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2009年9月26日 (土)

「日本の歴史12・室町人の精神」

ネタがないときは書評に逃げる。

この巻で取り上げる時代は、南北朝の末期から応仁の乱までの、いわば"純粋な"室町時代。室町幕府240年の歴史のうちはじめの60年は南北朝時代、最後の100年余りは戦国時代とも呼ばれるので、それを除いた80年弱が対象となる。
こうして見ると、前後が戦乱の時代だっただけにこの間は比較的平穏だったように思えるが、それは前後と比べるからであって、普通の感覚でいけば充分動乱の時代と言ってよい。内部抗争に明け暮れた鎌倉時代にひけをとらないくらい、武力衝突は枚挙にいとまがない。この時代、大きなイベントには元号を冠するのが一般的だったのだが、主なものを挙げても「明徳の乱」「応永の乱」「上杉禅秀の乱」「永享の乱」「結城合戦」「嘉吉の変」「享徳の乱」と続く。この他にも、より小規模な衝突はしばしば起きている。ことに顕著なのは、東国鎌倉に拠点を置く関東公方に絡んだ紛争がほぼ間断なく起きていることで、「上杉禅秀の乱」(1416)以降、足利氏庶流関東公方と、関東管領上杉氏と、京都の幕府が三つどもえになって断続的に戦闘が続いており、「享徳の乱」(1454~1482)は実に30年近くも続いて、東国はこれにより実質的に戦国時代に入ったと考えてよい。
室町幕府は、足利将軍家を頭首に戴いてはいたものの、現実には有力守護大名の連合政権とみなされている。観念上、守護は将軍から任命されるものとされているものの、実際には有力大名によって世襲されており、領国化していた。ある守護個人が罪によって守護職を剥奪されたとしても、その守護職は同族の別人に与えられるのが慣習化しており、よほどのことがないかぎり他氏にわたることがない。ときにそのようなことがあると、それは大きな恨みとなって禍根を残す。結局、ある特定個人を守護から追い落とすことはできても、一族としての守護家の勢力は温存されることになる。こういう状態では、守護同士の紛争よりもむしろ守護家内部の家督争いのほうが起こりやすい。ライバルを抑えて家督の座を手に入れれば、ほぼ自動的に守護職が与えられる。しかしこうした家督争いがあちこちの守護家で起こると、それぞれの陣営が他家のある陣営と手を結ぶことになるのは必然だ。「応仁の乱」前夜、畠山政長と斯波義敏が手を組み、畠山義就・斯波義廉勢と合戦に及んだのはその一例である。

「由緒正しい」守護家の多くは、こうした内部抗争の末に力を失い没落していく。代わって表舞台に出てくるのは、よりコンパクトな「守護代」や「国衆」を出自とする戦国大名だが、それは次の巻の話となる。

To be continued ...

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