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2010年6月28日 (月)

「日本の歴史19 文明としての江戸システム」


読むのに時間をかけすぎて、正直はじめのほうはだいぶ忘れているけど、どうにかこうにか読み終えた。

帯に「環境調和的な近世日本のあり方に探る閉鎖体系下の持続的成長」とあるけれど、かつて日本にはひとつの閉じた系(システム)としてエネルギーや物品の移入がほとんどない状態で循環型経済を実現していた時代があった。
いまや日本一国での閉鎖経済などというものは論外だが、しかし考え方によっては地球というほとんど閉じた系で閉鎖経済を実現しなければいけない。できているかどうかは別の問題だけどね。実際には過去の貯金を取り崩してやりくりしている状態と言えるだろう。

江戸時代といっても一様ではなく、初期と末期の成長期と、中間の「停滞期」に大きくわけられる。だが現在の我々がおしなべて「江戸時代」というものにもっているイメージと実態はだいぶ違ったようだ。特に大都市近郊では商品作物を主体とする貨幣経済が発達し、いっぽうで既存の大都市市場への集中が鈍り地方都市がその機能を代替しはじめるようになった。問題はこうした市場経済の発達に対して、為政者たる徳川幕府はあいかわらず米作中心の古典的な社会構造に固執したことだ。米作中心、農業重視、市場経済軽視は武士階級のイデオロギーと結びついていて容易に断ち切ることはできない。イデオロギーと実態が乖離していたという意味では末期のソ連に近いかもしれない。

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2010年6月26日 (土)

はつゆきや昭和は遠くなりにけり

自衛隊の組織改編とか艦船の就役除籍は通例年度末に行なわれるのだが、ときどき年度途中の夏とか秋に行なわれることがある。どういう理由なのかわからないのだが、今年も中途半端な6月に6隻もの自衛艦が相次いで除籍された。

特に注意をひいたのは25日付で4隻の護衛艦がまとめて除籍されたことである。それは護衛艦隊旗艦さわかぜ (DD-170)、第11護衛隊はつゆき (DD-122)、第15護衛隊ゆうばり (DE-227)、ゆうべつ (DE-228) といったフネたちだ。
三十一が大学にもぐりこんで「世界の艦船」などの雑誌を本格的に購読し始めたころ、ちょうど海自では"はつゆき"級護衛艦を整備中で、1番艦"はつゆき"はすでに就役済みだったがクラスの一部は未だ建造中だった。

"はつゆき"型は対潜ヘリコプターの搭載とかシースパローの本格搭載とかガスタービンの採用とかいろいろな新機軸を採用した海上自衛隊の(当時の)新世代汎用護衛艦だ。以後の海自汎用護衛艦はこの"はつゆき"型の系譜を受け継いでいるといっていい、エポックメイキングなクラスだった。そのネームシップ"はつゆき"がその任をまっとうして除籍される。昭和時代の名艦がこうしてまた消えていく。

ちょっとおかしな例えだが、かつてその成長を目の当たりにしていた親類の子供が就職したとか結婚したとか聞いたときのような気分になった。

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2010年6月23日 (水)

今頃になってクリスマスプレゼントのお返しとは

ちょっと古いニュースだが知ったのが最近だったのでご容赦。

陸将補を減給処分 (DSI 日米国防組織情報 HOT TOPICS)

去年の11月、部隊のクリスマス行事のために東富士演習場からモミの木を掘り出して運び出そうとした部隊長が6月4日付けで減給処分を受けた。問題の立木は演習場内の民有地に生えていたもので、指摘を受けて埋め戻したという。
処分から数日、6月8日に唐突に人事異動が出ていたのはそのせいだったらしい。くだんの部隊は古河の第1施設団で、指示をしたのは陸将補の第1施設団長(78年一般大卒)。立木の掘り出しと搬出なんて、いわゆる工兵である施設科にとっては朝飯前の作業であろう。だから気軽にやってしまったというところもあるかもしれない。その代償は、減給処分に加えて施設団長の栄職から陸幕付への左遷。

ところで、ちょっと思ったんだが「民有地に生えていた立木の無断搬出」というと確かにいけないことのように思える。だけど、施設科にかぎらず陸軍部隊はあらゆる地形地物を利用して戦闘を勝利するのが最大の目的であったはず。そのための演練の場が演習場だ。そこでは当然陣地構築などの地形改変が常に行なわれているものだと思っていたのだが、民有地を借りている演習場ではそういうことも自由にできないのかなあ。だとするとそれってどうかと思う。半端なカネをかけて半端な訓練をするくらいだったら、使うべきものは使って真に有効な訓練をしてほしいと思うのは三十一だけかなあ。いちおう三十一も税金を払っているのでね。

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2010年6月20日 (日)

「国際連盟」


国際連盟は、第一次大戦後にふたたび戦争を起こさないことをめざして設立された国際機関であることは世界史で習ったことと思う。しかし国際連盟は、結果として第二次大戦の勃発を防ぐことはできなかった。その意味では当初の目的を達成することは間違いない。こうした結果から「国際連盟」という存在を否定的に考える傾向が強かったようだ。三十一自身もそのような印象を持っていたことがあることは確かである。

だがこの本を読んで少し印象が変わった。
国際連盟が第二次大戦の勃発に対してほとんど有効な手をうつことができなかったのは事実だ。しかし国際的な枠組みで戦争を防止しようというその動機は真剣なものだった。もちろん、動機さえ真剣であれば何でも許されるというわけではない。しかし1920年代、特に第一次大戦の被害が大きかったヨーロッパを中心にいかにすれば戦争防止が実現できるかが真剣に議論され、当時考えられる最善の方法として国際連盟規約が採択され国際連盟が設立された。結果としてこれらの方法では不十分であったと歴史の審判が下っているわけだが、しかし実際の国際政治の場に適用され試されて何が不十分であり何が有効であったかが衆目の元に明らかにされた意義は大きい。その結果を踏まえたうえで、第二次大戦後の国際連合設立にいたったのだ。

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2010年6月18日 (金)

「周恩来秘録」上/下


中国にとって1976年は激動の年だった。
前年に台湾で蒋介石が死んだのは序章に過ぎない。1976年に入ると早々に周恩来が死に、(第一次)天安門事件が起きて鄧小平が3度目の失脚をこうむり、ついで唐山地震で数万の犠牲を出し、さらに朱徳が死に、9月には毛沢東が死んだ。結末は四人組逮捕による文革の終結である。
今の若者にとってはこれらの事件は歴史に過ぎないのかもしれないが、三十一はこれらの出来事をニュースとして聞いた最後の世代かもしれない。

日本では、毛沢東と周恩来が共同して戦後の中国を指導してきたと見られがちだが、この本を読むとそんな甘い見方は吹っ飛んでしまう。中国のトップに君臨した毛沢東は、一貫して周恩来を敵視しすきあらば失脚させようと狙っており、周恩来はその毛沢東に仕えながらしっぽをつかませまいと戦々恐々としてきた。この関係を建国前から建国後の40年にもわたって続けてきたのだから驚きだ。

毛沢東は骨の髄まで革命家だった。軍閥争闘の時代から日中戦争時期を経て国共内戦にいたる時代、共産党と紅軍を指導して政権を奪取するためには毛沢東の手腕がモノを言った。
だが、革命に勝利して政権を握った中国共産党が今度は建設の責任を負ったときになってもなお毛沢東の指導を仰いでいたことが悲劇を生んだ。骨の髄まで革命家だった毛沢東は、すべてを政治闘争化した。経済建設を革命的手法で実践しようとした「大躍進」運動はこれ以上ないくらい惨めな失敗に終わった。毛沢東は国家建設の実務を劉少奇に譲らざるを得なくなった。毛沢東の目に映っていたのは国民の生活ではなく、政府と党内部の序列レースだけだったらしい。なおも名目的には党と国家のトップにいた毛沢東だが、地歩を固めていくナンバーツーの劉少奇にだんだん我慢がならなくなってきた。蟹は自分の殻に似せて穴を掘るとか、毛沢東は劉少奇は自分の地位を狙っていると考えた。それはつまり常にトップでいたいと考えている自分の思考を相手に反映したものだろう。毛沢東は文革を発動してまず劉少奇を打倒した。ついで劉少奇打倒の過程で「後継者」の地位を得た林彪を自滅に追い込んだ。劉少奇・林彪亡きいま、毛沢東に対抗できる可能性を秘めているのは周恩来だけとなった。毛沢東はかつて井岡山の革命根拠地で武装闘争を指揮していたころ、周恩来が党内序列では自分を指導する立場にいたことを一瞬たりとも忘れたことはなかった。このコンプレックスが周恩来への警戒心をかきたて、毛は機会をとらえては周の失脚あるいは批判をはかったが、周はその都度超人的な忍耐力を発揮してついに最後の瞬間まで国務院総理の地位を保った。しかし周は自己の保身に走るあまり、毛が文革で暴走するのに対して積極的に反対せず、消極的ではあるものの文革による迫害に協力した、という非難は当時から現在まで絶えない。これはある一面真実ではあるが、しかし毛にたてついて周が失脚していたら文革の災禍はもっとずっとひどくなっただろうというのも衆目の一致するところだ。

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2010年6月17日 (木)

1986年の打ち上げ

タイトルは別に間違いではない。

1986年というと、冷戦末期でしかもアメリカのスペースシャトル・チャレンジャーが打ち上げに失敗した年である。三十一は大学生だった。

この年の打ち上げをリストアップしてみたところ、ものすごい傾向が見られた。

Launch Vehicle 順:
1. Soyuz シリーズ (37、うち有人1、失敗1)
2. Tsyklon シリーズ (17、うち失敗1)
3. Kosmos シリーズ (15)
4. Molniya シリーズ (14、うち失敗1)
5. Proton シリーズ (9、うち失敗1)
6. Atlas シリーズ (3)
6. Ariane シリーズ (3、うち失敗1)
8. Zenit シリーズ (2)
8. スペースシャトル (2、うち失敗1、すべて有人)
8. Delta シリーズ (2、うち失敗1)
11. Scout シリーズ (1)
11. N-2 (1)
11. H-1 (1)
11. 長征2 (1)
11. 長征3 (1)
11. Titan シリーズ (1、失敗)

国別にするともっと傾向がはっきりする。

国別:
1. ソ連 (94、うち有人1、失敗4)
2. アメリカ (9、うち有人2、失敗3。有人での失敗1)
3. フランス (3、うち失敗1)
4. 日本 (2)
4. 中国 (2)

1基のロケットで多数の衛星を打ち上げる能力が乏しいとか、衛星自体の寿命が短いとか、ソ連の衛星打ち上げ回数を押しあげている要素はいろいろあり、これまでの衛星打ち上げ回数を積算するとソ連/ロシアはアメリカの倍くらいになるらしい。
しかしそれにしてもこの年は極端だ。年のはじめにチャレンジャーの事故があって、この年のアメリカの宇宙計画はまったく狂ってしまった。タイタンやデルタの打ち上げ失敗もあって、成功数はわずかに6回。これはほとんど1950年代の水準だ。

こんな時代もあったねえ。

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2010年6月15日 (火)

「追悼山本五十六」


水交社というのは、「君子の交わり水の如し」という漢籍の句からその名をとった海軍の親睦団体であった。戦後一時廃止されていたが、のちに財団法人水交会として復活した。
水交社が発行していた「水交社記事」という機関誌で山本五十六の戦死後の昭和18年9月に特集されたのが「追悼山本元帥」である。この号では山本ゆかりの人物38名の寄稿が含まれていたそうだが、本書ではそのうち28名分を掲載している。

実はこの「水交社記事」は例えば阿川弘之「山本五十六」などでも引用されていて、存在自体はけっこう知られていたと思う。しかしこういうまとまった形で刊行されたのは初めてだろう。もともとが関係者だけに配布される出版物であって広く読まれるような性格のものではなかった。もっとも、それだからこそ戦中の時代にあって比較的率直に記述できたという面もあろう。

この中でもっとも貴重なのは三和義勇大佐の「山本元帥の思い出」であろう。文庫で50ページあまりと飛び抜けて分量も多く、また山本の肉声を多く収めている。ただ阿川「山本五十六」によれば原文に多少の添削が加えられているという。

三和大佐は別格として、ほかに三十一が興味深かったのは伊藤整一中将、それから山縣正郷中将の寄稿だ。考えてみれば三和大佐も伊藤中将も山縣中将も山本と同じく戦死してしまっている。生き延びていればもっと貴重な証言を沢山残してくれたかもしれないと思うと惜しい。

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2010年6月13日 (日)

かえってきたはやぶさ

小惑星探査機「はやぶさ」は、大気圏再突入が今日予定されていたが、19時51分に予定通り本体から再突入カプセルが分離され、22時51分に再突入した。

地上からも再突入の発光が確認されたとのことで、あとは無事に着陸し、回収することを祈る。もちろんここまで来たらカプセル内にイトカワの土壌サンプルが含まれていることを望むが、仮にサンプルが含まれていなくても充分な成果があったと言えるだろう。この成果を次に生かすことを是非考えてほしいものである。

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日本国憲法第十九条

今日の夕方、外出したついでに晩飯を食おうと駅前で店に入った。
まあ何の店でもいいだろう。その店には、ありがちではあるが、決意表明というか社訓ともいうべき言葉が額に入れて掲げられていた。普通なら「ああ真面目なんだな」とか思うのかもしれないけど、実は三十一はそうは思わなかった。
その文章とはこうである。(完全に覚えていないので意訳)

わたしたちは、おいしい××をつくるためには、○○と△△(材料)を厳選し、手間を惜しまず調理することが何より重要だと考えています。

さて三十一が何にひっかかったかわかるかな。

「考える」のは自由だが、重要なのは実践しているかどうかじゃないかねえ。「揚げ足取り」と言われそうだが、最近の某党政権のように理想を語るだけで実践できていない連中がのさばる現状を見ているとどうしてもそういうところが気になってしまう。

思想の自由は憲法で保障された権利だが、政治家を名乗るからには実効性のある政策という結果を出してもらわなくてはいけない。

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2010年6月12日 (土)

言行不一致

新しい首相が指名されてから1週間、新内閣が成立してから4日。その間にすでに重要閣僚が一人交代したりしているが、そもそもこの連立が政策に基づくものではなく単なる数あわせに過ぎなかったことは先の社民党離脱騒動で暴露されているので、いまさら二番煎じの感がある。

三十一にとって不思議なのは、首相が交代したとたんに支持率が一気に回復してしまうことだ。期待感をこめてということだが、まだ何も仕事をしていない段階で「支持」も何もないだろう。支持するかどうかの判断材料もないのにねえ。
だいたいこれまでマスコミも野党も「政権がコロコロ変わること」を問題視してきたはずなのに、アタマが変わるとそれだけで支持率が急騰するようでは、選挙目当ての党首交代が後を絶たないのも無理はない。

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2010年6月10日 (木)

ブラジル対韓国

昨年八月、韓国が初めて人工衛星の打ち上げに挑戦したものの失敗したというニュースを紹介した。

あれから10か月、満を持しての再挑戦が今日行われた。もともと数日前に行われる予定だったのだが、少し遅れて今日になったのだ。さてその結果はと言えば

South Korea says rocket likely exploded after liftoff (spaceflightnow.com)

打ち上げは現地時間の(つまり日本時間の)夕方5時ということで、昼休みにWebで見たときにはまだ「準備中」だった。帰宅してから思い出し、結果はいかにと見てみれば打ち上げ後数分で爆発というニュースを見て思わず「あれあれ」とつぶやいた。

日本も最初に衛星を打ち上げるときには何度も、何年も失敗続きだったのであまり偉そうなことは言えない。だがしかし北の同胞とあわせてこれだけ失敗が続くと他人事ながら心配になってくる。なんかムキになりそうだなあ。

さて打ち上げ失敗続きと言えばブラジルなんですが、ブラジルはここしばらくロケットの打ち上げを試みていない。どうもしばらく腰を落ち着けて不具合の修正に専念しているようだ。果たして韓国とブラジルのどちらが先に成功するか、無責任な立場から楽しみに見ていこう。

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2010年6月 9日 (水)

「必中への急降下」


こないだ読んだ本と同じ筆者だが、こっちは海軍。急降下爆撃機だ。

あとがきによると、もともとは日本海軍の艦爆を通史的に記述する予定だったのだが途中で断念したらしい。そのおかげで、艦爆の歴史のうちこれまであまり取り上げられてこなかった揺籃期について詳しく記載されているということになる。九四式艦爆とか九六式艦爆といった複葉艦爆の日中戦争当時の活動記録は貴重だ。一般には太平洋戦争前半の九九艦爆から語られるのが常で、その当時ですら固定脚の洗練されていない機体として評価されていることが多い。三十一ですら九六艦爆の存在は知っていたが実際の活動に触れるのは多分初めてだ。
さほど厚くない本だが、前半は九四/九六艦爆の記事が占める。後半はその他の急降下爆撃に関連するエピソードの集まりだ。その中で三十一が興味深かったのは「東海」に関する最後の章だった。旧日本海軍の軍用機「東海」って、知ってますかね。半端なマニアではわからないだろう。三十一も航空ファン別冊で読んで知っていたが、そうでもなければ知らなかったろう。

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2010年6月 7日 (月)

「わたしのファルコン3」


今回の表紙の綾波レイばりの全身密着スーツよりも、1巻表紙の白服のほうがずっと萌えるなあ。あとがきによると著者自身のリクエストだったらしい。

個人的には、T-4の訓練があっさり終わってしまったのが残念だった。T-3のときはずいぶんたっぷり紙数を費やしていたのに。これはやはり著者の愛情の差だろうか。

で、肝心の謎の宇宙生物とヒーローメカ(正確には「メカ」ではないが)の戦闘はというと、まあそんなもんだろう。この著者の書く話は、ディテールは妙に細かくリアリティにこだわるくせに、クライマックスは荒唐無稽になってしまうのが常だ。それが面白いこともあるし、外すこともある。今回はわりとうまくかみ合っていたような気がする。

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2010年6月 6日 (日)

「ミニスカ宇宙海賊4 漆黒の難破船」


うーむ。
正直に言って、結局何が起きているのかよくわからなかった。布石を広げるだけ広げておいて、ほとんど回収されないまま終わってしまったような気がする。次巻にひっぱるのかと思いきや、あとがきによるとこれはこれで一段落らしい。

前にも書いたことだけど、SFをめざしているのかラノベをめざしているのか焦点がはっきりしないせいではなかろうか。多分本人はSFのつもりで書いてるのだろう。ところが実際にはラノベとして読まれている。そのあたりがかみ合っていないのだ。

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2010年6月 5日 (土)

カンの逆襲

タイトルはフィーリングでつけたもので意味なし。

鳩山に代わって民主党の代表に選ばれたのは本命の菅だった。本命すぎて面白くもない。対抗馬がそれほど名の知られていない樽床議員だけだったということもあり、半ばデキレースだった感じすらする。
金曜日に国会で総理大臣に指名されたものの、組閣を終えて正式に内閣が発足するのは週明けになるということで、この週末には首相の鳩山と新首相の菅が並立するという奇妙な状態になっている。例えば asahi.com を見ても「首相動静」と「新首相動静」が別の記事として立てられている。前者が鳩山、後者が菅のことだ。

ぼつぼつ人事構想が伝えられており、幹事長に「事業仕分け」で名を上げた枝野大臣、官房長官に仙石大臣、そして「二位でいいじゃない」蓮舫議員が入閣する予定だという。三十一には蓮舫を評価する気持ちがまったく理解できないのだが、世間の評価と三十一の評価に違いがあるというのは珍しいことではないので今さら何をか言わんや。

菅新政権の大きな課題はまず自民党政権からの宿題である景気回復と財政再建だ。
そして鳩山がこじらせてしまった普天間問題。前政権の副総理であった菅自身にも責任があるし、ほんの1週間前にできた日米合意を政権が変わったからと言って反故にするようでは、民主党そのものに対してアメリカが決定的な不信を抱く。その場合民主党政権が続くかぎり米軍再編は進まないだろう。結局、日米合意は踏襲せざるを得ない。ということはつまり社民党の政権復帰はあり得ないということになる。

衆参ともに数えるほどの議席しかもっておらず、得票率も1%に満たない、一部の議員の著名度だけでかろうじてもっているような党が、政権から離脱してますます存在感が薄くなるのは容易に予測できる。目障りだからとっとと絶滅してくれないかなあ。

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2010年6月 3日 (木)

「未知の翼」


ずいぶん前から自室の片隅に転がっていた覚えはあるのだが、部屋を片づけていたときにたまたま手にとってそのまま読み始めた本。
読み終えて奥付を見て驚いた。2002年ですか。

この本でとりあげられているのは、旧陸軍航空審査部。メーカーが試作した新型機を実際に飛ばして審査する部署で、官制上は「官衙」、つまりお役所であって実働部隊ではない。しかしその任務上、まだ実績のないいわば未完成の機体を操って飛ばし、飛ばすだけでなく審査し場合によっては改善を指示しなければいけない。経験豊富で腕が立ち冷静沈着なパイロットでなければ勤まらないのは当然だ。こうして審査部が置かれた福生飛行場(現在の米軍横田基地)には陸軍を代表する錚々たるパイロットが集まった。

これらのパイロットがテストした機体はキ43一式戦(いわゆる「隼」)からキ100五式戦、そのほかさまざまな試作に終わった機体、さらにはドイツから入手したFw190、はては捕獲した米P40からP51まで。機種を問わずすべての機体は必ずこの審査部でテストされたが、戦況を反映して戦闘機の占める比率が非常に高かった。自ずから腕っこきの戦闘機パイロットが集まることになる。

しかし何分未完成の機体である。事故による殉職はあとを経たない。さらに戦争末期本土が米軍機の空襲を受けることになると、優秀なパイロットを多く擁し最新の機材を保有する審査部は当然のように防空戦にかり出されることになる。いかに優秀なパイロット、優秀な機材であっても苛烈な戦闘による消耗は避けられない。機体や兵器のみならず、こうしたパイロットや、パイロット以外の整備隊員などこそがこの物語の主人公だ。

三十一はもともと海軍からこの道に入ったので、やはり陸軍よりも海軍のほうに親近感をもつ。だが最近は、陸軍航空も海軍航空にけしてひけをとらなかったと思うようになっている。この本を読んでますますその意を強くした。

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毎年恒例の

今年もまた首相が辞めた。

5年にのぼる小泉政権のあと、安倍・福田・麻生・鳩山と4人の首相が1年以内に次々と辞めていった。とは言え、今の状況で鳩山はずるずると首相の座に居座り続けると政治の停滞が長引くことになる。結果として早期の退陣は正解だろう。

去る者は追わず、問題は次に政権を担うのが誰になるかだ。
鳩山・小沢・菅という「トロイカ」のうち鳩山と小沢が共倒れになった今、菅が本命であることは間違いない。だが菅もこれまで何度か代表をつとめてきており、新味に乏しい。選挙の顔としてはやや物足りない。小沢と一線を画す岡田、前原、あるいは「事業仕分け」で名を上げた枝野あたりを推す声があがるのは予想できる。反小沢系で候補を一本化できれば面白い選挙になるかもしれない。

ところで、菅・岡田・前原・枝野いずれも世襲ではない。ひさびさの非世襲政治家首相誕生か。

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2010年6月 2日 (水)

2010年5月の打ち上げ

今月もまた少なくなった。4件だけである。そのうち1件が「あかつき」だ。

14日 18:20GMT ケープカナベラル(アメリカ)、STS-132(Atlantis)
20日 21:58:22GMT 種子島(日本)、H-IIA(あかつき、IKALOS、Negai☆、WASEDA-SAT2、ハヤト、UNITEC-1)
21日 22:01GMT クールー(仏領ギニア)、Ariane 5(Astra 3B、COMSAT Bw-2)
28日 03:00GMT ケープカナベラル(アメリカ)、Delta 4(GPS Navstar 65)

珍しくロシアの打ち上げがない。
もうひとつ、三十一の知るかぎり Ariane 5 の打ち上げは今年になって初めてだ。去年の12月18日以来となる。やはり商業打ち上げは厳しい状況なのかな。

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2010年6月 1日 (火)

国外、県外、市外、町外

社民党の連立離脱と民主党内からの首相批判噴出のおかげで、肝心要の普天間問題が吹っ飛んでしまった感のある今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。

「最低でも県外」と明言した公約を実現できなかった鳩山首相に非難が集まっているが、三十一からみると「できない約束」をしたのがそもそもの間違いだし、それをうかうかと信じて投票した有権者も責任を免れない。仮に「今後3年間で失業率をゼロにし、実質成長率を10%にする」という公約を掲げた候補者が現れたとして、あなたなら投票しますかね。三十一ならしない。なぜならこの候補者は虚ツキか妄想癖のどちらかでしかないからだ。
もっと時間があれば「県外」も「国外」も可能性なしとしない。だが現実には普天間基地を可及的速やかに全廃するという最優先事項がありそう悠長にしていられるものではない。実際、政府はアメリカに対して当初11月までに工法決定というスケジュールを提示していたのだがアメリカに押されるかたちで8月中決定を飲まされた。11月なんて政権発足からまるまる1年以上も話を先送りされることになるわけで、アメリカが飲めないのも無理はない。だいたい、8月どころか11月だって怪しいものだ。

あえて世論に棹さすようなことを言うなら、三十一は辺野古に基地機能を移すことをまず推進するべきだと思う。
普天間基地のまわりに現に暮らしている人々にとってみれば、目の前の基地がいなくなってくれることが最優先で、行く先が県外か県内かというのはだいぶ優先度が下がるのではなかろうか。政治的にはどこで線をひくかというのは重要だが、当事者にとっては国内か国外か、県外か県内か、市外か市内か、ご町内か隣町かという違いはそんなに重要だろうか。それとも沖縄から見ると県境の外か内かというのはそんなに違って見えるのだろうか。ただひとつ言えることは、「県外」にこだわることで普天間基地の全廃は確実に遅れていくということだ。

長期的に沖縄の基地負担軽減を進めていく必要はもちろんある。しかしそれは半年や1年、あるいは1政権で済む話ではない。もともとの米軍再編計画の合意には10年以上の年月を費やした。これが妥当というわけではないが、計画だけでも数年単位の時間がやはり必要だろう。その場合でも、いまの政権のままでは多分何もきまらない。現地が現政権に決定的な不信を抱いてしまったからだ。三十一からみても、もはや鳩山首相と民主党の公約は何も信用できない。「がんばったけどできませんでした」なんて言い訳はもう御免だ。できる計画を出してきてくれ。

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