"しちゃったわけだなあ。
結局、45分ほど遅れて列車はようやく動き出した。動き出した列車の中から見てみると、消防隊員やら警察官やらがブルーシートを持って"何か"を隠していた。ダイヤ通りなら9時58分に到着するはずの東京駅に、10時45分に到着。

11/28~29の旅程:
博多(0825)→小倉(0917) 3007M
小倉(0924)→門司港(0938) 2536M
門司港(1036)→小倉(1049) 4327M
小倉(1057)→広島(1149) 458A
広島(1228)→呉(1303) 5632M
呉(1600)→広島(1639) 3943M
広島(2237)→東京(1045) 1レ

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12月の人事異動は小幅

すでに自宅に戻っています。
最終日の旅行記はもう少し時間がかかりそうなので、その間にあまり時間をかけずに書けることを。

12月の人事異動が公表された。というか、12月26日までの人事異動が全部PDFで公開されている。セクハラで解任された自衛官の人事が報道公表されていなかったことを受けて高級人事はすべて公表すること、という指示が大臣から出たからだろうが、こりゃ極端だよ。

ともかく、将クラスの人事は12月1日付で発令されるが、表題の通り小幅に終わった。空自は異動なし、海自では17期の技本開発官が勇退して海幕技術部長が昇進して横滑り。ちなみに船舶担当技本開発官は少なくとも3代続けて海幕技術部長からの異動である。
陸自では研究本部長と関東補給処長が勇退して、それぞれ新規昇任者で補充されている。前職は第14旅団長、第5旅団長だ。

退職:
陸上自衛隊研究本部長・山口昇陸将(防衛大18期)
陸上自衛隊関東補給処長兼霞ヶ浦駐屯地司令・藤野毅陸将(防衛大18期)
技術研究本部技術開発官(船舶担当)・石村澄雄海将(防衛大17期)

陸将昇任:
陸上自衛隊研究本部長・師富敏幸(防衛大20期、前職・第14旅団長)
陸上自衛隊関東補給処長兼霞ヶ浦駐屯地司令・寺崎芳治(防衛大20期、前職・第5旅団長)

海将昇任:
技術研究本部技術開発官(船舶担当)・安達孝昭(東北大、前職・海上幕僚監部技術部長)

こうなると統幕長交代は来年春かなあ。思ったよりひっぱる。

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2008年11月27日 (木)

セイルタワー訪問記

海上自衛隊佐世保史料館、通称セイルタワー。

9時30分の開館ということだが、9時39分に入館した三十一は、入館者名簿によると3組目。平日としては多いのか少ないのか。受付を済ませると、まず最上階の7階に行き順路に従って1階に下りてくるように指示される。7階には上映設備があって、毎時40分から50分間のビデオ映像が流される。けっこう広い客席なのだが、ちょうど始まる時間だというのに誰一人座っていなくてどこに座るか迷ったくらい。
映像はペリー来航から話を起こして、日清日露の戦争に"勝利"し、太平洋戦争に至るまでを描写し、最後には一転して"現代の"海上自衛隊の使命を語るというありきたりのもの。ただし、明治時代をむやみに詳しく語っているので古い映像や画像がふんだんに出てくるのは三十一ごのみだった。もっとも、"戦艦"と"軍艦"をときどき混同しているのが気になった。本当に海上自衛隊の人間が作ってるのかねえ。ナレーションは下請け丸投げか。それから、これは誤りというわけではないが出てくる映像がみんな古い。登場人物(フネ、飛行機)から前の世紀であることは間違いない。いい加減作り直したら?
そもそも、内容以前にこの映像は4:3の比率で作られているものを16:9で上映しているらしく縦につぶれている(=横に伸びている)。設定ひとつで変更できると思うんだがOBのお年寄りには高度な操作なんだろうか。それとも誰も気づかなかったのだろうか。

展示の説明文にかなり訂正が入っているところを見るとずいぶん間違いがあったんだろうなあ。まだ修正されていない間違いのひとつを見つけたのは、確か有馬良橘の没年が1944(明治19)年と記載されていたこと。1944年は昭和19年ですぜ。

映像や音声の説明がかなり多く、まじめに全部見たり聞いたりしていたら3時間ではすまないだろう。三十一はかなり端折ってしまって、映像音声のたぐいはほとんどスキップした。ひとつ割と面白く見たのは「海上自衛隊の使命」を説明したビデオで、これは割と新しいものらしい。全部は見なかったけどね。

先にも書いたとおり約3時間かけてひと通り見て回ったことになる。正直、三十一にとってはそれほど新しい内容はなかった。映像や図をふんだんに使っているのは好感が持てる。ジオラマがもっとあったりするとよかったかも。資料室もあったけど、大して面白い本はなかった。ほとんど市販本だ。

最後、受付の脇にある売店を見たけどスーベニアショップ以上のものではなく何も買わずに出てきてしまった。

無料でこれだけの資料を見ることができるのは意味があることだろう。一般の国民に広報するという意味では展示内容もそれほどおかしなものではない。ただ、これだけ立派な設備を作ってそれに見合う効果があるかどうかは疑問なしとしない。

そして最大の問題は、三十一がここで述べたような問題点をフィードバックする仕組みがないこと。アンケートなりご意見箱なりがあれば指摘しようと思っていたのだが、受付まわりを探してみてもそれに類するものが影も形もない。形だけ立派な広報施設を作っても、こういうところで馬脚を現してしまうのだよ。

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今来たこの道帰りゃんせ

昨日の記事で「白いかもめ」を883系と書いていた。正確には885系。こっそり直しておきました。

ホテルをチェックアウトすると駅のコインロッカーに荷物を放り込む。今日の午前中は佐世保に来た第一の目的である海上自衛隊史料館に行くのだ。開館が9時半なのであまり早く出てもしょうがない、9時ごろ駅から歩き出す。タクシーに乗ってもよかったんだが、少し肌寒いくらいの歩くにはちょうどいい陽気だし、そんなにわかりにくい道でもなさそうなので歩くことにした。駅の反対側に出ると目の前は海。ただし海自の岸壁はフェリーターミナルの向こうでよく見えない。広い道の歩道をのんびり歩く。ふと見ると旧松浦線、現松浦鉄道の高架橋が見え、ディーゼル車が走っていった。時刻表調べてあれに2駅くらい乗ってもよかったんだと、そのとき初めて気づく。もう手遅れだ。橋で川を渡って公園に入る。川沿いは市立の公園だが、その隣は米軍の保養施設で「許可無く立ち入りを禁ず」と書いてある。ちょっとビビったがみんな平気で入っていくので有名無実なんだろう。この「ニミッツパーク」を横切って道路に出ると、今度はまた違う看板があり「自衛隊佐世保病院」とある。これが山本五十六が日本海海戦で負傷した後に一時入院していたという佐世保病院か。もちろん建物は新しくなっているに決まっている。

佐世保史料館に到着したのは、9時39分。入館時刻を記入させられたので1分単位で判明している。展示の感想は記事をわけよう

史料館を出たのは12時半ごろ、約3時間ほどいたことになる。今日は午後から雨になるという予報だったが、まだ雨が降る気配がないので駅に向かって歩くことにする。行きとは違うルートをつかって、30分かからないくらいで駅に到着。ちょうど15分くらいあとに博多行きの特急が出るのがわかったので昼食を買い込んで乗り込む。次の停車駅、早岐で進行方向が変わることがわかっているので座席は後ろ向きだ。みんなわかっているので大人しく後ろ向きに座っている。早岐が進行方向が変わるのは、かつて長崎本線は以下昨日も説明したので省略。
佐世保線はほぼまっすぐ佐賀方面に向かう。すぐに低い峠を越え、佐賀県に入ると有田。接続する松浦鉄道の列車が遅れているとかで少し待たされる。5分ほど遅れて発車。武雄温泉に向かう。車内の電光掲示板での英字表記が「TAKEOONSEN」となっており、Oがダブっていて日本語離れして見える。このあたり、確かに山がちではあるのだがそんなに極端な急勾配があるようには見えない。無理して今の本線を作る必要があるほどの隘路であったとは思えない。トンネルもそれほど多くないしね。肥前山口に到着すると、長崎からの「かもめ」と併結して1本の列車となって博多に向かう。長崎本線の海沿いの部分では、下り列車で左側、上りでは右側が海になるのでもっぱらそちら側の窓際に座ってきたのだが、ここから先の(というか、起点方向の)長崎本線では海はまったく見えない。どちらに座ってもそんなに変わらないので、敢えて反対側に座ってみた。こちら側に座ったことによる最大の収穫は、例の吉野ヶ里遺跡を車窓から見れたこと。まあこのあたりは昨日も来た道。鳥栖から先の鹿児島本線は一昨日来た道。あまり車窓を熱心に観察する動機が生まれにくかったのだが、ひとつだけ、原田駅だけは気にして見ていた。一瞬の通過ではあるが「はるだ」の駅名標を確認する。

博多に到着すると荷物をコインロッカーに放り込んで、約30分後の快速電車で今来た道を逆戻りする。やはり一日に一度は非電化区間を乗りたいということで、筑豊本線のうち非電化で残ってしまった区間(のひとつ)である桂川~原田間、通称"原田線"を乗車しようというのだ。実はこの区間は極端に列車本数が減ってしまって、乗れるときに乗っておかないと次にいつ乗れるかわからない。今回の旅行ではかなり優先順位の高い路線だったのだ。かつては特急が走っていたこともある路線なのだがねえ。もっとも、今日は佐世保の史料館でどのくらい時間がとられるかわからなかったのでスケジュールは確定していなかった。佐世保で思いの外タイミングよく特急に乗れたので、博多まで行ってしまっても間に合うようになった。いったん博多まで行ったのは、大きな荷物をコインロッカーにしまって身軽になるため。今夜の宿は博多だ。

813系の快速電車で原田までは4駅、約20分。原田駅では駅の片隅にキハ31ディーゼル車が1両ぽつんと停まっている。このホームは2面の番線の間に高さのギャップがある。いわゆる電車ホームと汽車ホームのコラボレーションですね。こうして見ると30センチくらい段差があるんだなあ。約7分の待ち合わせでディーゼル車は発車。かつては筑豊本線と鹿児島本線は線路がつながっていたはずだが、まあ今でも厳密に言うとまだつながってるんだろうがその渡り線はさび付いていてしばらく使われていない様子だ。北側にむかって発車すると、おもむろに右にカーブして鹿児島本線から離れる。むこうは電化複線、こちらは非電化単線だ。少し高度をあげ、バイパスと西鉄を乗り越す。筑前山家の駅前には錆が浮いた路面電車の車両が2編成置かれていた。西鉄か何かで使われていたものかなあ。ここから一気に峠越えにかかる。冷水峠だ。それほど山深いという景色ではないのだが、かなりきびしい上り坂であることがわかる。峠を登り切ったのか、エンジン音が少し緩んだと思うまもなくトンネルに突入。冷水トンネルはとんでもなく長い。抜けるまで少なくとも数分はかかっただろう。調べてみると3286メートルあるらしい。このあたりから雨が降り始める。飯塚市内に入った筑豊本線の沿線は、確かに市街地というわけではないが寂れているというほどでもない。この区間にある駅はすべて行き違い設備が撤去されており、ホームの片方は草むしている。かつての名残か自動信号が設置されて機能しているのだが、実際には原田~桂川間は1閉塞として1本の列車が往復するだけになっている。左側から電化された線路が近づいてきて合流すると桂川。ここから先、折尾までの筑豊本線と、いま左から合流してきた篠栗線はともに電化されて一体化された福北ゆたか線として運用されている。

福北ゆたか線は、北九州地区と博多を結ぶ路線として機能している。これまでその機能を負ってきた鹿児島本線のバイパスであるとともに、従来もっぱら北九州地区との結びつきが強かった筑豊地域を博多と結びつけることで再活性化をはかろうというもので、JR九州はこれまでいろいろと興味深い施策を行なってきたがもっとも重要な施策のひとつだと言えるだろう。もっとも、鹿児島本線のバイパスとしては実際には機能していない。単線区間が多いせいだろう。距離的には鹿児島本線が約50キロ、福北ゆたか線が約60キロ。

桂川では1分で接続する快速をいったん見送り、駅舎の写真などを撮ってから9分後に博多に向かう813系普通列車に乗り組む。えーと、この篠栗線もこれまで乗ってきた区間に負けず劣らず山の中なのですが。やはり博多に直結しているか否かが運命をわけたのだろう。だって、あれダムじゃない? 雨のせいでよく見えないけど。筑前山手駅なんて街が真下に見えるんですけど。ところで、今乗っている電車は813系。最近整備されている817系ではなく少し古いタイプになる。やはり817系は快速優先かな。これ普通だし。813系電車に初めて乗ったのは一昨年の九州旅行、鹿児島から川内までの区間だが、そのとき気づいたマークが今回の電車にもあるのを発見。

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2時間弱の間に3本の列車を乗り継ぎ、ほぼ二等辺三角形の旅をして再び博多に。先にも書いた通り今夜はここで泊り。

今日の旅程:
佐世保(1308)→博多(1453) 4016M~2024M
博多(1524)→原田(1549) 4351M
原田(1556)→桂川(1624) 6626D
桂川(1633)→博多(1714) 2653H

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2008年11月26日 (水)

東の端から西の端へ

昨夜泊まったホテルの目の前の道路で工事が始まって、これは寝られないかもしれないと思ったが、実際にはほとんど一瞬のうちに眠ってしまったらしい。疲れていた、というか体調が悪いんだね。

昨日は豊肥本線で西から東に九州を横断したが、今日はもうひとつの九州横断線、久大本線で再度西へ向かう。久留米と大分を結ぶという意味で久大本線と呼ばれている路線だ。博多行きの特急「ゆふ」は最近供用が始まった高架ホームから発車するらしい。改札を入り、いったん地下道に下りて一番奥のホームにあがる。そのホーム自体は列車の発着には使われていないらしいが、そこからさらに階段を上がって中二階のコンコースに出、もう一階上がって目的の高架ホームとなる。今日の「ゆふ」に使用されているのは昨日乗った「九州横断特急」と同じキハ185の3両編成。どっちが景色がよいのかわからなかったのだが、1両目の自由席に乗り込んでみるとすでに先客があって、右側先頭の座席を占めていた。先を越されて気づく、この席からは前方が非常によく見える特等席なのだ。左側では運転席が邪魔になる。それにつられて、三十一も何列かうしろの右側窓際に席を占める。実はこれは失敗でした。

いったん東向きに発車し、大きく右にカーブして西に向かう。いやあ、線路の上に架線などという邪魔者がいない路線はいいねえ。だから三十一は北海道が好きなのかもしれない。なにしろ北海道のJRの大半は非電化単線だ。閑話休題。南大分駅を過ぎると市街地から外れる。ちょうどそのあたりで高速道路をくぐる。豊後国分という、国分寺跡がほど近いという駅にとまったが、かつての豊後国の中心地も今は見る影もない。これから由布院方面に向け、大分川に沿って高度を上げていっているのだが、どうも川はずっと進行方向左側を流れているらしい。右側の席からは川面はほとんど見えません。無念。そのうち反対側に渡るかもしれないなどという虚しい期待は虚しいままに終わった。ひとつ峠を越えて由布院盆地に入ってきたのだが、かなり濃い霧。前方にかすかに由布岳らしき影が見えるのだが、ほとんどわかりません。これなら右側に座っていようが左側に座っていようが関係ないとわずかに溜飲を下げる。
由布院を過ぎたあたりで、右手に大分自動車道の忌々しいコンクリートの塊が見えてくる。実は大分自動車道は、久大本線にほぼ並行しているのだ。ああ忌々しい。やがてちょっとした盆地と市街地が現れる。日田だ。日田は江戸時代に九州の要として幕府の天領になっていたことで知られる。九州北部のほぼ中心に位置する日田は、大身の外様大名たちを牽制するのに格好だったのだろう。日田から2駅、夜明駅で日田彦山線が分岐する。どうしてここに分岐を持ってきたのかわからないくらい、何の変哲もない山間の小駅。純粋に地形上の問題かな。

夜明駅は大分県最後の駅。福岡県に入ると、一気に視界が開ける。筑後川が形作る筑後平野の、もっとも奥地になるらしい。遠景には山が見えるのだが、少なくとも線路のまわりは平地になった。乗っていてわかるような勾配も感じられなくなった。晩秋の、あるいは初冬の日本の農村の風景。薄茶色の、あるいは焦げ茶色のモノトーンの中に鮮やかなコントラストを示すのは、柿の実のオレンジだ。

久留米に近づくにつれ、市街化が進んできた。豊肥本線の熊本側と同じように、そうね、筑後大石駅あたりまで電化して電車を走らせればペイしたりしないかね。三十一の個人的な趣味としては電化してほしくないけど。九州新幹線の躯体が見えてくると、鹿児島本線と合流。しばらくは並行して走っていたが、駅の直前で本線を横断して鹿児島本線の上り線に入って久留米に停車。ちょうど同じタイミングでED76に牽かれた下り「はやぶさ」が入ってくる。昨日はあの列車に乗っていたわけで、ちょうど24時間かけて一周してきたことになる。もっとも、昨日の「はやぶさ」から見た「ゆふ」は黄色いキハ75だったけど今日は四国のお古のキハ185だ。電化複線の鹿児島本線を博多方面に走る。左側には九州新幹線の高架橋がのしかかるように走っている。筑後川を渡り、高架橋が離れて見えなくなったかと思うと鳥栖に到着。ここで「ゆふ」を下りる。

鳥栖駅には西側にしか出口がない。巨大なサッカースタジアムがある東側には、自由通路というか歩道橋で線路を越える必要がある。三十一もその歩道橋を渡る。サッカースタジアムではなく、線路のすぐ横に保存されている230形蒸気機関車268号の写真を撮るためである。これって、いわゆるA8かな。

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30分ほどあとの「かもめ」で長崎方面へ。3度目になる白い「かもめ」だ。この車両自体は好きなんだが、手入れがよくないと白いだけに汚れが目立つんだよなあ。真っ白だったら本当に綺麗だろうに。うーむ、模型が欲しくなってきた。平日の昼前とあって、車内はビジネスマンが多い。かろうじて左側窓際にありついた。長崎本線では海はずっとこちらである。佐賀につくと、車内はかなり空いてしまった。佐賀というとあまりイメージがよくないが、それなりにビジネスのタネはあると見える。このあたりまではほとんど平地で885系の振り子機能は宝の持ち腐れだが、肥前鹿島を過ぎたあたりから山が海岸に迫ってきて、線路は海岸沿いに左右し885系もその身を揺らして力走する。左手は遠浅の有明海。海苔養殖とおぼしき棚が海面に浮かぶ。やがてその海も見えなくなり、ひと山越えると諫早。ここで下車する。

ここまでは予定通りだが、ここから先の予定は確定していない。オプションはふたつ。まずひとつは、ついに島原から先が廃止されてしまった島原鉄道を往復して、それから今夜の宿泊地である佐世保に向かう。そしてもうひとつは、ここから長崎までの長崎本線のうちいまやローカル列車しか走らない非電化の旧線を制覇し、それから佐世保に向かうというプラン。どちらかに決められなかったのは、旅行に持ってきている携帯時刻表に島原鉄道の情報がほとんど載っていなかったせいだ。現地に来て島鉄のダイヤとか所要時間を見て決めようというわけである。諫早駅には、島原鉄道の発車時刻表はあったが所要時間がわからない。幸いなことに旅行センターがあったので備え付けの大型時刻表で調べてみると、諫早から終点島原外港までおよそ1時間。往復で2時間といったところだが、終点まで行く列車が意外に少ない。今からだと最速で帰って来るのは16時前。それだと、次の佐世保行きが17時過ぎになってしまう。大村線快速にはシーサイドライナーというニックネームがついているのだが日が暮れてからでは意味がない。というわけで島鉄プランは却下となり、長崎旧線プランが採用と相成った。

まずは長崎行きの電車に乗り込む。これは電車であって、新線を経由する。分岐となる喜々津駅で旧線を行くディーゼル車に接続するのだ。どうせ2駅だから立っていてもいいんだけど、席が空いていたので座る。そこそこの乗車率で発車。ところが次の西諌早駅について思わずのけぞった。ホームが制服姿の高校生で埋まっているのだ。どっと乗り込んだ高校生でいきなり車内は阿鼻叫喚。まだ昼過ぎなのになあ。期末試験にはまだ早いよね。乗り換えとなる次の駅で降りられるかどうかも不安だったが、喜々津駅では高校生もかなり降りていったのでそれに混じってホームに下りる。高校生たちは跨線橋を渡ってぞろぞろと乗り換えて行く。あれについて行けばいいんだろうなあ。絶対に席にはありつけないと覚悟していたんだが、奇跡的に右側、つまり海側の席にありついた。

喜々津駅を発車してすぐに右にカーブし、海岸沿いに出る。すごいぞこれ。まるで海の上を走っているようだ。新線が開通するまでは、夜行特急「さくら」も、昼行特急「かもめ」もこの景色を見ながら走っていたんだなあ。輸送力増強のためとはいいながら、この景色がほとんど見られなくなってしまったのは残念なことだ。廃線にならなかっただけよかったとも言えるけれど。大草までは海岸に張り付くように走っていた線路が、大草駅を過ぎると急激に高度を上げていく。あからさまにディーゼルエンジンの音が高くなる。谷を峠に向かって登っていく線路の、向かい側の斜面は一面のみかん畑だ。筑後平野で見かけた柿とは違う色合いのオレンジの実。峠をトンネルで越えると今度は下り。下り勾配の途中に本川内駅がある。ここは近年までスイッチバックだったが最近設備が撤去された。本線上に新たにホームが設置されているが、かつて使われていた線路には線路止めが置かれ、ホームは草むしている。旧ホームの駅名標の、駅名板だけが取り外され、外枠の鳥居部分だけが残されてぽつんと立っている風景は何とももの悲しい。この急勾配があったせいで内陸部に新線が建設されたんだけど、現代の電車にはこの程度の勾配は屁でもないはずだ。

長与駅で高校生はほとんど下りてしまい、次の高田駅ではホームに掲示されていた病院の広告看板に誤字を見つけてしまう。「長崎県西彼杵群」って何さ。西彼杵郡だろうに。群れてどうする。浦上で電化の新線と合流する。非電化よさらば。ほどなくして長崎。

長崎で昼食を摂り、佐世保に向かう快速に乗り込む。長崎方面から大村線に入る列車は、大村線が非電化なので当然ディーゼル車だ。せっかくディーゼル車だから、ということかもしれないが各駅停車は長崎線内は旧線を経由する。ところが快速列車は新線経由なのだ。「快速」だから早いほうで、という意図はわかるが「シーサイドライナー」という名前なんだから海沿いの旧線を通ってほしかったなあ。この名前は大村線が海沿いを走ってることからつけたんだろうけどね。長崎から諫早までは扉脇長手のロングシートに座っていたが、諫早でだいぶすいたので海側の窓際に座り直す。諫早駅構内はほぼ南北方向に線路が走っていて、本線たる長崎本線は駅を出ると大きく右に曲がって鳥栖方面に向かい、分岐であるはずの大村線がほぼまっすぐ北向きに走る。実は、今の大村線がかつての長崎本線だった。そのためにこういう線路配置になったのだろう。鹿児島本線からの分岐点、鳥栖から長崎まで最初に線路がつながったとき、明治31年の長崎本線は肥前山口から現在の佐世保線に入り、武雄・有田を経て早岐から現在の大村線に入り、大村湾沿いを南下して諫早に至りそこから長崎に向かっていたのだ。現在の有明海沿いの長崎本線がすべて開通したのは実に36年後の昭和9年である。

諫早を出た列車は、またも非電化の大村線に入る。大村、竹松、川棚などなじみのある地名が続く。大村はかつての海軍航空隊の所在地で現在でも陸自駐屯地や海自第22航空群などが所在する。竹松には陸自の駐屯地があり、川棚はかつて川棚海兵団が置かれた(佐世保第二海兵団と呼んでいた時期もある)。そしてこの列車の終点は佐世保である。説明不要な日本の海の護りの西の要だ。しかし車窓からは大村湾は見えるがそれらしい施設は見かけることができなかった。わずかに大村付近ではるかに点のようなヘリコプターが一瞬見えただけである。AH64みたいに見えたけど、SH60だろうね。

ハウステンボス駅につくと、またもや頭上に無粋な架線が現れる。ホームの目の前は川と見まごうような針尾瀬戸。その向こうは針尾島で、何度も見たことのある、しかし実見するのははじめてのハウステンボスが広がっている。正直三十一には何が楽しいのかわからない。まあ需要があるところにはあるんだろうね。早岐駅で佐世保線と合流。駅構内は非常に広い。ここにも大きな機関区があったはず。終着の佐世保駅は近代的な高架駅になっていた。ホームから港が見え、沖がかりしている自衛艦が目に入った。「はつゆき」型の練習艦だねえ。なんで練習艦だとわかるかと言えば、艦首に描かれている艦番号が4桁だったから。具体的な番号まではわからなかったけど、護衛艦に残っている「はつゆき」型の艦番号は3桁だから、練習艦に移籍された艦だということはわかる。なんで「はつゆき」型だとわかるかと言えば、それはもう「見ればわかる」としか説明しようがない。

本日の旅程:
大分(0818)→鳥栖(1049) 82D
鳥栖(1120)→諫早(1236) 2017M
諫早(1310)→喜々津(1318) 829M
喜々津(1328)→長崎(1410) 5135D
長崎(1511)→佐世保(1700) 3238D

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2008年11月25日 (火)

解答の時間です。

正解は1でした

一番最初の予定では金曜の夜あるいは土曜の夜、その次の予定では日曜の夜に出発するはずだったのが、日曜はどうにも調子が悪く、結局一日遅れの月曜夜出発となった。

雨の東京駅、廃止まであと半年を切った「はやぶさ・富士」だが、聞くところによると廃止の前提だった静岡空港の来年春の開港があやうくなったとかいう話で、それでも予定通り廃止されるんだろうか。それはともかく、先頭の牽引機EF66の周りには黒山の人だかり。乗車率も比較的高く、三十一が確保した寝台の向かい合わせの上下4席はすべて埋まっていた。三十一は上段に追いやられた。
食べ物がないことはわかっているので、夕食は東京駅で済ませ、朝食をキオスクで買い込んで乗車。早々に自席(上段)に上がってしまうと外が見えないので、通路の折りたたみ椅子を出して座り込む。熱海を出、丹那トンネルに入ったのを機に上段に上がる。しばらく音楽を聴きながら本を読んでいたが、浜松を過ぎたあたりで眠くなってきたので寝ることにする。まだ11時前だったけど。

翌朝、広島あたりで目が覚める。そのあともしばらく寝台上で横になっていたが下関が近づいてきたので着替えて起き出す。下関着。カメラを持って先頭へ。ありゃ、ここでも人だかりだ。切り離される直前のEF66をカメラに収める。

Pb250027

戻るとまもなく発車、関門トンネルをくぐって2年ぶりの九州。門司ではまた牽引機が替わる。EF81からED76へ。EF66は「はやぶさ・富士」をまとめたヘッドマークだったが、こちらは「はやぶさ」単独となる。後ろのほうでは、大分へ向かう「富士」が切り離される。まず幌がたたまれて通路が閉じられる。電磁直通ブレーキのジャンパが切り離され、ブレーキ管が外されて、連結器のロックが解除される。こうして1本の列車は2本の列車となり、三十一が乗る「はやぶさ」が先に熊本に向かう。

車内はだいぶすいてきた。ま、急ぐんならソニックにでも乗り換えたほうが早いしね。見ると、隣のブロックがまるごとあいていたので荷物を抱えてそちらにうつる。ED76牽引の貨物列車とすれ違う。ああ、EH500を目撃できないかなあと思ったけど結局見かけなかった。博多を過ぎると車内は空気を運んでいるようである。その後しばらく気を失っていたらしく、ふと気づくと鳥栖。最近はサッカーが売りらしいがもともとは鹿児島本線と長崎本線が分岐する鉄道の町で、九州でも最大級の機関区が所在していた。少し離れたところに巨大な橋がかかっている。どうも九州新幹線らしい。
しばらくすると福岡と熊本の県境の、と言いたいところだが熊本県に入ってしばらくしたところに山越えとなり、ふと通過した駅を見ると田原坂である。そこで思い出すのは今を去ること30年近く前、急行「阿蘇・くにさき」「雲仙・西海」が廃止される直前の夏休みに初めて「阿蘇」に乗って熊本に来たときのこと。昔から同じことをしてるんだなあ。そのころは単に山の中だとしか思わなかったけど、成長した目で見ると攻めにくい地形である。峠を下るとまたもや右側から新幹線が近づいてきて、熊本。熊本駅はまだ地平だが、新幹線が開業するころには高架になってしまうかもしれない。次の列車まで2時間ほどあるので、九州のガイドブックを入手してから昼食を摂る。

熊本から九州横断特急に乗り、豊肥本線経由で大分に向かう。九州横断特急にはやはり2年前、人吉から八代まで乗ったのだがこの区間では乗っていなかった。そして豊肥本線はやはり30年近く前に乗っているのである。そのころはまだ豊肥本線には特急は走っておらず、キハ58系(と思われる)の急行「ひのくに」に乗ったと思う。はっきり覚えていないが、5時間くらいかかっていたかもしれない。豊肥本線のうち熊本寄り、肥後大津までは電化されて通勤通学路線となっている。ちょうど学校がひける時間帯らしく、通過する、あるいは停車する駅のホームは制服の高校生で埋まっている。三十一も昔はこんなだったのかなあと思うと忸怩たるものがある。電化区間の終点、肥後大津の駅前には有名なビジネスホテルチェーンのホテルが建っていた。需要あるのかなあ。

肥後大津を過ぎると、阿蘇の外輪山に向かって急激に高度を上げていく。キハ185のエンジン音もひときわ高くなってきた。やがて立野。スイッチバックで有名な駅だ。30年前にはキハ58の窓から顔を突き出してスイッチバックしていく先の線路を見上げたものだが、もちろん今はそんな芸当はできない。一気に外輪山にとりつき、それまで並行していた道路がはるか下方に見下ろせる。やがて右手に阿蘇の山々。一時よくなって来ていた天気がまた少し曇りがちとなり、空とのコントラストが弱くなってきているので撮れないかもしれないと思いつつカメラを取り出すとちょうど電池切れ。その時は、どうせうまく写らないだろうと思ってあっさり諦めたのだが、しばらくすると距離が縮まったのかくっきりと見えるようになって来たのがちょっと残念。宮地を出ると阿蘇カルデラを東に抜けることになる。立野のような外輪山の切れ目がこちらにはないので、つづれ折りとトンネルで越えていく。

熊本から大分への分水嶺を越え、これまで登ってきていた豊肥本線は下りに転じる。この先それほど見所があるわけではないはずなので、目を閉じて寝に入る。しばらくうとうとしていたが、PHSがメールを受信したバイブレーションで目が覚めた。やれやれ、会社からだよ。返信のメールはすぐ書けたのだが、ちょうど圏外になってしまって送信できない。そもそも、うけとったメールも送信時間から実際に受信するまで30分近くかかっているようだ。たまたま駅近くになって受信できるようになったのかな。大きな駅に到着し、アンテナが立ったところですかさず送信。その後、線路が大野川に沿って走るようになる。球磨川沿いの肥薩線もよかったけど、この景色もわりといいね。予想外の収穫である。時刻はそろそろ5時に近いが、窓の外はまだ明るい。考えてみれば、東京と比べて経度にして6度か7度は西にあるはずで、そうすると20分から30分ほど日没が遅くなるということだ。もともと5時には暗くなることを織り込んで計画していたのだが、少し変更が必要になるかもしれない。自由度が高くなる方向への変更なので歓迎だ。

ちょうど日が暮れた頃に大分駅到着。基本的にはまだ地平なのだが、一部高架ホームの供用が始まっているらしい。この時期に来ることができてよかったのだな。

昨日から本日にかけての旅程:
東京(1803)→熊本(1149) 1レ~41レ
熊本(1436)→大分(1728) 1076D

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2008年11月21日 (金)

もひとつ、お先に失礼

今日、久しぶりに松浦さんの blog L/D が更新されていたと思ったらどっかで聞いたような内容で、最後までめくってみたらやっぱり先日三十一が触れたのと同じ blog に触発されて書いた記事でした。

我、如何にして占いより脱せしか (松浦晋也のL/D)

三十一はあまり占いにハマったことはない(単に忘れているのかもしれないが)と思うけど、実は一時期筮竹を習おうかと思ったことがある。あの竹ヒゴの束をジャラジャラやって占う、あれだ。別に本気で占い師になろうと思ったわけではなく、たまたま中国思想にハマっていたときに儒教の基礎教典のひとつである「易経」に関連してちょっと試してみた程度のことである。
ただ「易経」の経文や解説などを読んでみると、なんだか漠然としたことしか書いていない。それを実際の状況に応じて読み解くのは占者の力量だ、などとそれらしいことが解説に書かれていたけれど、要するに何も決まったものはない、ということだねえ。

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やむごとなき方々

会社帰り、最寄り駅に着いた電車を降りてみると向かい側のホームに珍しい車両が停車していた。

081120_2201002

思わず携帯で写真を撮ってみたが、このときほどデジカメを持っていなかったことを悔やんだことはない。三十一のほかにも何人か群がって写真を撮っていた。みんなが「鉄」のようには見えなかったけど。

「鉄」には説明不要だが、これはお召し列車にも使われるE655系電車だ。つい先日、国賓として来日したスペイン国王を応接するために初めて(お召しとして)出動したというニュースを聞き、それが上野から水戸までの区間であったことを知って「時間さえ合えば実際に見かけたかもしれないのに」と残念に思ったものだったが、こんなところで見かけることになろうとは。

まあE655系は、お召しとして使われないときは団体列車にも活用されるということで、先代のお召し(1号編成)よりは見かける機会は多いかもしれない。車両を見かける機会は多いかもしれないが、今の陛下は改まってお召し列車を仕立てることをあまり好まず、もっぱら定期列車を利用しているらしいから、「お召し」として見かける機会は少なくなっちゃうかもね。実際、このE655系は1年前に完成していたのだが、「お召し」としての初出動まで時間がかかっている。

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2008年11月19日 (水)

ダーツに聞いてみようか

ちかごろ、他人のふんどしで相撲を取ってばかりいるような気がしたので、久しぶりに自分のネタを。

実は来週休んでどこかに行こうと思っているのだが、未だに行き先が決まっていない。今の候補は3つ。

1.来年春での廃止が決まっている、名残のブルートレインで九州へ。
2.格安の誕生日きっぷを使って、三十一未踏の地四国へ。
3.この時期は初めてだなあ。やはり年に一度は北海道。

体力が許せばダブルヘッダーという力業もありえるが、さすがにトリプルヘッダーは無理。どれにしようかなあ。
緊急性が高いという意味では1だけど、逆に言うとブルトレ以外のセールスポイントが少ない。以前九州旅行したときに行き損ねた佐世保を訪問するということだけは決まっているけどね。
四国も別に急ぐわけではないけど、この時期を逃すと格安で回れるのはまた1年後になってしまう。普通のフリー切符でもそれほど高いというわけでもないが。
北海道もさすがに行き過ぎだという気もしなくもないが、せっせと北斗星に乗ってできるだけ延命させようというのが三十一のひそかなライフワークなのだ。新幹線の青森延長も迫ってきたし。

いつものように、直前まで悩むんだろうなあ。もっとも、当初の予定では「あわよくば金曜の夜行で」なんて思っていたのが、マンションの地上波デジタル対応工事が急に入ってしまって土曜まで在宅していなければいけなくなった。やっぱり、どれかひとつに絞らざるを得まい。NFLも佳境に入ってるし。わがデンバーもなんとか地区首位を保っていて2005年シーズン以来のプレーオフが濃厚になってきていることだし。

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2008年11月18日 (火)

Astrology と Astronomy は似ているが違う

Astronomy: 天文学
Astrology: 占星術

~logy のほうが「術」だというのは不思議な気がするが、単に古くからあってそれらしい呼び方をとられてしまったということだろう。

アシモフがある会合で女性に天体の話をしたら「まあ素敵。あなたも占星術を信じてらっしゃるのね!」と言われて絶句したとかいうエピソードをエッセイで紹介していたけれど、そういう会合ならともかく、kikulog に占星術信者が乱入するのはまったく場違いだ。

「超能力番組を10倍楽しむ本」山本弘 (kikulog)

ま、トピのタイトルはほとんど関係ないけど。

当人は科学者に占星術を信じさせようと思ってるのかねえ。風車に突進するドンキホーテみたい。痴人の夢ですな。

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2008年11月17日 (月)

百聞は一見に如かず

いろいろなところで話題になっているけど、太陽系外惑星が初めて直接観測された。これまで、主星のゆらぎとか光度の変化などの間接的な観測で多数の太陽系外惑星が観測されてきたけれど、ついに画像として系外惑星が確認された。
記事はこちらにリンクしておこう。

Hubble images exoplanet (spacflightnow.com)

記事のタイトルの通り、この発見はハッブル宇宙望遠鏡の成果だ。ハッブルのメンテナンスミッションは来年まで延期されてしまったけれど。
直接観測に成功したことの意義は大きい。これまで用いられてきた間接的観測では、対象となる惑星の公転軌道が、地球から見た視線と並行に近くないと変化が観測しづらい。直接観測では、観測対象の恒星系の北極(あるいは南極)方向からでも観測可能だ。むしろ直接観測の場合は観測しやすいことも考えられる。

系外惑星については、右の柱に紹介している「異形の惑星」を読むべし。ただし、わずか10年も経っていないにもかかわらず、この分野での進歩は急激だ。最新情報でないことは覚悟すべきだろう。

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2008年11月16日 (日)

親の因果が子に報い

kikulog でここしばらくのあいだ沸騰していたトピック。

911真相究明フォーラム in OSAKA (kikulog)

とはいえ、中身とタイトルにずれがあるので注意。まあ kikulog ではよくあることだけど。300近くもレスがついていて、一見盛況のようだけど、結局は「報い」という言葉からオカルトしか思い浮かばないボキャブラリー不足で想像力不足な「姫」が騒いでいたというだけのことでしたね。

三十一自身が911の責任をどう考えるかという点については、すでに前にも書いている

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2008年11月13日 (木)

お先に失礼

この秋に予定されていたハッブル宇宙望遠鏡(HST)のメンテナンスミッションが、HST自体の不具合により延期され、一方でH2Aによる温室ガス観測衛星(GOSAT)の打ち上げは来年になった。

そんなことをしているうちに、スペースシャトルの国際宇宙ステーション(IST)ミッションが先に行われることになった。

All systems looking good for Endeavour's launch on Friday (spaceflightnow.com)

コマンダーの Chris Ferguson は、今回のミッションの目的は "home improvement" だ、と述べている。細々とした生活設備の整備や交換、そして来年から長期滞在クルーが現在の3名から6名になるのに備えた設備の追加。アメリカ人は自宅に自分で手を入れるのが好きだからなあ。Home Depot の馬鹿でかさを見ただけでもそれがわかる。
しかしせっかく造った家もどれくらい使う気があるのかね、アメリカは。

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2008年11月11日 (火)

奇数月、ゾロ目

1月1日は元旦。
3月3日は桃の節句。
5月5日は端午の節句。
7月7日は七夕。
9月9日は菊の節句。

では、11月11日は?

答えは休戦記念日。

今日からちょうど90年前、1918年11月11日に第一次世界大戦の休戦が発効した。ヨーロッパ大陸では Armistice Day 休戦記念日、英連邦諸国では Remembrance Day 追憶の日、アメリカでは Veterans Day 復員軍人記念日と呼ぶ。
戦争というものを考える日として、日本ではもっぱら8月15日とされているが欧米ではこの日、11月11日がとりあげられる。規模という意味では第二次大戦のほうが長期間にわたり、被害も大きく、またその後の影響も大きかったのだが、19世紀までのスポーツ的な、と言って悪ければ純軍事的な勝敗がただちに戦争の勝敗に直結するような戦争のやり方をぶちこわし、さらに重要なことに近代ヨーロッパという「理性」と「調和」の(ヨーロッパ人中心の、だが)時代の雰囲気を完膚無きまでに粉砕してしまったという意味で、第一次世界大戦(当時は単に Great War と呼んだ)はまことに衝撃だった。

実は三十一は最近、第一次世界大戦に興味を持っていろいろと調べはじめているのだ。だから、朝起きて今日が11月11日だと気づいたときにはすぐにそれが Armistice Day / Remembrance Day / Veterans Day であることを思い出した。

ちなみに、この休戦記念日が11月11日とゾロ目であるのは偶然ではない。正確な休戦発効時刻は、パリ時間で1918年11月11日午前11時。意図的に11を並べたとも言われている。

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2008年11月 9日 (日)

「原潜で事故」という字面に過剰反応するのはやめようよ

ウラジオストク近海で整備後の試験航行中の原潜で事故があって死傷者が出たとか。

ロシア原潜、日本海で事故 多数死傷、放射能漏れなし (asahi.com)

記事によると、事故を起こしたのはNATOコードネームでアクラ級の攻撃原潜ネルパ Nerpa だとか。わざわざ「NATOコードネームで」と記したのは、ロシア側の呼称で「アクラ級」と呼ばれる原潜が別にあるからで、それはNATOコードネームでは「タイフーン級」と呼ばれる弾道ミサイル原潜だ。

事故の原因は消火装置の誤作動だという。密閉性の高い原潜内部でハロゲン消火設備が作動したら、中にいる人間はひとたまりもないだろう。ハロゲンだと報じられたわけではないが、少なくともそれに準じた不活性ガスを使った消火装置だということは想像に難くない。

原潜事故ということで大きく取り上げられているが、伝えられている事故の内容が正しいなら船体や機関部に直接の損害はないわけで、ガスを吸着させるなり浮上してハッチを開放するなりすればそれ以上の被害は防止できるはずだ。

追記:

その後の報道で乗組員の肺から消火剤が見つかったと伝えられているから、泡沫式消火剤だったかもしれない。

再追記:

放出されたのはフロンガスだそうで、やっぱりハロゲン消火装置でしたね。

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2008年11月 8日 (土)

国会に任せる気になれない日本的"民主主義"

空幕長更迭騒動に関連して、民主党が「幕僚長を国会同意人事にしろ」と言っているとかいないとか。

アメリカでは将官の昇進と軍の要職はすべて議会の承認が必要となっているはずなので、「それもひとつの考え方かもしれない」と、一瞬は思ったのだが、実はすごくおかしな議論であることに気づいた。

民主党の提案者に聞いてみたいのだが、これまでも大臣が何度も「不適切発言」で更迭されているが、一度も「大臣を国会同意人事にしろ」とは言わなかったよね。なのになんで「幕僚長を国会同意人事に」なのかな。

そもそも、幕僚長の任命権者は防衛大臣で、防衛大臣の任命権者は内閣総理大臣だ。仮に幕僚長の任免に国会が関与することになったとして、その上位者である防衛大臣の人事に国会は直接関与できない。中抜けになってしまうわけで、それで本当に国会による統制ができるのかね。

アメリカでは上記の通り軍の高官に対して議会の承認が必要だが、軍を統制する国防長官についても議会の承認が必要だ。国防長官に限らず閣僚一般がそうなのだが。つまりアメリカでは政権上層のかなりの深さまで、議会が直接人事を審議して承認するようになっている。

いっぽうの日本では、たぶん国会同意人事は政策的に重要でありながら政府からは比較的独立した組織の長に対して必要とされているように思われる。少し前に与野党間でかけひきがあった日銀総裁はこれに該当するし、例えば会計検査院長などもそうである。
しかし自衛隊などは、内閣総理大臣を頂点とするヒエラルキーに、明確に属している。つまり、トップを押さえることで全体を統制するという考え方だ。内閣総理大臣は国会によって選挙されることは言うまでもあるまい。
もし、国会による同意人事の範囲を拡大しようとするなら、ある程度の範囲(たとえば大臣・副大臣・政務官・事務次官および外局の長官など)をおしなべてカバーすべきだ。そうでなく、とってつけたように特定の個所だけを抜き出して制肘しようというのは、組織の指揮系統の健全性にとって望ましいこととは思えない。

ただ、論理的にはそうであっても、日本の国会があらゆる高級人事に対して審議し、承認したり否決したりしている場面を想像すると、理由のない違和感を感じてしまうのを禁じ得ない。これはどうしたことだろう。どうも日本の国会というものは、予算審議にしても参考人喚問にしても儀式めいた、実際的でない単なる実績づくりにすぎないような印象があるのではなかろうか。その点が、つい先日まで何ヶ月もかけて議論に議論を重ねて(ネガティブキャンペーンもあったけど)次代の指導者を選ぶアメリカの、本当に地に着いた民主主義と、日本の根無し草民主主義の違いなのだろうなあ。

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2008年11月 7日 (金)

穴がキター

先月31日に田毋神・前空幕長が解任されてから1週間の空席を経て、今日7日付で後任の空幕長が発令された。三十一が予想していた永田航空総隊司令官(17期)ではなく、情報本部長の外薗健一朗空将(18期)の就任となった。

実はこの記事のコメントで「18期からなら外薗空将が最有力と考えていたのだが、情報本部に出てしまったので」と記している。まったく予想外というわけではなかった、ということはここで言っておこう(言い訳です)。
少し補足しておくなら、これまでの歴代情報本部長は、すべてこの職を最後に勇退している。情報本部は重職ではあるものの、自衛隊内部のメインラインから考えれば傍系で、いったんここに出てしまった人間がトップに返り咲くというのは難しいのではないかと考えていた。とは言え、情報本部自体がまだできて日の浅い組織で、外薗空将も第5代の本部長に過ぎないから、不文律というほどのものはまだ出来上がっていないだろう。少々の融通は利くかもしれない、というくらいの漠然とした予感はないわけではなかった。

18期の外薗空将が空幕長となったため、17期の永田空将は現職・航空総隊司令官での勇退が確定。それほど先のことではないだろう。

そのほかの主な異動は、後任の情報本部長に現統幕副長の下平幸二空将(19期)。そして統幕副長には、現護衛艦隊司令官の高嶋博視海将(19期)。高嶋海将は、「あたご」衝突の逆風を乗り越えての統幕副長栄転となる。これは予想の範囲内だった。護衛艦隊司令官には、掃海隊群司令の河野克俊海将補(21期)が、海将に昇進して就任。今年春までは海幕防衛部長の要職にあったが、「あたご」後の人事で掃海隊群に転出していた。掃海隊群司令もけして軽い職ではないが、海幕防衛部長/護衛艦隊司令官に比べればやや格下だ。

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はやったりすたれたり

ついこないだ、「最近のヒット曲はどれも同じに聞こえる」なんて記事を書いたけど、それを象徴するような事件が起きましたなあ。一時は年収20億を誇ったプロデューサーが金に困ったあげく詐欺を働いたとか。

何しろ曲の区別が付かないくらいだから、三十一には歌手の区別も付かない。小室哲哉と小室等がしばしばごっちゃになるくらいだ。そんな三十一がなんでこんな記事を書いたかと言うと、たまたま今週は風邪をひいて会社を休んでいて、そうすると昼間のテレビがくり返し触れるので嫌でも覚えてしまった。

しかし考えてみれば、三十一はピンクレディーや、沢田研二や、田原俊彦や、松田聖子といった一世を風靡した人気歌手が、あるときを境にぱったりと見かけなくなるという現象をリアルタイムで見てきた。小室・・・えーと、哲哉のほうだっけ・・・が、近頃ちっとも売れなくなったというのも充分あり得ることでそれほど珍しい現象ではない。流行りものはいつか廃れる運命にある。廃れさせたくないなら、常に進化し続けなくてはいけない。だが「流行る手法」を会得してしまったからこそ、逆にそこに安住してしまいやがて置いていかれることになったのだろう。

ま、ちょうどいいから絶滅すれば? 別に三十一は痛くも痒くもない。

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2008年11月 1日 (土)

10月の打ち上げ

10月は6基で、ほぼ平均的と言えるだろう。興味を惹く打ち上げはソユーズと、チャンドラヤーンだがすでに触れたので省略。むしろ、当初予定されていたハッブル望遠鏡メンテナンスミッションが延期されているのが注目。

1日 06:37GMT、ドンバロフスキー(ロシア)、ドニエプル(THEOS)

12日 07:01GMT、バイコヌール(ロシア/カザフスタン)、ソユーズFG(ソユーズTMA-13)

19日 17:47GMT、クェジェリン(アメリカ/マーシャル諸島)、ペガサスXL(IBEX)

22日 00:52GMT、スリハリコタ(インド)、PSLV(チャンドラヤーン1)

25日 01:15GMT、太原(中国)、長征4B(資源6-3A、資源6-3B)

25日 02:28GMT、バンデンバーグ(アメリカ)、デルタ7000(COSMO-3)

29日 16:53GMT、西昌(中国)、長征3B(Simon Bolivar)

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幕僚長人事、浪高シ

次期統合幕僚長の本命は田毋神空幕長だと言い続けてきたのになあ。

田母神航空幕僚長の更迭、閣議で了承 (asahi.com)

意見の当否は別にして、自ら望んで目の前にしていた統合幕僚長の座をフイにしてしまったわけだ。

これで次の統合幕僚長は折木良一陸幕長(16期)にほぼ確定。後任の陸幕長は、三十一の推測では泉一成東部方面総監(18期)。

空幕長の職務は当面岩崎茂空幕副長(19期)が代行するそうだが、このまま本職に横滑り、とはならないと思われる。やはり永田久雄航空総隊司令官(17期)の昇進か。

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