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2008年11月26日 (水)

東の端から西の端へ

昨夜泊まったホテルの目の前の道路で工事が始まって、これは寝られないかもしれないと思ったが、実際にはほとんど一瞬のうちに眠ってしまったらしい。疲れていた、というか体調が悪いんだね。

昨日は豊肥本線で西から東に九州を横断したが、今日はもうひとつの九州横断線、久大本線で再度西へ向かう。久留米と大分を結ぶという意味で久大本線と呼ばれている路線だ。博多行きの特急「ゆふ」は最近供用が始まった高架ホームから発車するらしい。改札を入り、いったん地下道に下りて一番奥のホームにあがる。そのホーム自体は列車の発着には使われていないらしいが、そこからさらに階段を上がって中二階のコンコースに出、もう一階上がって目的の高架ホームとなる。今日の「ゆふ」に使用されているのは昨日乗った「九州横断特急」と同じキハ185の3両編成。どっちが景色がよいのかわからなかったのだが、1両目の自由席に乗り込んでみるとすでに先客があって、右側先頭の座席を占めていた。先を越されて気づく、この席からは前方が非常によく見える特等席なのだ。左側では運転席が邪魔になる。それにつられて、三十一も何列かうしろの右側窓際に席を占める。実はこれは失敗でした。

いったん東向きに発車し、大きく右にカーブして西に向かう。いやあ、線路の上に架線などという邪魔者がいない路線はいいねえ。だから三十一は北海道が好きなのかもしれない。なにしろ北海道のJRの大半は非電化単線だ。閑話休題。南大分駅を過ぎると市街地から外れる。ちょうどそのあたりで高速道路をくぐる。豊後国分という、国分寺跡がほど近いという駅にとまったが、かつての豊後国の中心地も今は見る影もない。これから由布院方面に向け、大分川に沿って高度を上げていっているのだが、どうも川はずっと進行方向左側を流れているらしい。右側の席からは川面はほとんど見えません。無念。そのうち反対側に渡るかもしれないなどという虚しい期待は虚しいままに終わった。ひとつ峠を越えて由布院盆地に入ってきたのだが、かなり濃い霧。前方にかすかに由布岳らしき影が見えるのだが、ほとんどわかりません。これなら右側に座っていようが左側に座っていようが関係ないとわずかに溜飲を下げる。
由布院を過ぎたあたりで、右手に大分自動車道の忌々しいコンクリートの塊が見えてくる。実は大分自動車道は、久大本線にほぼ並行しているのだ。ああ忌々しい。やがてちょっとした盆地と市街地が現れる。日田だ。日田は江戸時代に九州の要として幕府の天領になっていたことで知られる。九州北部のほぼ中心に位置する日田は、大身の外様大名たちを牽制するのに格好だったのだろう。日田から2駅、夜明駅で日田彦山線が分岐する。どうしてここに分岐を持ってきたのかわからないくらい、何の変哲もない山間の小駅。純粋に地形上の問題かな。

夜明駅は大分県最後の駅。福岡県に入ると、一気に視界が開ける。筑後川が形作る筑後平野の、もっとも奥地になるらしい。遠景には山が見えるのだが、少なくとも線路のまわりは平地になった。乗っていてわかるような勾配も感じられなくなった。晩秋の、あるいは初冬の日本の農村の風景。薄茶色の、あるいは焦げ茶色のモノトーンの中に鮮やかなコントラストを示すのは、柿の実のオレンジだ。

久留米に近づくにつれ、市街化が進んできた。豊肥本線の熊本側と同じように、そうね、筑後大石駅あたりまで電化して電車を走らせればペイしたりしないかね。三十一の個人的な趣味としては電化してほしくないけど。九州新幹線の躯体が見えてくると、鹿児島本線と合流。しばらくは並行して走っていたが、駅の直前で本線を横断して鹿児島本線の上り線に入って久留米に停車。ちょうど同じタイミングでED76に牽かれた下り「はやぶさ」が入ってくる。昨日はあの列車に乗っていたわけで、ちょうど24時間かけて一周してきたことになる。もっとも、昨日の「はやぶさ」から見た「ゆふ」は黄色いキハ75だったけど今日は四国のお古のキハ185だ。電化複線の鹿児島本線を博多方面に走る。左側には九州新幹線の高架橋がのしかかるように走っている。筑後川を渡り、高架橋が離れて見えなくなったかと思うと鳥栖に到着。ここで「ゆふ」を下りる。

鳥栖駅には西側にしか出口がない。巨大なサッカースタジアムがある東側には、自由通路というか歩道橋で線路を越える必要がある。三十一もその歩道橋を渡る。サッカースタジアムではなく、線路のすぐ横に保存されている230形蒸気機関車268号の写真を撮るためである。これって、いわゆるA8かな。

Pb260013

30分ほどあとの「かもめ」で長崎方面へ。3度目になる白い「かもめ」だ。この車両自体は好きなんだが、手入れがよくないと白いだけに汚れが目立つんだよなあ。真っ白だったら本当に綺麗だろうに。うーむ、模型が欲しくなってきた。平日の昼前とあって、車内はビジネスマンが多い。かろうじて左側窓際にありついた。長崎本線では海はずっとこちらである。佐賀につくと、車内はかなり空いてしまった。佐賀というとあまりイメージがよくないが、それなりにビジネスのタネはあると見える。このあたりまではほとんど平地で885系の振り子機能は宝の持ち腐れだが、肥前鹿島を過ぎたあたりから山が海岸に迫ってきて、線路は海岸沿いに左右し885系もその身を揺らして力走する。左手は遠浅の有明海。海苔養殖とおぼしき棚が海面に浮かぶ。やがてその海も見えなくなり、ひと山越えると諫早。ここで下車する。

ここまでは予定通りだが、ここから先の予定は確定していない。オプションはふたつ。まずひとつは、ついに島原から先が廃止されてしまった島原鉄道を往復して、それから今夜の宿泊地である佐世保に向かう。そしてもうひとつは、ここから長崎までの長崎本線のうちいまやローカル列車しか走らない非電化の旧線を制覇し、それから佐世保に向かうというプラン。どちらかに決められなかったのは、旅行に持ってきている携帯時刻表に島原鉄道の情報がほとんど載っていなかったせいだ。現地に来て島鉄のダイヤとか所要時間を見て決めようというわけである。諫早駅には、島原鉄道の発車時刻表はあったが所要時間がわからない。幸いなことに旅行センターがあったので備え付けの大型時刻表で調べてみると、諫早から終点島原外港までおよそ1時間。往復で2時間といったところだが、終点まで行く列車が意外に少ない。今からだと最速で帰って来るのは16時前。それだと、次の佐世保行きが17時過ぎになってしまう。大村線快速にはシーサイドライナーというニックネームがついているのだが日が暮れてからでは意味がない。というわけで島鉄プランは却下となり、長崎旧線プランが採用と相成った。

まずは長崎行きの電車に乗り込む。これは電車であって、新線を経由する。分岐となる喜々津駅で旧線を行くディーゼル車に接続するのだ。どうせ2駅だから立っていてもいいんだけど、席が空いていたので座る。そこそこの乗車率で発車。ところが次の西諌早駅について思わずのけぞった。ホームが制服姿の高校生で埋まっているのだ。どっと乗り込んだ高校生でいきなり車内は阿鼻叫喚。まだ昼過ぎなのになあ。期末試験にはまだ早いよね。乗り換えとなる次の駅で降りられるかどうかも不安だったが、喜々津駅では高校生もかなり降りていったのでそれに混じってホームに下りる。高校生たちは跨線橋を渡ってぞろぞろと乗り換えて行く。あれについて行けばいいんだろうなあ。絶対に席にはありつけないと覚悟していたんだが、奇跡的に右側、つまり海側の席にありついた。

喜々津駅を発車してすぐに右にカーブし、海岸沿いに出る。すごいぞこれ。まるで海の上を走っているようだ。新線が開通するまでは、夜行特急「さくら」も、昼行特急「かもめ」もこの景色を見ながら走っていたんだなあ。輸送力増強のためとはいいながら、この景色がほとんど見られなくなってしまったのは残念なことだ。廃線にならなかっただけよかったとも言えるけれど。大草までは海岸に張り付くように走っていた線路が、大草駅を過ぎると急激に高度を上げていく。あからさまにディーゼルエンジンの音が高くなる。谷を峠に向かって登っていく線路の、向かい側の斜面は一面のみかん畑だ。筑後平野で見かけた柿とは違う色合いのオレンジの実。峠をトンネルで越えると今度は下り。下り勾配の途中に本川内駅がある。ここは近年までスイッチバックだったが最近設備が撤去された。本線上に新たにホームが設置されているが、かつて使われていた線路には線路止めが置かれ、ホームは草むしている。旧ホームの駅名標の、駅名板だけが取り外され、外枠の鳥居部分だけが残されてぽつんと立っている風景は何とももの悲しい。この急勾配があったせいで内陸部に新線が建設されたんだけど、現代の電車にはこの程度の勾配は屁でもないはずだ。

長与駅で高校生はほとんど下りてしまい、次の高田駅ではホームに掲示されていた病院の広告看板に誤字を見つけてしまう。「長崎県西彼杵群」って何さ。西彼杵郡だろうに。群れてどうする。浦上で電化の新線と合流する。非電化よさらば。ほどなくして長崎。

長崎で昼食を摂り、佐世保に向かう快速に乗り込む。長崎方面から大村線に入る列車は、大村線が非電化なので当然ディーゼル車だ。せっかくディーゼル車だから、ということかもしれないが各駅停車は長崎線内は旧線を経由する。ところが快速列車は新線経由なのだ。「快速」だから早いほうで、という意図はわかるが「シーサイドライナー」という名前なんだから海沿いの旧線を通ってほしかったなあ。この名前は大村線が海沿いを走ってることからつけたんだろうけどね。長崎から諫早までは扉脇長手のロングシートに座っていたが、諫早でだいぶすいたので海側の窓際に座り直す。諫早駅構内はほぼ南北方向に線路が走っていて、本線たる長崎本線は駅を出ると大きく右に曲がって鳥栖方面に向かい、分岐であるはずの大村線がほぼまっすぐ北向きに走る。実は、今の大村線がかつての長崎本線だった。そのためにこういう線路配置になったのだろう。鹿児島本線からの分岐点、鳥栖から長崎まで最初に線路がつながったとき、明治31年の長崎本線は肥前山口から現在の佐世保線に入り、武雄・有田を経て早岐から現在の大村線に入り、大村湾沿いを南下して諫早に至りそこから長崎に向かっていたのだ。現在の有明海沿いの長崎本線がすべて開通したのは実に36年後の昭和9年である。

諫早を出た列車は、またも非電化の大村線に入る。大村、竹松、川棚などなじみのある地名が続く。大村はかつての海軍航空隊の所在地で現在でも陸自駐屯地や海自第22航空群などが所在する。竹松には陸自の駐屯地があり、川棚はかつて川棚海兵団が置かれた(佐世保第二海兵団と呼んでいた時期もある)。そしてこの列車の終点は佐世保である。説明不要な日本の海の護りの西の要だ。しかし車窓からは大村湾は見えるがそれらしい施設は見かけることができなかった。わずかに大村付近ではるかに点のようなヘリコプターが一瞬見えただけである。AH64みたいに見えたけど、SH60だろうね。

ハウステンボス駅につくと、またもや頭上に無粋な架線が現れる。ホームの目の前は川と見まごうような針尾瀬戸。その向こうは針尾島で、何度も見たことのある、しかし実見するのははじめてのハウステンボスが広がっている。正直三十一には何が楽しいのかわからない。まあ需要があるところにはあるんだろうね。早岐駅で佐世保線と合流。駅構内は非常に広い。ここにも大きな機関区があったはず。終着の佐世保駅は近代的な高架駅になっていた。ホームから港が見え、沖がかりしている自衛艦が目に入った。「はつゆき」型の練習艦だねえ。なんで練習艦だとわかるかと言えば、艦首に描かれている艦番号が4桁だったから。具体的な番号まではわからなかったけど、護衛艦に残っている「はつゆき」型の艦番号は3桁だから、練習艦に移籍された艦だということはわかる。なんで「はつゆき」型だとわかるかと言えば、それはもう「見ればわかる」としか説明しようがない。

本日の旅程:
大分(0818)→鳥栖(1049) 82D
鳥栖(1120)→諫早(1236) 2017M
諫早(1310)→喜々津(1318) 829M
喜々津(1328)→長崎(1410) 5135D
長崎(1511)→佐世保(1700) 3238D

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