あとからなら何とでも言える
中国の史書によく現れるのが「事後予言」である。
「○○を見て、ある人が××になるだろうと言った。実際、のちにその通りになった」というパターンの言説がしばしば現れる。もちろん、実際には史書を書いた人(あるいは題材を提供した人)が、結果を知ってあとから「予言」を作り出したものである。
JR西社長を在宅起訴 (asahi.com)
故意に起こした事件ならともかく、事故を事前に予見できたかどうかをあとになって判断するのは難しい。関係者への聞き取りで検察は
(1)急カーブへのATS整備は鉄道業界で共通認識として定着していた
と判断しているそうだけど、三十一の感覚ではATS(正確にはATS-P)設置で事故を予防することはできるにしても多額の投資をして緊急に整備しなくてはいけないほどのものではない、と考えられていたように思う。技術的な観点と経営的な観点はおのずと違ってくるだろう。具体的にこの事故現場についてみれば、直線から300Rという急カーブになるのは確かにあまり誉められたつくりとは思えない。しかしこの先は全列車(特急を除く)が停車する尼崎駅なのである。多少制限がきつくてもそれほど問題にならないとの判断がそれほどおかしいだろうか。
実は、JR西日本の問題は単にATS-Pの設置をあとまわしにした云々というレベルの話ではなく、もっと根本的な体質の問題があるように思う。しかし検察はそれを立証するだけの材料を見つけられなかったようだ。だから当時の社長を起訴に持ち込めなかったのだろう。
当時の社長など会社上層部は、鉄道本部長に任せきりにしていて報告も受けていなかったということだが、それが事実だとしても「任せた責任」があるだろう。もし本気で言ってるとしたら管理者として失格である。
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コメント
事故が発生するとマスコミは必ず人のせいにしようとします。
処罰したいという欲求があるからでしょう。
責任の有無は実のところ関係がないように思われます。
ある哲学説によれば、責任があるから処罰するのではなく、処罰したいから責任を捏造するのだそうです。
罪があるから罰するのではなく、罰したいがために罪が創られます。
因果関係という概念そのものが、実はフィクションに過ぎないという哲学者もいます。
投稿: Tod | 2009年7月12日 (日) 04時20分