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2009年11月 5日 (木)

「日本の歴史13 一揆と戦国大名」


第一章(p.10)より

一揆と聞くと、権力者に対する農民の反乱をイメージしがちだが、実はそれは近世になってから一揆のひとつの側面が強調された結果であって、中世における一揆はもっと広い概念であった。一揆とはある目的をもって組織や集団をつくること、そしてつくられた集団自体をいうのである。

一揆のひとつの特徴としては、その構成員たちが基本的にはみな対等な立場で集まった組織だということがある。近世(江戸時代)のいわゆる農民一揆・百姓一揆とは違って中世の一揆はあらゆる階層で形成された。神職・僧侶・商人・農民・国人・領主などがそれぞれに一揆を構成しても不思議ではないし、実際構成された。一揆はもちろん、外部に対抗するという目的をもって組織されたのだが、組織内部では階層的な構造は基本的にはなかった。

この時代、日本の農村は中世の「荘園」から近世の「惣村」への移行期にあった。「惣村」化とは言い換えれば「農村の自治化」である。ムラの構成員たる村人は固定し、村人は先祖代々村人であり、余所者とは明確に区別される。領主に対して納めるべき年貢は「村請け」が主となり、年貢を出せない者がいた場合はその分を村全体で負担して領主に対する未進は出さない。その分は村人同士の負債となる。いわば村がひとつの完結した法人となったと言えるだろう。

戦国時代は、各地の戦国大名によって農村の直接支配が進んだと言われるが、実はこうした農村の「惣村」化に乗ってピラミッド型に組織し直したものだ。これ以前の「荘園」制では各種の権利義務が領主や地頭の間に網の目のように張り巡らされていて一元的な支配はできなかった。戦国大名による農村の一元支配は農村の「惣村」化があって初めて可能になった。「惣村」化は戦国大名の誕生以前から進行していたものだから、戦国時代"だから"「惣村」化が進んだのではない。

環境の変化が「戦国時代」を呼んだのか、戦国時代が環境の変化をもたらしたのか、その評価は難しい。お互いに影響し合ったのだ、というのがつまらないが無難な回答だろう。

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