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2009年7月31日 (金)

GO FOR DEORBIT BURN

さっき、NHKの9時のニュースで「もうすぐ計画通り着陸するかどうかの判断が下る予定」とやっていたが、Spaceflight Now の Mission Status Center を覗いてみると、09:27 EDT (22:27 JST) に "GO FOR DEORBIT BURN" の判断がなされたことが報じられていた。

MISSION STATUS CENTER (spaceflightnow.com)

DEORBIT BURN(軌道離脱のための逆噴射)は 09:42 EDT に実施されるということなので、あと5分ほどになる。

テレビのニュースは、最大公約数的な情報を得るには手っ取り早くていいが、ピンポイントの速報性という意味ではネットに絶対に勝てない。そう考えてみると、テレビは新聞にもネットにもなれない半端なメディアと言えるかもしれない。テレビのニュースというのは早晩なくなってしまうかなあ。

閑話休題、
若田飛行士の帰還を日本のマスコミは手ぐすね引いて待ちかまえているようだが、仮に三十一が若田飛行士の立場だったら「戻ってきたくない」と思ったかもしれない。ネット通販が宇宙まで荷を届けてくれるなら、地球に未練なんかないね。

そうこうしているあいだに 09:42 EDT になり、DEORBIT BURN が IGNITE されたそうな。Landing は 10:48 EDT at KSC の見込み。

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2009年7月30日 (木)

ニュースになったこと、ならなかったこと

まずニュースになったこと。
陸上自衛隊が、メジャーコマンドとなる「陸上総隊」創設を決めたと報じられている。

陸自50年ぶり大改編案 (DSI 日米国防組織情報 HOT TOPICS)
陸自、最高司令部「陸上総隊」新設へ (東京新聞)

それによると、練馬の第1師団を首都防衛集団に格上げし、東部方面隊を廃止。これまで第1師団とともに東部方面隊に属していた第12旅団は東北方面隊に移す。北部・東北・中部・西部の4方面隊と首都防衛集団、さらに中央即応集団を改編する国際即応集団を統一指揮する陸上総隊を新設する、とされている。2014年度の改編をめざしている。

これまで、陸上自衛隊では長官に直隷する5個方面隊(+中央即応集団)が並列で存在していた。海空自では、実戦部隊の大半を指揮下に置く自衛艦隊、あるいは航空総隊といういわゆるメジャーコマンドが存在していた。すでに統合運用が始まっているが、指揮や指示を伝達する際に、海空自に対しては各メジャーコマンドに指揮が一元化されているので一度ずつ伝達すればよいが、陸自に対しては5個方面隊に別々に伝達する必要があり、効率的でないとされていた。かたちの上では、こうした点が解消されることになる。

まず気づくのが、ポストの数合わせが強く意識されていること。東部方面総監部が陸上総隊司令部に衣替えし、第1師団司令部が首都防衛集団司令部に衣替えすることになろう。ポストとしては変わらない。そもそも、いまの時点で、第1師団をわざわざ首都防衛集団なるものに改編しなければいけない理由がわからない。「師団」を陸上総隊直轄にしないための形式的なものとしか見えない。
首都圏だけを各方面隊とは違った形にしてしまったことで、疑問に思うのがこれまで方面隊の所管とされていた業務の分担だ。具体的には、各補給処の管理、駐屯地管理、それから募集や援護などの人事管理など。これを首都圏では「集団」が担当するのか、それとも陸上総隊が直轄するのか。個人的には、師団や旅団などの実動部隊は陸上総隊直轄にし、これらの後方支援業務を方面隊に残したほうがすっきりすると思うのだけどね。

いっぽう、ニュースにならなかったこと。
8月1日付の自衛隊人事異動の追加分が防衛省HPに更新されていた。

人事発令 (防衛省)

発表のタイミングが遅れたのは、自衛隊の組織改編に関する政令の閣議決定を待っていたからだろう。8月1日に新設されることになったのは、自衛隊指揮通信システム隊につぐ2番目の陸海空自衛隊共通部隊、自衛隊情報保全隊である。自衛隊の情報保全体制はしばらく前から疑問視されており、果たしてこの部隊新設で改善されるかどうか。初代の自衛隊情報保全隊司令には、これまでの陸上自衛隊情報保全隊長である高山治彦陸将補(20期)が任ぜられた。本部と、隷下の中央情報保全隊幹部は、各自衛隊の情報保全隊幹部で構成される。地方の、北部~西部情報保全隊長は、これまでの陸自各方面情報保全隊長が横滑りすることになった。あとは関連する異動がちょこちょこと。

ちょっと不思議だったのは、統合幕僚監部報道官・鈴木純治陸将補に出された次の辞令。

統合幕僚監部報道官兼防衛省改革本部防衛省改革副統括官 陸将補 鈴木純治
防衛省改革本部防衛省改革副統括官の兼補を解く
兼ねて防衛省改革本部防衛省改革副総括官を命ずる

・・・何が変わったかわかります? 三十一は最初わかりませんでした。
「副括官」を解いて「副括官」を命じた、ということなのだが。どういう意味があるのやら。

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2009年7月29日 (水)

「隋唐世界帝国の形成」


正確に表現するなら「隋唐世界帝国の形成"まで"」とでもするのが適当だろう。隋や唐に関する記述は最後に付け足し程度で、全体としては漢帝国の完成から三国時代の帝国崩壊、五胡十六国の動乱を経て中国が再び統一に向かうまでを概観する。
同じような時代をあつかった本には、古典として岡崎文夫の「魏晋南北朝通史」がある。このうち「内編」は東洋文庫に収録されていて、だいぶ前に読んだ。

この時代は、中国の歴史の中でも有数の動乱期だが、著者は「貴族制の成立」と「胡漢関係の変質」という観点からこの時代を観察する。だいたい動乱期というのは言い換えれば変革期でもあるわけで、魏晋南北朝時代もその例外ではない。

ただ、著者が序で述べていた「同時代の日本が中国に与えた影響」の記述にはあまり成功していないようだ。

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2009年7月28日 (火)

来月の話をしても鬼は笑わない

8月1日分まで含めて更新しておきました。

自衛隊主要幹部表

結局、8月1日の事務次官人事は先送りになったのかなあ。

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哀しいけどお仕事なのよね

昨夜は、当番でいつ呼び出されるかわからないので早めに寝ておこうと思っていた。
そのため、10時半過ぎに寝る体勢にはいり、就寝前の読書をしていたちょうどそのタイミングでPHSが鳴りはじめ、そのまま仕事になる。

仕事とは言えけっこう待ち時間があるもので、その間三十一はちょうど今週NHKの衛星放送で流れている「ガンダム」を見てしまう。夜中なので録画しておいてあとでゆっくり見ようと思ってたんだけど、幸か不幸かリアルタイムで見てしまった。

それに合わせてBS熱中夜話で「ガンダム」をとりあげていて、その中でいろんな人がガンダムについて語っていたのだが、それを見ていて思ったのは「三十一とはずいぶん見方が違うなあ」ということ。「アムロとシャア、どっちに総理大臣になってほしいか」という質問に、アムロと答えた人が多いのは意外だった。三十一ならアムロ総理なんてヤだなあ。gdgdになりそうだ。

結局、2時過ぎまでガンダムを見ながら仕事してました。

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2009年7月27日 (月)

虹とスニーカーの頃

090727_1844001

夕方、会社を出たときにちょうど雨が小降りになり、雲の切れ間から日が差して虹がかかっていた。ちゃんとしたデジカメを持ち歩いていなかった(あたりまえだ)ので、写メである。回りでもたくさんの人が携帯を構えていた。
親子連れがたまたま持っていたちゃんとしたデジカメで撮っていたのだが、母親がちょっと面白いことを言っていた。もう暗くなりかけていたのだが「フラッシュたかなくて大丈夫?」

どうぞお好きなように。


スニーカー関係なかった。

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2009年7月25日 (土)

「昭和天皇1945-1948」

タイトルにもなっている 1945-1948 という期間は、昭和天皇にとって終戦から憲法施行という、自らの地位がもっとも不安定で未来が不明確な時期であった。現代日本の天皇制の源泉がここにある。

気づくのは、はじめのうち天皇自身がかなり主体的に行動していることだ。終戦までの「統治権ヲ総覧」する天皇の意識のままで発言していたのだろう。しかしGHQの意向がだんだん明らかになるにつれ、政治的発言を封印していく。

終戦後最初の行幸である伊勢神宮参拝(終戦報告)では軍国的色彩の排除に意が用いられた。内大臣府の廃止に始まる天皇の政治的関与の禁止、国家祭祀であり宗教ではないとされていた国家神道の国からの独立と宗教法人化、皇室財産の国有資産化と皇室予算の国会管理、華族制度の廃止と11宮家の皇籍離脱。
制度的なものの他にも、皇太子の家庭教師に米婦人バイニング夫人が招聘されたことなどが挙げられる。皇居を、堀に囲まれた江戸城から別の場所に移そうという議論もあったらしい。

どう取り繕おうと、現在の皇室制度が主にGHQの主導でできあがったことは否めない。しかし、民主化という大筋はともかくとして具体的な案を考えたのは、戦前から日本に滞在していた知日派の米人と、それに協力した日本人であった。

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2009年7月24日 (金)

社長の前に重役交代

先日、桜興産社長の交代が内定というニュースを紹介したが、そちらが確定する前に重役の交代が先に決まった。

人事教育局長に上瀧氏=防衛相補佐官に森本敏氏-防衛省人事 (時事ドットコム)
防衛省高級幹部人事 (DSI 日米国防組織情報 HOT TOPICS)

8月1日発令だそうで、ひょっとすると次官人事は少し先送りされるかもしれない。同じ日の人事を別々に閣議了承を求めるのは変だよね。

気づいていなかったのだが、事務次官になる中江官房長の後任は、金沢装備施設本部長になるという報道がされている。金沢博範本部長は、前防衛政策局長。防衛政策局は防衛省内局のなかでも筆頭格だ。守屋武昌・前次官が退職したときの人事で防衛政策局長に就任していたが、守屋逮捕後の人事で装備施設本部長に転じている。三十一はこれを左遷と理解した。装備施設本部長はけして閑職ではないにしても、防衛政策局長よりは事務次官の椅子から遠ざかったことは間違いない。まさか内局に返り咲くとは、予想外であった。

この内局人事が防衛省HPに掲載されるのを待っていたのだが、いっこうに掲載されないうちに8月の1佐人事が大量に掲載された。

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2009年7月23日 (木)

ラプターの生産継続は望み薄

オバマ政権の国防総省がF22の生産中止を決定したのに対して、議会下院は雇用確保を目的として生産継続を求める予算案を可決した。しかし上院ではF22の予算を削除した修正案を可決した。

最終的に生産が中止になるか継続するかはまだ未確定だが、議会上下院が一致して生産継続を望むような状勢になっていない現状では、政府の決定を覆してまで生産継続をかちとるのは難しいのではないか。いずれにしろ決着がつくまではまだしばらくかかるだろう。
日本の空自はF22の導入を希望しているようだが、どっちに転ぶかわからない結論が出るのを待ち続けるよりは、もっと現実的な案を本気で考えるべきではなかろうか。

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金田伊功が・・・

亡くなったそうだ。

最近はあまり見かけなくなったが、ふたむかしくらい前には一部の人間のアイドル的存在だった。時の流れというのは残酷だなあ。

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かいき大作戦

日食ネタでもうひとつ。

現代中国語では、皆既日食のことを「日全食」と言うらしい。わかりやすいっちゃわかりやすいな。
皆既日食の「皆既」がどこから来たかというと、ご多分に漏れず中国の古典である。歴史書「春秋」の桓公三年(紀元前709年)に以下のように記されているのが、おそらくもっとも古い例だろう。

秋七月壬辰朔、日有食之、既。

注釈に「既、尽也。日全食也」とある。部分日食なら単に「日有食之」とのみ記され、「既」はつかない。この日食は、紀元前709年7月17日に該当するらしい。

余談だが、旧暦(太陽太陰暦)では、日食は必ず1日に起きる。この例では7月1日だ。旧暦月の第一日(朔)の定義が、太陽と月の赤経が一致した瞬間を含む暦日とされているので当然なのだが。

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2009年7月22日 (水)

なくなって初めて気づく

東京はあいにくの曇り空だったが、三十一は雲の隙間から7割ほど欠けた太陽をかいま見ることができた。それから少ししてもう一度見ようとしたときにはもう雲に隠れてしまって見えなかった。

NHKの生中継を録画していたので、いまそれを見ながらこの記事を書いている。、その番組の中でも、あるいは事前の報道の中でも「自然の神秘」とか連発していたのだが、三十一にはどこに「神秘」があるのかわからない。日食の原理は明らかで、そこに「神秘」を感じるのは人間の心性でしかない。皆既の状態では水平線(地平線)上全体が360度夕焼け状態になるのは、聞くまでは思いつかなかったが言われてみれば納得である。

日食の写真はプロが上手に撮ってくれるだろうから、三十一がわざわざ撮るまでもあるまい。一瞬だけ目視できた三日月のような太陽を記憶に留め得たことでよしとしよう。

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2009年7月21日 (火)

ばんざいさんしょう

解散した。

投票しよう (松浦晋也のL/D)
チェックメイト! (間歇日記)

三十一としては、上段に振りかざして「投票に行こう」などと呼びかけるつもりはない。ただ、自分としては投票に行こうと思う。
前々回の選挙までは、投票所は三十一の自宅と最寄り駅の間にあった。どこかに出かけるついでに投票できたのだ。ところが、前回から投票所が変わって駅とは反対側になってしまった。まるで三十一に投票させたくないかのようではないか。しかし今回は、不在者投票に行ってでも投票しよう。

現時点で、三十一はまだ誰に投票するか決めていない。あと40日あるんだから、じっくり考えよう。結果として三十一が投票した相手が落選したとしても無駄だとは思わないし、これまで思ったこともない。投票行動そのものに意味があるのだ。

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2009年7月19日 (日)

7月の将人事まとめ

今回は少し趣を変えて、各自ごとに防大卒業期順に並べてみた。"<"の右側が異動前。

陸将

統合幕僚長・折木良一(16期)
陸上幕僚長・火箱芳文(18期)
北部方面総監・酒井健(19期)
中部方面総監・角南俊彦(19期)
西部方面総監・用田和仁(19期)
中央即応集団司令官・柴田幹雄(19期)
陸自富士学校長・三本明世(19期)
陸自補給統制本部長・師岡英行(19期)
統合幕僚学校長・宮島俊信(20期)
技本技術開発官(陸上担当)・寺田和典(20期)
東北方面総監・君塚栄治(20期)<防衛大学校幹事
東部方面総監・関口泰一(20期)<陸上幕僚副長
第8師団長・木崎俊造(20期)
陸自関東補給処長・寺崎芳治(20期)
陸自研究本部長・師富敏幸(20期)
中央病院副院長・小林秀紀(20期相当・東京医科歯科大)
防衛大学校幹事・千葉徳次郎(21期)<第10師団長
陸上幕僚副長・荒川龍一郎(21期)<第7師団長
第1師団長・渡邊隆(21期)
第6師団長・安部隆志(21期)
第7師団長・山本洋(21期)<陸将補・東北方面総監部幕僚長
第9師団長・林一也(21期)
陸自幹部学校長・長谷部洋一(21期)<第3師団長
第2師団長・渡部悦和(22期相当・東京大)<陸将補・陸幕装備部長
第3師団長・藤崎護(22期)<陸将補・統幕総務部長
第4師団長・宮下壽広(22期)
第10師団長・河村仁(22期)<陸将補・防衛研究所副所長
札幌病院長・加瀬勝一(防衛医大1期)<陸将補・福岡病院長

海将

海上幕僚長・赤星慶治(17期)
自衛艦隊司令官・杉本正彦(18期)<呉地方総監
横須賀地方総監・松岡貞義(18期)
統合幕僚副長・高嶋博視(19期)
航空集団司令官・倉本憲一(19期)
呉地方総監・武田壽一(19期)<海自幹部学校長
舞鶴地方総監・宮浦弘兒(19期)
潜水艦隊司令官・永田美喜夫(20期)
佐世保地方総監・加藤耕司(20期)<海上幕僚副長
教育航空集団司令官・方志春亀(20期)
海自補給本部長・柴田雅裕(20期相当・名古屋工業大)
海上幕僚副長・河村克則(21期)<大湊地方総監
護衛艦隊司令官・河野克俊(21期)
技本技術開発官(船舶担当)・安達孝昭(22期相当・東北大)
大湊地方総監・泉三省(22期)<海将補・海幕人事教育部長
海自幹部学校長・畑中裕生(22期)<海将補・統幕防衛計画部長
中央病院副院長・大塚八左右(防衛医大1期)<海将補

空将

航空幕僚長:空将 外薗健一朗(18期)
情報本部長:空将 下平幸二(19期)
航空総隊司令官:空将 岩崎茂(19期)<航空幕僚副長
空自幹部学校長:空将 上田完二(19期)
空自補給本部長:空将 山川龍夫(19期)
航空幕僚副長:空将 長島修照(20期)<航空開発実験集団司令官
中部航空方面隊司令官:空将 渡邊至之(20期)<空将補・南西航空混成団副司令
航空支援集団司令官:空将 森下一(20期)
航空教育集団司令官:空将 片岡晴彦(20期)<中部航空方面隊司令官
技本技術開発官(航空機担当):空将 山崎剛美(21期)
北部航空方面隊司令官:空将 彌田清(21期)
西部航空方面隊司令官:空将 小野田治(21期)
航空開発実験集団司令官:空将 秦啓次郎(21期)<空将補・航空支援集団副司令官
統合幕僚監部運用部長:空将 齊藤治和(22期)
南西航空混成団司令:空将 平田英俊(22期相当・東京大)
防衛医科大学校幹事:空将 緒方克彦(防衛医大1期)<空将補

退職についてはこちら

現在自衛隊の制服組トップは17期生前後になっている。関係はないんだが、太平洋戦争当時の首相・東條英機は陸士17期生なんだよなあ。

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2009年7月18日 (土)

どうせこれも捏造って言うんだろうなあ

Historic Apollo landing sites imaged by new lunar orbiter (spaceflightnow.com)
月面着陸「捏造」論争に終止符? アポロ足跡を撮影 (asahi.com)

もともと「論争」と言えるほどの論争でもなかったんだが、どっちにしろ「捏造」論者は厳密な証拠調べをして判断しているわけでもないし、この写真をも「捏造」と言い出す人がいるんじゃないかな。どうせそういう人はどんな動かぬ証拠を持ってきても信じないのだ。

たしか「かぐや」でも月着陸船が離陸するときの噴射ガスの痕跡らしいものを見つけた、という発表があったと思うけど、今度は明らかにNASAが狙って動かぬ証拠をとりにいったものだろう。よほど「"捏造"論」に辟易しているものと思われる。

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2009年7月16日 (木)

ゆくひとくるひと

勇退した将は、陸5海2空2。

東北方面総監・宗像久男陸将(18期)
東部方面総監・泉一成陸将(18期)
陸自幹部学校長・三田克巳陸将(18期)
自衛隊札幌病院長・西川博陸将(熊本大18期相当)
第2師団長・佐藤修一陸将(19期)
自衛艦隊司令官・泉徹海将(17期)
佐世保地方総監・加藤保海将(17期)
航空総隊司令官・永田久雄空将(17期)
航空教育集団司令官・菊川忠継空将(18期)

この結果、陸自と空自の18期より上、海自の17期より上は幕僚長を除いて全員勇退した。統幕長・折木陸将(16期)、海幕長・赤星海将(17期)、陸幕長・火箱陸将(18期)、空幕長・外薗空将(18期)が名実ともにトップに立ったわけだ。

代わって将に昇任したのは、陸5海3空3。差し引きプラス2となるが、増えた分は医官である。

渡部悦和陸将(東京大22期相当)・第2師団長
藤崎護陸将(22期)・第3師団長
山本洋陸将(21期)・第7師団長
河村仁陸将(22期)・第10師団長
加瀬勝一陸将(防衛医大1期)・自衛隊札幌病院長
泉三省海将(22期)・大湊地方総監
畑中裕生海将(22期)・海自幹部学校長
大塚八左右海将(防衛医大1期)・自衛隊中央病院副院長
渡邊至之空将(20期)・中部航空方面隊司令官
秦啓次郎空将(21期)・航空開発実験集団司令官
緒方克彦空将(防衛医大1期)・防衛医大幹事

将の転任と新たな配置一覧については、また次回(ひっぱるなあ)。

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まちがいさがし

最初はこっちの記事で読んだんだけど

なかなか男らしいじゃないか、この人は (間歇日記)

この中で引用されている記事に事実と異なる表現があったので、元記事を参照してみたらいつのまにか修正されていたようだ。

下のリンクが元記事。
「突入ではガダルカナル」 小池元防衛相、首相を批判 (asahi.com)

気が向いた人はちょっと見比べて何が違っているか探してみてください。三十一がおかしいと思った、というところがヒントかな。








解答。



ガダルカナル戦は玉砕ではありません。多数の犠牲者は出ましたが、最終的には撤退しています。

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2009年7月15日 (水)

いかーん

7月21日の昇任について、今日の時点でひとつだけ指摘しておこう。

もともと幹部自衛官のなかでも医官の高級ポストはそれほど多くない。それにともない、将や将補といった階級にまで達する医官の数は一般幹部に比べて少なかった。

今回の昇任で目についたのは、陸海空の三自から各1名ずつ、防衛医科大1期生出身の将昇任者がいること。一度に三人の医官が将に昇任するのは珍しいと思う。少なくとも三十一は知らない。

これにともない、衛生関係職種に将ポストが3つ用意されたことになる。もちろんこれらのポストは以前からあったものだが、今後は恒久的に将ポストとみなされることになるだろう。その3ポストとは、「自衛隊札幌病院長」「自衛隊中央病院副院長」「防衛医科大学校幹事」である。防衛医大幹事は比較的最近置かれたポストだ。札幌病院は陸自の担当だから、当然院長は陸将ポストである。残りふたつを海空でわけあうことになる。現時点では、中央病院副院長は海、防衛医大幹事が空となっており。
ちなみに中央病院長は背広組のポストになっているが、現任者は退職した元海将補だ。

防衛大卒業生の任官拒否が毎年話題になっているが、防衛医大卒業の医官が定着しないのも防衛省の頭痛の種のひとつで、この施策もその対策のひとつであろう。

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2009年7月14日 (火)

速報・7月21日付人事

7月21日付人事が防衛省HPに記載された。

今回の人事の主眼は、幕僚長同期の淘汰にあるようだ。陸海空いずれも幕僚長の同期生または先輩がごっそり退職している。

目についたところでは、空自航空総隊司令官に現空幕副長・岩崎茂空将(19期)、海自自衛艦隊司令官に現呉総監・杉本正彦海将(18期)。

取り急ぎ速報ということで、続きはもうちょっと精査してからに。

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Wikipediaを以下略

閑院宮春仁王 より

将校の進級は実役停年(定められた年数を経て、実績を上げることで、次の階級に進む)という規定によって行われるので、一般将校は通例規定年数以上の年月をかけて進級していくが、皇族は規定年数通りの最小期間で進級する。

え、それホント?

三十一はかつて実役停年についてこのように書いている。

皇族は普通よりも相当進級が早いが、それでも実役停年よりも長期間を要している。実際に停年通りに進級していくのは皇太子くらいである。

実はこの文章は「事典昭和戦前期の日本」を出典としているのだが、

同書の中には陸軍の実役停年について「中将四年・少将三年・大中少佐各二年・大尉四年・中尉二年・少尉一年」と記されている。

では今度は「日本陸海軍総合事典」から閑院宮春仁王の進級を抜き出してみよう。同書では月単位までしか記載されておらず日は不明だが今回の調べ物には大きな問題とはならない。

1924.10 少尉 (3年)
1927.10 中尉 (4年10月)
1932.08 大尉 (5年)
1937.08 少佐 (1年7月)
1939.03 中佐 (2年5月)
1941.08 大佐 (3年10月)
1945.06 少将

階級の右のカッコの中は、上の階級にあがるまでの年月である。「実役停年通りの進級」という記述には根拠がないと言わざるを得ない。少佐から中佐に進級する際、実役停年より短い年月で進級しているが、これは1937年7月に日中戦争が始まっていることが影響しているだろう。

参考までに、春仁王と同期の某大佐の進級を挙げてみよう。この人物は陸士首席卒業、陸大卒業成績3位という超エリートである。

1924.10 少尉 (3年)
1927.10 中尉 (5年10月)
1933.08 大尉 (4年7月)
1938.03 少佐 (2年5月)
1940.08 中佐 (3年)
1943.08 大佐

春仁王と比べて大尉が短く少佐が長いのは、これまた日中戦争の影響であることは明らかである。

次に、昭和天皇の皇太子時代の進級日を挙げてみる。正確には、皇太子でさえ実役停年より遅れることがあったようだ。

1912.09 少尉 (2年1月)
1914.10 中尉 (2年)
1916.10 大尉 (4年)
1920.10 少佐 (3年)
1923.10 中佐 (2年)
1925.10 大佐

もし、春仁王が実役停年通りに進級していたなら、次のようになるはずである。

1924.10 少尉
1925.10 中尉
1927.10 大尉
1931.10 少佐
1933.10 中佐
1935.10 大佐
1937.10 少将
1940.10 中将
1944.10 大将

明治35年生まれの春仁王は、42歳で大将になるわけだ。でも実際にはそうならなかった。

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2009年7月13日 (月)

桜興産社長の交代

防衛庁から防衛省に昇格したあとでも、次官の椅子を大蔵省にも回さなくてはいけないのかなあ。

事務次官人事内定 (DSI 日米国防組織情報 HOT TOPICS)
防衛事務次官に中江氏内定 (asahi.com)

現職の増田好平事務次官が退任し、後任は中江公人・現官房長に内定したとか。記事にもあるとおり、中江官房長は昭和51年大蔵省入省組。防衛省プロパーがいなかった初期には、大蔵省と警察庁(つまり内務省だ)出身者がもっぱらトップ幹部を占めていたのだが、防衛庁も発足して45年になり、内部人材にも事欠かない。それでもまだ大蔵省出身者に配慮した順送り人事をやらなくてはいけないのだろうか。

ここ20年あまりの事務次官の、出身官庁を並べてみると以下の通りだ。

大蔵省(1985.6.25 矢崎新二)
防衛庁(1988.6.14 西広整輝)
警察庁(1990.7.2 依田智治)
大蔵省(1991.10.18 日吉章)
大蔵省(1993.6.25 畠山蕃)
防衛庁(1995.4.21 村田直昭)
大蔵省(1997.7.1 秋山昌広)
防衛庁(1998.11.20 江間清二)
大蔵省(2000.1.18 佐藤謙)
防衛庁(2002.1.18 伊藤康成)
防衛庁(2003.8.1 守屋武昌)
防衛庁(2007.9.1 増田好平)

ところで、現在の防衛省内局幹部(局長級)6人の顔ぶれは以下の通り。

-官房長・中江公人(76大蔵省・京都大卒)
-防衛政策局長・高見澤將林(78防衛庁・東京大卒)
-運用企画局長・徳地秀士(79防衛庁・東京大卒)
-人事教育局長・渡部厚(79防衛庁・東京外語大卒)
-経理装備局長・長岡憲宗(77防衛庁・早稲田大卒)
-地方協力局長・井上源三(77自治省・東京大卒)

守屋ショックで内局のキャリア・プランは崩壊してしまったが、防衛省プロパーのエースは高見澤と徳地だろうか。普通に考えると、運企局長の徳地が官房長に横滑りして、防政局長の高見澤と次の次官を競わせると言う筋書きが思い浮かぶのだが、もうすぐなくなることが決まっている運企局長をこの時期更迭するのはどんなものだろう。

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2009年7月12日 (日)

自殺願望もしくは自殺行為

いまだ開票中ではあるが、どうも都議選では自民党が大幅に議席を減らし民主党が第一党になる勢いだとか。あまり考えたくないのだが、近く実施されるはずの総選挙でもそんな感じになるのかなあ。どうもそんな気がしてきた。

三十一は別に現在の自民党政権を無条件で支持するわけではないけれど、と言って民主党に政権をとらせてやりたいともあまり思えない。かつての社会党は万年野党だったから、どんな綺麗事や夢物語を語ったとしてもそれを実現させる、あるいは実現させようとする機会はなかった。民主党も野党でいるうちは何でも言えるけど、実際に与党になって政権をとったときにどれだけのことができますか。正直三十一は悲観的なのである。なにしろ前提条件がそれほど変わらないからね。

次の総選挙で民主党が政権をとったとしよう。これまで散々自民党政権をこき下ろしてきた民主党が政権をとって、さて何ができるかと国民が見守る中、自民党政権よりも目に見えて成果を挙げなかった場合何が起きるか。それは期待の反動の失望である。2大政党のどちらに政権がわたっても結局生活がよくならないとわかってしまったとき、何が起きるか。その答えを我々はすでに知っている。

自民党派閥の歴史(上)

 民政党内閣を打倒するために「統帥権干犯」という爆弾に火を付ける役割を買ってでた犬養と鳩山だったが、その爆弾が破裂した時に吹き飛ばされたのは単に民政党にとどまらず、政友会の内閣と犬養自身の命も奪うことになる。「統帥権干犯」に激昂した海軍青年士官が憎悪したのは、具体的な民政党という政党ではなく、一般的な政党および政党内閣そのものであった。5・15事件によって政党内閣は終焉するが、その責任は軍部のみならず政党自身が負うべき部分が多い。ある意味これは「政党の自殺」とすら言えるのである。

もちろん、現代の日本には政党内閣にとってかわる軍部は存在しない。しかし主権保有者である国民が議会に基礎を置く政党内閣に信をおけなくなると、行き着く先は民主主義の衰弱死である。ナチスは民主的に権力を獲得し、結果として最悪の独裁国家をもたらした。ドイツでは、ナチスに権力を与えたのが国民自身であるということが知られている。しかし日本では、軍部の台頭を許したのが普通選挙制度下の国民であったということに目をつぶり、もっぱら軍部自身の責任としている。本来、戦後の反省はその認識の上に立つべきであったのに、他人の責任にしてしまった。同じ轍を踏む可能性なしとしない。

こんな予想が当たらなければそれに越したことはないんだけどねえ。

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2009年7月11日 (土)

キリ番踏みました

さっき記事を更新してリロードかけたら

Ct

幸運をこんなことに使わなくても。

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自分が普通だと思っている人々

すべてが平均に一致している人間というのは実はめったにいない、というのは何で見たんだったかなあ。たいていの人間は平均から多少なりともズレているもので、そういう人が沢山集まって平均すると、プラスとマイナスが相殺されて平均値に近づいていくというのは実は初歩の統計学なのだけどね。

ちょっと前から、NHKのニュースで耳にするたびにイラっとする特定のフレーズがある。NHKだけを槍玉に挙げるのは、NHK以外の民放のニュースというのはほとんど見ないからだ。
正確に覚えているわけではないのだが、思いつくままにいくつか例示してみよう。

・・・この試料に特殊な薬品で処理を行なうと・・・

・・・ある特殊な操作を行なうことで~が可能に・・・

・・・~は特殊な観測機器を搭載しており・・・

特殊って何やねん、特殊って。
三十一はこの特殊という単語が選択されている背後に「普通じゃない」というニュアンスを感じるのだが、それは考えすぎでしょうかね。例えば最初の文例のような説明を聞くたびに、三十一の脳内では

このニュースを聞いているほとんどの人にはどうせ薬品の名前を言っても理屈を説明してもわからないだろうし、普通の人々には一生縁がないような珍しい代物だから「普通の人は知らなくてもかまわない特殊な薬品」とだけ言っておいて説明は端折ってしまえ

と言っているように自動変換されてしまうのだがねえ。

「特殊な」という言葉には「普通」を基準としてそれからはずれたという評価が含まれているのだが、普通とかはずれたとかいうのも評価する人の主観でしかないのだよねえ。そうか、三十一はその主観の押しつけに無意識に反発しているのだな。
こういう評価を含まないニュートラルな表現としては「特定の」という適切な言い回しがある。三十一はもっぱらこっちを使って「特殊な」というのはあまり使わない。英語で言うと special と specific で、似ていると言えなくもないが、似ているというのはつまり裏を返せば同じではないということだ。

特殊と言うなら、あなたもわたしもみんな特殊なのだよ。その中で一部だけを取り上げてあえて「特殊」と表現するのは何らかの(無意識かもしれないが)意図が隠されている。

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2009年7月10日 (金)

あとからなら何とでも言える

中国の史書によく現れるのが「事後予言」である。

「○○を見て、ある人が××になるだろうと言った。実際、のちにその通りになった」というパターンの言説がしばしば現れる。もちろん、実際には史書を書いた人(あるいは題材を提供した人)が、結果を知ってあとから「予言」を作り出したものである。

JR西社長を在宅起訴 (asahi.com)

故意に起こした事件ならともかく、事故を事前に予見できたかどうかをあとになって判断するのは難しい。関係者への聞き取りで検察は
(1)急カーブへのATS整備は鉄道業界で共通認識として定着していた
と判断しているそうだけど、三十一の感覚ではATS(正確にはATS-P)設置で事故を予防することはできるにしても多額の投資をして緊急に整備しなくてはいけないほどのものではない、と考えられていたように思う。技術的な観点と経営的な観点はおのずと違ってくるだろう。具体的にこの事故現場についてみれば、直線から300Rという急カーブになるのは確かにあまり誉められたつくりとは思えない。しかしこの先は全列車(特急を除く)が停車する尼崎駅なのである。多少制限がきつくてもそれほど問題にならないとの判断がそれほどおかしいだろうか。

実は、JR西日本の問題は単にATS-Pの設置をあとまわしにした云々というレベルの話ではなく、もっと根本的な体質の問題があるように思う。しかし検察はそれを立証するだけの材料を見つけられなかったようだ。だから当時の社長を起訴に持ち込めなかったのだろう。
当時の社長など会社上層部は、鉄道本部長に任せきりにしていて報告も受けていなかったということだが、それが事実だとしても「任せた責任」があるだろう。もし本気で言ってるとしたら管理者として失格である。

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2009年7月 9日 (木)

涼宮ハルヒの反復

昨夜、三十一が棲息している地域では「涼宮ハルヒの憂鬱」新作エピソードのうち、「エンドレスエイト」の3話目にあたるストーリーが放送されていたのだが。

三十一の予想では、今週こそオチになるかと思っていたのにまだ引っ張るか。

原作では1万5498回目にリピートに気づいて、キョンの思いつきにより無限反復から脱出したのだが、テレビのほうではこのまま1万5500回目に突入する模様。


脚本の手抜きとは考えたくないが、どうもオトナノジジョウがありそうですなあ。



どうせそのうちブルーレイでも出るんだろうけど。

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2009年7月 7日 (火)

隣の国の「いどべい」

政治に首を突っ込むと「井戸と塀しか残らない」と言われたことから「いどべい」という言葉が生まれたというのは、本宮ひろしの「やぶれかぶれ」で知ったんだったかな。
今ではそんなことを誰も信じていないだろうが、それなりの元手が必要であることは確かだろう。しかしお隣の国では少し違った意味で使われることになるのかもしれない。

韓国大統領、自宅と預金除いた全資産を寄付 (asahi.com)

残しておいても、どうせ退任後に没収されるか返上することになるんだったら今のうちに、と思ったのだろう。

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2009年7月 6日 (月)

自分のことはあまり見えないものだ

昼休み、最初に見たときには「ああ、その通りだなあ」と思っていたが、夕方見直してみるとコメント欄がプチお祭り状態になっていた。

こりゃ、いまの日本には絶対作れないものだよなぁ (間歇日記)

三十一も、けっこう前からそれらしいことを書いている。
たとえばこれとか、これとか、これだ。

アメリカ人は石油と土地は無尽蔵にあると考えているように見える。
そして三十一から見ると、日本人は水と安全と努力はタダだと考えているように見える。

大戦中、アメリカ軍は物量に物を言わせて、人命を節約した。日本軍は精神と人命をつぎ込むことで、物資を節約した。そしてその構図は今も変わっていない。リストラとは本来、利益/コスト構造を見直して再編することを意味したはずだが、日本ではもっぱら人減らしの意味でしか使われていない。構造を変えずに人だけを減らすというのは、言い換えるとひとりあたりの仕事を増やすことでしかない。かくして生まれるのは失業者と過労死予備軍の両極ばかりである。

物量に物を言わせるためには、物量を突っ込むだけの仕組みができていなくてはいけない。たとえば沖縄作戦当時、15万人の第一線兵力を支えるために一人あたり1トン以上の物資を用意し、これを準備し輸送するために第一線兵力の5倍の人数が必要だった。これだけの組織を準備し運用するためのノウハウがチームプレイでなくて何だというのだろう。「精神」や「人命」や「努力」をアテにできないとなると、組織力でカバーするしかない。アテにしないためにも、どういうチームが必要かという理論的考察が発達した。

ま、よくわからない人は1年間アメリカンフットボールを観てみよう。アメリカ人が考えるチームというものがよくわかる。

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2009年7月 5日 (日)

「世界の歴史12・明清と李朝の時代」


終章「ヒトと社会-比較伝統社会論」こそ、この本の真価であり特色でもある。わずか20ページあまりの短い章だが、教えられること考えさせられることが多かった。
中国と朝鮮と日本は、「極東」ということでひとからげにされがちな一面がある。特に文化思想の面で「漢字文化圏」ということから共通の古典を基礎にしてきたように見られる。それはある意味正しいことではあるのだけれど、全く正解というわけではない。この本で指摘しているのは、三国の間で「家」の機能がそれぞれ異なるものになってきているということで、これは実に重要な指摘だと思う。

ちょうど今、並行して別のシリーズの「日本の歴史」も読んでいるのだが、それから感じるのは日本では「家」は「職」と密接に結びついていて不可分になっていること。職業を継ぐことと家を継ぐことが同一視されている。だから場合によっては血縁のない養子を迎えてでも家を継がせている。つまり血縁よりも家職が優先されているのだ。
中国の家も朝鮮の家もこれとは違う。中国の家と朝鮮の家も違う。20ページの説明を簡単にまとめるのは無理なので、具体的には読んでみてください。

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2009年7月 4日 (土)

歯の根が浮くような話

昨夜は久しぶりに徹夜仕事。今日の午前中にどうにか目処をつけて少し仮眠したあと、夕方から外出した。

実は少し前から歯が痛く、痛み止めを飲んでごまかしていたのだがだんだん腫れてきて物を食べるのも大変になってきたので、仕事から解放されるとすぐ予約をとって歯医者にでかけた。

最初は虫歯かと思っていたのだがそういうわけではなく、歯の根の部分に菌でも入ったのか化膿して歯が少し浮き上がった状態だということらしい。少し削ってかみ合わせを調整したあと、腫れている部分を突き破って膿の出口を作る。これがかなり痛かったのですよ。麻酔を使うかもしれないと思って痛み止めを飲んでいかなかったのだが、期待に反して麻酔無しで手術(といってもほんの1分くらいのものだが)され、思わず拳を握りしめて耐えるというマンガのような行動に出てしまった。関羽雲長の境地は遠い。というか無理。

羽嘗爲流矢所中貫其左臂後創雖愈毎至陰雨骨常疼痛。醫曰矢鏃有毒毒入于骨當破臂作創刮骨去毒然後此患乃除耳。羽便伸臂令醫劈之。時羽適請諸將飲食相對臂血流離盈於盤器而羽割炙引酒言笑自若。(三國志巻三十六蜀書六・關張馬黄趙傳 - 中華書局版普及本)

関羽はかつて流れ矢を左肘に受け、傷は治ったがその後雨が降るたびに骨が痛んだ。医者が言うには「矢じりに毒が塗ってあり、その毒が骨に達しています。肘を切り開いて骨を削り毒を取り除く以外に治療法はありません」と。関羽はそれを聞くと肘を伸ばして医者に切開させた。切り開かれた臂からは血が流れ受け皿に溢れたが、ちょうどその時関羽は諸将と会食しており、肉を食べ酒を飲みながら平然と談笑していた。

ところで、前に歯医者に行ったときにも思ったのだが、担当医師からレントゲン写真を見せられたときに、説明を聞いている頭の片隅で三十一は「ああ、自分の皮膚の下にはやっぱりガイコツが入ってるんだなあ」などと考えていた。こういうことでもないと実感しないよね。

実体験でも、比喩的表現でも、三十一はどちらの意味でも「歯の根の浮くような話」は勘弁だと思った今日であった。

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2009年7月 2日 (木)

"波と雨"から"雨と霧"に

ソマリア沖海賊対処のために派遣されている海自艦艇の第二陣が発表された。

浜田大臣会見(護衛艦の交代) (防衛省)
海賊対策第2陣派遣へ (dsimil.com)

現在派遣されている"さざなみ"(DD-113)と"さみだれ"(DD-106)に代わって、"はるさめ"(DD-102)と"あまぎり"(DD-154)が派遣されることになった。

海自の汎用護衛艦は、と発達してきた。つまり、"○○ゆき"という艦名をもつ"はつゆき"級12隻"あさぎり"級8隻"むらさめ"級9隻"たかなみ"級5隻の順番だ。これまでは"波"と"雨"の組み合わせだったのが、第2陣は"雨"と"霧"になるわけで一世代ずつさかのぼったことになる。現在計画中の新型(5000トン型)護衛艦が揃うと、"霧"は第一線を退くことになるだろうから、これが最後のご奉公かな。
余談だが、次の護衛艦は"月"ではないかと思う。"霜"ってのもあるけど。

護衛艦の話題が出たついでに、7月1日付人事で舩渡健一等海佐(護衛艦隊司令部付)が海上自衛隊第1術科学校研究部長に発令された。

防衛省発令(一佐職人事) (防衛省、PDF)

例の事故のときの"あたご"艦長である。どうやら一段落したとみなされたらしい。

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2009年7月 1日 (水)

6月の打ち上げ(7/5追記)

月に一度、ネタを考えなくて済む日がある。それが今日だ。

18日 21:32GMT、ケープカナベラル(アメリカ)、アトラス5(Lunar Reconnaissance Orbiter, LCROSS)

21日 21:50GMT、バイコヌール(カザフスタン/ロシア)、ゼニット2SLB(Measat 3A)

27日 22:51GMT、ケープカナベラル(アメリカ)、デルタ7000(GOES-14)

今月はやけに少ない。不景気のせいだとは思いたくないが。
アメリカが打ち上げた2基は、いずれも商用でも軍用でもない。ちょっと珍しいことだ。LRO Lunar Reconnaissance Orbiter と、LCROSS Lunar CRater Observation and Sensing Satellite は、最近の月探査ブームにアメリカが遅ればせながら便乗したもの。
いっぽう、GOES Geostationary Operational Environmental Satellite は、要するにアメリカのNOAA海洋気象局が打ち上げた気象衛星のシリーズだ。番号が示す通り14機目になる。今回から新型になるそうだ。

ゼニット2SLBでバイコヌールから商用衛星を打ち上げたのは、破綻したシーローンチで陸上からの打ち上げを担当するランドローンチ・ディヴィジョンだ。結果として破綻前の最後の打ち上げ、ということになった。

7/5追記:

ひとつ抜けてました。

30日 19:10GMT、バイコヌール(カザフスタン/ロシア)、プロトンM(Sirius XM FM5)

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