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2009年5月31日 (日)

「日本の歴史06 道長と宮廷社会」

実際に読み始めるまでは、いくら有名人とは言え藤原道長ひとりに一巻を費やすなんて、と思っていた。このシリーズ26巻のうち特定の人名が副題に含まれているのは道長の他は頼朝だけである。
しかし読んでみると、封建時代以前の古代国家の集大成が道長の時代になされていることがわかる。すべての事績を道長ひとりに帰することはできないにしても、この時代に古典的な「日本」が一応の完成を見たとは言えるだろう。
いま、日本的な宮廷文化と考えられているものは実はほとんどこの時代のものだ。これ以前は中国に範を取った律令を基盤としているが、基本的に律令制は君主(天皇)と個々の官人が一対一で対峙する構造になっている。しかしこの時期には天皇が朝堂に姿を見せることはほとんどなくなり、逆に昇殿を許された一部の高位貴族と近臣者が内裏の中の陣座で合議して政策を定めるという方法ができあがってくる。一般官人と天皇の仲介をするのが公卿あるいは殿上人の役割となる。その中で地方の責任者である受領は比較的官位が低い(五位)にもかかわらずその任地赴任に際して天皇に謁見する例であった。受領の選任(除目)と評価(功過定)は陣定のなかでも重要な議題とされている。中央政府は受領に大きな権限を与えて基本的には統治を任せていたが、人事と考課でその首根っこを押さえていたことになる。であるから、社寺造営やしばしば焼失した内裏の再建に受領の奉仕を期待することができたのだ。受領による税納や上納が「源氏物語」や「枕草子」、「栄花物語」に伝えられる王朝貴族の生活を支えていたのだから、重視するのは当然だろう。

もうひとつ、年中行事をまとめた「年中行事障子」が作られたのはこれより少し古い時代のことだが、摂関時代の年中行事を見ても後の世まで伝わったものが多い。もっとも重要なのは元日・白馬(あおうま)・踏歌・端午・豊明などの節会(宴会)である。この他にも各種法事、あるいは賀茂祭などの祭礼神事。一年のうち大半を宴会と神事と法事に費やしているように見えるが当時はそれこそが「政治」であった。

道長の時代以後、院政期に宮廷政治はもう一度の変革を経る。ひとつは摂関の地位が外戚と関係なくなり家職化したこと、そしてもうひとつは受領が揺任化し地方の実権が在庁官人に移ったこと。前者は、道長によって藤原家主流の家格が比肩するものがないほど高くなり、外戚という手段を必要としなくなったことを意味する。この時期の枠組みが後世に至るまで保持された(保持されるべきと考えられた)と見るべきだろう。後者については以後の巻での検討事項となろう。

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