« 2010年3月 | トップページ | 2010年5月 »

2010年4月30日 (金)

南国土佐をあとにして


多分1週間のあいだに5回くらいは見てると思う。ブルーレイなので全編280分、つまり4時間40分の長丁場なんだけどね。
とは言え、4時間以上のあいだずっとモニターにかじりついてるわけではない。家にいるあいだじゅう、まるで環境ビデオのように流しっぱなしにしているのだ。だってテレビがつまんないんだもん。

高知県の西の端、宿毛から中村、高知を経て四国を縦断し、瀬戸大橋を渡って岡山までの区間を収録しているが、この間の大半が非電化単線であって、「非電化単線友の会」会長の三十一には見逃せない。実はまだ四国に足を踏み入れていない三十一だけど、これを見ると「やっぱり四国に行かなくては」と思ってしまう。
大歩危小歩危の渓谷、新改や坪尻といったスイッチバック、高架になった高知駅、そして瀬戸大橋と見所は多い。また全線を通して、振り子式車両が車体を傾けながらカーブに突っ込むシーンが随所に見られる。運転士の煥呼もはっきり聞こえるし、これまでいくつか見てきた前面展望ビデオの中ではアタリだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年4月28日 (水)

「日本特設艦船物語」


特設艦船というのは、平常時に私企業が運行している商船や漁船を戦時に徴用して海軍が使用しているもの、というのが一般的な説明だろうけど実はそれでは正確ではない。実は海軍が徴用した船舶の大部分は、あたかもチャーター船のように固有の乗員が乗船したまま軍の要求により貨客を目的地に運送するという役割を果たすので、いわばたまたま荷主が軍である、というだけで実際には私船と変わらないし、国際法上もそのような扱いを受ける。
これに対して特設艦船は、海軍軍人が乗り組み海軍将校が指揮し、さらに軍艦旗を掲揚することで国際法上の「軍艦」たる要件を満たし、構造と出自こそ商船や漁船ではあるもののまったく正規の軍艦と変わらない取扱いを(国際法上は)受けるものである。いわばパートタイムの軍艦、といえる。

どこの国でも平時から戦時所要の兵力を常に確保しておくような余裕はないから、戦時にはこのような特設艦船が多く利用されて任務に投入される。もちろん日本海軍も例外ではない。むしろ日本海軍は第二線兵力の大半はこれら特設艦船に依存することを前提として戦力整備を進めてきた。実際、太平洋戦争で特設艦船として運用された船舶はおよそ1400隻にのぼるという。単純に隻数で比較すると、正規の軍艦よりも特設艦船のほうが多かったのである。

三十一はこんなサイトを作ったりしているが、この中で弱点があるとするならまず特設艦船であろうと思っている。特設艦船については雑誌などで取り上げられる機会も少ないし、まとまった資料もない。戦史叢書にもまとまった記述はなかったはずだ。一番確実なのは海軍の原資料にあたることだろうが、そんなツテも時間もないし、そもそも資料もかなり散逸してしまっているだろう。1970年代から1987年頃まで「世界の艦船」誌上に不定期に連載された「日本海軍艦艇史資料」という記事があって、太平洋戦争中の特務艦船を含む艦船の入籍・除籍・転籍などについてはかなり良質のデータだったのだが、三十一が手に入れているのはこの連載の末期のほうだけであって、はじめのほうはバックナンバーを探すしかなく到底そろえられなかった。編者の海老原惇氏はどうも未完成のまま物故されてしまったらしく、連載は未完のまま中断してしまっている。できてるところまででもいいからまとめて刊行してくれないかなあ。そしたら一冊は売れるのに。

ともかくも、この本が特設艦船についてはかなり希少な資料であることはまちがいない。これをきっかけに、三十一のサイトも改善できたらいいなあと思っているが、いまのところは思っているだけである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年4月27日 (火)

「ミニスカ宇宙海賊3 コスプレ見習海賊」


去年買ったあとしばらく行方不明になっていたが、昨日発掘されて今日読み終えられた本。なんか近頃こんなんばっかしですな。

アニメ化決定だそうだが、放映予定は2011年だそうで鬼が笑うような話だ。もっともこの本が出たのは2009年のことになるので、その時点を基準に考えると再来年、ということになり鬼も笑わないのかもしれない。

この著者は一般的には「ライトノベルの手法を駆使するSF作家」ということになっているが、三十一からすればスペオペっぽい設定部分にSF色が出ているものの、細かい(当人は緻密と思っているかもしれないが)SF描写は実際のところそれほど面白くない。全体のプロットと台詞回しが小気味いいだけに、かえってとってつけたようで浮いてしまうのですよ。それだったらいっそ野尻抱介ばりに徹底してしまえばいいのに。

アニメ版ではそのへんの細かい描写が省略されて、逆にバランスがよくなるかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年4月25日 (日)

アキバに行かない週末。

毎月、月末の週末には雑誌を買いに行く。
近場の書店でも売っているところがなくはないのだが、やはり平積みになっているくらい大量に入荷しているところで手に入れたい。以前はもっぱら神保町の書泉ブックマートだった。なので月に1~2回は神保町に足を伸ばしていたものだ。
ところが、秋葉原に書泉ブックタワーができ、そこで「世界の艦船」も「鉄道ジャーナル」もマンガもラノベも手に入るようになるとほとんど神保町には足が向かなくなった。三省堂が模様替えしてわかりにくくなった(慣れてないだけとも言う)ということもあるけどね。

ま、でも、秋葉原ではなく神保町でないといけないことも多少あって、古書とか音楽関係とか中国関係の専門書店が神保町にはある。具体的には文華堂書店とか古賀書店とか東方書店とか内山書店とかだったりのことだ。あとたまに行くのが一誠堂とか明倫館とかかな。わからない人にはわからない話ですまん。

逆に言うと、秋葉原でないと済まない用事というのは本ではなく実物系、つまりコンピューターのパーツだったりAV関係のアクセサリだったり、CDやDVD・BDなどのコンテンツ系だったり、ということになる。最近コンテンツ系はもっぱら通販だけど。

というわけで、実は新刊の雑誌を買うのが主たる目的であるなら、秋葉原でも神保町でもどっちでもいいのだ。そのほかに何を見ていきたいかという気分でどっちに足が向くかが変わってくる。これまでは秋葉原に行く場合は定期が使え、余分なカネを使わずに済むのでやはり秋葉原に行く頻度が多かった。

ところが、考えてみると今年に入ってから通勤先が変わり、秋葉原に行くときでも自腹を切らなければいけなくなった。そうすると、秋葉原には明らかに優位な点はない。

雑誌を買いに行こうと家から駅に向かって歩く道すがら、上のようなことを考えて神保町に向かうことにする。多分数か月ぶり。以前はもっと頻繁に古書店チェックをしていたものだけど、戦史叢書がほぼ揃ってしまったのでそれほどマメに足を運ぶ必要性を感じなくなってしまった。ところが久しぶりに出かけるとやはりそれなりの収穫はあるもので、これも半分諦めていた「海軍制度沿革・巻二」と他一冊を見つけ、かなり財布に優しくない値段ではあったがどうせ買うことになるんだろうから今日買っても来月買っても同じことだと腹をくくって買う。さっき銀行で少し現金をおろしたところだったのに早速寂しくなってしまった。しかし三十一的には豊かな気分になった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年4月24日 (土)

「わたしのファルコン1/2」


これ、先行シリーズがあるみたいだなあ。「レヴァイアサン戦記」かな。そっちは読んでいないのでときどき設定にわからないところがある。多少は説明されているけれど。

「作者の趣味全開」ということだが、まあいかにもそんな感じ。女の子とヒコーキが活躍するというのが基本コンセプトだろう。若くて可愛い女の子にパイロットスーツを着せてみたかったのかな。若い女の子に一見似合わない仕事をさせるというところは「ロケットガール」シリーズと通じるところがある。怖い者知らずの女子高生、女子大生のほうがある意味動かしやすのかもしれない。



それにしても、可愛い女の子の海軍式第二種軍装は反則だよなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年4月22日 (木)

むしろ鶏口となるも牛後となるなかれ

~大政党のヒラ党員でいるよりも、小さくても自分でつくった政党の党首になったほうがニュースで取り上げられる機会が多くなる、という教え (ウソ辞苑)

参議院選挙を7月に控えて、小政党が次々に生まれている。
いまのところ、もっぱら自民党から分裂していく流れが大きいようだが、仮に参議院選挙で民主党が大きく議席を落とすようなことがあると民主党からも分裂していく動きが出てくるかもしれない。普天間基地移転についてまったく先が見えない現在の状況が続けば、充分にあり得ることだ。
民主党が支持率を大きく落とし、自民党も伸び悩む現状では、参議院選挙の結果を予想するのは難しい。両党の議席が伸びなかった場合、その分を稼ぐのはどの党になるだろうか。民主党の躍進はいわゆる無党派層の支持が大きな要因をしめていたから、鳩山政権の有様を見て無党派層がそっぽを向いたとき、代わって期待を集めるのは誰だろうか。
かなりの部分は「棄権」という選択をするだろう。だが一部は例えば「みんなの党」に流れる可能性がある。民主にも自民にも期待できないからまた別の選択を、というわけだ。こういう目算がまた政党の新設を促進する。

民主党のボスである小沢幹事長はかねて「二大政党制をめざす」と主張していたが、その目標に向けての第一歩であったはずの民主党による政権交代が、小党分立を促進するきっかけになってしまったのは皮肉な話だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年4月19日 (月)

五つ子と泉重千代翁

この題名ですぐ徳之島が思い浮かぶのはそれなりの年代だろう。
逆に言うと、三十一にとって徳之島という地名から思い浮かぶのはこれくらいしかない。

太平洋戦争末期に戦艦大和が撃沈された地点を「徳之島沖」とする記事をときどき見かけるが、実際には東シナ海の真ん中であって特定の島の近傍というわけではない。強いて言えば徳之島が一番近いかな、というくらいだ。

その徳之島が普天間基地廃止後の海兵隊移転先として取り沙汰されている。
政府は先にアメリカに打診しようとしたところ「現地の同意が先だ」と門前払いをくらったらしい。そこで今度は現地の自治体に正式に申し込もうと考え始めた矢先に、報道でその動きを知った現地では大規模な反対デモが起こって、あわてて「まだ決めたわけではない」とコメントして沈静化をはかった。

三十一が見ても、政府のやり方はまったくなっていないとしか思えない。
もともとこの問題は民主党自身が火をつけたものだ。自分で火をつけて自分で消火すれば「マッチポンプ」だが、民主党にはポンプの用意すらなかった。自分がつけた火に自分自身が燃やされてしまう勢いだ。

鳩山政権が自ら決めた期限である5月末が近づいているにもかかわらず先行きが見えない現状を見て、政府内部からも「予防線」を張るかのような発言が出始めた。しかし、仮に6月以降も鳩山政権が居座りをはかったとしても、普天間問題は残る。この問題に何らかの決着がつかないかぎり、政権に深く刺さった棘として残り続ける。しかしそれはまったく自業自得だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年4月18日 (日)

「痴人の愛」


もちろん三十一もタイトルは知っていたものの実際に読んだことはなかった。それがなんでまた唐突に読む気になったのは、この本のせいである。


LaLaで描いてたころから麻生みことはけっこう好きで、特にこの話は京都が舞台で三十一の母語である関西弁がてんこ盛り。一見して標準語のようなセリフでも頭の中では関西アクセントで流れてしまう。

あ、マンガの紹介じゃなかったんだ。

「痴人の愛」を読んでいてちょっと辟易したのはやたらと注釈が多く、それもいざ巻末の注釈を調べてみると大した内容じゃなかったりする。今さらベートーヴェンは説明不要だよ。
それはともかくとして、あんな自堕落な生活をしていてもそれなりに食えていけるというのは良い時代だったんだなあと思う一方で、大正時代にあんな優雅な生活ができたというのはやはりエリートだったんだろうということだ。そのへんの細かい設定はあまり説明されていないけれど、大学出の勤め人ということなのかもしれない。
これも内容の感想じゃないような気がしてきた。

まあ三十一もある意味惑溺する質なので、一歩間違えたら自分もナオミみたいな相手にひっかかっていたかもしれない。それはそれで幸せと言えるだろう。幸せかどうかなんてものは所詮個人的な、主観的な感覚でしかなく、他人がどうこういうものではない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年4月16日 (金)

「はやぶさ、地球へ!」

6月の大気圏突入・カプセル回収を控えて、特設サイトが開設されていた。

はやぶさ、地球へ!~帰還カウントダウン~ (jaxa.jp)

開設当日、4月15日の時点で地球と"はやぶさ"の距離は2300万キロ弱。まだまだ遠いような気もするが、地球と太陽の間の平均距離である1億5000万キロと比べると15%でしかない。そう考えるともうすぐそこまで来ているような気がする。

2003年の打ち上げ、2005年のイトカワへのタッチダウンと通信途絶。
あれから4年半。満身創痍のはやぶさは今ようやく地球に帰ってこようとしている。
傍観しているだけの三十一でさえそう思うのだから、関係者はどれほどの感慨があるだろう。

関係者といえばこれ以上の関係者はいない、プロジェクトマネージャーの川口教授が特設サイトにメッセージを寄せている。

「はやぶさ」、そうまでして君は。

これは必読。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年4月15日 (木)

「日本補助艦艇物語」


1993年に出た本を、2005年に買って、2010年に読む。
気が長くなったと言えば気が長くなったのかなあ。もともといずれ読むつもりで買った本ではあるんだけど、その一方で急いで読む必要もなかったのでこんなに遅くなってしまった。読み始めたきっかけはと言えば、他の本を探していてたまたま発掘してそのまま、というパターンだ。どうもこのパターンが結構多いように思う。

福井静夫も、亡くなってもう15年以上経つ。知っている人にはいまさら説明は不要だろうが著者は元海軍造船官で、戦後は日本海軍艦艇について膨大な資料を収集してきた。そのコレクションの全体像はいまだに刊行されていない。三十一の目が黒いうちに刊行されるんだろうか。

著者が生前いろんな場で発表した文章をテーマごとにまとめたのがこのシリーズで、本巻ではタイトル通り補助艦艇に関するものを集めている。他に戦艦とか空母とか巡洋艦とかいったメジャーな艦種についてももちろん出ているのだが、三十一が現時点で持っているのはこの「補助艦艇」と「特設艦船」である。天の邪鬼な三十一らしいと言えばらしいのだが、この種の艦船に関する本があまり他にないというのも理由だ。

内容はといえばだいたい昭和30年代から40年代くらいに雑誌に発表した文章が主で、当時としては貴重な内容だったのだろうけれど、それなりにまとまった資料が出てきた現在となってはあまり新しい内容はない。むしろ著者が実際にそのフネに接したときのエピソードのほうが面白かった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年4月13日 (火)

「彩雲国物語 蒼き迷宮の巫女」


このシリーズもはじめのうちは面白かったんだけどねえ。だんだんオカルトの気が強くなってきてちょっと興醒め。そうでもしないといまどきの読者にはウケないのかな。某国営放送のアニメがあの時点で完結したのは正解だったのかもしれない。
とは言え、主人公の秀麗が正気をとりもどしてまたちょっと面白くなってきた。完結目前ということだけど、果たしてどう結末をつけることやら。

さて前巻あたりからバッタの害、蝗害が大きなカギになってきている。稲を食い荒らすというとイナゴと相場が決まっているけれど、実は蝗害はイナゴではなくバッタなのである。虫扁に"皇"というその文字から蝗害がどんなに恐れられていたかがわかるだろう。
中国の古い史書にもしばしば蝗害への言及がある。例えば、史記巻十・孝文本紀の後六年(前158年)の記事に

天下旱、。帝加惠、令諸侯毋入貢、弛山澤、減諸服御狗馬、損郎吏員、發倉庾以振貧民、民得賣爵。

(天下が日照りとなり、バッタが発生した。皇帝は、諸侯の入貢を免除し、山河の利用を認め、宮廷の衣服や家畜を減らし、官僚を減らして、倉庫を開いて貧民にふるまい、人民に爵位の売却を認めた)

と見える。
「民得売爵」は少しわかりにくいだろう。当時の皇帝は、なんらかの国家慶事に際して民衆に一律爵位を与える、ということをよくやっていた。だから、当時の国民は低位であっても爵位を持っているのが普通だった。名目だけの爵位をカネに変えることを許そう、というのである。注釈にも「富人欲爵、貧人欲銭、故聴買売也」とある。「聴」は「許す」という意味だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年4月12日 (月)

カチンの悲劇2

ポーランド大統領の搭乗機がロシアのスモレンスク近郊で墜落、全員死亡したというニュースが飛び込んできたのは昨日のことだ。

ポーランド大統領機墜落 大統領ら97人全員死亡 (asahi.com)

「ポーランド」「スモレンスク」というキーワードで三十一がまず思い浮かべたのが「カチンの森」だが、実はこの訪露も「カチンの森」慰霊のためだったという。

ポーランドとロシアの関係は一筋縄ではいかない。17世紀はじめ(江戸幕府ができたころ)には、モスクワがポーランド軍に占領されてポーランドの息のかかった人物がロシア皇帝に擁立されたこともある。いっぽう、18世紀後半にはポーランドがロシアとオーストリア・プロシアにより分割されて消滅し、19世紀にはロシア皇帝がポーランド王を兼ねたこともある。ロシア革命に乗じてポーランドが独立すると、成立したばかりのポーランドはロシア革命に干渉しロシア領深く侵攻したかと思うと逆にワルシャワ前面まで攻め込まれたこともある。大戦間のポーランドはロシアに対する防波堤として機能した。英仏がポーランドの安全を保障したのもそれを期待したからである。

で、問題の「カチンの森」事件は、スターリン政権下のソ連が数万人ともいわれるポーランド軍捕虜将校を処刑したもので、のちにロシアに侵攻したドイツ軍がスモレンスク近郊でその遺体を発見したというもの。もちろん当時のソ連政府は「ナチスのでっちあげ」として全面否定したけれど、赤十字の調査でもソ連の関与は否定できなかった。
そもそもこれらポーランド軍将校は、1939年のドイツによるポーランド占領時に、スターリンとヒトラーの間の密約にしたがってポーランドを分割占領した際にソ連側に降伏したポーランド軍の捕虜だった。ポーランド政府ははじめパリ、のちロンドンに亡命したが、在ロンドン亡命ポーランド政府は捕虜についてソ連政府に照会したが常に回答は「該当の事実なし」でしかなかった。これら捕虜の行方は、ソ連政府とポーランド政府の間の懸案になっていた。それがナチスドイツのロシア侵攻によって判明したのである。

「カチンの森」事件により、ポーランド亡命政府はソ連政府と断交した。しかしソ連政府はこれ幸いと英仏の影響の強い亡命政府を無視して、親ソ政権の樹立に邁進した。冷戦時代のポーランド政府はその親ソ政権の系譜を継ぐものであるから、「カチンの森」事件についてはあえて触れずにきたのである。しかし、冷戦が終結してしまい、ポーランドがNATOやEUに加盟するような時代になるとそのような気遣いは無用になり、「カチンの森」は再び両国間の重要問題になる。しかしそのころにはすでに事件以来半世紀が過ぎており、真相の追求も責任者の訴追も不可能になっていた。

西欧とロシアのあいだにはさまれたポーランドの人には、もちろんロシアに対する警戒心もあるが、ドイツに対する警戒も少なからずある。しかし両方と対立していては18世紀のポーランド分割、あるいはスターリンとヒトラーによるポーランド分割の二の舞だ。その時々でどちらかに接近してはもういっぽうを牽制するというテクニックが必要になる。
冷戦期はもちろんロシアに接近していたわけだが、その当時から「ポーランド人を野菜に例えるとラディッシュだ。見た目は赤いが中身は白い」と言われていたくらいで、面従腹背は所与の地理的条件から生じる必然の処世術であろう。今回の大統領訪露にあたっても、親ソ派と親西欧派のあいだの駆け引きがあったと伝えられている。

どうもこのポーランドとロシアの間の関係を見ていると、日韓関係とダブって見える部分がある。もちろんそれぞれの二国間関係にはそれぞれの状況があるので安易な同一視は危険だけど。

4/13追記:
墜落した大統領機には、「最後のポーランド亡命政府大統領」も搭乗していて犠牲になったそうだ。ロンドンのポーランド亡命政府は1990年まで存続しており、連帯のレフ・ワレサが大統領に就任した機会に本国政府と合同して解散した。1939年の亡命から51年後、ということになる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年4月11日 (日)

クララが立ったなら感動もするけれど

新党「たちあがれ日本」の結成が報道されていたが、その中で挨拶していた平沼赳夫代表と与謝野馨共同代表の映像を見てまず思ったことは

声が老けてんなあ

であった。
「若けりゃいいってもんじゃない」というのは一面の真実だが、それほど先の長くない人々に将来のことを任せていいんだろうか、というのが三十一の正直な感想である。というのは、実のところ三十一がそう思っていたりするからである。どんな長くみつもってもあと半世紀くらいなんとかなれば後は三十一の知ったことではない。

年齢のことは置いておいても、政策らしい政策が出てきていないので仮に支持したくても支持のしようがない。「反民主・非自民」というお題目だけはあるが、仮に民主党を政権から引きずり下ろしたとしてその先の青写真が見えてこない。そもそも民主党の支持率が落ちているのも政策に対する失望感からだから、未来図の提示もできない政党を支持する有権者がいるだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年4月 9日 (金)

ハードディスクは消耗品

同じ話の蒸し返しになってしまうようだが、先々週の末に2TBのHDを買ってきて入れ換えた。物理的に入れ換えるだけならほんの数分で終わってしまう手慣れた作業なのだが、もちろんそれだけで済むはずがない。

それまで、問題のマシンにはシステムディスクを除くと1TBが2本、1.5TBが2本ついていた。このうち1本を2TBに入れ換え、最終的に1TBのHDが1本余剰になるのだが、単純に入れ換えるわけではなく1.5TBのHDを間にはさんで玉突きのようにデータを移していく必要がある。
結局、必要となる作業は
  - 2TBのフォーマット
  - 1.5TB分のデータを2TB HDにコピー
  - 1.5TBのフォーマット
  - 1TB分のデータを1.5TB HDにコピー

3.5TB分のフォーマットと、2.5TB分のデータコピーを、三十一が起きて家にいるあいだだけ(さすがに電源上げっぱなしで1日放置はイヤだ)使って処理していったら、結局完了したのは金曜日だった。まるまる一週間かかったことになる。

それに懲りず1日おいた先週の日曜日に2TBのHDをもう1本買ってきてしまった三十一もいい加減救われないなあ。

合計5TBだった容量が7TBになった。その代償として1TBのHDが2本余ってしまった。使い道がないわけではないけど、あまりない。放置しておくのももったいないけどどうしようかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年4月 7日 (水)

サクラサク

大して手間もかからないわりには分量も稼げて、おまけにアクセス件数も期待できるネタ。とは言え、その裏には日頃の地道な積み重ねが隠されているのですよ。

平成22年度初めの将と将補の一覧、ただし氏名抜き。

陸将27名
- 統合幕僚長(B16)、統合幕僚学校長(B21)、技術研究本部技術開発官(陸上担当)(B20)、防衛大学校幹事(B21)、陸上幕僚長(B18)、陸上幕僚副長(B21)、北部方面総監(B19)、東北方面総監(B20)、東部方面総監(B20)、中部方面総監(B19)、西部方面総監(B20)、中央即応集団司令官(B20)、第1師団長(B22)、第2師団長(1978U)、第3師団長(B22)、第4師団長(B22)、第6師団長(B21)、第7師団長(B21)、第8師団長(B20)、第9師団長(B21)、第10師団長(B22)、陸上自衛隊関東補給処長兼霞ヶ浦駐屯地司令(B21)、陸上自衛隊幹部学校長兼目黒駐屯地司令(B21)、陸上自衛隊富士学校長兼富士駐屯地司令(B19)、陸上自衛隊研究本部長(B20)、陸上自衛隊補給統制本部長兼十条駐屯地司令(B19)、自衛隊札幌病院長兼豊平駐屯地司令(M1)

陸将補102名
- 統合幕僚監部防衛計画部長(B24)、統合幕僚監部報道官(B26)、防衛監察本部監察官(1981U)、装備施設本部副本部長(武器需品担当)(B23)、防衛研究所副所長(B24) 、自衛隊情報保全隊司令(B23) 、陸上幕僚監部監察官(B22)、陸上幕僚監部法務官(1982U)、陸上幕僚監部監理部長(B24)、陸上幕僚監部人事部長(B23)、陸上幕僚監部運用支援・情報部長(B22)、陸上幕僚監部防衛部長(B24)、陸上幕僚監部装備部長(B24)、陸上幕僚監部装備部副部長(B23)、陸上幕僚監部教育訓練部長(B23)、陸上幕僚監部衛生部長(M6)、北部方面総監部幕僚長兼札幌駐屯地司令(B21)、北部方面総監部幕僚副長(B27)、北部方面総監部幕僚副長(1982U)、東北方面総監部幕僚長兼仙台駐屯地司令(B21)、東北方面総監部幕僚副長(B25)、東北方面総監部幕僚副長(B26)、東部方面総監部幕僚長兼朝霞駐屯地司令(B23)、東部方面総監部幕僚副長(B25)、東部方面総監部幕僚副長(B27)、中部方面総監部幕僚長兼伊丹駐屯地司令(B23)、中部方面総監部幕僚副長(B28)、中部方面総監部幕僚副長(B27)、西部方面総監部幕僚長兼健軍駐屯地司令(B22)、西部方面総監部幕僚副長(B25)、西部方面総監部幕僚副長(B28)、中央即応集団副司令官(B28)、中央即応集団副司令官(1981U)、第1師団副師団長兼練馬駐屯地司令(1979U)、第2師団副師団長兼旭川駐屯地司令(B21)、第3師団副師団長兼千僧駐屯地司令(B27)、第4師団副師団長兼福岡駐屯地司令(B25)、第6師団副師団長兼神町駐屯地司令(B23)、第7師団副師団長兼東千歳駐屯地司令(B20)、第8師団副師団長兼北熊本駐屯地司令(B24)、第9師団副師団長兼青森駐屯地司令(B24)、第10師団副師団長兼守山駐屯地司令(B26)、第5旅団長(B21)、第11旅団長(B20)、第12旅団長(B23)、第13旅団長(B23)、第14旅団長(B20)、第15旅団長(B23)、第1空挺団長兼習志野駐屯地司令(B25)、第1特科団長兼北千歳駐屯地司令(B27)、第1高射特科団長(B28)、第2高射特科団長兼飯塚駐屯地司令(B26)、第1ヘリコプター団長兼木更津駐屯地司令(B27)、第1施設団長兼古河駐屯地司令(1978U)、第2施設団長兼船岡駐屯地司令(B21)、第4施設団長兼大久保駐屯地司令(B27)、第5施設団長兼小郡駐屯地司令(B26)、通信団長(B22)、富士教導団長(B21)、開発実験団長(B25)、陸上自衛隊北海道補給処長兼島松駐屯地司令(B22)、陸上自衛隊東北補給処長(B23)、陸上自衛隊関東補給処副処長(B24)、陸上自衛隊関西補給処長兼宇治駐屯地司令(B21)、陸上自衛隊九州補給処長兼目達原駐屯地司令(B22)、陸上自衛隊警務隊長(1978U)、中央情報隊長(B22)、陸上自衛隊中央業務支援隊長兼市ヶ谷駐屯地司令(B21)、陸上自衛隊幹部学校副校長(B21)、陸上自衛隊富士学校副校長(B24)、陸上自衛隊富士学校普通科部長(B26)、陸上自衛隊富士学校機甲科部長(B23)、陸上自衛隊富士学校特科部長(B27)、陸上自衛隊幹部候補生学校長兼前川原駐屯地司令(1981U)、陸上自衛隊高射学校長兼下志津駐屯地司令(B24)、陸上自衛隊航空学校長兼明野駐屯地司令(B22)、陸上自衛隊航空学校副校長(B22)、陸上自衛隊施設学校長兼勝田駐屯地司令(B21)、陸上自衛隊通信学校長兼久里浜駐屯地司令(B23)、陸上自衛隊武器学校長兼土浦駐屯地司令(B23)、陸上自衛隊需品学校長兼松戸駐屯地司令(B24)、陸上自衛隊輸送学校長(B22)、陸上自衛隊小平学校長兼小平駐屯地司令(B22)、陸上自衛隊小平学校副校長(B24)、陸上自衛隊衛生学校長兼三宿駐屯地司令(M2)、陸上自衛隊化学学校長兼大宮駐屯地司令(B23)、陸上自衛隊高等工科学校長兼武山駐屯地司令(B24)、陸上自衛隊研究本部幹事兼企画室長(B25)、陸上自衛隊研究本部総合開発部長(B26)、陸上自衛隊補給統制本部副本部長(B22) 、自衛隊体育学校長(B20)、自衛隊中央病院副院長兼企画室長(M2)、自衛隊中央病院第1歯科部長(1977U)、自衛隊札幌病院副院長兼企画室長(M3)、自衛隊仙台病院長兼副院長事務取扱企画室長事務取扱(M5)、自衛隊阪神病院長兼川西駐屯地司令(M1)、自衛隊福岡病院長兼春日駐屯地司令(M3)、自衛隊熊本病院長兼熊本駐屯地司令(1976U)、自衛隊東京地方協力本部長(B26)、自衛隊大阪地方協力本部長(B26)、自衛隊沖縄地方協力本部長(1979U) 、在アメリカ合衆国防衛駐在官(B29)

海将17名
- 統合幕僚副長(B19)、技術研究本部技術開発官(船舶担当)(1978U)、海上幕僚長(B17)、海上幕僚副長(B21)、自衛艦隊司令官(B18)、護衛艦隊司令官(B21)、航空集団司令官(B19)、潜水艦隊司令官(B20)、横須賀地方総監(B18)、呉地方総監(B19)、佐世保地方総監(B20)、舞鶴地方総監(1976U)、大湊地方総監(B22)、教育航空集団司令官(B20)、海上自衛隊幹部学校長(B22)、海上自衛隊補給本部長(B22)、自衛隊中央病院副院長兼診療放射線技師養成所長(M1)

海将補49名
- 統合幕僚監部指揮通信システム部長(B26)、統合幕僚学校副校長(B20) 、防衛監察本部監察官(B25)、情報本部情報官(B25) 、技術研究本部副技術開発官(船舶担当)(1978U)、装備施設本部副本部長(艦船車両担当)(B24) 、防衛大学校訓練部長(B22) 、海上幕僚監部監察官(B24)、海上幕僚監部首席衛生官(M3)、海上幕僚監部総務部長(B21)、海上幕僚監部総務部副部長(B27)、海上幕僚監部人事教育部長(1980U)、海上幕僚監部防衛部長(B23)、海上幕僚監部指揮通信情報部長(B23)、海上幕僚監部装備部長(B22)、海上幕僚監部技術部長(B21)、自衛艦隊司令部幕僚長(B22)、護衛艦隊司令部幕僚長(B26)、航空集団司令部幕僚長(B28)、潜水艦隊司令部幕僚長(B24)、第1護衛隊群司令(B27)、第2護衛隊群司令(B27)、第3護衛隊群司令(1984U)、第4護衛隊群司令(B28)、第1航空群司令(B27)、第2航空群司令(B21)、第4航空群司令(B26)、第5航空群司令(B23)、第21航空群司令(B22)、第22航空群司令(B24)、第31航空群司令(B22)、掃海隊群司令(1978U)、開発隊群司令(B21)、横須賀地方総監部幕僚長(B20)、呉地方総監部幕僚長(B24)、佐世保地方総監部幕僚長(B21)、舞鶴地方総監部幕僚長(B25)、大湊地方総監部幕僚長(B25)、阪神基地隊司令(B25)、練習艦隊司令官(B25)、海上自衛隊潜水医学実験隊司令(M4)、海上自衛隊幹部学校副校長(B23)、海上自衛隊幹部候補生学校長(B26)、海上自衛隊第1術科学校長(B20)、海上自衛隊第2術科学校長(B22)、海上自衛隊第3術科学校長(B23)、海上自衛隊第4術科学校長(B24)、海上自衛隊補給本部副本部長(1981U) 、自衛隊横須賀病院長(M1)

空将16名
- 統合幕僚監部運用部長(B22)、情報本部長(B19)、技術研究本部技術開発官(航空機担当)(B21) 、防衛医科大学校幹事(M1) 、航空幕僚長(B18)、航空幕僚副長(B20)、航空総隊司令官(B19)、北部航空方面隊司令官(B21)、中部航空方面隊司令官(B20)、西部航空方面隊司令官(B21)、南西航空混成団司令(1978U)、航空支援集団司令官(B20)、航空教育集団司令官(B20)、航空開発実験集団司令官(B21)、航空自衛隊幹部学校長兼目黒基地司令(B19)、航空自衛隊補給本部長(B19)

空将補50名
- 統合幕僚監部総務部長(B23)、統合幕僚監部首席後方補給官(B26)、防衛監察本部監察官(B25) 、航空幕僚監部監理監察官(B24)、航空幕僚監部首席衛生官(M5)、航空幕僚監部総務部長(B24)、航空幕僚監部人事教育部長(B23)、航空幕僚監部防衛部長(B24)、航空幕僚監部防衛部勤務(B28)、航空幕僚監部運用支援・情報部長(B23)、航空幕僚監部装備部長(B22)、航空幕僚監部技術部長(B25)、航空総隊司令部幕僚長(B21)、航空総隊司令部防衛部長(B22)、北部航空方面隊副司令官(B22)、中部航空方面隊副司令官(B21)、西部航空方面隊副司令官(B21)、南西航空混成団副司令(B25)、航空支援集団副司令官(1976U)、航空教育集団司令部幕僚長(B23)、第1航空団司令兼浜松基地司令(B23)、第2航空団司令兼千歳基地司令(B26)、第3航空団司令兼三沢基地司令(B27)、第4航空団司令兼松島基地司令(B26)、第5航空団司令兼新田原基地司令(B23)、第6航空団司令兼小松基地司令(B28)、第7航空団司令兼百里基地司令(B27)、第8航空団司令兼築城基地司令(B27)、第83航空隊司令兼那覇基地司令(1982U)、北部航空警戒管制団司令(B23)、中部航空警戒管制団司令兼入間基地司令(B25)、西部航空警戒管制団司令兼春日基地司令(B20)、航空救難団司令(B22)、飛行開発実験団司令(B20)、第1輸送航空隊司令兼小牧基地司令(1980U)、航空医学実験隊司令(M5)、航空安全管理隊司令(B22)、航空自衛隊幹部学校副校長(B22)、航空自衛隊幹部候補生学校長兼奈良基地司令(B24)、航空自衛隊第1術科学校長(B27)、航空自衛隊第2術科学校長(B26)、航空自衛隊第3術科学校長兼芦屋基地司令(B24)、航空自衛隊第4術科学校長兼熊谷基地司令(B28)、航空自衛隊第5術科学校長(B25)、航空自衛隊補給本部副本部長(B23)、航空自衛隊第1補給処長兼木更津基地司令(1977U)、航空自衛隊第2補給処長兼岐阜基地司令(B25)、航空自衛隊第3補給処長(B24)、航空自衛隊第4補給処長(B26) 、自衛隊岐阜病院長(M1)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年4月 6日 (火)

「戒厳」


題名が「戒厳」であって「戒厳令」でないのはちゃんと理由がある。
一般に「『戒厳令』を布く」などと言われるが、厳密に言えば「『戒厳』を宣告する」というのが正しい。そして「戒厳」の宣告手続きやその効力を定めた法律(実際には太政官布告)が「戒厳令」なのである。
大日本帝国憲法第十四条では

天皇は戒厳を宣告す
戒厳の要件及効力は法律を以て之を定む

と規定しており、ここで言う「法律」にあたるのが「戒厳令」(明治16年太政官布告第36号)ということになる。

実は三十一はこの種の解説は本書でも引用されている「事典 昭和戦前期の日本」で読んで知っていた。


見開き2ページ、3段ほどの分量で基本的な事実関係について言えば本書「戒厳」の内容をほぼ網羅していると言ってよい。
余談だがこの「昭和戦前期の日本」は、同時期の日本というものに関心があるものについて必携と言えよう。広く国家制度から経済財政まで法規を中心に、実態をもふまえて解説されている。もう20年も前に出た本だが、三十一にとって一番頻繁に参照した本であることは間違いなく、座右の書と言っていいだろう。これからもまだまだ活躍の機会はありそうだ。

話をもどそう。
本来の「戒厳令」に依拠する「戒厳の宣告」は、日清戦争で広島市に、日露戦争では長崎・佐世保・対馬・函館・澎湖諸島・台湾に、合計2回7個所に対して行われた。これ以降、「戒厳の宣告」は一度も行なわれなかった。
「あれ、二・二六事件は?」という人がいるだろうが、「戒厳令」で規定された「戒厳」は「戦時または事変」にともなって宣告されるもので、この場合「戒厳令」を根拠にすることはできない。そこで政府は緊急勅令をもって「戒厳令」の一部の条項を適用する、としたのである。これを本来の「戒厳」と区別して「行政戒厳」「勅令戒厳」などと呼んだ。「行政戒厳」は、日露戦争後の日比谷焼き討ち事件、関東大震災、そして二・二六事件の3回にわたって施行された。ただし、戦前の日本で最大規模の騒擾事件である「米騒動」のときには「戒厳」はとられず、治安出兵で対処された。

「戒厳」というと軍部専制と直結するイメージがあるが、実際には通常の法令下であっても兵力による武力鎮圧や取り締まりは可能であった。特に太平洋戦時下においては、種々の戦時特例法の整備により「戒厳」に頼らずにほぼ同等の効果を得ることができた。その意味から「戒厳」はむしろ象徴的な効果をねらったものと言えよう。

「戒厳」の目的は市民生活に制限を加えて軍隊の行動を有利にするものであるが、さらにその究極の目的として軍隊の任務達成を通じて国民を保護することをにらんでいた。それは明治はじめの「戒厳令」制定時の議論でも唱えられていたのである。同じ目的をもつのが昨今の有事法制(国民保護法制)だ。「戒厳」という言葉は使われなくなったが、依然として古くて新しい問題であることは間違いない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年4月 4日 (日)

エイプリルフールにあらず

3月29日付の異動に加えて、4月1日に小規模な異動があった。

技官(もと海将補)の自衛隊中央病院長が勇退し、その後任にはこれまでの副院長・小林秀紀陸将が技官に転じて昇進することになった。中央病院長には制服組ではなく背広組を配置するという「きまり」がこういう不思議な人事をさせることになった。

空席になった副院長(ふたつのうちひとつ)には、陸自衛生学校長から異動してきた。

4月1日の時点で、現職の陸将は27名、陸将補は102名、海将は17名、海将補は49名、空将は16名、空将補は50名。合計261名。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年4月 2日 (金)

2010年3月の打ち上げ

先月は4件。
どうもペースが上がってこないのはやはり不況のせいか。

1日 21:19GMT バイコヌール(ロシア/カザフスタン)、プロトン(Cosmos 2460-2462 Glonass)

4日 23:57GMT ケープカナベラル(アメリカ)、デルタ4(GOES 15)

5日 04:55GMT 酒泉(中国)、長征4C(遥感 x 3)

20日 18:26GMT バイコヌール(ロシア/カザフスタン)、プロトン(Echostar 14)

Glonass にしても GOES にしても 遥感にしても Echostar にしても、一連のシリーズであって目新しいものはない。新規プロジェクトはなかなか立ち上げにくい状況があるのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年3月 | トップページ | 2010年5月 »