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2009年10月22日 (木)

高原列車は行くよ

昨夜は雷も鳴っていたらしいが、今朝はすっかり晴れていた。まずは盛岡駅のコインロッカーに荷物を預ける。Suicaロッカーだ。初めて利用するが、小銭を用意しなくていいのと鍵が不要(Suicaが鍵になる)なのは便利だと思った。ただ、ジャケットを出すのを忘れてロッカーにしまってしまった。今朝荷造りするときにジャケットをどうしようかと思って荷物の中に突っ込んだのだが、いざ外に出てみると意外に寒く、やはりこれは上着があったほうがいいなあを思ったのだ。しかしロッカーを探しているうちに忘れてしまった。これだけのために300円使うのはもったいないので、今日は我慢する。ほとんど車内になる予定だし。

11時過ぎの列車で三陸海岸の宮古に向かう。実はこれが盛岡から宮古に向かう一番列車なのだよ。車両はキハ110系の2両編成。2+1のセミクロスシートだ。乗り込んでみると、車内はすでにジャージ姿の高校生でいっぱいだ。引率の先生までいるので、部活の遠征かな。どうも卓球部らしい。三十一が高校生のころ、卓球部というのはマイナーな部活で人数集めるのに汲々としていたという印象があるんだけど、何でこんなに沢山いるんだろう。どうにか進行方向右側の窓際を確保。しかし向かいには別口と思われる高校生が座っていて狭苦しい。

盛岡駅を北に向かって発車した列車は、IGRいわて銀河鉄道線をまたいで東に向かう。すぐに北上川を渡り、しばらくは盛岡市街地を行く。上米内あたりから列車は山中にわけいり、川に沿って登って行く。やがて小さなトンネルをいくつもくぐったかと思うと、長いトンネルに突入。このトンネルが分水嶺だったらしく、出ると下り坂になっており、線路の横を流れる川はこれまでと違って進行方向に向かって流れて行く。次に停まったのは「鉄子の旅」で「大パノラマ」とも「微妙」とも表された区界。正直微妙。
ここから宮古までは、閉伊川と閉伊街道(国道106号)に沿って谷を下っていく。このあたりは戦中に路盤が流されたために列車が転落して機関士が殉職したり、戦後は台風の被害で運休となり復旧まで8年もかかったりしたことからもわかる通り、川沿いのぎりぎりのところを線路は走る。ときには川の屈曲についていけず、川を渡ったかと思うと尾根をトンネルでくぐり、トンネルを出たかと思うとまた川を渡るような個所もある。川と線路を隔てた山は様々な色に染まり、高校生どもが盛んに写メを撮っていた。茂市では岩泉線と合流。乗れるものなら乗りたいんだけど、"秘境線"なので今回は断念。車内放送で接続の案内をしてるけど、次の列車まで3時間以上あいちゃってますね。

宮古で乗り換え。接続時間はわずか3分。部活高校生どもがぞろぞろと跨線橋を渡っていくのをかき分けて飛び込む。改札外に出て駅舎の写真を撮るヒマはもちろんない。乗り込んだのはキハ100の2両編成。これまでとほぼ同型だが、シートは2+2のセミクロスシートになっている。意外と混んでいて、あいているボックスはなかった。海側のボックス、進行方向に背中を向けた状態で相席となる。列車は海岸線に沿って南下する、はずなんだけど。何でしょうかね、あの東側にそびえ立つ山は。さっきまでの山岳路線とあまり変わらないような景色。あの向こうが太平洋なのかなあ。それも、近景の山と遠景の山といった具合に折り重なって山が見える。どうも近景の山と遠景の山の間の平地に見えるところが、実は海らしい。列車の中からじゃ海なんだか田んぼなんだか区別がつきません。ひと山越えると陸中山田。ここでまとまった数の乗客が降りていく。席を移って車窓外にかぶりつく。山田湾は両脇から半島が門のように張り出していて角度によってはそれが重なって見え、まるで湖のようだ。岩手船越から浪板海岸までの区間では、やっとそれらしく海岸線に沿って走る。

Pa220015

吉里吉里駅の駅名標を写そうとしたが見事に失敗。両石駅では港に設けられた厚く高い防波堤を目撃。最後のトンネルを抜け、赤さびだらけのターンテーブルの脇を過ぎると釜石着。ここでの乗り継ぎは10分。地下通路を通っていったん改札の外に出、駅舎の写真と、ついでに駅正面にそびえる某企業の大工場の写真をとり、ホームにとって返す。またキハ110系ですか。釜石発盛岡行きの快速"はまゆり"は、リクライニングシートのキハ110系3両編成。うち1両は指定席とのことだけど、指定席車両はガラガラですね。自由席はそこそこ混んでいるけれど、席を選べないほどじゃない。ビジネスマンもちらほら。三十一は進行方向左側に座る。釜石を出た列車はしばらくは道路と並行してまっすぐ走っており、都市近郊という趣だが、洞泉あたりからあたりの景色は急に山深くなってくる。国道は鉄道をさしおいて一気に高度を上げ、はるか上方を走っている。狭い谷の、右の尾根に張り付いたかと思うと今度は左の尾根に張り付くといった具合に地形を選びながら徐々に高度を上げていく。実はこの先は今回の旅行の最大のハイライトであるから、三十一は窓に張り付いて外を眺める。
陸中大橋を通過。かつてここからは鉄鉱石は積み出され、これまで走ってきた線路を通って釜石に運ばれていた。ここの鉱山こそが製鉄の町釜石を作ったと言ってもよかろう。しかし今では鉱石は道路輸送となり、列車はこの駅を通過する。通過するとすぐトンネルに入る。車輪が鳴っている。線路が左に大きくカーブしているのだ。車輪の鳴る音と、エンジンのうなる音がトンネルに響く。しばらく続いた車輪の鳴る音がふいにやんだ。エンジンは相変わらずうなり続けている。一瞬、トンネルを出る。すかさず下を見る。はるか下に道路がちらりと見える。またトンネルに入る。またトンネルを出る。今度は下の方に道路と、それと並行して走る線路が見える。線路はトンネルの中でほとんど180度カーブし、オメガカーブを描いて逆方向を向くのとあわせて高度を上げている。これから先は名だたる難所である仙人峠で、この峠を越えるための苦肉の策だ。かつて軽便鉄道時代には仙人峠を鉄道で結ぶことを断念し、荷物はロープウェイで、旅客は徒歩で接続していたという。現在の釜石線は長短のトンネルをつないで南に大回りしながら越えていく。途中、一瞬視界が開けた場所もあったが、カメラが間に合わなかった。区界よりもずっと高原っぽい感じでしたよ。
峠を下りきると遠野盆地。四方を山に囲まれていながら、その中には平坦な農地がひろがる、まさに盆地だ。宮守ではすぐ隣の線路の保線用モーターカーと並ぶ。間近で見て、車両でなく機械扱いのモーターカーはやっぱり細かいところのつくりが雑だなあと思ってみたり。新花巻では新幹線乗り継ぎ客が降り、そして乗ってくる。新花巻を出るとまた北上川を渡り、右手には高速道路が並行する。花巻で東北本線と合流。東側の駅本屋に面した1番線に到着。ここから進行方向が変わる。ちょうど学校が終わるころなのか、高校生が乗り込んでくる。発車した列車は東北本線の上り本線を渡り、下り本線に入って北上する。かつてここは485系特急電車や455系急行電車が行き交う重要幹線だったんだなあと思うと感慨無量だ。列車の進行方向が変わって、すわった席が進行方向右側になるので対向列車を観察するのに都合がいい。もちろん三十一が注目するのは貨物列車である。EH500が牽くコンテナ列車2本と、同じくEH500が牽く石油輸送列車1本とすれ違った。石油輸送列車のほうには、機関車次位にDD51の試験塗装車と思われる車両が連結されていたようだ。すれ違いざまに見ただけなので確実ではないのだけど、ひょっとしたら廃車にともなう無動回送かなあ。哀しい。
盛岡到着の少し前、盛岡貨物ターミナルは、はじめは上下線に挟まれた形でDE10なんかが停留していたけれど、やがて今走っている下り線が留置線をまたいで上り線と合流、本線の外側(西側)に貨物駅が配置されることになる。見かけた機関車はEH500、ED75、DE10など。それに加えて、TOYOTAのロゴを染め抜いたコンテナを連ねた列車が停留しているのを目撃。これはあれだね、トヨタ自動車が部品の輸送を自動車から鉄道に転換した専用列車だね。そういえば盛岡始発だったっけ。予期せぬ収穫で満足。

盛岡到着後、夕食をとってから東北新幹線の立席で八戸へ。

今日の旅程:
盛岡(1104)→宮古(1303) 3648D
宮古(1306)→釜石(1417) 650D
釜石(1427)→盛岡(1638) 3626D
盛岡(1826)→八戸(1855) 3025B

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