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2009年11月12日 (木)

血液型差別と人種差別は構造が同じ

かなり今さらなんだけど、最近また kukulog に ABO FAN 氏が出没し始めて、そこについたコメントで参照していた blog での議論を読んで思ったのがタイトルのようなこと。

本当は怖い血液型性格判断 (404 Blog Not Found)

「人種によって肉体的特性に差があること」と「人種によって待遇に差をもうけること」は区別しなければいけない。同じように「血液型によって性格に差があること」と「血液型によって待遇に差をもうけること」は区別されるべきだから、「血液型によって性格に差があること」は事実であっても「待遇に差をもうけること」は否定できる、という意見が気になった。

一見もっともらしいのだが、集団の問題と集団に属する個人の問題が「区別」されていないように思える。わざとぼかしているのかもしれないが。

三十一は血液型と性格に関連はないと思っているが、ここではそれは前提として必要ではない。仮に(百歩譲って、仮に)関係があったとしても同じである。
人種で例えると、人種甲と人種乙を比較したときに、人種甲のほうが有意に身体能力が高い(例えば足が速い)という結果が出たとしよう。これは「集団」間の比較である。この(仮定の)事実を知った上で、オリンピックの陸上代表に人種甲に属する甲1なる人間と、人種乙に属する乙1なる人間がともに応募してきたときに、あなたは「人種甲のほうが速いから」という理由で実際走らせて見もしないで甲1を選ぶか?
そんなことはないだろう。甲1は人種甲の中でも足が遅く、乙1は人種乙の中でも飛び抜けて足が速いかもしれない。実際に走らせてみたら乙1のほうが甲1よりも足が速かったということは充分あり得るのである。

血液型性格判断は、実際に走らせても見ないでオリンピック代表選手を選ぶのに似ている。血液型を元にして配置を決めている、などという会社は従業員各々の特性や長所短所を把握する能力が無いということを自ら宣伝しているようなものだ。

もしどうしても血液型を基準に判断したいのであれば、例えば血液型がA型である人間のうちどんなひとりを選んでも(ANY)、A型以外の血液型の人間の誰よりも(EVERY)几帳面である、という命題が成立する必要があるのだけど、どんな頑固な血液型信奉者でもそこまでの強い主張をするとは思えない。

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