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2010年4月 6日 (火)

「戒厳」


題名が「戒厳」であって「戒厳令」でないのはちゃんと理由がある。
一般に「『戒厳令』を布く」などと言われるが、厳密に言えば「『戒厳』を宣告する」というのが正しい。そして「戒厳」の宣告手続きやその効力を定めた法律(実際には太政官布告)が「戒厳令」なのである。
大日本帝国憲法第十四条では

天皇は戒厳を宣告す
戒厳の要件及効力は法律を以て之を定む

と規定しており、ここで言う「法律」にあたるのが「戒厳令」(明治16年太政官布告第36号)ということになる。

実は三十一はこの種の解説は本書でも引用されている「事典 昭和戦前期の日本」で読んで知っていた。


見開き2ページ、3段ほどの分量で基本的な事実関係について言えば本書「戒厳」の内容をほぼ網羅していると言ってよい。
余談だがこの「昭和戦前期の日本」は、同時期の日本というものに関心があるものについて必携と言えよう。広く国家制度から経済財政まで法規を中心に、実態をもふまえて解説されている。もう20年も前に出た本だが、三十一にとって一番頻繁に参照した本であることは間違いなく、座右の書と言っていいだろう。これからもまだまだ活躍の機会はありそうだ。

話をもどそう。
本来の「戒厳令」に依拠する「戒厳の宣告」は、日清戦争で広島市に、日露戦争では長崎・佐世保・対馬・函館・澎湖諸島・台湾に、合計2回7個所に対して行われた。これ以降、「戒厳の宣告」は一度も行なわれなかった。
「あれ、二・二六事件は?」という人がいるだろうが、「戒厳令」で規定された「戒厳」は「戦時または事変」にともなって宣告されるもので、この場合「戒厳令」を根拠にすることはできない。そこで政府は緊急勅令をもって「戒厳令」の一部の条項を適用する、としたのである。これを本来の「戒厳」と区別して「行政戒厳」「勅令戒厳」などと呼んだ。「行政戒厳」は、日露戦争後の日比谷焼き討ち事件、関東大震災、そして二・二六事件の3回にわたって施行された。ただし、戦前の日本で最大規模の騒擾事件である「米騒動」のときには「戒厳」はとられず、治安出兵で対処された。

「戒厳」というと軍部専制と直結するイメージがあるが、実際には通常の法令下であっても兵力による武力鎮圧や取り締まりは可能であった。特に太平洋戦時下においては、種々の戦時特例法の整備により「戒厳」に頼らずにほぼ同等の効果を得ることができた。その意味から「戒厳」はむしろ象徴的な効果をねらったものと言えよう。

「戒厳」の目的は市民生活に制限を加えて軍隊の行動を有利にするものであるが、さらにその究極の目的として軍隊の任務達成を通じて国民を保護することをにらんでいた。それは明治はじめの「戒厳令」制定時の議論でも唱えられていたのである。同じ目的をもつのが昨今の有事法制(国民保護法制)だ。「戒厳」という言葉は使われなくなったが、依然として古くて新しい問題であることは間違いない。

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