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2009年7月 6日 (月)

自分のことはあまり見えないものだ

昼休み、最初に見たときには「ああ、その通りだなあ」と思っていたが、夕方見直してみるとコメント欄がプチお祭り状態になっていた。

こりゃ、いまの日本には絶対作れないものだよなぁ (間歇日記)

三十一も、けっこう前からそれらしいことを書いている。
たとえばこれとか、これとか、これだ。

アメリカ人は石油と土地は無尽蔵にあると考えているように見える。
そして三十一から見ると、日本人は水と安全と努力はタダだと考えているように見える。

大戦中、アメリカ軍は物量に物を言わせて、人命を節約した。日本軍は精神と人命をつぎ込むことで、物資を節約した。そしてその構図は今も変わっていない。リストラとは本来、利益/コスト構造を見直して再編することを意味したはずだが、日本ではもっぱら人減らしの意味でしか使われていない。構造を変えずに人だけを減らすというのは、言い換えるとひとりあたりの仕事を増やすことでしかない。かくして生まれるのは失業者と過労死予備軍の両極ばかりである。

物量に物を言わせるためには、物量を突っ込むだけの仕組みができていなくてはいけない。たとえば沖縄作戦当時、15万人の第一線兵力を支えるために一人あたり1トン以上の物資を用意し、これを準備し輸送するために第一線兵力の5倍の人数が必要だった。これだけの組織を準備し運用するためのノウハウがチームプレイでなくて何だというのだろう。「精神」や「人命」や「努力」をアテにできないとなると、組織力でカバーするしかない。アテにしないためにも、どういうチームが必要かという理論的考察が発達した。

ま、よくわからない人は1年間アメリカンフットボールを観てみよう。アメリカ人が考えるチームというものがよくわかる。

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