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2009年7月11日 (土)

自分が普通だと思っている人々

すべてが平均に一致している人間というのは実はめったにいない、というのは何で見たんだったかなあ。たいていの人間は平均から多少なりともズレているもので、そういう人が沢山集まって平均すると、プラスとマイナスが相殺されて平均値に近づいていくというのは実は初歩の統計学なのだけどね。

ちょっと前から、NHKのニュースで耳にするたびにイラっとする特定のフレーズがある。NHKだけを槍玉に挙げるのは、NHK以外の民放のニュースというのはほとんど見ないからだ。
正確に覚えているわけではないのだが、思いつくままにいくつか例示してみよう。

・・・この試料に特殊な薬品で処理を行なうと・・・

・・・ある特殊な操作を行なうことで~が可能に・・・

・・・~は特殊な観測機器を搭載しており・・・

特殊って何やねん、特殊って。
三十一はこの特殊という単語が選択されている背後に「普通じゃない」というニュアンスを感じるのだが、それは考えすぎでしょうかね。例えば最初の文例のような説明を聞くたびに、三十一の脳内では

このニュースを聞いているほとんどの人にはどうせ薬品の名前を言っても理屈を説明してもわからないだろうし、普通の人々には一生縁がないような珍しい代物だから「普通の人は知らなくてもかまわない特殊な薬品」とだけ言っておいて説明は端折ってしまえ

と言っているように自動変換されてしまうのだがねえ。

「特殊な」という言葉には「普通」を基準としてそれからはずれたという評価が含まれているのだが、普通とかはずれたとかいうのも評価する人の主観でしかないのだよねえ。そうか、三十一はその主観の押しつけに無意識に反発しているのだな。
こういう評価を含まないニュートラルな表現としては「特定の」という適切な言い回しがある。三十一はもっぱらこっちを使って「特殊な」というのはあまり使わない。英語で言うと special と specific で、似ていると言えなくもないが、似ているというのはつまり裏を返せば同じではないということだ。

特殊と言うなら、あなたもわたしもみんな特殊なのだよ。その中で一部だけを取り上げてあえて「特殊」と表現するのは何らかの(無意識かもしれないが)意図が隠されている。

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