« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »

2009年5月31日 (日)

「日本の歴史06 道長と宮廷社会」

実際に読み始めるまでは、いくら有名人とは言え藤原道長ひとりに一巻を費やすなんて、と思っていた。このシリーズ26巻のうち特定の人名が副題に含まれているのは道長の他は頼朝だけである。
しかし読んでみると、封建時代以前の古代国家の集大成が道長の時代になされていることがわかる。すべての事績を道長ひとりに帰することはできないにしても、この時代に古典的な「日本」が一応の完成を見たとは言えるだろう。
いま、日本的な宮廷文化と考えられているものは実はほとんどこの時代のものだ。これ以前は中国に範を取った律令を基盤としているが、基本的に律令制は君主(天皇)と個々の官人が一対一で対峙する構造になっている。しかしこの時期には天皇が朝堂に姿を見せることはほとんどなくなり、逆に昇殿を許された一部の高位貴族と近臣者が内裏の中の陣座で合議して政策を定めるという方法ができあがってくる。一般官人と天皇の仲介をするのが公卿あるいは殿上人の役割となる。その中で地方の責任者である受領は比較的官位が低い(五位)にもかかわらずその任地赴任に際して天皇に謁見する例であった。受領の選任(除目)と評価(功過定)は陣定のなかでも重要な議題とされている。中央政府は受領に大きな権限を与えて基本的には統治を任せていたが、人事と考課でその首根っこを押さえていたことになる。であるから、社寺造営やしばしば焼失した内裏の再建に受領の奉仕を期待することができたのだ。受領による税納や上納が「源氏物語」や「枕草子」、「栄花物語」に伝えられる王朝貴族の生活を支えていたのだから、重視するのは当然だろう。

もうひとつ、年中行事をまとめた「年中行事障子」が作られたのはこれより少し古い時代のことだが、摂関時代の年中行事を見ても後の世まで伝わったものが多い。もっとも重要なのは元日・白馬(あおうま)・踏歌・端午・豊明などの節会(宴会)である。この他にも各種法事、あるいは賀茂祭などの祭礼神事。一年のうち大半を宴会と神事と法事に費やしているように見えるが当時はそれこそが「政治」であった。

道長の時代以後、院政期に宮廷政治はもう一度の変革を経る。ひとつは摂関の地位が外戚と関係なくなり家職化したこと、そしてもうひとつは受領が揺任化し地方の実権が在庁官人に移ったこと。前者は、道長によって藤原家主流の家格が比肩するものがないほど高くなり、外戚という手段を必要としなくなったことを意味する。この時期の枠組みが後世に至るまで保持された(保持されるべきと考えられた)と見るべきだろう。後者については以後の巻での検討事項となろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月30日 (土)

肌身離さず

携帯「枕元に」が9割 「トイレにも」が5割超える (asahi.com)

こないだ、会社帰りの地下鉄の駅で電車を待っているとき、前に並んでいた少なくとも10人以上の乗客が全員携帯を睨んでいたのに気づいて背筋が寒くなったことがある。

三十一が社会人になったころ、「携帯電話」なんて代物は影も形もなかったと思う。ようやく自動車電話が出てきたころで、つまり人間が持ち歩けるようなサイズではなかったのである。当時、外出する機会の多かった三十一が持たされていたのは今ではほぼ絶滅してしまったポケベルである。ポケベルが鳴ったときそこが客先であればそこで電話を借りる。今客先で「電話貸してください」などと言ったら「自分の携帯を使えよ」と言われそうだなあ。移動中であったら公衆電話を探すことになる。テレホンカードは必需品だった。

今から見ると不便かもしれないが、当時はそれでちゃんと仕事ができていたのだ。
三十一はそれほど電話に依存していない。ときどき持っていくのを忘れることもあるが、それで困ることはあまりない。友達が少ないからだろうって? ほっとけ。友人の数だけが自慢な「社交家」ではないのだよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月29日 (金)

なりたくない職業

韓国の大統領。

なりたくてなれるものでもないが、仮になれたとしてもなりたくない。

韓国の建国以来、大統領は現職の李明博まで10名を数えるが退任後も名誉を保持し得た大統領はほとんどいない。

初代李承晩は辞任亡命。
2代尹善はクーデターにより失脚。
3代朴正煕は現職のまま暗殺。
4代崔圭夏はやはりクーデターで失脚。
5代全斗煥は退任後逮捕・死刑判決(減刑)。
6代盧泰愚は退任後逮捕・懲役判決(特赦)。
7代金泳三は退任後、親族が逮捕。
8代金大中も退任後親族が逮捕。
9代盧武鉉は退任後自殺。

一時期のアフガニスタンの元首がなる人なる人みんな死んでいるのに驚いたことがあるが、こうして見ると大統領当選は破滅への一里塚と言えなくもない。

そのうちなり手がいなくなっちゃうんじゃないかなあ。そうしたくなければ、退任した大統領を叩くことで自己の正当性を主張するという手法はちょっと控えたほうがいいのではないですかね。
余計なお世話だけど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月28日 (木)

涼宮ハルヒの新作

4月から「涼宮ハルヒの憂鬱」が再放送されていたが、これがどうも新作をまじえた全28話になるという情報がある。それを裏付けるかのように、三十一が見ているチバテレビでは火曜日の夜に新作が放送された。

こちらの記事が詳しいのでリンクしておこう。

ついに「涼宮ハルヒの憂鬱」第2期放送開始、「笹の葉ラプソディ」スタート (GIGAZINE)

実は、ちょっと前この記事から弊ブログに TB が張られていたのだが、TB先の記事が「ハルヒ」ネタでなかったために間違いTBとして消してしまった。

それはさておき、この「笹の葉ラプソディ」は三十一の好きなエピソードなのですよ。特にキョンと朝比奈さんが××の部屋で××の間×××続けて元の×××に××××くるあたり。つまり、キョンが最初に××の部屋を訪れたとき、××××の×××は××××で×××××のだ。(ネタバレ防止のため一部検閲済み)

おっと、カテゴリーに「SF」を追加しておかないと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月27日 (水)

今日は何の日

このフレーズも久しぶりだ。

奉祝 第104回海軍記念日。

5月27日というとこれしかあるまい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

陪審員とエイリアン

今日、ちょっと調べ物をしていて Wikipedia を開いてみた。

メインページに「陪審制」という記事が紹介されていたので、(調べ物が終わったあとに)何となく読み始める。

以下、

陪審制→
裁判員制度
そこをなんとか
メロディ
花よりも花の如く
成田美名子

という連想過程を経て、気がついたら「エイリアン通り」の単行本を引っ張り出して読み始めていた。

単行本はあまりに古いので文庫のほうをリンクしておく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月25日 (月)

自鯖復活

先週の木曜から調子が悪かった鯖だが、対処がうまくいったのか、1時間やそこらで落ちるようなことはなくなった。

何をしたって、メモリーを交換しただけだけど。

なぜメモリーを交換したかと言えば、パーツの中で一番簡単に交換できて比較的値段も安いから。メモリーが逝っちゃってるときには何が起きても不思議ではないという経験則もあるのだが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月24日 (日)

世界一周でもなく日本一周でもなく

一日でできる房総半島一周。

房総特急は京葉線経由なので東京駅の外れ、京葉線地下ホームへ向かう。昼間時間帯は外房特急"わかしお"が毎定時、内房特急"さざなみ"は毎時30分に発車する。入ってきたのはE257系5両編成。自由席である先頭車両、進行方向右側に座を占める。今日の旅程は房総半島を左回りで一周する予定なので、大半の行程で右側に海を見ることになる。

地下区間を抜け潮見で地上に出ても周囲は埋め立て地の工業地帯。あまり見ていて楽しい風景ではない。大きな観覧車が見えると葛西臨海公園、さらに江戸川を渡り千葉県に入ると舞浜だ。舞浜に来たのはもう何年ぶりだろう。ひょっとしたら今世紀に入って初めてかもしれない。なんだか宮殿のようなお城のようなキンキラの大きな建物が見えてきた。昔はこんなのなかったよなあ。ホテルだと思うんだが、正直「ばっかじゃねえの」と思った。何が楽しいんだかよくわからない、浅薄な成金趣味としか見えないのだがなあ。

蘇我駅からは内房線に入る。蘇我は千葉からの外房線と京葉線が合流し、内房線と外房線が分岐する拠点駅で、構内は広い。下り方面に立っている出発信号機のひとつには「臨海」とあって、京葉臨海鉄道が分岐していくことがわかる。駅を出ると右手にJR貨物の千葉機関区が見え、EF65PFやEF210が待機しているのが見える。車両配置はないはずなので、運用合間の待機車両だろう。進行方向右手には上り線と、その向こうにもう一本線路が見える。これが臨海鉄道線かなあと考えていてその線路の上に架線が張られていないことに気づき確信する。とほぼ同時にその確信を裏付けるように青色塗装のDD13形ディーゼル機関車がやってきた。臨海鉄道の線路は海側に離れていく。

このあたりは以前に乗ったことがあるのだが、夜だったのでまわりの景色がよくわからず、実質的には初乗車である。市原市に入るころにはだいぶ緑の多い風景になってきた。袖ヶ浦駅なんか、駅の裏側は一面の田んぼである。仮にも市の中心駅のはずだが。君津駅をすぎると内房線も単線となる。上総湊から線路は海に沿う。以後、館山あたりまで線路と道路が海岸にへばりつくように走る。この付近は若かりしころに数え切れなくくらい車で来たところなので、目に懐かしい風景だ。途中、岩井駅は昔臨海学校で来ていたところで、鉄骨コンクリ打ち屋根なしの無骨な跨線橋に見覚えがある。きれいに塗り替えられているようだが。

東京から2時間弱で終点館山。数年前に来たときは館山駅は地平駅だったはずだが、橋上駅になってしまっていた。これまでの出口とは反対の西側にも駅前広場ができていて便利にはなったんだろうが趣は失われた。
P5230005

館山から安房鴨川までは普通電車に乗る。千葉支社管内、千葉以遠のこのあたりには211系も投入されてはいるが主力はいまだにスカ色の113系だ。もはや都内ではみかけなくなってしまった113系が見られる、東京から一番近い場所と言えよう。館山を出た電車はすぐ左に曲がって東に向かう。千倉駅は、観光シーズンには内房特急が足を伸ばす駅だが対向ホーム2面の何の変哲もない中間駅で、そのまま折り返すがさもなくば館山まで回送するしかないだろうなあと思う。千倉からはまた北上を始める。海岸線とほぼ並行しているはずだがけっこう距離があって海は見えない。フラワーラインの終点付近、和田の近づくと一気に海に近づく。和田漁港の町の真ん中に岩山が聳え立っていたのが目についた。江見と太海の間では、道路と一緒に海を橋で渡る。やがて安房鴨川。

1時間弱の待ち合わせで特急わかしおに乗り継ぐ。またE257系だ。乗り込んでみると編成は6号車から10号車の5両編成。上総一ノ宮でさらに5両増結されるとのことだった。安房鴨川から勝浦まではほぼ真東に走る。海岸線は出入が激しく、海が見えたかと思うと隠れるの繰り返し。途中、とってつけたような乗降ホームが目に入って何かと思ったら「行川アイランド」駅だった。名前の通り「行川アイランド」を訪れる観光客のために設置された駅だったが、肝心の「行川アイランド」はすでに閉鎖されて久しくチェーンで締め切られた入り口と空っぽの駐車場が見えるばかりである。勝浦の次になる御宿から北は、海岸線から少し入ったところを線路が走るため列車から海はほとんど見えない。上総国一宮である玉前神社の門前町、上総一ノ宮駅では前述の通り増結作業がある。これから線路は複線となるが、九十九里平野と房総丘陵の境界付近を走るため、海からはかなり離れる。大網で東金線と合流し、トンネルを抜けて土気を通過するころにはすでに千葉市内。このあたりから睡魔に襲われ、気がついたときには蘇我駅構内だった。内房線外房線の合流するあたりの線路配線を観察しようと思っていたのに、不覚。

ここから先は、来るときに通った同じ道行きなので省略。蘇我でいったん列車を降りて別ルートとなる総武本線で東京に向かう、という案も検討したが面倒になったためやめてしまった。

昨日の旅程:
東京(1130)→館山(1318) 8009M (E257系)
館山(1400)→安房鴨川(1443) 171M (113系)
安房鴨川(1532)→東京(1734) 72M (E257系)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月23日 (土)

鯖不調

木曜日くらいから自鯖の調子がおかしい。
起動するとなにごともないように元気に立ち上がるのだが、しばらくすると落ちている。特に何かしたわけじゃないんだが。

MACアドレスがどうのこうの、と言ってるのでLAN関係の問題かもしれない。ドライバーかそれともアダプタか。アダプタだと痛いなあ。オンボードだからマザボごと交換?

実は今日ちょっとお出かけしてきたのだが、そんなわけで記事を書いてる余裕がない。できれば明日にでも。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月22日 (金)

どこで切ったらいいですか

海上自衛隊がソマリア沖の海賊に対応するため、数機のP-3C哨戒機をジブチに派遣するというニュースはすでに知られている。そのための部隊が18日付で発令された。

厚木の第4航空群、第3航空隊が中心となって編成されるのだろうか、第3航空隊副長が部隊の指揮官を兼ねることとなった。その部隊の名称を「派遣海賊対処航空隊」と言う。

5月18日付防衛省発令1佐人事 (防衛省・PDF)

はじめ三十一がこの文字列を見て脳内で音声化したとき、「派遣海賊=対処航空隊」と分けて読んだ。リズム的にはそうだよねえ。
だがこれだと、「派遣海賊」という熟語があたかも「日本から派遣された海賊」のように思えてひどく違和感を感じた。「派遣=海賊=対処=航空隊」といったん単語ごとに分割し、その後ようやく「派遣=海賊対処=航空隊」と区切るのが発案者の意図だったのだなと気づく。

もうちょっとだけ、センスのある名前が考えられなかったものかなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月21日 (木)

×××で乾杯

タイトルの伏せ字に当てはまる文字としてまず三十一が思い浮かべるのは「ミルク」なのだが、もうこのネタもある程度以上の年齢である程度以下の年齢の、しかも特定の趣味を持った階層の人間にしかわからないだろうなあ。氷上恭子もいまや母親役かあ。

閑話休題。

Space station crew 'toasts' with recycled urine (spaceflightnow.com)

正解は urine、小便、尿、オシッコ、どう言っても同じことだが、国際宇宙ステーション(ISS)に設置された再生装置がこのほど運用を開始した。これを記念してカメラの前でクルーが再生水で「乾杯」してみせたということだ。
ジハイドロゲンモノオキサイド(DHMO)は、定期的にISSに補給される物資のうちかなりの部分を占めている。再生装置を使ったとしても、人間が摂取した水のかなりの部分は汗となって放散されたり、あるいは別の物質に形を変えたりするので、補給をまったくゼロにはできない。それでも今後スペースシャトルという「力持ち」が舞台から去り、既存のプログレス宇宙船、新顔のATV、これから現れる予定のHTVなどが物資輸送を担うことになる。そのためにも少しでも再生できるものは再生するに超したことはない。

究極の目標は、地球からの補充に依存することなく生活を継続することだ。これができれば、どこへ行くにしても時間の制約からかなり解放されるし、また地上で実用化したとしても環境負荷を大きく下げることになる。まあ地球環境にとって一番いいのは人間がいなくなることだろうけど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月20日 (水)

健康のためなら死んでもいい

いまどきはインフルエンザが流行の先端だが、天然痘が「根絶」されたのは三十一が中学生のころだったかな。数ある感染症のなかでまず天然痘が標的に選ばれたのは、その影響が深刻だったことの裏返しである。

死への恐れの前に敗北する神 (忘却からの帰還)

かつてのキリスト教社会では天然痘は「人類に神が下した鉄槌」と見なされていた。この教義に厳密に従うと、天然痘を予防するための接種を受けることはすなわち神の意志に逆らうことになる。1885年のこと、カナダはモントリオールで天然痘が流行した。プロテスタントの教会は接種を受け入れたが、カトリックは拒否した。その結果は推して知るべし。

この記事を読んで三十一は、アフリカから無辜の民を拉致して奴隷として酷使した「文明社会」の論理を思い出した。彼らによると、奴隷となった人々は肉体の自由は失ったかもしれないが、これまで知らなかったキリスト教の「真理」を知り、精神の解放を得た。これは失った肉体の自由を補って余りあるものであり、結局は奴隷自身のためである、というのである。現代の目から見るとまったく噴飯物の議論なのだが、「キリスト教」のところを「将軍様」に置き換えると現代でも(ごく一部で)通用していそうだなあ。

もうひとつの連想としては(こちらのほうが記事の筆者の意図するものだろうけど)、インフルエンザワクチンにリスクがあることは事実であるとしても、それを理由にしてワクチン接種を拒否するのは本末転倒である、ということだ。確かにリスクはゼロではない。だが必要なのは、それぞれの発生確率も含めたリスクとベネフィットを正確に比較判断することだ。目前に見えるリスクだけを評価して、その先にあるベネフィットに目を向けないのは公正な評価とは言えない。それは「神の怒り」を恐れて天然痘に無防備な身をさらすような行ないである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月19日 (火)

「日本の歴史05 律令国家の転換と『日本』」

聖武天皇や孝謙女帝、藤原仲麻呂、道鏡などの個性の強い人物が奈良のみやこという舞台で活躍する奈良時代。
いっぽう、源氏物語や枕草子に描かれた、道長を筆頭とする宮廷貴族が華やかな生活を送る摂関時代。

こういったおなじみの時代にはさまれた9世紀は、日本史の中でも影が薄い。だが、この影の薄い時代を描写したはずのこの巻はかなり面白かった。

律令国家の税収体系が租庸調であるのはよく知られている。王朝時代の地方支配でまず挙げられるのが「倒れたところに土をつかむ」と言われた「受領」である。律令税制が受領制にかわっていくその過程は実に日本的だ。
どんな制度であっても時代が移るにしたがっていろいろと不都合な点が出てくる。時代の変化にあわなくなったり、あるいは「上に政策あれば下に対策あり」と抜け道を考えるヤツが出てくる。こうした場合にどう対応するかと言えば、制度を修正するとか、抜本的に改正するとかではなく、形式的にはこれまでの制度を維持していながら拡大解釈とか言葉のすり替えで実態のほうをどんどん変えていってしまったのだ。
たとえば各国では要所に「正倉」をおいて徴収した米粟を保管しておくことになっていた。ところが地方の有力者は言を左右にしてなかなか素直に納入しようとしない。そこで考えられたのが「里倉」である。有力者の倉を「里倉」として形式上納入済みということにしてしまうのである。帳簿上は立派に国有財産なのだが、もちろんその出入はまったく自由にならない。
こういう弥縫策を何年も何十年も続けているうちに、税目と実態の差はどんどんひどくなり、とっているほうもとられているほうも訳がわからなくなってくる。これらがやがて整理され、中央もこれを追認して最終的には当初とはまったく似ても似つかぬ税制ができあがっていた。
中央は地方に対して名目はどうでもいいから必要とするだけの税さえとりたてられることを期待する。そこで受領に税収の全責任を負わせ、税収さえ中央に送られてくるようなら現地で何をするかは関知しない、という態度をとった。こうして受領制が生まれた。

もともと律令下での地方支配は、地方豪族の末裔である国造層を郡司に任命することで成り立っていた。しかしやがて郡司は実態を失い、郡の役所である郡衙すら廃絶していった。大規模な立法である律令の成立そのものより、律令制度の帰結である受領制の成立こそが地方豪族の衰退を招いたとも考えられる。だが実際に歴史とはそんなものであろう。

もうひとつ、この時代ではまだ「日本書紀」につづく正史である六国史が編まれていた。「日本書紀」は神代から持統天皇の譲位までを記している。「続日本紀」は桓武天皇が編纂を命じたもので六国史の中では「日本書紀」に継ぐ時代を記しているが、文武天皇の即位に始まって、桓武天皇の延暦11年までを記述範囲に含めている。つまり桓武天皇は自分の治世を記した歴史書を自分の時代に編ませていることになる。これは中国由来の歴史書の伝統とは大きく異なる。中国では、歴史書は王朝が変わったあとに自由な立場で前の王朝の歴史を書くものとみなされている。もちろん、前の王朝に対してはどうしても批判的になる。しかし歴史書は批判的なくらいでちょうどいいと考えられているのだろう。
中国二十四正史(数え方によっては二十五史とも)のうち、筆頭となる「史記」は同時代の漢武帝を含めている。しかし何かはばかりがあったらしく、本来の司馬遷の武帝に関する記述は削られているようだ。前漢をあつかった「漢書」は、同族出身で前漢をひきついだ後漢の時代に編まれている。これらだけが例外で、これ以降のすべての正史は王朝交代後に編纂された。

王朝交代のない日本では、中国のような厳密な「断代史」は難しい。万世一系がたてまえだからだ。しかしその中でも「続日本紀」のように、天皇に天皇本人の評価を含む歴史書を上呈した正史は他にない。実際、桓武天皇の時代の最大のスキャンダルである藤原種継暗殺事件とそれにつづく早良親王廃太子は、「続日本紀」の記述から削除されてしまった。次代の平城天皇がいったん復活させたものの、さらにその次代の嵯峨天皇が再度削除している。二転三転、見苦しいことこの上ないが、いったん復活された記述の一部が「日本紀略」に引用されていて結局抹殺することはできなかった。

日本では結局、正史は六国史をもっておわり、定着しなかった。ひとつには万世一系の皇統という特性により過去の人物を批判的に見ることが難しいということもあったろう。中国では、歴史はある意味世論でもある。下手なことをすれば歴史に残り、歴史によって汚名を伝えられることを恐れて行動を抑制する。いかにも面子を重んじる中国らしい話だ。もっとも「名声を得るのが無理ならせめて悪名でもいいから後世に名を残したいものだ」という極端な考え方をも産んでしまったこともあるが。それを支えたのが使命感に燃えた歴史家であり、それを尊重する周囲であろう。

春秋左傳に見え、史記斉太公世家に引かれている「崔杼弑君」という有名な話がある。
中国戦国時代の中期、紀元前6世紀なかばの斉国に崔杼という有力貴族がおり、国政を専断していた。ある時、崔杼と斉の国主莊公は美女を取り合って(ということになっている)争い、ついに崔杼が君主である莊公を殺してしまった。
このとき、斉国の記録官(太史)が「崔杼が君主を殺した」と記述した。崔杼はその記録官を殺し、その弟を後任とした。弟はまた「崔杼が君主を殺した」と記述した。崔杼はその弟を殺し、末の弟を後任とした。末の弟はまた「崔杼が君主を殺した」と記述した。崔杼はついに諦め、末の弟は殺されることなく、記録には「崔杼が君主を殺した」と残された。

この話を読んで「どんな権力者でも記録官は決まった家系から任命するしかなかったんだな」などと本質と違う感想を持ったのが三十一であるが、歴史というものに対する中国人の執念深さを思い起こさせる逸話である。実話かどうかは何とも言えない。ただ作り話だとしてもそれをよしとする風土があったのであろう。

最後は本と関係ない話になってしまった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月18日 (月)

歴史を作るのは人なり

多分3年くらい前から製作にとりかかったもの。うち2年半くらいは放置してたけど。

戦前期日本・宮中政府軍部主要官職人事表

官職とは言えない天皇・皇太子にはじまって、宮中・植民地総督・政府・陸海軍の主要職務の補職を表にしてみました。取り上げた官職は以下の通り。

神祇官知事 神祇伯 内大臣 宮内卿 宮内大臣 侍従長 侍従武官長 枢密院議長 韓国統監 朝鮮総督 台湾総督

太政大臣 内閣総理大臣 左大臣 右大臣 民部官知事 民部卿 内務卿 内務大臣 外国官知事 外務卿 外務大臣 会計官知事 大蔵卿 大蔵大臣 刑法官知事 刑部卿 司法卿 司法大臣 文部卿 文部大臣 農商務卿 農商務大臣 農林大臣 農商大臣 工部卿 商工大臣 軍需大臣 逓信大臣 鉄道大臣 運輸通信大臣 運輸大臣 厚生大臣 拓殖務大臣 拓務大臣 大東亜大臣

軍務官知事 兵部卿 陸軍卿 陸軍大臣 第一復員大臣 兵部大輔 陸軍大輔 陸軍次官 陸軍総務長官 兵部少輔 陸軍少輔 参政官 勅任参事官 陸軍政務次官 陸軍省秘史局長 陸軍省第一局長 陸軍省総務局長 陸軍省軍務局長 陸軍省軍務局長 陸軍省第二局長 陸軍省人員局長 陸軍省人事局長 陸軍省整備局長 陸軍省騎兵局長 陸軍省兵務局長 陸軍省第三局長 陸軍省砲兵局長 陸軍省兵器局長 陸軍省築造局長 陸軍省第四局長 陸軍省工兵局長 陸軍省輜重局長 陸軍省参謀局都督 陸軍省第六局長 陸軍省参謀局長 兵部省会計局長 陸軍省会計局長 陸軍省第五局長 陸軍省経理局長 陸軍軍医頭 陸軍軍医本部長 陸軍省医務局長 陸軍糾問正 陸軍裁判所長 陸軍省法官部長 陸軍省法務局長 運輸部本部長 運輸部長 機甲本部長 航空総監 交通兵団長 航空部本部長 航空本部長 技術審査部長 技術本部長 兵器本部長 兵器行政本部長 憲兵司令官 参謀本部長 参軍 参謀総長 参謀本部次長 陸軍参謀本部長 参謀次長 高級参謀次長 参謀本部総務部長 参謀本部管東局長 参謀本部第一局長 参謀本部第一部長 参謀本部管西局長 参謀本部第二局長 参謀本部第二部長 参謀本部海防局長 参謀本部第三局長 参謀本部第三部長 参謀本部第四部長 参謀本部編纂部長 参謀本部第五部長 監軍 教育総監 監軍部参謀長 教育総監部参謀長 教育総監部本部長 騎兵監 野砲兵監 野戦砲兵監 砲兵監 要塞砲兵監 重砲兵監 高射兵監 工兵監 通信兵監 輜重兵監 化兵監 兵学頭 陸軍士官学校長 陸軍士官学校分校長 陸軍航空士官学校長 陸軍大学校長 満洲軍総司令官 関東総督 関東都督 関東軍司令官 関東軍総司令官 支那派遣軍総司令官 南方軍総司令官 防衛総司令官 第一総軍司令官 第二総軍司令官 航空総軍司令官 北支那方面軍司令官 中支那方面軍司令官 中支那派遣軍司令官 南支那方面軍司令官 第一方面軍司令官 第二方面軍司令官 第三方面軍司令官 北部軍司令官 北方軍司令官 第五方面軍司令官 第六方面軍司令官 第七方面軍司令官 第八方面軍司令官 台湾軍司令官 第一〇方面軍司令官 第一一方面軍司令官 東京防禦総督 東京衛戍総督 東京警備司令官 東部防衛司令官 東部軍司令官 第一二方面軍司令官 第一三方面軍司令官 第一四方面軍司令官 中部防衛司令官 中部軍司令官 第一五方面軍司令官 西部防衛司令官 西部軍司令官 第一六方面軍司令官 韓国駐剳軍司令官 朝鮮駐剳軍司令官 朝鮮軍司令官 第一七方面軍司令官 第一八方面軍司令官 緬甸方面軍司令官

海軍卿 海軍大臣 第二復員大臣 海軍大輔 海軍次官 海軍総務長官 兵部少輔 海軍少輔 参政官 海軍政務次官 海軍省秘史局長 海軍省規程局長 海軍省総務局長 海軍省軍務局長 海軍省第一局長 海軍省人事局長 海軍教育本部長 海軍省教育局長 海軍省兵備局長 海軍省調度局長 海軍省機関局長 海軍省軍需局長 海軍省会計局長 海軍省第三局長 海軍省経理局長 海軍軍医本部長 海軍衛生部長 海軍中央衛生会議議長 海軍衛生会議議長 海軍省医務局長 海軍省司法部長 海軍省司法局長 海軍省法務局長 海軍主船頭 海軍省主船局長 海軍省艦政局長 海軍省第二局長 海軍艦政本部長 海軍艦政部長 海軍航空本部長 海軍運輸部長 海軍運輸本部長 海軍省建築局長 海軍施設本部長 海軍水路頭 海軍省水路局長 海軍水路部長 海軍技術本部長 海軍技術研究所長 海軍軍事部長 参謀本部次長 海軍参謀本部長 海軍参謀部長 海軍軍令部長 軍令部総長 海軍軍事部次長 海軍軍令部次長 軍令部次長 軍令部高級次長 海軍軍事部第一課長 参謀本部海軍部第一局長 海軍参謀本部第一局長 海軍参謀部第一課長 海軍軍令部第一局長 海軍軍令部第一班長 軍令部第一部長 海軍軍事部第二課長 参謀本部海軍部第二局長 海軍参謀本部第二局長 海軍参謀部第二課長 海軍軍令部第二局長 海軍軍令部第二班長 軍令部第二部長 海軍軍事部第三課長 参謀本部海軍部第三局長 海軍参謀部第三課長 海軍軍令部第三局長 海軍軍令部第三班長 軍令部第三部長 海軍軍事部第四課長 海軍軍令部第四班長 軍令部第四部長 海軍軍事部第五課長 海軍兵学頭 海軍兵学校長 海軍大学校長 海軍総司令長官 聯合艦隊司令長官 中艦隊司令官 常備小艦隊司令官 常備艦隊司令長官 第一艦隊司令長官 第二艦隊司令長官 第三艦隊司令長官 第四艦隊司令長官 第五艦隊司令長官 第六艦隊司令長官 第七艦隊司令長官 第八艦隊司令長官 第九艦隊司令長官 第一機動艦隊司令長官 第一航空艦隊司令長官 第二航空艦隊司令長官 第三航空艦隊司令長官 第五航空艦隊司令長官 第一〇航空艦隊司令長官 第一一航空艦隊司令長官 第一二航空艦隊司令長官 第一三航空艦隊司令長官 第一四航空艦隊司令長官 支那方面艦隊司令長官 第一遣支艦隊司令長官 第二遣支艦隊司令長官 第三遣支艦隊司令長官 南西方面艦隊司令長官 南遣艦隊司令長官 第一南遣艦隊司令長官 第二南遣艦隊司令長官 第三南遣艦隊司令長官 第四南遣艦隊司令長官 南東方面艦隊司令長官 北東方面艦隊司令長官 中部太平洋方面艦隊司令長官 第一〇方面艦隊司令長官 海上護衛総司令長官 第一護衛艦隊司令長官 東海鎮守府司令長官 横須賀鎮守府司令長官 呉鎮守府司令長官 佐世保鎮守府司令長官 舞鶴鎮守府司令長官 舞鶴要港部司令官 旅順鎮守府司令長官

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月17日 (日)

不完全な桜リスト・陸編

トリとなる、現時点で三十一がわかっている範囲の陸将(元陸将)の名前。保安隊時代の陸将相当階級である保安監で退職したケースも含んでいる。

衛生職種の陸将はほとんど抜けていると思われる。386名。

やはり敬称略、順不同なんとなく年代順。

吉田忠一 林敬三 筒井竹雄 大森寛 武内征平 中野敏夫 岸本重一 金山國治 井本熊男 松谷誠 杉山茂 池野清躬 栗山松一 杉田一次 辻村義知 新宮陽太 高山信武 加納富夫 細田煕 吉橋戒三 山田正雄 池上巖 長谷部清 宮崎舜市 安崎操 關口八太郎 和田盛哉 平井重文 竹下正彦 野尻徳雄 田中義男 平岡與一郎 塚本政登士 天野良英 加藤昌平 藤原岩市 太田庄次 菅谷義夫 廣瀬榮一 吉江誠一 久保田茂 田中兼五郎 岩越紳六 梅澤治雄 國武輝人 島貫重節 橋本正勝 大島輝之助 吉井武繁 渡邊利亥 田中光祐 平野斗作 益田兼利 碇井準三 荒武太刀夫 藤井一美 久納清之助 三岡健次郎 渡邊博 山口立 濤川馨一 長谷川茂 上妻正康 齊藤春義 衣笠駿雄 田畑良一 谷村弘 村田稔 古川義道 中村龍平 溝口昌弘 堀江正夫 舞敏方 曲壽郎 大槻光武 齋藤稔 竹田津護作 高杉恭自 口野昌三 中山平八郎 青木香 和田曻治 川名聰雄 山田積昭 栂博 中島直臣 田中登一 平林克己 永田龍夫 高田安董 山次惟貞 中村定臣 近藤清 栗栖弘臣 廣谷次夫 三好秀男 倉重翼 木村元岳 松金久知 村木杉太郎 井出洋 杉山三郎 田中象二 馬來祥介 高品武彦 永野茂門 吉ケ江正 赤森伸治 味岡義一 塚本勝一 緒方二郎 坂本力 登弘美 大西啓 越智誠一 田中潔 長谷晋 加藤誠一 竹中義男 阿野慎平 近藤靖 藤原幸三郎 飯山茂 鈴木敏通 柏葉祐幸 高田不二男 伊藤正康 渡邊勉 松永明 登張史郎 太田穣 河津幸三郎 酒井次武 澤山正明 冨澤松治 藤吉俊男 小岩井千里 林榮一郎 荒木一 遠藤健 山之内種章 緒方弘之 村井澄雄 梅野文則 瀧武正 松永力 渡部敬太郎 佐藤久美 栗田裕夫 小林有一 岩出俊男 上原博 柏木明 小林正信 林陽一 今田敏之 藤本松彦 村松榮一 大澤渉 中村守雄 松浦昇 落合成行 沖田裕 小森昭治 馬郡道生 横地光明 近藤俊彦 齊藤信夫 亀井輝 青砥聖 五十嵐晃 曾根輝雄 松本節 稲森友三郎 久山辰治 増岡鼎 水澤博 新井道彦 土谷一郎 平塚宏 若月勲 合原博見 石井政雄 井上年弘 大河内眞一郎 太田隆 大塚瑞夫 海和敬希 鈴木英樹 竹田寛 狩野泰輔 荒木雄二 清水幸雄 白井明雄 寺島泰三 定榮洲弘 多田利雄 種具正二郎 田村祐茂 宮崎文男 宮澤作太郎 矢野龍男 山本英一 中俣壯一 志摩篤 中尾時久 源川幸夫 黒田崧 久我幹生 奥山丈夫 水野智之 森野安弘 小田原昭 栗岡武郎 志方俊之 安藤克彦 深山明敏 五十君弘太郎 澤井福重 梅山富弘 遠山久人 吉崎格 重松惠三 西元徹也 東俊 伊左次達 阿部賢吉 久保正佳 里中哲朗 山崎友久 江口博保 君嶋信 宇野章二 冨澤暉 横地貞 渡邊滋 青戸秀也 内田十允 中里義弘 澤田憲一 新井均 隈部正則 松島悠佐 岩田貞幸 齊野光浩 川名正浩 黒柳彰久 松原健一 澤田良男 長谷川重孝 藤原博 渡邊信利 馬野猛彦 田中賢一 浅井輝久 白石一郎 木家勝 石田潔 大越兼行 田村鞆利 宮本敏明 佐々木英嗣 阿部英輔 杉田明傑 大北太一郎 竹田仁宏 樋山周造 藤縄祐爾 岸良征 山口賢介 古川浩 土井義彦 磯島恒夫 藤原利將 益田兼弘 寺本典也 國見昌宏 松園忠臣 新井宏 天野良晴 酒巻尚生 中谷正寛 池田修 加賀田眞 千田稔 石飛勇次 備後嘉雄 久保善昭 土橋健二 洗堯 作道光夫 山口義廣 山本勝 小栁毫向 村田雄二郎 安村勇徳 福田忠典 岩猿進 野中光男 先崎一 小野寺平正 田原克芳 川井武彦 渡邊光啓 佐藤哲 菅博敏 鈴木通彦 松川正昭 宮武良光 小早川達彦 藤田昭治 樋口譲次 持田修 奥村快也 森勉 渡邊元旦 竹田治朗 佐野晃 山下輝男 寺尾憲治 吉川洋利 竹田治朗 衣笠陽雄 青木勉 今村功 得田憲司 林直人 河野芳久 大久保博一 栁澤壽昭 佐伯義則 井上廣司 江藤文夫 折木良一 椋木功 矢澤昌志 福山隆 庄田豊 澤山正一 直海康寛 廣瀬誠 廣瀬清一 中村信悟 五藤正美 古家隆司 竜野邦明 亀田津治男 輪倉昇 鈴木陽 宗像久男 泉一成 角裕行 大西正俊 火箱芳文 山口淨秀 三田克巳 内田益次郎 用田和仁 山口昇 酒井健 角南俊彦 師岡英行 小林秀紀 武田正德 川合正俊 中村幹生 姉崎泰司 西川博 三本明世 関口泰一 宮島俊信 君塚栄治 木崎俊造 藤野毅 林一也 佐藤修一 柴田幹雄 長谷部洋一 荒川龍一郎 千葉徳次郎 渡邊隆 寺崎芳治 師富敏幸 寺田和典 安部隆志 宮下壽広

| | コメント (0) | トラックバック (0)

不完全な桜リスト・空編

引き続き、現時点で三十一がわかっている範囲の空将(元空将)の名前。

海編よりさらに抜けが多いと思われる。203名。

同じく敬称略、順不同なんとなく年代順。

上村健太郎 佐薙毅 秋山紋次郎 源田実 松前未曾雄 松田武 島田航一 大谷三雄 汾陽光文 小島喜久 水町勝城 瀬戸山八郎 牟田弘國 有沼源一郎 佐藤勝雄 浦茂 新郷英城 丸田文雄 岩城邦廣 奥宮正武 田中耕二 小福田租 大室孟 高木作之 渡邊正 緒方景俊 根來卓美 矢作十郎 前川國雄 今村博純 岩宮満 高橋正次 宇都宮道生 上田泰弘 石川貴之 植村英一 白川元春 佐藤憲郎 宮本功 鏑木健夫 永田良平 寺本光 岩崎亨 鈴木瞭五郎 角田義隆 進藤淳 藤澤信雄 平野晃 山田隆二 徳丸明 小笠英敏 桑原泰郎 竹田五郎 眞崎康郎 小川英人 井川静男 小松利光 山田良市 鉾田太郎 田鍋秀雄 松尾繁 吉崎巖 松村正二 坂崎孝幸 伊中四郎 藤澤保雄 中島泉二郎 川越重比古 松井泰夫 光﨑修 神吉彌彦 生田目修 樋口則英 森繁弘 江戸力 池徳 豊嶋宏 片尾伸夫 山本見龍 野村知治 板野安博 濱屋孝哉 稲葉由郎 川口豊 清水亨 一宮眞之 藤岡昇 勝屋太郎 志摩一郎 古賀昭典 後藤彰 福岡宣雄 木暮丞一 大村平 松尾宣夫 渡光雄 瀧川昭三 松永貞昭 米川忠吉 副島嘉豊 大圖勝美 村山房夫 藪中隆三 谷篤志 橋本嘉光 矢田浩司 鈴木昭雄 阿部博男 田村秀昭 西山幹男 高橋恆清 大塚周治 長谷川孝一 松村嘉夫 庄克彦 石塚勲 法性弘 宮下裕 鈴木至 佐川明彦 杉山蕃 石川吉夫 那須秋男 白鳥昭夫 宮竹惠哉 横澤彰夫 利渉弘章 朝倉範夫 小田康夫 小泉進 村木鴻二 松宮廉 杉浦功一 伊藤惇 江藤兵部 高橋伸治 岡部輝生 武田清 平岡裕治 早瀬洋一 吉川武秀 鈴木一嘉 竹河内捷次 増元榮和 佐藤守 鈴木俊道 北川文夫 大串康夫 細稔 山口利勝 井上章 西川正長 遠竹郁夫 後藤龍一 岡本智博 野竹隆 平田伸成 岩崎克彦 平木善道 廣瀬紀雄 清水正睦 森和彦 小田邦博 津曲義光 相田哲彦 茶木哲義 吉田正 内山好夫 香川清治 二宮修 永岩俊道 星野雄三 田毋神俊雄 稲葉憲一 小鹿勝見 新野修 高橋健才 林富士夫 永田久雄 藤井泰司 奈良信行 堀好成 浦山長人 林富士夫 外薗健一朗 織田邦男 菊川忠継 小川剛義 岩崎茂 下平幸二 赤松知光 入澤滋 山川龍夫 森下一 石渡幹生 片岡晴彦 長島修照 小野田治 山崎剛美 上田完二 彌田清 齊藤治和 平田英俊

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月16日 (土)

不完全な桜リスト・海編

客引きシリーズと、手抜き記事作成の両方を兼ねて、現時点で三十一がわかっている範囲の海将(元海将)の名前を挙げてみる。検索エンジン向けに餌まき餌まき。

絶対に抜けがあると自信を持って言えるのだが(そんな自信もつなよ)、数えてみたところ242名となった。

敬称略、順不同なんとなく年代順。

山崎小五郎 長澤浩 渓口泰麿 吉田英三 伊藤邦彦 庵原貢 渡辺信義 小國寛之輔 安藤平八郎 寺井義守 福地誠夫 大松勝蔵 中山定義 吉松田守 麻生孝雄 山澤久治 石渡博 鈴木英 三上作夫 魚住順治 蔵富一馬 杉江一三 山下雅夫 石黒進 赤堀次郎 山田龍人 永井昇 西村友晴 岡本功 板谷隆一 山本啓志郎 大野義高 折田三郎 續平 相生高秀 久原一利 岡本晴年 伍賀守雄 古館早磨 竹山百合人 池田徳太 高橋定 伊吹正一 薬師神利晴 森永正彦 佐藤文雄 水谷秀澄 星野清三郎 内田一臣 堀江文彦 石田捨雄 筑土龍男 内田泰 北村謙一 橋本正久 石塚榮 本村哲郎 安藤信雄 浜口玄吉 石隈辰彦 余田四郎 谷川清澄 鮫島博一 大川秀四郎 安永稔 今井梅一 中村悌次 藪下利治 國嶋清矩 須藤吉樹 石榑信敏 井上龍昇 石野自彊 宮田敬助 植草重信 植草重信 齋藤國二朗 香取潁男 矢板康二 門脇尚一 青木國雄 大賀良平 時忠俊 清水清 常廣栄一 宮澤正介 矢田次夫 岸本一郎 森山晃 槇原秀夫 江上純一 寺部甲子男 小松崎正道 佐藤文夫 左近允尚敏 秋山正之 門松安彦 杉浦喜義 前田優 松井操 穂積才彦 吉田學 青野壮 土橋琢治 篠原清健 小室祥悦 安陪祐三 辻邦雄 古賀鶴男 片桐宏平 藤川常夫 山田善照 志賀安雄 長田博 井ノ山隆也 田村豊 深井汪介 佐藤英夫 重野正夫 安岡亀雄 古閑健一郎 菅田昭男 坂入和郎 沖為雄 石原俊三 高崎郁男 能津長和 内富男 岡田憲 寺井愛宕 東山収一郎 富田成昭 金崎實夫 末貞臣 松尾正 佐久間一 後藤理 小西岑生 久保宏 松本克彦 岡部文雄 久保彰 伊東隆行 伊藤達二 出雲紀芳 原田政昭 吉川圭祐 岡田毅 齊藤又三郎 新井利康 手塚正水 岩澤徹 山本誠 松崎充宏 林赳夫 林崎千明 福地建夫 猪狩眞 内田耕太郎 佐藤雅 椎崎博理 岡田孝 村中壽雄 夏川和也 加藤武彦 西村義明 道面敏彦 松本哲雄 塚原武夫 山本安正 佐伯聖二 杉山光 杉山靖樹 古澤忠彦 古賀雄次郎 林博太郎 五味睦佳 平賀源太郎 藤田幸生 石神庚一 砂川正俊 金子豊 石山嵩 坂部邦夫 仲摩徹彌 山崎眞 三成裕二 澤本修次 石川亨 谷勝治 長谷川語 福谷薫 金田秀昭 明野充功 竹村訓 竹田徳文 山田道雄 角田陽三 経田勇 勝山拓 牧本信近 小串茂 田内浩 尾崎通夫 岡俊彦 齋藤隆 古庄幸一 太田文雄 中尾誠三 道家一成 中島榮一 川島宗雄 香田洋二 吉川榮治 高橋亨 荒川堯一 田村力 村上同 古賀正則 保井信治 加藤保 半田謙次郎 宮本治幸 赤星慶治 泉徹 杉本正彦 河野美登 松岡貞義 石村澄雄 倉本憲一 武田壽一 藤田一之 高嶋博視 加藤耕司 小林正男 方志春亀 宮浦弘兒 河村克則 河野克俊 安達孝昭 永田美喜夫 柴田雅裕

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月15日 (金)

「日本の歴史04 平城京と木簡の世紀」

このシリーズも名の知られた(あるいは知られない)個人の登場する時代に入ってきた。

基本的には奈良時代中心、ということになるのだが厳密には天武天皇から称徳天皇までを取り扱っている。つまりは天武天皇とその子孫の時代、ということになるが日本のこの時代はある意味「女帝の世紀」と言えるかもしれない。690年の持統天皇(在位690~697)の即位から、元明天皇(707~715)・元正天皇(715~724)・孝謙/称徳天皇(749~758/763~770)と女帝の時代は半分におよぶ。この間、男帝は文武・聖武・淳仁の3代にすぎない。しかしこれ以後、皇統が天智系にうつってからは女帝は絶え、次の女帝の登場は江戸時代にまでくだる。

この時代は飛鳥浄御原令、大宝律令、養老律令のあいつぐ制定により律令国家の成立を思わせる。そのいっぽうで、三世一身法・墾田永年私財法により当初の理想であった律令国家の崩壊のひきがねとなったと言われている。しかし現在の学界ではこのような見方は影を潜め、中国の制度をそのまま取り入れた律令の制定に対して、日本の実状に合わせた対応をしていった過程だと考えられるようになった。つまり、律令国家の崩壊ではなく、「日本的律令国家の成立」とみなされている。三十一が学生時代に習った日本史とはずいぶん趣が変わったなあ。

この時代を示す貴重な考古学的資料が木簡である。8世紀の木簡の出土量はそれより以前の時代あるいはこれ以後の時代のそれに比べてぬきんでて多い。これ以前の時代はこれほど多くの木簡を必要とするほど官僚制度が発達していなかった。官僚制度の潤滑油である文書がそれほど必要なかったのである。これ以降の時代は、文書は紙に書かれることになる。官僚制度が発達しながら、紙が未普及のこの時代だからこそ大量の木簡という一次資料に恵まれたのだろう。

大量の木簡出土をもたらした長屋王邸発見という大事件は、ちょうど三十一が学生のときのことだった。時代はバブルの真っ最中で、開発にともなう発掘で見つかったのだ。結局長屋王邸あとはデパートになってしまった。そのデパートもバブル崩壊のあと2000年に閉鎖に追い込まれた。人の世の無常を思わせるエピソードだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月14日 (木)

知らぬが仏(過去形)

終焉間近なスペースシャトルが、ハッブル宇宙望遠鏡(HST)の最後のメンテナンスミッションを実施中だ。それに絡んで、打ち上げ前に掲載された記事を読んで思わず首をかしげた。

特別訓練の飛行士、命がけ修理へ (asahi.com)

なんだこの煽動的な見出しは。三十一もさすがに目をひかれてしまった。

しかし、修理は危険を伴う。宇宙空間での作業はもともと危険なうえ、ハッブルは国際宇宙ステーション(ISS)と異なる軌道を周回しているため、シャトルが安全に地球に帰還できない事態が起きても、ISSに避難して救援を待つことができない。

スペースシャトルはこれまでもISS(やミール)と無関係な軌道を飛んだことがいくらもある。そもそもスペースシャトル計画の当初の設計ではそんなこと考慮されていなかった。単独で飛んで単独で帰還できることを想定していたのである。ちゃんと数えたわけではないが、これまで100回あまりのミッションのうち半分はここでいう「危険な」軌道をとっていたと思う。それらの飛行に対して、これまでこのような危険視した報道はなされていなかったはずだがなあ。

確かに、コロンビア事故で露呈した断熱材剥離による耐熱タイル損傷というリスクは、結局いまに至るも完全に解決していない。このリスクは1981年の第一回打ち上げのときからあったのだが(当時、打ち上げ後に耐熱タイルが何枚か剥がれ落ちているのが発見されたのを三十一も記憶している)、2003年まではほとんど問題にされなかった。問題にされなかっただけで、問題はずっとあったのである。まさに知らぬが仏だ。

しかし今ではそのリスクは知れ渡ってしまった。万一のときにはISSに滞在して救援機がやってくるのを待つ、という最後のセーフティーネットが設定された。その手が使えない時には(つまり今回のようなケースだ)、あらかじめ救援用のシャトルをもう1機準備しておくことになったのだ。その事情はすでに以前にも触れたことがある
だが、いったんISSに滞在して救援機を待つのに比べて、直接救援機を待つのがどれくらいリスクが大きいだろうか。本質的にはまったくかわらない。最悪の事態というのは最初の機体でタイル剥離が発生して帰還が不可能になり、迎えに打ち上げた救難機でもやはり帰還不可能なほどのタイル剥離が発生してしまう、というケースだ。この発生確率はどちらでも同じである。

ついでに言うと、「特別訓練」というのもよくわからない。
それぞれのミッションについて特化した訓練をするのはあたりまえである。たまたま今回のミッションがHSTメンテナンスだからそれを想定した訓練をするので、違うミッションであれば違う訓練をする。どんな場合にも対応できる万能な、あるいは一般的な訓練があると考えているのかなあ。ま、共通メニューはあってもいいよ。でもミッションはひとつとして同じではないのだ。そういう意味では、ミッションを控えた宇宙飛行士はみな「特別訓練」を受けていることになる。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2009年5月13日 (水)

例のアレ総括

北朝鮮の人工衛星打ち上げから1か月余りが過ぎた。そろそろいったん総括せねばなるまい。

雑誌「軍事研究」今月号冒頭の、野木恵一氏の記事を読んでください。


実によくまとまっていて、正直付け加えることはほとんどない。

これで終われば楽なんだが、そうもいくまい。ひとつだけ紹介しておこう。
以前の記事で推進剤をヒドラジンと書いたが、野木さんによるとそれは間違いらしい。原型とみられるスカッドがケロシン系の燃料と硝酸系の酸化剤を使っているので、おそらくそれを踏襲しているだろう、とのことである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月12日 (火)

主流になった特殊

オバマ政権のゲイツ国防長官は、アフガニスタン派遣軍(ISAF:International Security Assistance Force, Afghanistan) の指揮官交代を発表した。

Gates Recommends McChrystal for Top Command in Afghanistan (DefenseLink)

"Recommends" なのは、最終的に人事を承認するのは連邦議会上院で、ゲイツ国防長官は人事案を提出したに過ぎないからだろう。

日本の報道ではこれを「更迭」としているところが多い。
確かに、前任者の McKiernan 陸軍大将は就任して一年たらずで、異例の早さでの交代となる。しかし逆に考えると、まだ成果を評価するには早いとも言える。これだけ難しい戦場ではもう少し時間を与えてもいい。

そこをあえて交代させたのは、政権交代にともなってかねて公約していたアフガン重視政策を目に見える形で表現するという意図と、そのために指揮官として誰が適切かという観点で白紙から再検討した結果ではないかと思う。というのは、後任となる McChrystal 陸軍中将(就任とともに大将昇進予定)は現在では統合参謀本部事務局長の地位にあるがその前は統合特殊作戦軍司令官であり、さらにさかのぼれば湾岸戦争当時にも統合特殊作戦軍司令部で作戦参謀(J-3)として勤務している。おそらく、特殊作戦の第一人者なのだろう。

特殊作戦というと軍の中でも日陰者、日の当たらない傍流と見られがちだが、米軍では堂々たる統合軍のひとつとして特殊作戦軍(SOF:Joint Special Operation Force Command)が組織され、その指揮官は中将がつとめ、国防長官の指名にもとづき議会上院によって任命される。つまり、特殊とはいいながら米軍ではすでに主流の一角をしめていると言ってよい。もちろん、この傾向が強くなったのは冷戦崩壊以後のことではある。冷戦以降、大きな紛争は何度かあったが「常に」戦い続けているのは特殊作戦部隊である。これまでの戦争のように、明確に撃破すべき敵が存在してそれさえ無力化すればおしまい、というような形態とは根本的に異なり、敵そのものがわかりにくく、また組織の階層構造が明確でなく、中枢を破壊しても全体の無力化につながらない(そもそも中枢そのものがないことすらある)対ゲリラ戦、低強度戦にあっては、まったく異なるやり方が必要となる。そのための専門家が特殊作戦部隊だから、重要度が増すのは当然と言えよう。

ちなみに日本の陸自では中央即応集団隷下の特殊作戦群としてようやく1個群が近年になって整備されたにすぎない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月11日 (月)

「"文学少女"見習いの、初戀」

外伝ということになるんだろうけど、これ結構面白いぞ。

遠子先輩と心葉の関係がそのまま、心葉と菜乃の関係になったようではあるが、そこはキャラが違うのでまた違った感じがもたらされる。要するに心葉はいずれにしろ女子に振り回されるというわけだ。ご愁傷様。

野村美月の本では、やっぱり女の子がいい感じを出してますなあ。

ついでに、まだ感想を書いてない2冊について。

本編の完結。ある意味予想された結末ではあったけどね。セイシュンのアマズッパさというやつですな。

こっちは短編集。本編と違って肩の力を抜いて読める。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

かねてから行こう行こうと思っていたシリーズ第二弾

GW最終日、ということだけど三十一は普通にカレンダー通り休んだだけなので実質的にはただの日曜。
もともとは日帰り房総半島一周ツアーを考えていたのだけど、朝のうちに洗濯したりしてのんびりしている間に予定していた列車に乗れなくなってしまったため、駅へ向かう道すがら考えて結局、つくばエクスプレスの未乗区間(ほとんどが未乗だったのだが)を踏破することにした。

秋葉原-北千住間はすでに開業から数日のときに乗っているので、北千住以遠ということになる。ホームに上がったらちょうど快速が来ていたのでそれに乗って終点つくばへ。
ほとんど高架または地下で、駅ではホームドアが邪魔だし駅間では防音壁で景色が見づらい。あまり乗っていて楽しい路線ではないなあ。ただ、つい最近まで鉄道とは無縁だった沿線は、首都圏とは思えないくらい緑が多い。こういうところに住んでTXで通うのも悪くないかなと一瞬思ったが、駅周辺はすでに開発が進んでいるようだ。終点つくばまでは30分余り。

そのまま同じ路線で引き返すのが一番楽なのだが、それでは芸がないので駅前のバスターミナルから路線バスで常磐線に出る。ひたち野うしく行き、荒川沖行き、土浦行きがあるようだが、ちょうど荒川沖行きバスが来たのでそれに乗る。

バスはつくば学園都市の中を走る。途中でJAXA前を通ったり。一般人とおぼしき子供連れが入っていったけど見学できたのかな。終点の荒川沖で降りる。降りて気づいた、この駅は少し前に通り魔事件が起きてたね。テレビで見た覚えのある景色だ。

次の列車が来るまでしばらくあったが、ホームで待つ。待っていると、反対方向の下り貨物列車がちょうどやってきた。EF81が牽くコンテナ列車だ。がんばれ貨物列車。

P5100019
ほんの15分ほどの間にさらに下りのスーパーひたち(651系)、上りのフレッシュひたち(E653系)が通過していく。E531系の常磐線快速で上野へ。茨城県内では線路沿いに田植えしたばかりの田んぼが広がる。

今日の旅程:
北千住(1111)→つくば(1145) つくばエクスプレス 3019
つくば→荒川沖 関東鉄道バス
荒川沖(1236)→上野(1340) 1380M

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月 9日 (土)

化学物質と無縁の生活は可能か否か

駅前のファストフードでひとり寂しく(実際には別に「寂しい」などと思ったりしないのだが)晩飯を食っていたときのこと。最初は隣席のカップルの会話がうざったいなあと思っていたのだが、そのうちその向こうの窓際の二人連れの会話が耳につくようになってきた。正確にいうと、学生とおぼしき女子に向かって得々とまくし立てている、それより少し年嵩の男の話の内容が気になったのである。

それは「環境ホルモンがどうのこうの」とか、「性同一障害」がどうしたとか言う、あからさまに怪しげなセールストークだ。ずいぶん前に同じようなセールストークをア○ウェイのセールスマンから聞いたことを思い出した。
ところで環境ホルモンは実はそれほど問題にするような影響はないことがわかっている。マスコミは「問題がありそう」というときは騒ぐけど「問題なかった」というときは放置を決め込むのであまり知られてないけどね。

そうこうしているうちに問題の彼が聞き捨てならない一言を口にした。

カガクブッシツってのは、人間が作った物質のことなんだよ。

ハイそれ間違い。
人工的に合成された物質は確かに化学物質だけど、化学物質のすべてが人間が作ったとは限らない。ある命題が真であったとしてもその逆が真とは限らない、というのは基礎の論理学ですな。そもそも、身の回りの物質はすべて化学物質である。水でさえ H2O という立派な化学物質だ。

例えば「自然」の代名詞ともいうべき無農薬栽培でさえ、微視的には土中の水や窒素化合物やリン酸といった化学物質と、空気中から取り込んだ二酸化炭素という化学物質を反応させて、有機物という化学物質を生成する、化学合成作用だと言える。

彼はさらに畳みかける。「現実的には、化学物質とまったく無縁な生活は無理なの」

そりゃあ、そうですなあ。
「化学物質」の歴史は人類はおろか地球よりも太陽系よりも古いのである。「化学物質と無縁な生活」なんてこれまで一瞬だって実現したことはない。

いや、言いたいことはわかるんだけどね。言葉の選択がおかしいのですよ。細かいことを言うようだけど、用語を不適切に使う人間には理屈が通じないというのは、かなり確度の高い経験則なのでね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月 8日 (金)

「軍用鉄道発達物語」

まあ、三十一が読まないわけない本である。何しろ「軍用」「鉄道」だからねえ。

えーと、読んでる途中ではけっこういろんなコトを思いながら読んでいたんだが、たったひとつの誤記がすべて吹っ飛ばしてしまいました。

…普仏戦争当時の参謀総長モルトケはすでに亡くなり、あとを継いでいたフォッシュもフランス攻略の計画だけを残して開戦直前に亡くなっていた。 (p.102)

第一次大戦開戦時のドイツ軍についての記述。最初読んだときはスラッと読み流してしまったが、ふと疑問に感じて改めて読み直してみるとトンデモないこと書いてますよ、この人。
モルトケの後継者がフォッシュって?
どうもこの「フランス攻略の計画」というのはシュリーフェン・プランのことを指しているらしい。つまり「フォッシュ」と書かれているところは「シュリーフェン」が正しい。フォッシュってのはドイツ軍を迎え撃った、フランス軍の将軍ですなあ。

Generalfeldmarschall, Alfred von Schlieffen (de.wikipedia.org)
Maréchal de France, Ferdinand Foch (fr.wikipedia.org)

仮にも、この本を買って読んでみようと思う人間なら絶対に混同しそうもない間違いだ。「馬鹿な間違いだ」と言うのは簡単だが、それ以前に何か勘違い、というか思い違い、というか気の迷い、というか。うーん、ちょっと適切な表現が思いつかないが、ごく基本的なところでネジがずれちゃったようなポカをやっちゃったんではなかろうか。まあそれくらい、ちょっとあり得ない間違いなのですよ、その筋の人としてはね。

著者は防大出のもと自衛官らしいのだが、航空自衛隊では教えないのかね。なんか、統幕学校の教官だったそうだけど。

 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年5月 7日 (木)

設計が正しい証拠

3000人、列車内に2時間半 横須賀線で車両故障 (asahi.com)

線区としての「横須賀線」と「横須賀線電車」は同じではない。故障を起こして立ち往生したのは鶴見駅付近ということで、線区としては東海道線になる。
(運転系統としての)「東海道線」あるいは「横須賀線」には鶴見駅はない。京浜東北線にだけホームがあり、そこから鶴見線が分岐してはいるが、運転上それほど重要な駅とは思われないかもしれない。鶴見線はもともと私鉄の鶴見臨港鉄道で戦時中に買収されて国有化されたものだ。鶴見駅では東海道線と鶴見線の線路はつながっていない。

ところが実際には、鶴見駅は東海道線の鍵となるジャンクションだと言ってよい。鶴見から北へは、古くからの旅客線である東海道本線(東京方面)、現代では横須賀線または湘南新宿ラインとして知られるいわゆる品鶴線(および分岐した武蔵野貨物線)、さらに八丁畷から南武支線を経て浜川崎から大井埠頭の東京貨物ターミナルへつながる東海道貨物線の3路線がここで分岐する。
いっぽう、南へ向けては言うまでもない東海道旅客線(横浜方面)、横浜羽沢駅を経由する東海道南行貨物線(いまでは湘南新宿ラインも経由する)、そして海岸沿いに桜木町へつながる高島貨物線。
つまり、北へ3本、南へ3本のそれぞれ複線線路が分岐していくのが鶴見なのである。この要衝で車両故障が起こってしまったのは不運というしかない。

回路断線にともなってブレーキがかかり、緩まなくなったというのは乗っている人間にとっては嬉しいことではないだろうが、フェールセーフという観点からはまったくもって正しい。

故障してブレーキが緩まなくなる車両と、故障してブレーキが効かなくなる車両の、どちらに乗りたいかと問われれば三十一は問答無用で前者である。
列車のブレーキは、分離事故の際に自動的に(たとえ動力が切れていても)最大ブレーキがかかるようにできている。よほど激しい衝突をして補助空気溜が壊れでもしないかぎりはね。そんな状況では先に脱線してるだろうな、きっと。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年5月 6日 (水)

「アメリカ空軍の次世代航空宇宙兵器」

正直、なんでこの本を読む気になったのかよくわからない。

本屋で見かけてまず手にとったのは、タイトルに含まれていた「宇宙」の部分に惹かれたからだった。まあ予想した通り、「宇宙」はごく小さい部分の記述でしかなかったが、「ヒコーキ」ではなく「空軍の兵器」と銘打って出す本であるからには、触れないわけにはいかなかったのだろう。

現在、米空軍が行なっている衛星打ち上げは、EELV(Evolved Expendable Launch Vehicle - 発達形使い捨て打ち上げ機)であるアトラス5と、デルタ4に集約されている。EELVの打ち上げに必要な、年単位のレスポンス・タイムを短縮するために、再利用可能なORS(Operationally Responsive Space) を構想中とのことだが、スペースシャトルでも露呈してしまった通り、再利用可能にするために必要なコストは、結局のところ再利用可能にしたことで削減できるコストには見合わない。軍用なら、ある程度コストを度外視して即応性を高めるために再利用ロケットを採用するという選択肢もあるかもしれないが、需要を見込んで量産ストックしておくのと、どっちが実用的かねえ。
NASAのほうでは、次世代ロケットは完全に Expendable しか選択肢として考えていない。時期未定の未来ロケットならまだしも。

本全体の感想。だいたい、雑誌類を丁寧に読んでいれば知っているような内容が大半だが、まあまとまっていてよかったと思う。
「米空軍」ということで、他軍(海軍とか海兵隊とか)の航空兵器がほとんどとりあげられていないのはちょっと残念だったけど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月 5日 (火)

万世橋から大宮へ

2007年10月14日、JRが発足してから20年目の鉄道記念日に、大宮に鉄道博物館が開館した。行かなきゃ行かなきゃと思っていたのだが、1年半目の今日になってようやくの初体験である。
上野から東北本線(宇都宮線とは言いたくない)で大宮へ、そして新交通システムでひと駅行くと「鉄道博物館」駅である。

実は、1年半もの間結局一度も訪れなかったのは、雑誌とかに掲載されている案内を見ると、どうも三十一の趣味嗜好とあまり合わないような気がしていたからである。それでも、一度も行かずに文句を言うのも不毛であるし、やはり一度は行かなくてはいけないとついに重い腰を上げたのであった。

さて実際に見てみた結果はと言えば、予想通りであった。

主に一階の実車エリアをぐるぐるとまわり、あとはスーベニアショップをちょっと覗いて(1階と2階にあるがその両方)、だいたい1時間ちょっとで出てきてしまった。
ちょっと面白かったのは、実車展示の隅っこに置かれていた貨物列車の展示かなあ。

帰りは、同じルートては面白くないということで湘南新宿ラインに乗っていったん新宿に出てから中央快速線で東京へ。それから京浜東北線で秋葉原へ。ずいぶん遠回りだけど、地上三階になった東京駅の中央線ホームも経験してみたかったのだよ。

上野 (1305)→大宮 (1331) 581M(E231)
大宮 (1340)→鉄道博物館 (1343) 埼玉新都市交通
鉄道博物館 (1440)→大宮 (1443) 埼玉新都市交通
大宮 (1500)→新宿 (1528) 2200Y(E231)
新宿 (1531)→東京 (1541) 1458T(E233)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月 3日 (日)

軍部独裁の犠牲者、政党政治の殉教者

犬養毅という人物にはどうもそういうイメージがあったように思う。
5・15事件で軍部に暗殺された総理大臣、「話せばわかる」に対して「問答無用」と答えた暗殺者という図式はまさにそういうイメージを強化する。

今日、たまたま見たNHKスペシャルでは憲法記念日ということで戦前の立憲政治が崩壊していく過程を検証していた。その中では、これまでのイメージとは違って犬養を「権力を手に入れるために軍部と手を握った」として描き出している。出演していた解説者はそれを「自殺」と表現していた。

実は三十一はすでに8年前にこんな文章を書いている。書きかけのまま放置されているのだが、その中で三十一も「政党の自殺」と表現している。

気が向いたら読んでみてください。続きが書かれるのはいつのことになるかわからないけど。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

4月の打ち上げ

4月の打ち上げは8回。うち1回が失敗。失敗した1回は例のアレである。

3日 16:24GMT、バイコヌール(カザフスタン/ロシア)、プロトン(Eutelsat W2A)

4日 00:31GMT、ケープカナベラル(アメリカ)、アトラス5(Intelsat Galaxy 28)

5日 02:30GMT、ムスタンリ(北朝鮮)、テポドン2(光明星2)、失敗

14日 16:16GMT、西昌(中国)、長征3C(北斗2-G2)

20日 01:15GMT、スリハリコタ(インド)、PSLV(RISast2、Anusat)

20日 08:16GMT、シーランチ(国際共同)、ゼニット3SL(Sicral 1B)

22日 02:55GMT、太原(中国)、長征2C(YW-6)

29日 16:58GMT、プレセツク(ロシア)、ソユーズU(Cosmos 2450 Kobalt)

中国の北斗は、中国が独自に構築しようとしている衛星測位システム。ロシアの Cosmos 2450 は、光学偵察衛星である。
今月は比較的打ち上げ回数が多いほうだが、中でも商用衛星の打ち上げが目立つ。しかし商用衛星のトップシェアを誇るアリアン・ロケットの打ち上げがない。
ま、たまたまだろうけどね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月 1日 (金)

必需品か贅沢品か

中国の訓練用空母、主要部分が完成 旧ソ連艦を改修 (asahi.com)

中国が空母を入手するという噂は、ずいぶん前からあった。具体的には、冷戦崩壊によって旧ソ連の空母戦力が縮小されたあたりから、有力な買い取り手としてしばしば挙がっていたものだ。あのころは、20世紀のうちにも中国が空母保有に乗り出すのは間違いないかのような論調だったが、実際にはようやく中古の訓練用空母の獲得に目鼻がついたというところで、本格的な空母の戦力化は早くても2020年代になるだろうと見込まれている。艦隊航空兵力は一朝一夕ではたどりつけない遠い道だ。

ただなあ。
中国の地理的条件からして、空母戦力を必要とするような oversea power projection が求められる状況が思いつかないのですよ。中国にとって空母はただの「贅沢品」に過ぎないのではないか。面子を重んじる中国人としては、世界一流国の証しである空母を持ちたい気持ちがあるのかもしれないが、周辺の緊張を高めてまで持つ必要があるのかね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »