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2009年5月20日 (水)

健康のためなら死んでもいい

いまどきはインフルエンザが流行の先端だが、天然痘が「根絶」されたのは三十一が中学生のころだったかな。数ある感染症のなかでまず天然痘が標的に選ばれたのは、その影響が深刻だったことの裏返しである。

死への恐れの前に敗北する神 (忘却からの帰還)

かつてのキリスト教社会では天然痘は「人類に神が下した鉄槌」と見なされていた。この教義に厳密に従うと、天然痘を予防するための接種を受けることはすなわち神の意志に逆らうことになる。1885年のこと、カナダはモントリオールで天然痘が流行した。プロテスタントの教会は接種を受け入れたが、カトリックは拒否した。その結果は推して知るべし。

この記事を読んで三十一は、アフリカから無辜の民を拉致して奴隷として酷使した「文明社会」の論理を思い出した。彼らによると、奴隷となった人々は肉体の自由は失ったかもしれないが、これまで知らなかったキリスト教の「真理」を知り、精神の解放を得た。これは失った肉体の自由を補って余りあるものであり、結局は奴隷自身のためである、というのである。現代の目から見るとまったく噴飯物の議論なのだが、「キリスト教」のところを「将軍様」に置き換えると現代でも(ごく一部で)通用していそうだなあ。

もうひとつの連想としては(こちらのほうが記事の筆者の意図するものだろうけど)、インフルエンザワクチンにリスクがあることは事実であるとしても、それを理由にしてワクチン接種を拒否するのは本末転倒である、ということだ。確かにリスクはゼロではない。だが必要なのは、それぞれの発生確率も含めたリスクとベネフィットを正確に比較判断することだ。目前に見えるリスクだけを評価して、その先にあるベネフィットに目を向けないのは公正な評価とは言えない。それは「神の怒り」を恐れて天然痘に無防備な身をさらすような行ないである。

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