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2009年8月19日 (水)

「日本の歴史09・頼朝の天下草創」


この本は今ウチに2冊ある。

別に間違えて買ったわけではない。途中まで読んだところで、どこかに置き忘れたまま見つからなくなってしまい、そのうち見つかるだろうことを期待してそのまま次の巻を読み始めたのだが、読み進めるうちにやはりちゃんと読み終わらずに次の時代に進んでも話がわかりにくいということに気づき、頑張って部屋の中を探してみたのだがどうしても見つからず、しかたなくもう1冊買った。
そして続きを読み始め、読み終えたところでふと廊下の扉の陰を見ると、そこに積み上げられた本の一番てっぺんにちょこんとのっていたのがそれまで散々探していた当の本だった。カバーしてあるから探しにくいんだよ、というのは言い訳である。まあ探しにくいのも本当だ。

本の内容に移ろう。
頼朝が創設した鎌倉幕府は、もちろん東国御家人層の支持の上に成り立った政権であるが、実は頼朝自身は東国御家人とは異なる出自であった。頼朝は将来のあるべき姿として、西国も含めた全国一円支配を構想していただろう。しかしその構想は頼朝が依って立つ有力御家人の理解が得られるようなものではない。したがって頼朝は第一段階として東国政権を固めることを考えていたと思われる。
歴史にイフは禁物と言われるが、もし頼朝に仮すにあと20年の寿命を与えていたなら、鎌倉幕府の歴史もだいぶ変わってきただろう。源氏のあと鎌倉幕府の実権を把握した北条氏は生粋の東国御家人で、幕府の勢力が西国に及ぶことになったのは承久の乱と、さらに半世紀後の蒙古襲来といういずれも外因をきっかけとしたもので、自ら望んでそうしたものではない。
結局、鎌倉幕府は150年の歴史のほぼすべてを費やして武家政権を作り上げて、そして寿命が尽きたと言えるのではないか。後醍醐天皇の倒幕復古の試みも武家政権が未完成であるという認識から生まれたのではなかろうか。そのあたりは以降の巻の課題となる。

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