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2009年10月23日 (金)

八戸から列車に乗って新潟についた

八戸の朝は寒かった。しかし今日は昨日と違って早起き。同じ一番列車なのだけど、7時過ぎの列車に乗らなくてはいけないので6時半にチェックアウトしてホテルの朝食をとり、そのまま駅へ。ホームに降りると、そこには首都圏色のキハ48+キハ40+キハ40の3両編成が。今どき珍しいなあ、首都圏色のディーゼルカーは。振り返ると、中線にはED75が単機で停留している。貨物列車を牽いてきたらしいのだが、貨車がいないな。
先頭のキハ48に乗り込む。まだ時間が少し早いのか、思ったほど混んでいない。進行方向左側に座る。これから乗る列車ではこちら側がずっと海になるはずだ。発車を待っている間に接続した列車から高校生がどっと移ってきて車内はほぼ満員。三十一の席の前にも女子校生が座って話している。マンガの貸し借りをしていたので何かと思ってみると「君に届け」でした。アニメ始まったね。
時間が来て北に向かって発車した列車は、三十一が愛する非電化単線の線路を行く。ところが、電化複線の東北本線と前方の線路の間に、もう一本非電化単線の線路が延びていて、合計すると3方向に伸びているように見える。一瞬何だろうと思ったが、やがて問題の線路にコンテナ貨車が走っているのを見て気づく。八戸臨海鉄道だ。貨車を牽いているのはDD13タイプのディーゼル機関車。さっきのED75が運んできた貨車を引き継いだのかもしれない。八戸市街地の中心にもっとも近いのは本八戸駅で、もともとはこちらが八戸駅で現在の八戸駅は尻内と呼ばれていたのだが、その本八戸駅の手前で川を渡る。川を渡る直前と川を渡った直後にそれぞれ線路が左の海側に別れて行く。これも臨海鉄道かな。川を渡ったところから線路は高架になる。本八戸駅の海側には側線を剥がした痕跡が見える。もちろん高架橋もそれだけの幅を持っている。本八戸を出ると本線はやや右にカーブしていくが、かつて線路を載せていたはずの高架橋はそのまままっすぐ伸びている。列車の中から見ると道路と交差するところだけ高架橋が分断されていた。白銀駅で高校生はほとんど下車。鮫を出ると前方に小高く盛り上がった島とそこに鎮座する神社。ひょっとしてあれが蕪島かなあ。これまでは市街地を走って来たが、これからは海岸線沿いを走ることになる。砂浜と小規模なリアス海岸が交互に現れるような風景。実を言うと、今日の行程の中でこの付近が一番海がよく見えたようだ。南下する列車はやがて県境を越えて岩手県に。種市海岸のキャンプ場では今から20年以上前にキャンプを張ったことがある。強風が吹き付けて波音が一晩中とどろいていたことを覚えている。今日は比較的穏やかなようだ。
陸中八木から陸中中野までの間は、ほぼ波打ち際を行くような感じ。陸中中野を出たころ「そういえばまだトンネルをくぐってないなあ。終点までトンネルがないのかな」と思ったまさにその直後、線路は海岸線からやや内陸に入ってトンネルをくぐる。低い峠を越えると久慈の市街地。久慈川を渡るとJR八戸線の終点、久慈駅だ。

ここからは三陸鉄道北リアス線となる。駅構内を通っても乗り換えられるのだが、いったん駅舎の外に出て写真を撮ってみる。JRと三陸鉄道の駅舎はいちおう別々にあるようだ。せっかくなので三陸鉄道のほうから入ってみたのだが、誰もきっぷ見ようとしないけどいいのかね。三陸鉄道の列車は当時流行した軽快ディーゼルカー2両編成。三陸鉄道の路線はJR山田線で北リアス線と南リアス線に分断されているのだけど、この列車は北リアス線からJR山田線に乗り入れ、南リアス線の終点盛(さかり)まで直通する。北リアス線のうち久慈から普代までの間はかつての国鉄久慈線だ。八戸線をそのまま延長したような形だったはずなのだが、登録線名が別になったために廃止対象となり、三陸鉄道が引き受けることになった。この区間は比較的新しいので、地形が険しい個所はトンネルで抜けてしまってあまり景色が見えない。しばらくの間は高架とトンネルばかりで味気ない。陸中野田からようやく海岸沿いに出てくる。堀内の手前、トンネルを出たところの鉄橋上で一時停車。運転士の説明によると、ここが北リアス線でもっとも景色のよいところだそうな。正直な感想を言うと「一番でこの程度?」とちょっと落胆した。
旧国鉄久慈線当時の終着駅である普代に到着。本当にかつてはこれが終着駅だったんですかねえ。今となっては何の変哲もない中間駅にしか見えない。ここからは三陸鉄道設立にあわせて開業した区間。トンネルで海岸段丘上をつっきっていて海はほぼ見えない。田老から先は旧国鉄の宮古線。田老駅もとてもかつて終着駅だったとは思えない佇まいだ。三陸鉄道線の駅には、それぞれの駅周辺の観光案内地図が立っている。佐羽根駅だったと思うのだが、駅が中心に描かれ、地図の下の方に国道45号線を示す線が引かれているのだが、駅から国道に出る道が無いように見えるのは三十一だけでしょうか。線路と国道の間に描かれている木のイラストは、ひょっとして左に見えるこの森のこと? この森のむこうに国道が走ってるんだ、ふーん。またひと山越えて閉伊川流域に出ると昨日も来た宮古。

ここから先、釜石までは昨日も通った道なので詳しくは書かない。昨日も気づいて書くのを忘れていたのだが、この区間を運転する運転士はやたらと汽笛を鳴らすのが気になった。いちおう汽笛を鳴らすべき個所というのは決まっていて、踏切やトンネル、橋梁、そして駅を通過する時など。もちろんその他に危険を感じたときには適宜鳴らすべきだが、この区間だけ危険が多いとはとても思えないから人によるのか、それともそういう指導でもあるのか。
もうひとつ、この区間で特筆すべき出来事は昨日撮り損ねた吉里吉里の駅名標をうまく撮影できたこと。

釜石からは三陸鉄道の南リアス線に入る。ここから吉浜までは新設区間になる。釜石を出た線路は大きな工場の狭間や川のすぐ横を高架で抜け、やがて市街地を高架で横切るとトンネルに突っ込む。いかにもあとから作りましたという趣だ。この先は小さな湾が次々に現れるという地形なので、湾奥の集落近くに駅を設け、駅と駅の間はトンネルで抜けるという形になる。釜石湾のさらに入江の奥にある平田、唐丹湾の奥の唐丹、吉浜湾の奥の吉浜と列車はとまっていく。吉浜の手前でまたもや徐行。ここが南リアス線で一番景色のいい個所だそうな。正直な感想を言うと一番で以下略。

吉浜はかつての旧国鉄盛線の終着駅だった駅。まあこの駅もこれまで通ってきた元終着駅に右にならえだなあ。このあたり、トンネルと集落以外はひたすら山の中を行く。右も左も森。ある意味これ以上のローカル線はないのだが、典型的なローカル線の風景とはちょっと違うような気がしてきた。三十一がもつ典型的なローカル線の景色というのは、山に囲まれた盆地に水田が広がり、その真ん中あるいは端っこを短いディーゼルカーがトコトコと走るというもの。あまりに山深い風景は違和感がある。考えてみれば、三陸鉄道の北の起点久慈までは八戸から約2時間。北リアス線の終点宮古まで盛岡から約2時間。南リアス線の起点釜石まで花巻から約2時間。そして南の端である盛までは一ノ関から約2時間。東北新幹線沿いのどの地点からアプローチしても2時間かかるのだ。沿線人口の増大が望めない現状では、三陸鉄道の経営は厳しくならざるを得ない。かと言って、鉄道そのものに観光的な要素があるかというとこれまで見てきたようにインパクトに欠ける。国レベルで思い切った施策がないかぎりじり貧になるのは免れないだろう。県や自治体レベルでどうなるものでもあるまい。

終着盛着。この駅はスイッチバックになっていて接続する大船渡線はこれまで三陸鉄道線がやってきた方向に向かって発車することになるのだが、奥の方向にはまだ線路が伸びている。岩手開発鉄道だ。古いホッパー車が構内に停まっている。大船渡線の列車に乗り込んで発車を待っている間に石灰石を積んだ貨車がこれもDD13形とおぼしき機関車に牽かれて海の方向に走っていった。大船渡線の列車はJR東日本の標準ディーゼルカーと言ってもよいキハ100系。昨日から何回乗ったかなあ。盛ではけっこう空いていたのだが、次の駅である大船渡でけっこう乗り込んでくる。しばらくはこれまでと同じようにリアス式海岸の湾奥の集落をつないで走っていたが、陸前高田を出ると内陸に入り込む。水田が見え隠れするようになり、これこそが三十一が考えていた典型的なローカル線だ。気仙沼ではキハ48が行き交う気仙沼線が別れていく。この先の大船渡線はほぼまっすぐ西に向かって一ノ関をめざすのだが、千厩と陸中門崎の間で大きく北に迂回する。この線形から「ドラゴンレール」という愛称がつけられているんだが、敷設当時の政治家のかけひきのためにこの迂回が生じてしまったのは一部で有名な話だ。陸中門崎を出てすぐ北上川を渡り、しばらく走ると一ノ関。一ノ関ではまったく予期しないものを発見。京浜東北線色の209系電車の編成じゃないかあれは。直流電車である209系が交流電化区間であるこのあたりまで自走できるはずもないので、機関車に牽かれた甲種輸送なんだろうが、転属というのも考えにくいので廃車回送に違いない。

Pa230064

一ノ関では10分の接続で上り新幹線に乗り換え、東京に帰還。と思いきや、そのまま今度は上越新幹線に乗り換えて新潟着。えらい強行軍だけどそれには理由があるのである。わかる人はすでにわかっていそうだけど。

今日の旅程:
八戸(0712)→久慈(0902) 425D
久慈(0912)→盛(1301) 5110D~5644D~5212D
盛(1317)→一ノ関(1538) 3336D
一ノ関(1548)→東京(1824) 60B
東京(1852)→新潟(2108) 343C

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