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2009年7月 5日 (日)

「世界の歴史12・明清と李朝の時代」


終章「ヒトと社会-比較伝統社会論」こそ、この本の真価であり特色でもある。わずか20ページあまりの短い章だが、教えられること考えさせられることが多かった。
中国と朝鮮と日本は、「極東」ということでひとからげにされがちな一面がある。特に文化思想の面で「漢字文化圏」ということから共通の古典を基礎にしてきたように見られる。それはある意味正しいことではあるのだけれど、全く正解というわけではない。この本で指摘しているのは、三国の間で「家」の機能がそれぞれ異なるものになってきているということで、これは実に重要な指摘だと思う。

ちょうど今、並行して別のシリーズの「日本の歴史」も読んでいるのだが、それから感じるのは日本では「家」は「職」と密接に結びついていて不可分になっていること。職業を継ぐことと家を継ぐことが同一視されている。だから場合によっては血縁のない養子を迎えてでも家を継がせている。つまり血縁よりも家職が優先されているのだ。
中国の家も朝鮮の家もこれとは違う。中国の家と朝鮮の家も違う。20ページの説明を簡単にまとめるのは無理なので、具体的には読んでみてください。

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