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2009年10月31日 (土)

「鄧小平 政治的伝記」


北海道旅行の前半というかはじめの3分の1くらいで読み終えた。

三十一がこれまでもっていた印象では、鄧小平は文化大革命で混乱した毛沢東死後の中国を立て直し、改革開放政策で世界市場をひっぱる現在の中国を方向づけたというものだ。まあそれ自体はけして間違いではないのだが、しかし結果論であって鄧小平が最初からそのつもりで中国を指導してきたかというと、実はそうでもないかもしれない。

鄧小平はもちろん毛沢東の薫陶をうけて長征後の中国共産党で地歩を気づいてきたわけだけど、理論家で理想家で思いこみの強い毛沢東と比べて、鄧小平はあくまで実務本位であまり理論に詳しくないらしい。改革開放政策花盛りのころ、まるでかつての"毛沢東語録"のように"鄧小平文選"が争って読まれた時期があったが、"文選"には"語録"のような理想論や理論分析はほとんど含まれていないそうだ。マルクス・レーニン主義をどれほど理解しているかすら疑問視されている。鄧小平は周恩来とほぼ同時期にフランスに留学しているけど、実際にはほとんど勉強しなかったようだ。

ただ、そういう理論を知らないからこそ、文化大革命後の困難な時期に不毛な神学論争に陥ることなく改革開放に突き進めたのだろう。そういう意味では鄧小平こそは現代中国で有数の「政治家」だったのだろう。

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2009年10月29日 (木)

Ares 1 初号機打ち上げ

スペースシャトルの後継となるアメリカの有人ロケット Ares 1 の初めての打ち上げが行われた。打ち上げといっても実際には第一段だけが本物でそれより上はダミー。当然軌道投入も行われない。第一段の実機テストだ。

速報レベルの情報だが、現在のところ大きな問題は見つかっていない。これからテレメトリデータとそれから今回はパラシュートで燃焼終了後の第一段を回収しているので機体の調査を、数か月かけて行なって飛行結果を評価することになる。

Mission Status Center (spaceflightnow.com)

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2009年10月28日 (水)

一夜明けて

一夜明けて状況が多少見えてきた。

基本的に航路上では右側通行というのが世界共通のルールだ。関門海峡も例外ではなかった。護衛艦"くらま"は艦首部分が押しつぶされてほぼ正面から衝突したことがわかる。いっぽう、相手船は船体右側面を損傷している。つまり、貨物船の右側に護衛艦がまっすぐつっこんだことになる。

事故の直接の原因は貨物船が取り舵をとっていわば対向車線にはみ出してきたこと、と断定して差し支えないだろう。問題はなんでそんな航路をとったかということだが、貨物船は海上保安庁の海上交通センターが「前方の船を左から追い越せ」と言ったのでその通り航路をとったのだと言っているらしい。海上保安庁もこの経緯は認めている。

ただし、それで貨物船側の責任が軽減されるかというとそんなことはない。
わかりやすい例えをすると、片側1車線の道路を車で走っているときに前に遅い車がいたとしよう。前の車が左に寄るとかウィンカーを点けるとか「追い越していいよ」という素振りを見せたとき、対向車線をよく確認しないで追い越しをかけて対向車と正面衝突したときに「だって追い越せって言ったから」という言い訳をする人がいますかね。まあいてもいいけど、相手にはされないよね。

北澤防衛大臣は昨夜から何度か記者会見をしていてその内容が防衛省のHPに掲載されているけど、目立つのは海上保安庁への気の使い方だ。海上保安庁の捜査の邪魔はしませんという態度に終始していて、それは"あたご"事件のときの自衛隊の対応に批判があったことへの回答であるに違いないが、この海保海自の関係というのはこのままでいいのかなあ。

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2009年10月27日 (火)

壇ノ浦

関門海峡で護衛艦"くらま"がコンテナ船と衝突して火災。2年前に同型の"しらね"が横須賀で火災を起こしていて、偶然だろうけど御難続きだ。

ひとつ気になっているのは、昔々にやっぱり関門海峡で衝突事故を起こした自衛艦があったような記憶がかすかにあるのだが、思い出せない。東京オリンピックのときのことだから三十一も生まれていない時代の話だ。

ああ、もやもやして気持ち悪い。

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2009年10月24日 (土)

山と渓谷

朝、ホテルの朝食が始まるのとほぼ同時くらいにレストランに行きバイキングの朝食を摂ると部屋にとって返す。荷造りの大半は昨夜のうちにすんでいるので、支度はすぐにできる。チェックアウトして駅に向かう。

昨夜、新潟についた直後にみどりの窓口で乗車券は入手済みだ。"えちごワンデーパス"と不足分。もともとこのきっぷを買うつもりはなかったのだが、窓口でこっちのほうが安いと勧められた。荷物をコインロッカーに放り込み、いざ出陣。

今日のハイライトにしてほとんど唯一の目的は、国鉄色ディーゼルカーで編成された「磐西・只見ぐるり一周」号。朝7時44分に新潟駅を出、新津から磐越西線に入って会津若松まで行き、そこから只見線を走破して小出に出、さらに上越線と信越本線を経由して約10時間かけて新潟に帰ってくるという強行軍だ。ほんとうは、三十一はこの手のイベント列車を利用するのはあまり好まない。「ぐるり一周」号は全席自由ということだが、ものによっては全席指定だったり、また団体さんが大挙して乗り込んできたりしてあまり落ち着いていられないからだ。それでも三十一がこの列車に乗ろうと思ったのは、只見線を全線踏破する列車としては時間帯が非常にいいからである。只見線にはしばしばイベント列車が入線しているが、それらを除く通常の列車で全線を日のあるうちに踏破しようとすると、会津若松から乗る場合でも小出から乗る場合でも、朝5時台の列車に乗るしかない。その次に出る全線踏破列車は昼過ぎになり、途中で日が暮れてしまう。それより早い(終点まで行かない)列車に乗って乗り継ごうとしても結局は同じことになる。会津若松か小出で前泊するか、さもなくば途中で一泊するほかに手がないのだ。しかしこの列車では11時から15時という昼間時間帯に乗ることができる。どれくらい只見線を味わうことができるかは未知数だが、感じくらいはつかめるだろう。それで気に入ったならまた次を考えてもいい。

発車30分くらい前に改札を入る。万代口改札から、向こうのホームに昔懐かしい塗装のディーゼルカーの編成が見える。何やらすでにカメラ小僧が蟻のように群がっているぞ。あわてて足を早める。編成は先頭からキハ52+キハ52+キハ28+キハ58の4両編成で、いずれも国鉄色だ。キハ52は一般塗装、キハ28とキハ58は急行塗装である。まずは席から確保せねば。とりあえず目の前の車両に飛び込む。キハ28だ。キハ28はクロスシートだったはずだが、デッキ付近がロングシートに改造されている。クロスシートはすでにいっぱいのようなので、ロングシートの一角に腰をおろした。あらかじめネットで調べてはみたのだが、只見線の車窓は右側がよい個所と左側がよい個所が入り交じっていて、どっちがよいとは一概に言えないようだ。空いているなら適宜席を移動することもできるかもしれないが、この状態ではとても無理だ。三十一が座ったのは進行方向右側。
ほぼ満席、立ち客も出ている状態で発車。発車とほぼ同時くらいに、汽笛の音が聞こえた。あれ、もしやこの汽笛は。他の列車が間に入っていて見えないけれど。発車する列車の中から駅の方向を振り返ってみると、やはりいましたよC57。煙突から煙を吐いている。気づいたときにはカメラは間に合わず、記憶に焼き付けるのみ。SLばんえつ物語が発車するまでにはあと2時間くらいあるはずだけど、その準備かな。SLの準備には時間がかかる。
"きらきらうえつ"編成や「北越」用の485系を横目に見ながら本線へ。まずは亀田停車。ピクニックの装備万端整えた中年女性のグループが乗り込んでくるが、席が空いてないのを見て腹を立てていた。たまたま通りかかった車掌をつかまえて「すわれないんだけど」とかなんとか文句をつけていたが「全席自由なので」と言われておしまい。あたりまえだ。このグループは次の停車駅である新津で降りていった。彼女たちはこの土曜日をどう過ごすのだろう。余計なお世話だけど。
実は、信越本線のうちこの新潟-新津間は三十一は初乗車。トワイライトエクスプレスは羽越本線から新津で信越本線に入ってしまうし、去年東北旅行をしたときの帰りに乗った「いなほ」は白新線から新潟に着き、新潟からは新幹線で東京に戻っていた。三十一の好まない複線直流電化路線なのでそれほど強い意欲があるわけではないけれど、このあたりは貨物駅や貨物線、電車区などが入り組んでいて配線としては面白い。あれはひょっとして焼島方面の貨物線かな。

新津から単線非電化の磐越西線に入る。しばらくは新津の市街地を走り、しばらくするとニッポンのローカル線の風景、すなわち田園風景がひろがる。五泉を過ぎたあたりから徐々に勾配が現れてくる。沿線にはカメラを構えた鉄ちゃんの姿がちらほらと。ひとりふたりで待ちかまえていることもあれば、団体さんがカメラの砲列をこちらに向けていることもある。彼らの本命はこのディーゼルカーなのか、それともあとに続くSLなのだろうか。関係ないが今回の旅行で三十一はやはりデジイチが欲しいと思い始めた。しばらく寝かせてみてそれでも本当に欲しい気持ちが続いているようなら考えよう。五十島で対向列車と行き違い、津川あたりでは車窓にダム湖が広がるが座っているのがロングシートなので首が痛い。まだ先は長いのに。時刻表を調べて野沢でまた行き違いと読んだが見事正解。三十一が乗っているほうの列車は快速扱いということで停車駅が少ないので推測しづらいのだがうまくいった。時刻表上は相手の列車はすでに野沢を出ている時間のはずだが、今日は臨時列車運転のためスジを引き直しているのだろう。本来は相手の列車はこの先の徳沢で別の対向列車と行き違うことになっている(はず)。その待合い時間を少し削って野沢での行き違いに回したのだろう。手持ちのコンパクト時刻表には出ていないが、大型の時刻表なら変更された時刻が掲載されているかもしれない。ラーメンで有名な、つまり三十一には用がない喜多方でいったん非電化路線とはお別れ。ここから郡山までの磐越西線は交流電化済みで電車が行き交っている。喜多方では15分ほど停車時間があるのでいったんホームに降り、ホーム上からあるいは反対のホームから写真を撮る。出発駅の新潟では席とりに必死でほとんど写真を撮れなかったのでここぞとばかりにシャッターを押しまくる。

喜多方を出ると次は会津若松。会津若松に入る直前、ぶどう色の客車の編成が停まっているのが見えた。またカメラ間に合わなかったよー。ここでは28分停車。いったん駅を出てみたりトイレに行ってみたり、たまたま見かけた関係ない車両を撮影してみたり、ホームの端から最大ズームでさっきの客車を狙ってみたり。飲み物や食料を仕入れている人もいたけれど、今回は長丁場になることがわかっているのでなるたけトイレに行かずに済むようにと三十一は昼飯抜きを覚悟している。

磐越西線はここからスイッチバックして逆方向につながっているが、只見線は直進方向になっている。時間が来て発車した列車は会津若松の市街地を行く。西若松で会津鉄道と別れ、しばらくは会津盆地の中を行く。いかにもニッポンのローカル線以下略。このあたり半分くらい記憶がない。会津若松から約1時間、会津柳津あたりから景色は山になってくる。只見川が右に左に、つかず離れずついてくる。一瞬視界がひらけ、あっと思ったときには渓谷を渡ってもう森の中に突っ込んでいる。肉眼で見るぶんにはいいけれどカメラを用意するには間に合わない。会津川口で16分停車。すぐ目の前はダム湖で、その向こうは色づき始めた山々。ダム湖に木が映って上下対象に見える。

Pa240119

停車している間に対向列車がやってきて発車して行った。交換設備もあり、この駅は只見線の中では主要駅のひとつということになっている。この駅始発の列車もあるのだ。でもとてもそうは思えない。
次の只見で何人か降りていった。確かに、ここで降りて3時間散歩して次の列車で小出に出るという手もなくはなかったね。この先は福島・新潟の県境。まず田子倉トンネルに入る。長いトンネルはずっと登りで、登り切ったところで一瞬外に出てそこに田子倉臨時駅。列車は停車せずに通過していくが、田子倉ダム湖が見える。すぐにさらに長い六十里越トンネルにはいり、今度はずっと下り。トンネルを出てさらに高度を下げて行くと大白川。ここでは約20分停車。ここまで来るとメインディッシュは終了という感じ。30分ほど走ると小出で上越線と合流。進行方向が変わって長岡経由で新潟に向かう。
手元の時刻表では長岡発15時58分となっているが、実際に到着してみると15時46分だった。時刻表を見てみると約10分後に下りの新幹線がある。新潟のコインロッカーに荷物を置いてきたのでいずれにしろ一度新潟に寄って行かないといけない。今の列車にこのまま乗り続けると17時31分。新幹線に乗り換えると16時21分。休みも終わりに近づいて帰心矢のごとし、ちょっとでも早い電車で帰りたいと新幹線で新潟に向かうことにする。要するに時間を金で買ったわけだ。新潟に着いて荷物を回収、土産を物色、指定券を購入、弁当を入手。これだけの作業を20分で済ませて一番早い上りの新幹線で帰京。

今日の旅程:
新潟(0744)→長岡(1546) 9222D~9427D~9743D
長岡(1557)→新潟(1621) 1327C
新潟(1643)→上野(1854) 2338C

おまけ:
鉄向けに会津若松で写した編成写真
Pa240020

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2009年10月23日 (金)

八戸から列車に乗って新潟についた

八戸の朝は寒かった。しかし今日は昨日と違って早起き。同じ一番列車なのだけど、7時過ぎの列車に乗らなくてはいけないので6時半にチェックアウトしてホテルの朝食をとり、そのまま駅へ。ホームに降りると、そこには首都圏色のキハ48+キハ40+キハ40の3両編成が。今どき珍しいなあ、首都圏色のディーゼルカーは。振り返ると、中線にはED75が単機で停留している。貨物列車を牽いてきたらしいのだが、貨車がいないな。
先頭のキハ48に乗り込む。まだ時間が少し早いのか、思ったほど混んでいない。進行方向左側に座る。これから乗る列車ではこちら側がずっと海になるはずだ。発車を待っている間に接続した列車から高校生がどっと移ってきて車内はほぼ満員。三十一の席の前にも女子校生が座って話している。マンガの貸し借りをしていたので何かと思ってみると「君に届け」でした。アニメ始まったね。
時間が来て北に向かって発車した列車は、三十一が愛する非電化単線の線路を行く。ところが、電化複線の東北本線と前方の線路の間に、もう一本非電化単線の線路が延びていて、合計すると3方向に伸びているように見える。一瞬何だろうと思ったが、やがて問題の線路にコンテナ貨車が走っているのを見て気づく。八戸臨海鉄道だ。貨車を牽いているのはDD13タイプのディーゼル機関車。さっきのED75が運んできた貨車を引き継いだのかもしれない。八戸市街地の中心にもっとも近いのは本八戸駅で、もともとはこちらが八戸駅で現在の八戸駅は尻内と呼ばれていたのだが、その本八戸駅の手前で川を渡る。川を渡る直前と川を渡った直後にそれぞれ線路が左の海側に別れて行く。これも臨海鉄道かな。川を渡ったところから線路は高架になる。本八戸駅の海側には側線を剥がした痕跡が見える。もちろん高架橋もそれだけの幅を持っている。本八戸を出ると本線はやや右にカーブしていくが、かつて線路を載せていたはずの高架橋はそのまままっすぐ伸びている。列車の中から見ると道路と交差するところだけ高架橋が分断されていた。白銀駅で高校生はほとんど下車。鮫を出ると前方に小高く盛り上がった島とそこに鎮座する神社。ひょっとしてあれが蕪島かなあ。これまでは市街地を走って来たが、これからは海岸線沿いを走ることになる。砂浜と小規模なリアス海岸が交互に現れるような風景。実を言うと、今日の行程の中でこの付近が一番海がよく見えたようだ。南下する列車はやがて県境を越えて岩手県に。種市海岸のキャンプ場では今から20年以上前にキャンプを張ったことがある。強風が吹き付けて波音が一晩中とどろいていたことを覚えている。今日は比較的穏やかなようだ。
陸中八木から陸中中野までの間は、ほぼ波打ち際を行くような感じ。陸中中野を出たころ「そういえばまだトンネルをくぐってないなあ。終点までトンネルがないのかな」と思ったまさにその直後、線路は海岸線からやや内陸に入ってトンネルをくぐる。低い峠を越えると久慈の市街地。久慈川を渡るとJR八戸線の終点、久慈駅だ。

ここからは三陸鉄道北リアス線となる。駅構内を通っても乗り換えられるのだが、いったん駅舎の外に出て写真を撮ってみる。JRと三陸鉄道の駅舎はいちおう別々にあるようだ。せっかくなので三陸鉄道のほうから入ってみたのだが、誰もきっぷ見ようとしないけどいいのかね。三陸鉄道の列車は当時流行した軽快ディーゼルカー2両編成。三陸鉄道の路線はJR山田線で北リアス線と南リアス線に分断されているのだけど、この列車は北リアス線からJR山田線に乗り入れ、南リアス線の終点盛(さかり)まで直通する。北リアス線のうち久慈から普代までの間はかつての国鉄久慈線だ。八戸線をそのまま延長したような形だったはずなのだが、登録線名が別になったために廃止対象となり、三陸鉄道が引き受けることになった。この区間は比較的新しいので、地形が険しい個所はトンネルで抜けてしまってあまり景色が見えない。しばらくの間は高架とトンネルばかりで味気ない。陸中野田からようやく海岸沿いに出てくる。堀内の手前、トンネルを出たところの鉄橋上で一時停車。運転士の説明によると、ここが北リアス線でもっとも景色のよいところだそうな。正直な感想を言うと「一番でこの程度?」とちょっと落胆した。
旧国鉄久慈線当時の終着駅である普代に到着。本当にかつてはこれが終着駅だったんですかねえ。今となっては何の変哲もない中間駅にしか見えない。ここからは三陸鉄道設立にあわせて開業した区間。トンネルで海岸段丘上をつっきっていて海はほぼ見えない。田老から先は旧国鉄の宮古線。田老駅もとてもかつて終着駅だったとは思えない佇まいだ。三陸鉄道線の駅には、それぞれの駅周辺の観光案内地図が立っている。佐羽根駅だったと思うのだが、駅が中心に描かれ、地図の下の方に国道45号線を示す線が引かれているのだが、駅から国道に出る道が無いように見えるのは三十一だけでしょうか。線路と国道の間に描かれている木のイラストは、ひょっとして左に見えるこの森のこと? この森のむこうに国道が走ってるんだ、ふーん。またひと山越えて閉伊川流域に出ると昨日も来た宮古。

ここから先、釜石までは昨日も通った道なので詳しくは書かない。昨日も気づいて書くのを忘れていたのだが、この区間を運転する運転士はやたらと汽笛を鳴らすのが気になった。いちおう汽笛を鳴らすべき個所というのは決まっていて、踏切やトンネル、橋梁、そして駅を通過する時など。もちろんその他に危険を感じたときには適宜鳴らすべきだが、この区間だけ危険が多いとはとても思えないから人によるのか、それともそういう指導でもあるのか。
もうひとつ、この区間で特筆すべき出来事は昨日撮り損ねた吉里吉里の駅名標をうまく撮影できたこと。

釜石からは三陸鉄道の南リアス線に入る。ここから吉浜までは新設区間になる。釜石を出た線路は大きな工場の狭間や川のすぐ横を高架で抜け、やがて市街地を高架で横切るとトンネルに突っ込む。いかにもあとから作りましたという趣だ。この先は小さな湾が次々に現れるという地形なので、湾奥の集落近くに駅を設け、駅と駅の間はトンネルで抜けるという形になる。釜石湾のさらに入江の奥にある平田、唐丹湾の奥の唐丹、吉浜湾の奥の吉浜と列車はとまっていく。吉浜の手前でまたもや徐行。ここが南リアス線で一番景色のいい個所だそうな。正直な感想を言うと一番で以下略。

吉浜はかつての旧国鉄盛線の終着駅だった駅。まあこの駅もこれまで通ってきた元終着駅に右にならえだなあ。このあたり、トンネルと集落以外はひたすら山の中を行く。右も左も森。ある意味これ以上のローカル線はないのだが、典型的なローカル線の風景とはちょっと違うような気がしてきた。三十一がもつ典型的なローカル線の景色というのは、山に囲まれた盆地に水田が広がり、その真ん中あるいは端っこを短いディーゼルカーがトコトコと走るというもの。あまりに山深い風景は違和感がある。考えてみれば、三陸鉄道の北の起点久慈までは八戸から約2時間。北リアス線の終点宮古まで盛岡から約2時間。南リアス線の起点釜石まで花巻から約2時間。そして南の端である盛までは一ノ関から約2時間。東北新幹線沿いのどの地点からアプローチしても2時間かかるのだ。沿線人口の増大が望めない現状では、三陸鉄道の経営は厳しくならざるを得ない。かと言って、鉄道そのものに観光的な要素があるかというとこれまで見てきたようにインパクトに欠ける。国レベルで思い切った施策がないかぎりじり貧になるのは免れないだろう。県や自治体レベルでどうなるものでもあるまい。

終着盛着。この駅はスイッチバックになっていて接続する大船渡線はこれまで三陸鉄道線がやってきた方向に向かって発車することになるのだが、奥の方向にはまだ線路が伸びている。岩手開発鉄道だ。古いホッパー車が構内に停まっている。大船渡線の列車に乗り込んで発車を待っている間に石灰石を積んだ貨車がこれもDD13形とおぼしき機関車に牽かれて海の方向に走っていった。大船渡線の列車はJR東日本の標準ディーゼルカーと言ってもよいキハ100系。昨日から何回乗ったかなあ。盛ではけっこう空いていたのだが、次の駅である大船渡でけっこう乗り込んでくる。しばらくはこれまでと同じようにリアス式海岸の湾奥の集落をつないで走っていたが、陸前高田を出ると内陸に入り込む。水田が見え隠れするようになり、これこそが三十一が考えていた典型的なローカル線だ。気仙沼ではキハ48が行き交う気仙沼線が別れていく。この先の大船渡線はほぼまっすぐ西に向かって一ノ関をめざすのだが、千厩と陸中門崎の間で大きく北に迂回する。この線形から「ドラゴンレール」という愛称がつけられているんだが、敷設当時の政治家のかけひきのためにこの迂回が生じてしまったのは一部で有名な話だ。陸中門崎を出てすぐ北上川を渡り、しばらく走ると一ノ関。一ノ関ではまったく予期しないものを発見。京浜東北線色の209系電車の編成じゃないかあれは。直流電車である209系が交流電化区間であるこのあたりまで自走できるはずもないので、機関車に牽かれた甲種輸送なんだろうが、転属というのも考えにくいので廃車回送に違いない。

Pa230064

一ノ関では10分の接続で上り新幹線に乗り換え、東京に帰還。と思いきや、そのまま今度は上越新幹線に乗り換えて新潟着。えらい強行軍だけどそれには理由があるのである。わかる人はすでにわかっていそうだけど。

今日の旅程:
八戸(0712)→久慈(0902) 425D
久慈(0912)→盛(1301) 5110D~5644D~5212D
盛(1317)→一ノ関(1538) 3336D
一ノ関(1548)→東京(1824) 60B
東京(1852)→新潟(2108) 343C

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2009年10月22日 (木)

高原列車は行くよ

昨夜は雷も鳴っていたらしいが、今朝はすっかり晴れていた。まずは盛岡駅のコインロッカーに荷物を預ける。Suicaロッカーだ。初めて利用するが、小銭を用意しなくていいのと鍵が不要(Suicaが鍵になる)なのは便利だと思った。ただ、ジャケットを出すのを忘れてロッカーにしまってしまった。今朝荷造りするときにジャケットをどうしようかと思って荷物の中に突っ込んだのだが、いざ外に出てみると意外に寒く、やはりこれは上着があったほうがいいなあを思ったのだ。しかしロッカーを探しているうちに忘れてしまった。これだけのために300円使うのはもったいないので、今日は我慢する。ほとんど車内になる予定だし。

11時過ぎの列車で三陸海岸の宮古に向かう。実はこれが盛岡から宮古に向かう一番列車なのだよ。車両はキハ110系の2両編成。2+1のセミクロスシートだ。乗り込んでみると、車内はすでにジャージ姿の高校生でいっぱいだ。引率の先生までいるので、部活の遠征かな。どうも卓球部らしい。三十一が高校生のころ、卓球部というのはマイナーな部活で人数集めるのに汲々としていたという印象があるんだけど、何でこんなに沢山いるんだろう。どうにか進行方向右側の窓際を確保。しかし向かいには別口と思われる高校生が座っていて狭苦しい。

盛岡駅を北に向かって発車した列車は、IGRいわて銀河鉄道線をまたいで東に向かう。すぐに北上川を渡り、しばらくは盛岡市街地を行く。上米内あたりから列車は山中にわけいり、川に沿って登って行く。やがて小さなトンネルをいくつもくぐったかと思うと、長いトンネルに突入。このトンネルが分水嶺だったらしく、出ると下り坂になっており、線路の横を流れる川はこれまでと違って進行方向に向かって流れて行く。次に停まったのは「鉄子の旅」で「大パノラマ」とも「微妙」とも表された区界。正直微妙。
ここから宮古までは、閉伊川と閉伊街道(国道106号)に沿って谷を下っていく。このあたりは戦中に路盤が流されたために列車が転落して機関士が殉職したり、戦後は台風の被害で運休となり復旧まで8年もかかったりしたことからもわかる通り、川沿いのぎりぎりのところを線路は走る。ときには川の屈曲についていけず、川を渡ったかと思うと尾根をトンネルでくぐり、トンネルを出たかと思うとまた川を渡るような個所もある。川と線路を隔てた山は様々な色に染まり、高校生どもが盛んに写メを撮っていた。茂市では岩泉線と合流。乗れるものなら乗りたいんだけど、"秘境線"なので今回は断念。車内放送で接続の案内をしてるけど、次の列車まで3時間以上あいちゃってますね。

宮古で乗り換え。接続時間はわずか3分。部活高校生どもがぞろぞろと跨線橋を渡っていくのをかき分けて飛び込む。改札外に出て駅舎の写真を撮るヒマはもちろんない。乗り込んだのはキハ100の2両編成。これまでとほぼ同型だが、シートは2+2のセミクロスシートになっている。意外と混んでいて、あいているボックスはなかった。海側のボックス、進行方向に背中を向けた状態で相席となる。列車は海岸線に沿って南下する、はずなんだけど。何でしょうかね、あの東側にそびえ立つ山は。さっきまでの山岳路線とあまり変わらないような景色。あの向こうが太平洋なのかなあ。それも、近景の山と遠景の山といった具合に折り重なって山が見える。どうも近景の山と遠景の山の間の平地に見えるところが、実は海らしい。列車の中からじゃ海なんだか田んぼなんだか区別がつきません。ひと山越えると陸中山田。ここでまとまった数の乗客が降りていく。席を移って車窓外にかぶりつく。山田湾は両脇から半島が門のように張り出していて角度によってはそれが重なって見え、まるで湖のようだ。岩手船越から浪板海岸までの区間では、やっとそれらしく海岸線に沿って走る。

Pa220015

吉里吉里駅の駅名標を写そうとしたが見事に失敗。両石駅では港に設けられた厚く高い防波堤を目撃。最後のトンネルを抜け、赤さびだらけのターンテーブルの脇を過ぎると釜石着。ここでの乗り継ぎは10分。地下通路を通っていったん改札の外に出、駅舎の写真と、ついでに駅正面にそびえる某企業の大工場の写真をとり、ホームにとって返す。またキハ110系ですか。釜石発盛岡行きの快速"はまゆり"は、リクライニングシートのキハ110系3両編成。うち1両は指定席とのことだけど、指定席車両はガラガラですね。自由席はそこそこ混んでいるけれど、席を選べないほどじゃない。ビジネスマンもちらほら。三十一は進行方向左側に座る。釜石を出た列車はしばらくは道路と並行してまっすぐ走っており、都市近郊という趣だが、洞泉あたりからあたりの景色は急に山深くなってくる。国道は鉄道をさしおいて一気に高度を上げ、はるか上方を走っている。狭い谷の、右の尾根に張り付いたかと思うと今度は左の尾根に張り付くといった具合に地形を選びながら徐々に高度を上げていく。実はこの先は今回の旅行の最大のハイライトであるから、三十一は窓に張り付いて外を眺める。
陸中大橋を通過。かつてここからは鉄鉱石は積み出され、これまで走ってきた線路を通って釜石に運ばれていた。ここの鉱山こそが製鉄の町釜石を作ったと言ってもよかろう。しかし今では鉱石は道路輸送となり、列車はこの駅を通過する。通過するとすぐトンネルに入る。車輪が鳴っている。線路が左に大きくカーブしているのだ。車輪の鳴る音と、エンジンのうなる音がトンネルに響く。しばらく続いた車輪の鳴る音がふいにやんだ。エンジンは相変わらずうなり続けている。一瞬、トンネルを出る。すかさず下を見る。はるか下に道路がちらりと見える。またトンネルに入る。またトンネルを出る。今度は下の方に道路と、それと並行して走る線路が見える。線路はトンネルの中でほとんど180度カーブし、オメガカーブを描いて逆方向を向くのとあわせて高度を上げている。これから先は名だたる難所である仙人峠で、この峠を越えるための苦肉の策だ。かつて軽便鉄道時代には仙人峠を鉄道で結ぶことを断念し、荷物はロープウェイで、旅客は徒歩で接続していたという。現在の釜石線は長短のトンネルをつないで南に大回りしながら越えていく。途中、一瞬視界が開けた場所もあったが、カメラが間に合わなかった。区界よりもずっと高原っぽい感じでしたよ。
峠を下りきると遠野盆地。四方を山に囲まれていながら、その中には平坦な農地がひろがる、まさに盆地だ。宮守ではすぐ隣の線路の保線用モーターカーと並ぶ。間近で見て、車両でなく機械扱いのモーターカーはやっぱり細かいところのつくりが雑だなあと思ってみたり。新花巻では新幹線乗り継ぎ客が降り、そして乗ってくる。新花巻を出るとまた北上川を渡り、右手には高速道路が並行する。花巻で東北本線と合流。東側の駅本屋に面した1番線に到着。ここから進行方向が変わる。ちょうど学校が終わるころなのか、高校生が乗り込んでくる。発車した列車は東北本線の上り本線を渡り、下り本線に入って北上する。かつてここは485系特急電車や455系急行電車が行き交う重要幹線だったんだなあと思うと感慨無量だ。列車の進行方向が変わって、すわった席が進行方向右側になるので対向列車を観察するのに都合がいい。もちろん三十一が注目するのは貨物列車である。EH500が牽くコンテナ列車2本と、同じくEH500が牽く石油輸送列車1本とすれ違った。石油輸送列車のほうには、機関車次位にDD51の試験塗装車と思われる車両が連結されていたようだ。すれ違いざまに見ただけなので確実ではないのだけど、ひょっとしたら廃車にともなう無動回送かなあ。哀しい。
盛岡到着の少し前、盛岡貨物ターミナルは、はじめは上下線に挟まれた形でDE10なんかが停留していたけれど、やがて今走っている下り線が留置線をまたいで上り線と合流、本線の外側(西側)に貨物駅が配置されることになる。見かけた機関車はEH500、ED75、DE10など。それに加えて、TOYOTAのロゴを染め抜いたコンテナを連ねた列車が停留しているのを目撃。これはあれだね、トヨタ自動車が部品の輸送を自動車から鉄道に転換した専用列車だね。そういえば盛岡始発だったっけ。予期せぬ収穫で満足。

盛岡到着後、夕食をとってから東北新幹線の立席で八戸へ。

今日の旅程:
盛岡(1104)→宮古(1303) 3648D
宮古(1306)→釜石(1417) 650D
釜石(1427)→盛岡(1638) 3626D
盛岡(1826)→八戸(1855) 3025B

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2009年10月21日 (水)

1枚のきっぷから

タイトルを見て「懐かしー」と思った人はそれなりの年齢。

三十一がしばしば北海道に出かけるのは、北海道そのものが気に入っているというのもあるけれど、"北海道フリーパス"という使い勝手のいいきっぷがあることも大きい。JRは周遊券の後継である"周遊きっぷ"を本気で売るつもりがないらしく、発売当初と比べるとほとんど制度改善もないまま周遊ゾーンが大幅に削減されてしまっている。どこかに行こうと思っても希望に合致する周遊ゾーンが無く、いちいち購入するかさもなくば断念するかのジレンマに悩むことも多い。

今朝(おい)、JTB時刻表の企画きっぷのページを物色していて見つけたのが「岩手・三陸フリーきっぷ」だ。フリー乗車区間は一関~八戸間の東北新幹線/東北本線(IGR/青い森線を含む)と、それ以東のJR線・三陸鉄道線・JRバスなど。加えて東北線以西の若干の路線。出発地との往復は新幹線指定席乗車可で、有効期間4日間28400円(東京都区内発)。今月28日発売までの期間限定商品である。方角としてはほんの3日前に帰ってきたのと同じ方角ではあるけれど、山田線釜石線や陸中海岸の三陸鉄道線にも乗ってみたいと思っていた。何しろ「非電化単線鉄道研究会会長」ですからねえ。

というわけで、急遽荷造りして家を出る。できれば往路の途中で北上線に寄り道して錦秋湖を見て行きたいと思ったのだが、北上線の列車本数がそれほど多くないので今日のところは盛岡まで行って翌日に備えることにしよう。今日の午後は雨になるという天気予報も理由のひとつではある。

東京駅できっぷを買い新幹線の座席指定を受けてから、改札を通って弁当を買い列車に乗り込む。明日以降の予定は盛岡に着いてから時刻表を買ってそれを見て考えるという相変わらずの綱渡りっぷり。実は車内でJR東日本の車内誌を見てまた予定というか計画が変わってしまうことになるのだが、それはまたそのときに。盛岡に着いたときには予報通り雨。

今日の旅程:
東京(1356)→盛岡(1622) 3021B

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2009年10月20日 (火)

テキ地でカツ

おやおや、開幕6連勝ですよ。

今週は、同地区(AFC西地区)で最大のライバルであるサンディエゴとの直接対決。しかも同地区チームとは必ずホーム&アウェイで1試合ずつやるのだが、敵地に乗り込んでの対戦でこれが前半のひとつのヤマとなる試合だ。

まだ実際の試合を見ていないのだが、公式サイトのスコアブックを見ると前半は一進一退でありながら後半で一気に突き放したらしい。今年の我がデンヴァーは昨年までとは違って後半に強いのが頼もしい。守備も相変わらず強く、サックが5回ですよ。うちデュマーヴィルが2回。DJウィリアムスも1回。活躍すべき人が活躍しているようで非常に安心して見ていられる。

来週は休みで、再来週はボルチモアと。昨年までだと攻撃のデンヴァー対守備のボルチモアの対戦と言われただろうけど、今年はそんなに単純な構図では量れそうもない。

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2009年10月18日 (日)

6日ぶりの

本州に戻ってくるのは6日ぶり。

今日はまっすぐ帰って来るだけで、しかも疲れのせいか半分くらい寝ていたような気がする。おかげで書くことがあまりないんだが、函館から6時間余で東京まで帰ってこれるようになるとは、いい時代になったもんだ。味気ない時代とも言えるが。

今日の収穫と言えば、利府のJR東日本仙台運転所で青緑色のE5系編成を見かけたこと。遠距離とはいえ実物を見たのは初めてだ。個人的にはあまり趣味のいい色とは思えない。

今日の旅程:
函館(0848)→八戸(1152) 4014M
八戸(1206)→上野(1502) 3014B

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2009年10月17日 (土)

なんだまだ需要あるじゃないの

もう言うまでもないことだと思うが、だいたい三十一は直前まで予定を決めない。決めたところでその時間に起きられるとはかぎらないというのが最大の理由だけど、それでも大まかな計画とか、あるいはいくつかのオプションくらいは一応考えてはいるのだ。今日の日程にはひとつ制約があって、遅くとも明日のうちには自宅に戻っておかなくてはいけない。どういう手段径路を使って帰宅するにしても、今日の早いうちに札幌まで出ていれば複数の選択肢を考慮することができる。
というわけで、帯広からスーパーおおぞらで札幌に向かう。本当は、スーパーとかちを使えば始発駅なので自由席でも席が選びやすいだろうし、使用しているキハ261系は今回一度も乗っていないのでちょうどよかったのだが、スーパーとかちは朝の早い時間か昼前にしかなくてスーパーおおぞらを使うしかない。ホームに並んでやってきた列車に乗り込んだものの、窓際の席はとれなかった。新得ではDF200の牽く貨物列車を追い越す。この先は狩勝峠だが、防風壁が設置されるようになってだいぶ景色が見づらくなった。新狩勝トンネルを通過している間に気を失ったらしく、次に意識を取り戻したときには旧夕張線区間に入っていたようである。というのは、比較的短い間隔で信号場ではなく駅を通過していったからね。まもなく線路はダム湖を渡り、旧夕張線区間であることが確認できた。列車は勾配を駆け下りる。勾配を下りきると景色が一変し左右は牧場に。追分で室蘭本線に合流したが停車することなく通過し、高架橋に駆け上って南千歳に向かう。南千歳ではそこそこ乗客が降りていく。貨物ターミナルを左に見ながら札幌着。

さて、明日のうちに帰京しなければいけないということで、帰りのきっぷをとりにいく。具体的には今夜の北斗星だ。寝台列車だけは席がとれないと乗れない。ところが、札幌に着いてみどりの窓口で予約をとろうとするも見事撃沈。考えてみれば土曜日なんだよなあ。あまりとれないとは考えていなかったのだが、もしダメだったときにはもう一泊して明日朝から帰京しようと漠然と考えていたのだが、そのためには今夜の宿を確保しなければいけない。ねんのため、今の時間で東京に帰れるかどうか調べてみる。13時17分の特急に乗れば最悪今日のうちに戻れるようだ。時間が時間なので、まずは腹ごしらえしようとデパートに入る。注文して待ち時間にふと思いつく。"あけぼの"っていう手があるんじゃねえ? 持ち歩いている時刻表で調べてみると、12時22分の特急でないと間に合わないらしい。時計を見ると11時58分。げげ、これは間に合わない可能性が高いぞ。おまけにさっき店のおばさんが「少し時間かかりますけどいいですか?」と言うのに「はい」って答えちゃったし。店に入る前に気がつけばよかったのに遅いんだよ>自分
案の定間に合わない。その間にもうひとつ思いついたのは"トワイライトエクスプレス"だ。2年前にも乗ったけど夜行で帰るなら他に選択肢がない。これがダメなら今日帰るかそれともどこかで一泊して明日帰るかだ。何となくさっきと違うみどりの窓口に向かい、トワイライトエクスプレスの予約を確認するが、これも見事撃沈。まあ、寝台列車の人気があるのは悪いことではない。本数が減ってるというのもあるけどね。
何か考えるのが面倒になってきたので、とにかく13時17分の特急に乗ってしまおうと思う。函館までの間にどうするか考えよう。一番後ろの車両、自由席の左側(海側)窓際に座をしめる。車内は適度に混んでいて適度に空いている。隣は空席。南千歳を出ても隣が埋まらなかったので、荷物を下ろしてPCを引っ張り出し、PHSをつないでホテルを探す。駅間ではしばしば圏外になるのと、つながっても速度が遅いので苦労しながら函館に宿を確保。南千歳から始めて伊達紋別までかかってしまった。今日の予定が決まって安心したところで窓の外を見ると噴火湾が広がっている。豊浦あたりから長万部まで、試しにデジカメのムービー機能を使ってずっと窓の外を映してみる。実際にPCで見てみるまで出来はわからないけど、この区間はトンネルとトンネルの間の一瞬に海が見えたりするので、カメラでは追い切れないだろう。ただバッテリーが急速に消費されるのが問題だ。前方展望ではなく車窓展望だ。
ところで、もしうまくタイミングの合う列車があればいったんこの特急を降りて函館本線砂原回り、いわゆる砂原線を乗ろうと思って時刻表を見てみたんだが、この列車は分岐である森には停車しない。ひとつ手前の八雲で降りたとすると1時間待ちでしかも砂原線の中では真っ暗になってしまって意味がない。砂原線には2年前トワイライトエクスプレスに乗ったときに経由しているのだが、あまり印象がないんだよなあ。しかし今回は諦めて早くホテルにチェックインするほうを優先する。駒ヶ岳が見え隠れしながらついてくる。大沼を過ぎるとあとは下り勾配一方で、前方に函館平野が広がる。今日一日で帯広から函館まで北海道をなかば横断して函館着。
今日はいいのが撮れなかったので写真なし。

今日の旅程:
帯広(0907)→札幌(1129) 4004D
札幌(1317)→函館(1647) 5014D

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2009年10月16日 (金)

日本固有の領土です

今日は一日、頭上に架線の無い線路だけを行く。非電化単線鉄道研究会の会長たる三十一(嘘)の面目躍如だ。
ホテルを出て釧路駅に向かう。寒い。昨夜夕食を食べようと外出したときには息が白くなっていたが、日があるだけ少しはましなようだ。根室本線の釧路以遠には"花咲線"という愛称がつけられているが、少なくとも三十一の中では定着していない。この区間には何度か乗っているが、いまだかつてキハ54以外に乗っていない。今日乗る列車ももちろんキハ54だ。

Pa160002
武佐まではいちおう釧路の都市圏内ということになるのだろう。武佐を過ぎるととたんに周囲が北海道の景色になる。上尾幌を過ぎたあたりから、前デッキに立って前方展望を見ることにする。気がついたら3人くらいが前デッキに並んで立つという状態になっていた。ひとりはデジイチを抱えている。三十一も買おうかなあ。門静を過ぎ、厚岸が近づくと右手は海になる。厚岸を出ると今度は湿地帯の中。右手を流れる川には白鳥が見える。以前11月に来たときはもっと沢山いたけど、渡りの季節はこれからなのかな。茶内では上り列車と行き違い、厚床の手前では400キロ(滝川起点)のキロポストを確認する。運転士の手元を見ると、速度計が見えて針は80キロを指している。意外にスピード出るなあ。計器は全部で3つあって、残りの二つは圧力計と回転計ではないかと思う。落石の手前では海岸段丘上を線路は走り、右手には湾入、その先には断崖の落石岬。あの岬の先端に家を建てて住みたいなあ、ブラックジャックみたいに、と思ってみたり。このあとちょっと気絶していて、気がついたら根室に着いていた。さすがに3回目となると緊張感が薄れるらしい。以前来たときには「納沙布岬なんて行ってもしょうがないや」と思ってトンボ帰りしたのだが、今日はなんとなく「一度行って見よう」という気持ちになり、根室駅のすぐ横にある根室交通のバスターミナルで往復きっぷを買う。待ち合わせが5分なのであわただしいが、「納沙布岬行き」と書かれたバスに乗り込んだ。実際乗り込んで見ると、何の変哲もない路線バスだ。実際、このバスは根室駅から市内と根室半島の各集落を経由して納沙布岬にいたる生活路線というのが主たる機能で、駅から岬に向かう観光客はどちらかと言うとついでのように思える。地元客を拾ったり降ろしたりしながら40分ほどかけて納沙布岬着。ニュースで見たことのある公園とモニュメントが見える。今日は秋らしい晴天で、歯舞諸島はもちろん北方遙かに国後島の山並みが望める。帰りのバスの運転手から聞いたところによると、これくらいよく見える日は珍しく、どういう理屈かわからないがよく見えた日の次の日には天気が悪くなるそうで今年はこれが最後だろうとのことだった。幸運だった、と言っていいのだろうか。国後島もそうだけど、特に歯舞諸島は本当に目と鼻の先で、見えていながら触れることができないこの現状は切ない。
帰りのバスでもやはり同じくらい時間がかかって、5分の接続で釧路行きの列車が発車する。2~3時間に一本しかない列車に5分で接続するっていうのは考えてみたらきわどいなあ。帰りの列車は座って行くことにする。とりあえずデッキの後ろで前方が比較的見やすい席には座ってみたけれど。上り列車の落石付近での前方展望は思っていたよりも気に入った。坂を上り切ったところでちょうど右カーブすると海沿いに出て、その向こうに落石岬が見えるという光景。カメラよりもビデオ向きだな。別当賀と初田牛の間では、運転士が突然汽笛を鳴らしたのでさてはと思って前方を見ると遥か前方にそれらしい影。線路脇、向かって右側にあった影が線路外に消えていった。その地点を通過するときに見てみると、3頭のシカが逃げていくのが列車から見えた。親子かな。それにしても、実際にこの目で野生のシカを見るのは初めてかもしれない。糸魚沢と厚岸の間では、線路は湿地帯の真ん中を走り、こんな状態じゃあシカが出て来る心配はないと思っているのか、運転士もちらちらと左側の川に視線をやっていた。鳥でも見ていたのかな。ところが、またもや運転士が汽笛を鳴らし始め、こんなところにシカが出るのかと思って前方を見ると線路に鳥がとまっていたのだ。考えてみればシカより厄介かもしれない。汽笛に追われた鳥が三十一が見ているすぐ横を飛び去って行くのを観察するとわりあい大型の鳥のようだが、ツルじゃないなあ。サギか何かかな。この先、別保の手前でもやはりシカが目撃されたけれども、このシカは神経が太いのか列車に慣れっこなのか、悠々と線路を横断して行きほとんど列車を止めるところだった。

釧路に戻って来てまずコインロッカーに預けた荷物を回収し、30分ほどの乗り継ぎの間に駅のパン屋で軽く食事。何しろ根室ではいずれも5分の接続で食事どころではなかったからねえ。キハ40単行の列車で帯広に向かう。あ、車体番号が777だ。パチンコ打ちなら喜ぶんだろうけど三十一には関係ない。
今日の宿は帯広なのだが、釧路からどの列車で帯広に向かうかが悩ましい。最初に接続するのは今乗っている普通列車。しかし一番早く帯広に着くのは1時間後の特急列車なのだ。切符は北海道フリーパスなのでどちらに乗っても同じ。普通に考えると早く着いて乗っている時間も短く乗り心地のよい特急列車に決まっているのだが、時間帯が微妙だ。この区間で車窓景色がもっとも特徴的なのは厚内~白糠間の海岸沿いを行くところ。1時間後の特急列車に乗ると、20分ほどで日が沈んでしまい、この区間は暗闇の中となる可能性が高い。先に普通列車に乗って、適当なところで特急列車に乗り換えるという手もあるが、調べてみると白糠でしか乗り換えができない。だったら最初から特急列車に乗っても同じだ。どうもこの列車は新吉野で特急列車に追い抜かれるらしいので、厚内までの区間では特急よりも早い時間に通過できる。そういう計算から、この普通列車に乗って帯広まで行くことに決めた。普通の人には理解不可能だろうけど。
新富士ではDF200の牽く急貨コンテナ列車が右と左に見える。この駅は根室本線の貨物列車の終着だ。白糠を出ると湿地帯の真ん中を線路はゆく。やがて古瀬。ここで乗客が一人降りた。降りたのはいいけど、どこに行くんだろう。すくなくとも線路から人家は見えない。おまけに降りた人は定期券を持ってたようだぞ。この駅から釧路まで通ってるのかなあ。うーむ。音別、尺別、直別と集落を結んで線路は走る。集落と集落の間は原野だ。厚内まで来ると日はすっかりかげるが、予定していた区間ではまだ日は残っていたのでなんとなく満足。推測通り新吉野では特急に抜かれるがそれだけでなく下り列車ともすれ違った。7時前に帯広着。

今日の旅程:
釧路(0815)→根室(1040) 5629D
根室(1045)→納沙布岬(1120) 根室交通バス
納沙布岬(1140)→根室(1218) 根室交通バス
根室(1224)→釧路(1449) 5634D
釧路(1518)→帯広(1843) 2528D

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2009年10月15日 (木)

Thunderbirds are GO!!

今日はちょっと早起きして、荷物を札幌駅のコインロッカーに放り込み8時前の快速エアポートに乗り込む。通勤客とは逆方向だが、それなりに混んでいたのでデッキに立つ。30分ほど乗って千歳駅で下車。南千歳でも新千歳空港でもなく千歳駅でおりたのは、こういう理由があったのだ。

広報・イベント情報 / 千歳基地 サンダーバーズ情報 (航空自衛隊)

知っている人にはいまさら言うまでもない、サンダーバーズはアメリカ空軍のアクロバットチームだ。ブルーインパルスの米空軍版というか、実はブルーインパルスがサンダーバーズの航空自衛隊版なのだが。おとといだったか、札幌駅でポスターを見かけて今日飛行展示があることを初めて知った。その筋の雑誌などではずいぶん話題になってたらしいのだが、まったく気にしていなかった。せっかく北海道にいるので観に行けるものなら行こうとそのとき思ったのだ。
シャトルバスで基地に向かう。平日のわりには人が集まっているなあ。基地のはずれのシャトルバス降り場からエプロンに歩く。最初に目に入るのはなぜか航空救難団のU-125とUH-60J。その奥の人だかりのしているところがサンダーバーズのF-16だろう。ここはエプロンの北の端なので、サンダーバーズの南側に回り込む。写真が逆光にならないようにだ。

Pa150011

久しぶりの航空祭なのだが、だいたい見慣れた風景だ。招待客用の雛壇、飲食物とグッズの出店、簡易トイレの行列、そして銀箱を抱えフライトジャケットを着込んだマニアと、ピクニック気分でレジャーシートを広げる地元民。今回のイベントが普通の航空祭と異なるのは、サンダーバーズのためだけに場所が用意され時間が与えられたということで、いわばサンダーバーズのワンマンショー。タイムスケジュールも、8時開場、10時30分グラウンドセレモニー開始、11時フライト開始、13時30分終了というコンパクトなもの。これはフライトが終わったら一斉に帰る観客で混雑するんだろうなあと今から覚悟を決める。
基本的には機体の整備とグラウンドクルーは米軍、会場の設営と案内・警備は空自の担当となっているらしい。サンダーバーズのサポートスタッフは機材一式をC-17輸送機に積んでチームに随伴しているのは知られたことで、右手はるかにそのC-17らしいものが見える。牽引車も米軍が持ち込んだものらしく、サンダーバーズと同じ塗装が施されているが、それだけでは不足するようで空自の牽引車を米側チームが運転していた。荷物運びに使っていたのだが、荷物の積み卸しがアメリカ人らしい"がさつ"さで、空自の牽引車整備担当者が見たら眉をひそめるのではないかと思った。感心したのは、観客の前にJBLの大型スピーカーをずらりと並べてナレーションがちゃんと聞こえるように配慮されていること。さすがエンターテインメントの国。ブルーインパルスのナレーションは音が割れててよく聞こえないことがあるからなあ。

まだ少し時間があるので、模擬店を物色して戻って来たらすでにウォークダウンは済んでしまってパイロットは乗り込んでいた。やがてタクシーから離陸。今回はちゃんとしたカメラも持っていないし、写真はプロに任せてできるだけ自分の目で見ることにしようと考える。あいにく雲は多いがシーリング(雲高)は高いので高さのある演技も問題ないだろう。予定されていた演目のうちいくつかはキャンセルされたようだが、大技も含めて堪能できた。馬力のあるF-16Cだけあって、力強い迫力のある演技だったと思う。最近、アクロバット業界(なんてものがあるかどうか知らないが)では小型で小回りの効く機体を使ったきめの細かい演技が主流らしい。日本のT-4ブルーインパルスもその流れだ。ここで演技の内容を詳しく説明することはしないし、しても虚しいだけだ。現物を見るか、ビデオでも買って見るのが吉。

案の定、演技が終わると大半の観客がぞろぞろと帰り始める。帰りのシャトルバスは長蛇の列だが、車両を多めに用意したのか割と進みが早い。並んでいる間に雨がぽつりぽつりと降って来たかと思ったら急に強くなった。一応折りたたみの傘を持って来てはいたのだが、混雑していたので濡れるに任せる。フライト中に降らなくてよかったと思っているうちに小降りになった。

千歳駅から札幌方面行きの快速エアポートに乗って札幌に向かう。本来の乗客である千歳空港利用客と、航空祭帰りの観客がまざって非常な混雑。新札幌まで来たところで面倒になって列車を降りて地下鉄に乗り換えることにする。このまま乗ってたほうが早く着くのはわかってるんだけど、ちょっとお試しということで。当然のことながら、地下鉄なので景色は見えず面白くもなんともない。ただ座ってゆっくり本が読めた。大通で南北線に乗り換え札幌駅へ。

今夜は釧路に宿をとっているので、一番近いスーパーおおぞらで東に向かう。指定席のほうが自由席よりもよいシートを使っているらしいので、この機会に指定席をとってみよう。座席指定を受け、荷物をコインロッカーから回収してホームへ。今回初めてのキハ283系だ。シートは確かに自由席よりも豪華だ。特に大きな頭もたれがついていて寝るのにはちょうどいい。隣の席ははじめ空いていたが、南千歳から乗り込んできた。あ、指定席だと隣が煙草のみだった場合に逃げられないんだった。もちろん禁煙なんだけど、服についた臭いだけで気分が悪くなるんだよなあ。本当に気分が悪くなったら自由席に逃げるしかないけど、結局ほとんどの区間を寝て過ごしてしまった。石勝線区間はほとんど寝てしまい、気がついたら新得。帯広を過ぎ、十勝川を渡るころには外は真っ暗。あとの残り区間は本を読んで過ごす。まあこの区間も何度目かわからないからなあ。明日は自由席にして窓際に座ろう。

今日の旅程:
札幌(0750)→千歳(0819) 3860M
千歳(1241)→新札幌(1302) 3885M
新さっぽろ→大通 札幌地下鉄東西線
大通→さっぽろ 札幌地下鉄南北線
札幌(1420)→釧路(1814) 4007D

10/16追記:
書くの忘れていたけれど、サンダーバーズの公開で待ち時間とか演技のBGMに音楽をかけていた。はじめのうちは空自で選曲したものをかけていたらしい、というのは初音ミクとかまじっていたので。フライトの少し前くらいからはサンダーバーズのほうで選んだ曲がかかっていたようだ。ちょっと気になったのでできるだけ注意して聞いていたのだが、やはりというか何と言うか、意地でもケニー・ロギンスの "Danger Zone" はかけるつもりはないようだ。普通の人には映画「トップガン」でおなじみだろう。日本のブルーインパルスでBGMに流されたりすることはあるけど、たぶんサンダーバーズのBGMに流されることは絶対にないだろう。なぜかというと、サンダーバーズは米空軍で、「トップガン」は米海軍だからだ。

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2009年10月14日 (水)

JR北海道の双璧

今日は鉄道の日だけど、別に変わったことをするわけではない。昨日と同じように、列車に乗り倒すだけだ。

北海道の未乗車区間のうち残った大物、札沼線(通称学園都市線)をやっつけることにする。札沼線は特急が走っているわけでもない、観光地があるわけでもない、途中に見所があるわけでもない、あまり変哲がないわりには距離が長く時間がかかる。起点側ではそれなりに頻繁に列車が走るが、末端部では列車数が極端に少なく、終点に新十津川駅に発着するのは日に3往復にすぎない。こういった理由のために後回しになっていたのだが、ようやく重い腰を上げることにしたのだ。

既述の通り、終点まで行く列車は一日に3本しかない。これに接続する列車のうち2本目、10時前に札幌を出る列車に乗り込む。非電化の学園都市線だが、札幌にほぼ直結するとあって列車は長い。余剰客車オハフ51を改造した気動車2両と、国鉄から引き継いだキハ40の合計3両編成。あとで考えてみればあまり見かけない客車改造車に乗ればよかったのだが、それに気づいたのは下車した後で、3両目のキハ40に乗り込んだ。
札幌を発車したときにはボックス席にひとりだった。次の駅までは函館本線を走るのだけど、札沼線用の専用線路がある。次の桑園でさらに乗客が乗り込み、三十一の座っているボックス席にも学生らしいふたりが座った。ここからは函館本線から離れ、高架単線非電化というちょっと変わった形態の路線となる。つぎの八軒駅からは複線となり、高架複線非電化だ。これからしばらくこの形で進む。左右は住宅地だ。一見すると首都圏郊外の通勤路線のようだが、非電化のディーゼル車のためか運転速度は遅いように見える。つい先日、北海道医療大学駅までの電化工事に着手するとJR北海道が発表したそうだが、非電化のままのサービス改善にも限界が来た判断したのだろう。新琴似をすぎたあたりで地上におりる。あいの里教育大駅は北海道教育大学札幌校の最寄り駅で、学生がいっせいに下車して車内は一気に空いた。その代わりといっては何だが、近頃東京ではみかけなくなった種類の男子高校生が一人乗り込んで来て、周囲に整髪料の香りを振りまいていた。けっこう離れているのにここまでにおってくるんですよ。
あいの里公園を出たところで石狩川を渡る。札沼線を紹介する写真の定番撮影地で、長大なトラス橋が特徴だが、橋の上から見ているとこれが長い長い。川のはずなのだが、海と見まごうばかりの川幅だ。毎日通勤で渡っている江戸川の幅の5倍くらいはあるんではなかろうか。
石狩当別駅はこの線のひとつの運転拠点で、今乗っている列車もここが終着。30分ちょっとの待ち合わせなのでいったん駅を出ていつものように写真をとったりしてみるものの、予想していた通り何もない。駅そのものはきれいな橋上駅舎になっており、もともとの市街地方向だったはずの東口と、何やら町おこしを目的としたらしい公共施設のある西口の両方に降りてみたけれど、鏡に映したように左右反対にしただけでまったく同じ形状というのは芸がないなあ。
石狩当別からさらに北に向かう列車は、乗車人数を反映してかキハ40の一両編成になる。場違いな若者が何人か乗車しているけど、2駅先の北海道医療大学駅でみんな下車してしまい、一両編成の車内は閑散としてくる。この列車ではこれまでと変わって左側に席をとったのだけど、そちらのほうは近景あるいは中景として山が連なっているが、それほど高くない。高くないとは言っても、実際登ってみろと言われると三十一は遠慮したいくらいの高さではある。いっぽうの右側は見える範囲ずっと平地で山は見えない。石狩平野なのだね。右側を並行して走る国道に走り去っていく主観的には見慣れた、客観的にはそれほど普段から見るわけではない種類のトラックを目撃する。そういえば当別には航空自衛隊の基地があったね。防空ミサイル基地だったっけかな(10月17日追記:レーダーサイトでした。北部航空方面隊第45警戒群)。晩生内(おそきない)あたりで雨が一瞬窓を濡らしてひやりとしたものの、すぐに日が出るようになって一安心。この先の予定があるので、雨になるとちょっと困る。気がつくと左の山は登れと言われても登れないくらいの高さに成長していた。右側を見ると、遠景に空知山地が見えてきて、石狩平野から空知盆地に入ってきたことがわかる。線路はわずかなアップダウンはあるものの、ほとんど平坦だ。このあたりは北海道の米どころなのか、稲刈りの済んだ田、稲穂が頭を垂れている田が見え隠れする。関係ないのだが、「年」という漢字は「禾」(イネ)の上半分を左に折り曲げて稲穂が頭を垂れている様子をあらわした象形文字であるという話を思い出した。「年」の本義は「みのり」であり、収穫は一年に一度であるから転じて「年」で時間としての年を表すことになったという。
閑話休題。このあたりの駅は、北海道医療大以南の新しい、あるいは整備されている駅とは様相が異なり、ほとんど放置されていると言ってよい。唯一最近整備したらしいものは駅名標の上に「学園都市線」と誇らしげに記された文字だが、学園も都市も見あたらないんですけどねえ。車窓の外を白鳥らしい白い鳥が飛び交っているのが見え、慌てて写真を撮る。北国から南へ渡る途中かな。2時間半かかって終着の新十津川駅に到着。もともとはここからさらに線路が延びていたのだが、40年近く前に廃止されてしまって終着駅になっている。寂しいだろうなあと思ってはいたものの、昨日の江差よりもはるかに寂しい有様に打ちのめされる。北海道の終着駅の寂しさを挙げるなら、この新十津川と留萌本線の増毛が双璧だろう。どっちがミッターマイヤーでどっちがロイエンタールやら。

Pa140026

新十津川で下車したのは、地元民らしい数名のほかに三十一の同類らしい2名だ。駅舎やホーム、列車の写真を撮る3人。しかし三十一は一通り写真を撮ると、駅を離れて歩き出す。駅前の地図を頼りに町役場をめざす。他のふたりは折り返しの列車で戻るのだろう。実は新十津川駅は、石狩川を挟んで函館本線の滝川駅に向かい合っており、直線距離は数キロしかない。歩いて歩けないこともない距離だが、役場からバスが出ているようなのでそれをめざす。時刻はあらかじめネットで調べているので、ちょうどいいバスがあるはずだ。
役場はそれほど苦労せずにみつかったが、バス停はどこにあるのかな。駐車場にバスが停まっているので近いのは間違いないのだけれど。探してみると、役場の敷地の中にバス停が立っていた。北海道なのに屋根付きの待合室はないんだねえ。これは役場の中で待てということだろうと、役場の中に入ってみる。簡単な地図でも手に入ればそれを頼りに歩いてみるのもいいと思っていたのだが、見つかったのは空中写真。建物が狭い範囲に集中して建っていることはわかったが、歩く役には立たない。しかたがないのでバスを待つ。予想通り、駐車場に停まっていたバスがやってきたのでそれに乗り込む。新十津川の市街地を走り抜け、石狩川を渡る。このあたりでは札沼線で渡ったときよりもずいぶん川幅が小さい。それでも江戸川くらいはある。10分あまりで滝川駅の隣に立つバスターミナルに到着。220円ナリ。
時計を見ると13時半の札幌行き特急に間に合いそうだったので慌てて走る。滝川駅の写真は以前に撮ったことがあるので今日は省略。駅に入ってみると、DD51のA更新車両が牽く上りコンテナ貨物列車が停車していたのでまずその写真を撮ってから、進入してくる789系のスーパーカムイに乗車。昨日おとといと二日続けて緑の789系に乗車したが、今日は銀色の789系に乗車。新しい車両だけあって乗り心地はいい。今日これまで乗ってきたキハ40と比べるのが間違っている。3時間余りかけてやってきた道のりも、函館本線を使えば50分で戻って来られる。札沼線の末端区間の将来は厳しい。

札幌に着くと、ユニクロに上着を買いに行く。東京ではまだ長袖シャツ一枚で充分な気候であり、念のために薄い上着を一枚持ってきたのだが、実際に北海道に着いてみるとコートを着ていたりマフラーをしていたりする人がいるような状態で特に夜はひどく寒い。昨日の夜、札幌に着いた時点でやろうと思ったことが3つある。ひとつは道内時刻表を買うために本屋に行くこと。ふたつ目は夕食を食べること。そして三つ目が上着を買うことだった。三十一はこの3つのうち、本屋を最優先、次に夕食を選び、結果として上着を買う時間がなくなってしまった。ネットでユニクロの営業時間を調べたところ、朝は間に合わないとわかったために札幌に戻ってきたタイミングで買うことにする。ついでに銀行でちょっと現金を下ろす。

今日の行程はちょっと短めだがこれで終わり。今夜は札幌に宿泊したかったからで、その理由は明日明らかになるであろう。

今日の旅程:
札幌(0955)→石狩当別(1041) 553D
石狩当別(1115)→新十津川(1237) 5425D
新十津川町役場(1312)→滝川バスターミナル(1324) 北海道中央バス
滝川(1330)→札幌(1420) 2028M

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10月は落ち穂拾いの月

今朝は窓を叩く雨音で目が覚めた。昨日の心づもりでは、朝イチの列車に乗る予定だったのだが、ちょっと気力が萎えてしまった。しかし、朝のニュースを見ているうちに雨はやんで日が射すようになったので、8時頃から荷造りを始めてチェックアウト、朝食を済ませて宿を出たのはちょうど8時半頃。まず向かったのは函館駅で、何をするかというとコインロッカーに荷物を放りこもうと思ったのだ。以前も来た駅、ロッカーの場所はわかっている。しかしいざロッカーの前に行ってみると、小銭がなかった。そこで駅の中にある書店に行って函館市電の一日乗車券600円ナリを手に入れ、そのお釣りを使って荷物を預ける。

最初に書いた通り、もともとの予定では朝イチの列車で江差まで往復し、午後からは函館市電を制覇して札幌に向かう予定だった。その朝イチの列車はもう行ってしまった。次の列車は10時。1時間あまりを使って函館市電を全線制覇する。幸いなことに函館市電の路線はそれほど長くないし、4年前に半分乗車経験がある。電車も10分間隔で来るとのことなので、よほどのことがない限り問題なく制覇できるだろう。函館駅前電停から、谷地頭または函館どっく方面の早く来た方に乗ろうと考えていたら、ちょうど来たのが谷地頭行きの低床車。これに乗って終点谷地頭まで行き、そのまま折り返して函館どっく方面との分岐である十字街に戻り、乗り換えて函館どっくまで往復、そのまま函館駅前に戻る。全行程で40~50分というところ。
函館は、函館山と本土の間に広がる砂州上に生まれた町で、基本的には平らで坂はほとんどない。その点は同じ港町である長崎とはだいぶちがう。しかし函館山の周辺は平地から突然立ち上がる急坂になっていて、市電はその急坂のすぐ下をぐるりとめぐっている。ただ、谷地頭の手前で小さな坂を越えるところがあって、勾配に弱い電車は自動車にがんがん抜かれていく。

函館駅に戻ってきて、少し時間があるからと余裕をかまして待合室で本など読んでいたら出遅れたらしく、列車に乗り込んだときにはすでに進行方向左側(海側)の席は埋まっていた。しょうがないので山側に座る。次の駅、五稜郭でさらにひとかたまりの乗客が乗ってきた。EH500やDF200が待機する五稜郭機関区を横目に見ながら通称津軽海峡線、実名江差線に入っていく。このあたりは本州と北海道を行き来する際に何度も通ったので、新味がないようであるが実は普通列車に乗って通るのは初めてなので意外に新鮮だった。単線電化のこの区間では、今乗っているような普通列車は1両単行、白鳥などの特急電車は6~8両、寝台特急でも12両だが、駅の待避線の長さは遙かに長い。貨物列車のための設備だ。上磯までは市街地の中を縫って走っているが、上磯を過ぎると街並みが切れ、やがて海岸線に出る。函館湾の向こうに函館山が見え、観光客とおぼしき乗客が窓を開けて写真を撮っている。三十一はそれを指をくわえてながめているが仕方ない。帰りに賭けよう。茂辺地でややまとまった数の乗客が降り、海側に席を移す。木古内でほとんどの乗客が降りてしまう。三十一はそのまま乗っていたが、停車時間が10分あまりあるということなのでいったん駅舎の外に出て写真を撮ったりした上で列車に戻った。木古内駅では、江差線の列車は一番山側の本線とは離れたホームに停車していたのでこのまま本線と分岐するのかと思っていたのだが、駅を発車した列車はおもむろに本線に合流した。しかも、津軽海峡線本線の山側、下り線を逆走することになる。そのままコンクリート橋で川をひとつ越えたあたりで右に分岐していく。ここからが真の初乗車区間だ。しかも今回の旅行で初めての非電化区間だ。やっぱり鉄道は頭上に余計な邪魔者がないに越したことはない。
これまで海岸線沿いから内陸部に入ってきて、車窓には水田が見えてきた。稲刈りが終わっている田も、まだ終わっていない田もある。やはりここは北海道と言っても道南。米が主要な農産物なのだなあと思った。渡島鶴岡、吉堀と続けて停まり、しばらく走ると平地は消えて山中に入ってくる。車窓を行き交う木々の葉はあるものは緑、あるものは黄色、そしてあるものは赤とモザイク模様を呈している。個人的には一面真っ赤よりもこういうモザイクが好きだなあ。分水嶺を超えたのか、左手の線路下に川が見え隠れし、進行方向に向かって流れている。やがて神明に到着。あれ、駅名標の隣駅名に「よしぼり」って書いてあるぞ。吉堀駅はずいぶん前に停まったような気がするけど、その間に駅がないのか。あとで調べてみたら15キロくらいあるらしい。まあ確かに、その間ほとんど建物らしきものを見かけなかったので納得なのだが。車窓から川をぼうっと眺めていると、目の前を駅名標が流れていった。駅らしいが停まらない。駅名標には「あまのがわ」とある。目の前の川の名前かな。しかし時刻表にはそんな駅はないので、かつて存在したものの廃止された駅ではないかと思う。川のまわりにぼつぼつと平地が見えてくる。しかしさっきまでとは違って、もっぱら酪農らしい。北海道の本体から伸びた渡島半島の、さらに先端である松前半島を横断しただけなのだが、そんなに気候が違うものなのかなあ。「あまのがわ」は蛇行しながら悠々と流れる。けっこう水量も豊かだし、キャンプとかカヌーとかレジャー向きの川だと思うのだがあまりにもアプローチが不便だ。クマも出たりするんだろうか。上ノ国で日本海に出る。ついに半島を横断したわけだ。線路は海岸沿いの高台を走り、海がよく見える。奥尻島が見えないかと探してみるが、天気が悪いのかそれとも遠すぎるのか、あるいはそもそもここからでは見えないのか、水平線しか見えなかった。終点の江差駅は町はずれの高台にあり、街並みはその先に広がっているのが見えるけれど線路はそこまで行かない。駅前にはコンビニ風の商店が一軒。昼どきなのだが他に食べ物を入手できそうなところが見あたらないので、おにぎりなど買って待合室で食す。駅前の道路を横切って向かいの駐車場の端まで行って見ると、眼下には国道、その先に海。右手はるかに江差の市街地と港、港の沖の鴎島と観光施設(だと思う)の帆船が。
同じ車両で折り返す。帰りは半分くらい記憶を失っていた。「あまのがわ」駅を確認しようと思っていたのだがそれも見逃した。渡島鶴岡を出ると、右前方に近代的なコンクリート橋が見える。言うまでもない、青函トンネルにつながる海峡線だ。新幹線が走っていても不思議でないくらいの立派な線路である。ひょっとしたらそのうちこの橋の上を本当に新幹線が走ることになるのかもしれないが。木古内着。予定ではこのまま乗り続けて函館に戻るはずだったのだが、車内アナウンスが「15時7分発」と言うのを聞いて一瞬「?」と思いさらに一瞬後「!」と思う。48分待ちですか。時刻表を調べてみると、15分くらい後に函館行きの特急が来るらしい。待ってられないのでここで特急に乗り換えることにする。特急が来るほうのホームに降りてみると、これが妙に長い。15両くらい余裕で停まれるんじゃないかなあ。これから乗る予定の下り特急が来る少し前に上り特急が来るらしいので、ホームの先端から写真を撮ろうと歩き始める。まだ先端までたどりつかないうちに、ふとうしろを振り返ってみると下り列車が接近してくるヘッドライトが見えた。しばらく見ているうちに「あれはひょっとしてED79ではなかろうか」と思えてきた。とすると、コンテナ急行貨物だなあ。やがて、ED79重連に牽かれた急貨が、目の前のホームに停まった。ここでこれから三十一が乗ろうとしている特急列車に追い抜かれるのだろう。貨物列車好きの三十一にとっても、これだけ近い距離で停まっている貨物列車を見ることができるのは滅多にない機会だ。こんなチャンスは逃してなるものかと嬉々として写真を撮りまくった。見たかぎり、コンテナ車はみんなコキ50000のようでした。

やがて上りの特急が函館方面から到着して青森方面に去り、入れ違うように下りの特急が入ってくる。ホームの反対に停まっている貨物列車に後ろ髪をひかれながら乗り込む。今度は海側に席がとれました。海の向こうに函館山が見える地点では、ちょうど山に薄く虹がかかっていた。いちおう撮って見たけどわかるかな。函館山のちょうど真ん中あたりなんですが。

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さて、予定が変わってしまったのでこれからの行動を考える。もともと、17時前のスーパー北斗で札幌に行く予定だった。ひとつは、同じスーパー北斗に乗ることにして、1時間ほどできた余裕で函館市電の残りの区間に乗るというプラン。既述の通りこの区間は既乗なのだが、夕方から夜にかけてだったのであまり景色は見えなかった。もうひとつは、一本前の北斗に乗って札幌に早く行くプラン。この北斗なら、長万部あたりまではまだ日があり外の景色を見ることができるだろう。その変わり「スーパー」でない北斗(183系)なので時間もかかるしシートも悪い。結局、初めて見る街中の景色よりも、何度も見た海や山や沼の景色のほうが勝利し、多少なりとも日のあるうちに北斗で札幌に向かうことにする。北斗の自由席は札幌側端の5号車と4号車。とりあえず先頭の5号車に乗りこんだ。はじめ適当に海側に席をとったのだが、よく見ると前方の景色が見えることになっている。一番前の席はすでに占領されていたが、できるかぎり前のほうに席を移す。この席のおかげで、函館から長万部を少し過ぎるあたりまでの乗車は実に楽しかった。頭上に余計な架線も見えないし、DF200の牽く貨物列車、スーパー北斗、DD51の牽くトワイライトエキスプレスなどとすれ違う。七飯から藤城線に入るあたりでは、頭の中で「銀河鉄道999」が鳴り響いた。細かく書くときりがないので前方展望についてはこのくらいで。

今日一日で江差線のうち青函ルートから外れた区間と、函館市電の未乗車区間を乗り終えたので、北海道の(地下鉄を除く)鉄道/軌道のうち未乗車なのは札沼線と千歳線の南千歳-新千歳空港間だけになった。

今日の旅程:
函館駅前(0850頃)→谷地頭(0905頃) 函館市電
谷地頭(0905頃)→十字街(0910頃) 函館市電
十字街(0915頃)→函館どつく前(0920頃) 函館市電
函館どつく前(0925頃)→函館駅前(0935頃) 函館市電
函館(1012)→江差(1234) 122D
江差(1313)→木古内(1419) 125D
木古内(1436)→函館(1512) 4009M
函館(1523)→札幌(1859) 5015D

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2009年10月12日 (月)

2年ぶり5回目の

優勝、ではなく北海道。

昨夜はわりと早く寝たはずなのに、起きたら8時を回っていた。用事のないときに5時に目が覚めたりするのに、思い通りには行かないものだ。

とりあえず今日のところは"はやて"と"スーパー白鳥"を乗り継いで函館まで行こうと決め、おもむろにネットで宿を取り、荷造りをする。前の晩にやろうとしないところが三十一だなあ。

今日のテーマは「スーパー白鳥の789系に乗車する」なので、八戸から函館をつなぐ白鳥のうち「スーパー」を冠する列車を軸にスケジュールを決める。これまで同じルートを使って2回くらい北海道に来ているけど、古い485系を使った無印の「白鳥」に乗ったことしかなく、JR北海道の現有特急車両の中で唯一乗車したことがない車両になってしまっていた。

東京で軽く何か食べて2時前の新幹線に間に合うくらいのつもりで家を出、東京に向かう。東京駅に着いてまずみどりの窓口で予約の具合を見に行く("はやて"は全席指定のため)と、1時前の新幹線がちょうど出る頃でしかも空席があるようだ。時刻表を確認すると、この新幹線に接続する白鳥も「スーパー」なので、この列車に乗って北上することにする。ホームの売店でお茶と稲荷寿司を買って乗り込む。考えてみれば"はやて"にちゃんと指定席を買って乗るのも初めてだ。いつも席がとれずに立席券だったのですよ。席は通路側なので、外はあまり見えない。しかしわずかに見える景色に色づいた紅葉が目に入る。秋だなあ。

八戸で乗り換え、初めての789系「スーパー白鳥」に乗り込む。

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乗り込んだ当初はあまり違いはわからなかったが、しばらく走っているうちに気がついた。あきらかに窓が大きい。外の景色がよく見えるなあ。窓の小さい新幹線から乗り継いだからそう思ったのかもしれないけど。残念ながら青森に着いたころに日が沈んでしまった。青森信号場にはEH500やEF510がたむろしている。秋の日はつるべ落としというけれど、青森に7分間停車している間にすっかり暗くなり、津軽半島を走るも景色はまったく見えない。青函トンネルに入ったのもわからない有様だ。

6時間座り続けていい加減尻が痛くなってきたころに函館着。

今日の旅程:
東京(1256)→八戸(1603) 3019B
八戸(1614)→函館(1920) 4019M

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2009年10月 9日 (金)

予期せぬ邂逅

つい先日のこと、ビデオデッキのリモコンを小脇に挟みながら録画したあれやこれやを処置しているときだった。どこかのボタンを押したらしく、チャンネルが切り替わった。「あ、しまった」と思いながら画面を見た三十一は驚いた。

探偵!ナイトスクープだ。

この番組、三十一はわりと好きなんだが関東ではネットされていなかったり、されていても深夜帯だったりしていて東京ではまず見られないものと諦めていたのだ。しかしテレビ埼玉ではネットしてるんだなあ。
こういうときには Wikipedia も役に立つだろうと調べてみると、テレビ埼玉では本放送より8週間遅れだが、TOKYO MX では2週間遅れということなので、予約録画にセットすることにした。

ところで、今週放送していた「ガチャピン虫」を捜索した箕面公園は今から37年前に住んでいた家の近所だった。あまりにも昔過ぎて懐かしいとすら思えない。

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2009年10月 8日 (木)

雨ニモ負ケテ風ニモ負ケテ

昨夜から強風が吹き荒れていたけれど、今朝起きたときには大嵐になっていた。正直会社に行きたくない気分だったが、今日は会議もあることなので嫌々ながらいつもと同じ時間に家を出る。
家を出たころには雨そのものはだいぶ小降りになっていて、傘は持っているものの差すべきかどうか悩むくらいの降りだった。しかし風は半端でないくらい強く、うっかり開くと傘を壊されそうだったので差さずに駅まで歩く。家を出る前にニュースで見て電車は50%くらいの運転率だと聞いたものの、動いてさえいれば何とかなるだろうと考えていたのだが駅に近づくと手持ち無沙汰に立つサラリーマンの姿が目に付き、コーヒー屋には行列ができていた。こりゃ動いていないなと思いつつ、状況確認のために人混みをかきわけ改札にできるかぎり近づいてみると強風のせいで運転は見合わせているという。首都圏のJRは軒並み停まっているらしい。ちょっとの間駅前で待ってみたが、雨はやんで青空が見えているけれど風はむしろ強くなって来ており、風がやまない限り電車は動きそうもない。雲の関係で雨はやむことはあっても、風のほうは台風が行ってしまわないかぎりやまないだろうから、待ってるだけ無駄と判断して家に戻ることにする。

家に戻ってきて会社につなぎ、メールで「行けません」と伝える。三十一と同じように会社にたどりつけない人がけっこういるらしい。幸か不幸か、家からでも最低限の仕事はできる。しかし能率が悪いのだ。電車が動き出したら様子を見て会社に行こうと、テレビでニュースを流しながらちまちまと仕事をする。結局、昼を過ぎても電車は動かず、風が収まってきたのはようやく夕方近くになってからだった。会議には結局電話で参加。

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2009年10月 7日 (水)

嬉しい誤算

わがデンヴァーの第4週の試合は、中継があるようなのでそれまで結果を見ずにいようと思っていたのに、どうしても我慢できずについネットで見てしまった。

なんとまあ、ダラスにも勝って4戦全勝ですよ。

LB Dumervil は今週も2サックで合計8サック。QB Orton は 2TD で INT なし。RB Buckhalter は Run/Receive Combine で 91Yds。これまで調子が出ていなかった WR Marshall も 91Yds 1TD と結果を出してきた。

去年活躍した WR Royal があまり目立っていないのが少し気になるけど、いっぽうで CB Bailey が8タックル 1INT と本来の力を発揮している。

特筆すべきは、リードされていた試合を3Qと4Qでひっくり返したこと。去年まではこれが逆になるパターンが多かったからなあ。やはりコーチの力かなあ。

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2009年10月 5日 (月)

「足利尊氏と直義」

少し前、小規模な書籍流の後かたづけをしていて発掘された本。化石化するほど埋もれさせていたわけではないけど、結果としていいタイミングで姿を現したことになる。

この本と直接関係ないのだが、巻末参考文献を見ると「南北朝の動乱」と題する文献が3冊も挙げられているのが目につく。本文中で引用されている中にも同名異本がしばしば見られて紛らわしい。シリーズものでこの時代をカバーした巻にこの題がつけられていることが多いようだ。参考文献として挙げられているのは、集英社版「日本の歴史」8巻(伊藤喜良、1992)、中央公論社版「日本の歴史」9(佐藤進一、1965)、吉川弘文館「日本の時代史」10(村井章介、2003)だが、この他に吉川弘文館「戦争の日本史」8(森茂暁、2007)も同じタイトルだ。同類に「南北朝内乱」(小学館版「日本の歴史」11、佐藤和彦、1974)というのもある。ちなみに三十一は「南北朝の動乱」4冊のうち3冊を持っている。なお、ここでいう「持っている」と「読んでいる」は必ずしもイコールではない。

さて、足利尊氏とその同母弟にあたる直義(ただよし)はほぼ同格の「両将軍」として南北朝時代初期の幕府を牽引した。兄尊氏は御恩奉公による封建的主従関係と軍事をもっぱら担当し、弟直義は幕府という統治機構の運営と政務を担当した、というのが上掲書での佐藤進一による分析であり、この本の著者も基本的にはその認識を継承する。兄弟のうち、年長の尊氏が主従関係を基礎とする軍事を担当したのは自然な成り行きだが、開けっぴろげで寛大だったと言われる尊氏と、几帳面で筋を通す質の直義はそれぞれ適材適所だったろう。これが反対だったら室町幕府はどうなっていたかわからない。もっとも、尊氏は躁鬱気味だったらしく、楽観的な時と悲観的な時の感情の波が激しく、特に悲観的な時には周囲がなだめるのに苦労したようだ。

この仲のよい兄弟が幕府開設から10年あまりで血みどろの闘争を繰り広げることになる。いわゆる「観応の擾乱」だが、これは兄弟の争いというよりは、軍事と政務をそれぞれ分担していた二頭体制のなかで、それぞれの側近勢力が主導権を争って戦ったという要素が大きい。現実には、尊氏と直義というよりは尊氏側近で武断派の中心の高師直らと、直義配下の上杉重能らの間の対立こそが「観応の擾乱」の本当の原因だろう。
教科書で知られている通り、「観応の擾乱」は最終的に尊氏の勝利に終わり、直義は失脚、まもなく没した(当時毒殺の噂が流れたという)。「擾乱」の展開を見ると、直義のほうが有利な時期もあり、どちらが勝っても不思議ではなかったように見える。それが最終的に尊氏勝利で決着したのは、直義から見ても尊氏の代わりになる人物はいなかったのに対し、尊氏にとって直義の代わりがいたことが大きいだろう。尊氏にとって、直義の代わりに政務を任せられる存在として幕府開設から「擾乱」までのあいだ東国のおさえとして鎌倉にあった実子義詮(よしあきら)があった。次代の将軍である。尊氏は「擾乱」のあと義詮を上洛させて政務を担当させ、代わって義詮の弟である基氏を鎌倉に下した。しかし直義は、兄であり軍事の総帥であり征夷大将軍である尊氏にとってかわる人物を見出すことができなかった。それが尊氏に対する措置に徹底を欠くことになり、最終的な敗退に結びついたのではなかろうか。

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2009年10月 4日 (日)

中川家の人々

昔話をし始めるのはトシをとった証拠なのかもしれないが、中川一郎という政治家は当時「ニューリーダー」と呼ばれ、"若手"の自民党議員の代表格だった時代があった。三十一はその時代をリアルタイムで経験している。
のちの大勲位、中曽根康弘に総裁選(そのころの自民党総裁選はすなわち日本の内閣総理大臣を選出する選挙だった)で挑んで惨敗を喫し、それが原因かどうかわからないがしばらくして自殺を遂げた。タカ派の言動や強面の容貌と、自殺という行動の間に整合性が感じられず強い違和感を覚えたことを鮮明に記憶している。であるから、その息子が地盤を継続して議員になったことも覚えていた。

中川元財務相、都内の自宅で死亡 (asahi.com)

その息子が今度は都内の自宅で亡くなった。死因は不明とのことだが、先の総選挙で落選してから一ヶ月、何かと心労があっただろうことは容易に想像できる。ただ、警察は事故や自殺の可能性は低いと見ているとか。

一昔前には中川昭一こそ次代の幹部候補のひとりと見なされていたのだが、世代交代が実現する前に鬼籍に入ってしまったか。

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2009年10月 3日 (土)

2009年9月の打ち上げ

9月はアメリカ2回、ロシア3回、日本とインドが各1回で合計7回。

8日 21:35GMT ケープカナベラル(アメリカ)、アトラス5(PAN)

10日 17:01GMT 種子島(日本)、H-IIB(HTV-1)

17日 15:55GMT バイコヌール(カザフスタン/ロシア)、ソユーズ2.1b(Meteor M-1、Sterch-12、IRIS、UgatuSat、Universitetsiky 2、BLITS)

17日 19:19GMT バイコヌール(カザフスタン/ロシア)、プロトンM(Nimiq 5)

23日 06:21GMT スリハリコタ(インド)、PSLV(OceanSat 2、UWE-2、BeeSat、ITU-pSAT-1、SwissCube、Rubin 9)

25日 12:20GMT ケープカナベラル(アメリカ)、デルタ2(STSS Demo SV-1、STSS Demo SV-2)

30日 07:14GMT バイコヌール(カザフスタン/ロシア)、ソユーズFG(ソユーズ TMA-16)

デルタ2の米政府による打ち上げはまだ終わってなかったんですね。
ちょっと驚いたのは、17日一日にバイコヌールから2基の打ち上げがあったこと。プロトンのほうはILS(International Launch Service)、一方のソユーズはロシア政府と打ち上げ主体は異なっているんだけど、普通はずらすんじゃないかなあ。

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