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2009年5月15日 (金)

「日本の歴史04 平城京と木簡の世紀」

このシリーズも名の知られた(あるいは知られない)個人の登場する時代に入ってきた。

基本的には奈良時代中心、ということになるのだが厳密には天武天皇から称徳天皇までを取り扱っている。つまりは天武天皇とその子孫の時代、ということになるが日本のこの時代はある意味「女帝の世紀」と言えるかもしれない。690年の持統天皇(在位690~697)の即位から、元明天皇(707~715)・元正天皇(715~724)・孝謙/称徳天皇(749~758/763~770)と女帝の時代は半分におよぶ。この間、男帝は文武・聖武・淳仁の3代にすぎない。しかしこれ以後、皇統が天智系にうつってからは女帝は絶え、次の女帝の登場は江戸時代にまでくだる。

この時代は飛鳥浄御原令、大宝律令、養老律令のあいつぐ制定により律令国家の成立を思わせる。そのいっぽうで、三世一身法・墾田永年私財法により当初の理想であった律令国家の崩壊のひきがねとなったと言われている。しかし現在の学界ではこのような見方は影を潜め、中国の制度をそのまま取り入れた律令の制定に対して、日本の実状に合わせた対応をしていった過程だと考えられるようになった。つまり、律令国家の崩壊ではなく、「日本的律令国家の成立」とみなされている。三十一が学生時代に習った日本史とはずいぶん趣が変わったなあ。

この時代を示す貴重な考古学的資料が木簡である。8世紀の木簡の出土量はそれより以前の時代あるいはこれ以後の時代のそれに比べてぬきんでて多い。これ以前の時代はこれほど多くの木簡を必要とするほど官僚制度が発達していなかった。官僚制度の潤滑油である文書がそれほど必要なかったのである。これ以降の時代は、文書は紙に書かれることになる。官僚制度が発達しながら、紙が未普及のこの時代だからこそ大量の木簡という一次資料に恵まれたのだろう。

大量の木簡出土をもたらした長屋王邸発見という大事件は、ちょうど三十一が学生のときのことだった。時代はバブルの真っ最中で、開発にともなう発掘で見つかったのだ。結局長屋王邸あとはデパートになってしまった。そのデパートもバブル崩壊のあと2000年に閉鎖に追い込まれた。人の世の無常を思わせるエピソードだ。

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