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2010年7月27日 (火)

「『大日本帝国』崩壊」


王国と帝国、国王と皇帝は何が違うのか。前者は単一民族国家あるいはその君主で、後者は他民族国家のそれだと言われている。著者は「大日本"帝国"」をこの文脈で読み取った。つまり、朝鮮や台湾、樺太や南洋群島といった異民族植民地を支配下におく"帝国"が敗戦とともに崩壊し、単一の日本人だけからなる(と当時は考えられていた)国家に生まれ変わったと解釈し、その"帝国"の崩壊を描写したのである。

だがしかし、敗戦前の日本人が「大日本帝国」を「他民族国家」という意味での"帝国"とみなしていたかと言うと、その意識は希薄であっただろう。そもそも「大日本帝国」という呼び方のもととなった「大日本帝国憲法」発布当時、日本は植民地をまったくもたない国家だった。そのころは君主国を一般に「帝国」、君主を「皇帝」とする用法が珍しくなかったから、単に「君主国」という程度の意味で"帝国"と称したのだろう。また自国名に美称として"大"の字を冠するのも東洋の伝統の中ではそれほど突飛なことではなかった。「大日本帝国」という国号は現代の目から見ると大げさなようだが、実はそれほど深い意味はないのである。

閑話休題。
敗戦の結果、朝鮮や台湾、関東州、樺太や南洋群島といった「外地」は日本から切り離された。それ自体は連合国のカイロ会談以来の既定路線ではあったものの、それを受け入れた日本はもちろん、強制する側の連合国にとっても日本から切り離されたこれらの地域に関する善後策の準備はまったくなかった。有名な連合国極東最高司令官一般命令第1号では各地域の占領および武装解除の分担を決めたものの、それは軍政の分担でしかなくその後の枠組みはまったく未定だった。しかし戦後まもなく始まった冷戦は軍政の分担がそのまま両陣営の勢力範囲となり、確たる指針もなく定められた線引きがずっと固定されてしまった。

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2010年7月23日 (金)

峠のカマ(メシ抜き)

今日は久しぶりに平日休みをとってお出かけ。

目的はかねて一度行きたいと思っていた「碓氷峠鉄道ぶんか村」。もちろん列車でいくのだが、高崎から横川までの信越本線がネックとなる。そう遠いわけでもないが近いわけでもないので早く出なくてはいけない。

普段会社に行くときならとても考えられない6時前起床、6時半出発というスケジュール。だが駅についてみると事故で電車がとまっていていつ動くかわからないという。仕方ないので振り替え輸送で上野駅にむかったが予定していた列車に間に合わなかった。

当初の予定では、上野 7:20 発の特急草津1号か、7:25 発の高崎線電車で高崎に向かうはずだった。どちらの列車でも10時前に横川駅に到着できる。普通に考えると料金のいらない普通列車にするところだろうが、E231系にはこれまで何度も乗っているので、あまり先のない 185系の特急に乗りたいなどともくろんでいたのだけど、そんな目論見も全部意味がなくなってしまった。あとから考えると新幹線で先回りすればよかったような気もするが結局は次の電車で高崎に向かうことにした。

2時間弱かかって高崎にたどりついて見ると、横川行きの列車はすでに出てしまっていた。次の列車まで1時間近くあり、この間に朝メシでも食べておこうかと思ったがだがそれよりも気になるものがあった。それは高崎駅到着直前にすれちがった黒い塊である。

P7040014

ちょうど高崎駅を出発しようとしている D51 498 牽引の「SL水上」だ。夏休みに入ったとはいえまだ平日だからか、思ったよりもカメラ小僧も多くない。ちょっと遠くからではあるがあまり邪魔されずに写真をとることができた。やがて発車していった D51 498 は、12系客車の編成を従えて水上方面に向かった。この列車は全車指定だがわりと空いていた。

107系の電車で予定より1時間ほど遅れて横川に向かう。碓氷峠ほどではないがこの区間もかなりの上り勾配で、左右から山が迫ってきて行く手をふさぐとそこが横川駅だ。ホームの少し先で複線の線路がぶっつりと切られていて無常の感を禁じ得ないが、その向こうに見えるのが「碓氷峠鉄道ぶんか村」、大人1人500円ナリ(当日の再入場可)。

SL列車とかミニSLとかそういったアトラクションには目もくれず一番奥の実車展示スペースに向かう。さっきも見た D51 (ただしこちらは 98号機のナメクジ)のほか、DD51 1 や DD53 1 が注目。そのほか、ここは電気機関車が多い。EF63はもちろん、EF58、EF65、EF70、EF80、EF62、EF53など。客車は 60系鋼体化客車や10系軽量客車(座席と寝台)、食堂車やお座敷車。60系と10系の車内設備の違いが実感できて興味深かった。そのほか、キニ58やキハ35なども展示されている。
気になったのは、吹きさらしのせいか意外に状態がよくないこと。塗装がハゲて地の鉄板が腐触し始めているところが目についた。EF58 はわりと最近塗り直された形跡があるのだが、足回りのところどころに白い塗装の個所があるあの塗り分けは正確なんでしょうか。あんまり見たことないような。

P7040089

その後、資料館などをのぞいて「ぶんか村」をあとにする。滞在時間は約2時間。
駅につくとちょうど電車が出るところだった。今度は 115 系。

さて高崎からどうしようかと思っていたが、高崎駅についてみるとちょうど出る列車がったのでそれに乗る。乗ったのは八高線の高麗川行きであった。八高線の高麗川~倉賀野間は関東のJRではめずらしい非電化単線区間。「非電化単線友の会」会長としては乗らないわけには行くまい。沿線風景を見ると「非電化単線やむなし」という気持ちになってくる。先年乗った花輪線を彷彿とさせる。車両もキハ120で同じ系列だし。

高麗川からは川越、大宮、埼京線を経由して新宿に出、さらに中央線で秋葉原へ。秋葉原に着いたときには4時半になっていた。ケツが痛いぞ。

本日の旅程:
上野(0735)→高崎(0922) 839M (E231系)
高崎(1023)→横川(1056) 131M (107系)
横川(1300)→高崎(1330) 144M (115系)
高崎(1336)→高麗川(1458) 236D (キハ120)
高麗川(1501)→川越(1522) 1464H(205系)
川越(1530)→新宿(1625) 1584F(東京臨海高速鉄道 70-000系)

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2010年7月21日 (水)

蒼い稲妻

今日は普段より少し帰りが遅くなり、9時過ぎに会社を出て駅に向かった。
ホームに上がると電光掲示板には「通過列車」の文字。海浜幕張は特急停車駅なので、通過列車ということは貨物列車だろうとあたりをつけて通過を待つ。ヘッドライトが見えてきたが、予想していたEF210ともEF65とも違うように見える。あれ、貨物じゃなかったのかなあと思ってみているとやってきたのはEH200であった。

京葉線をEH200が走っているのは初めて見たし、初めて知った。
タンク車を従えて上り方面に去っていった列車は、おそらく武蔵野線経由で中央東線に向かうのだろう。そうでなくてはわざわざEH200を使う意味がない。

帰宅して「Rail Magazine」の貨物列車特集号を引っ張り出して調べてみると、高崎機関区のEH200が蘇我・南松本間の専用列車を1往復牽引する運用があるらしい。普段、千葉県内だけを移動する生活をしている三十一だが、このあたりでEH200を見ることができるとは思ってもいなかったぞ。

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2010年7月19日 (月)

真夏の桜たち

三連休のうち、多くの時間を7月26日付異動の検討に費やしたのは果たして有意義だったということになるんだろうか。まあひとによって受け取り方が違うよね、とでも思っておかないと虚しすぎる。

来年の春に折木統幕長が就任から2年になるが、次は間違いなく空自の番。しかし現空幕長である外薗空将は、今年の秋で就任2年になってしまう。例えば今年の春頃に空幕長が交代していれば、後任空幕長が誰であれ来年春に統幕長就任というシナリオがあった。しかしこの時期になってしまうと来年の春までに空幕長交代と統幕長交代を盛りこむのは無理がある。そこで今年の秋頃の適当な時期に折木統幕長が在任1年半で勇退し、外薗空幕長が統幕長にというシナリオが現実的には考えられる。もっとも、田母神→外薗の交代はイレギュラーだったので、外薗空幕長が来年春まで2年半現職にとどまりその後で統幕長というシナリオも充分可能性がある。どっちにしろ時期だけの問題だけどね。

さて今回の海幕長交代で陸自海自空自いずれも幕僚長は防大18期でそろった。この中で一番最初に交代時期が来るのは年内または来年早々の空自だが、陸海にあわせるために少し世代交代のペースを落とすかもしれない。そうなると次の空幕長は19期ということになるが、岩崎航空総隊司令官が大本命、大穴は下平情報本部長。人物評はさておき航空総隊司令官と情報本部長では部内の重みが全然違う。
もし20期にまで世代交代が進むとなると、長島空幕副長か森下航空支援集団司令官あたりが候補に挙がるか。

以下に7月26日付の将を幹候年度順で羅列した。

1972
  防衛大16
        陸将    折木良一        統合幕僚長

1974
  防衛大18
        陸将    火箱芳文        陸上幕僚長
        海将    杉本正彦        海上幕僚長
        空将    外薗健一朗      航空幕僚長

1975
  防衛大19
        空将    下平幸二        情報本部長
        海将    倉本憲一        自衛艦隊司令官
        海将    高嶋博視        横須賀地方総監
        空将    岩崎茂          航空総隊司令官
        空将    山川龍夫        航空自衛隊補給本部長

1976
  防衛大20
        陸将    君塚栄治        東北方面総監
        陸将    関口泰一        東部方面総監
        陸将    木崎俊造        西部方面総監
        陸将    宮島俊信        中央即応集団司令官
        陸将    寺崎芳治        第8師団長
        陸将    師富敏幸        陸上自衛隊研究本部長
        海将    永田美喜夫      潜水艦隊司令官
        海将    加藤耕司        佐世保地方総監
        海将    方志春亀        教育航空集団司令官
        空将    長島修照        航空幕僚副長
        空将    渡邊至之        中部航空方面隊司令官
        空将    森下一          航空支援集団司令官
        空将    片岡晴吉        航空教育集団司令官
  名古屋工業大
        海将    柴田雅裕        舞鶴地方総監

1977
  防衛大21
        海将    河野克俊        統合幕僚副長
        陸将    渡邊隆          統合幕僚学校長
        陸将    市田信行        技術研究本部技術開発官(陸上担当)
        空将    山崎剛美        技術研究本部技術開発官(航空機担当)
        陸将    千葉徳次郎      北部方面総監
        陸将    荒川龍一郎      中部方面総監
        陸将    林一也          第9師団長
        陸将    平野治征        陸上自衛隊関東補給処長兼霞ヶ関駐屯地司令
        陸将    長谷部洋一      陸上自衛隊幹部学校長兼目黒駐屯地司令
        陸将    山本洋          陸上自衛隊富士学校長兼富士駐屯地司令
        陸将    安部隆志        陸上自衛隊補給統制本部長兼十条駐屯地司令
        海将    河村克則        海上幕僚副長
        空将    小野田治        西部航空方面隊司令官
        空将    秦啓次郎        航空開発実験集団司令官
        空将    彌田清          航空自衛隊幹部学校長兼目黒基地司令

1978
  防衛大22
        陸将    宮下寿広        防衛大学校幹事
        陸将    中川義章        第1師団長
        陸将    藤崎護          第3師団長
        陸将    久納雄二        第6師団長
        陸将    河村仁          第10師団長
        海将    松下泰士        護衛艦隊司令官
        海将    畑中裕生        航空集団司令官
        海将    泉三省          呉地方総監
        海将    小野原正信      海上自衛隊補給本部長
        空将    齊藤治和        北部航空方面隊司令官
  防衛医大1
        空将    緒方克彦        防衛医科大学校幹事
        海将    大塚八左右      自衛隊中央病院副院長
        陸将    加瀬勝一        自衛隊札幌病院長
  東京大
        陸将    渡部悦和        陸上幕僚副長
        空将    平田英俊        南西航空混成団司令
  東北大
        海将    安達孝昭        技術研究本部技術開発官(船舶担当)

1979
  防衛大23
        空将    廣中雅之        統合幕僚監部運用部長
        陸将    田中敏明        第2師団長
        陸将    木野村謙一      第4師団長
        陸将    岩田清文        第7師団長
        海将    武居智久        大湊地方総監
        海将    吉田正紀        海上自衛隊幹部学校長
  防衛医大2
        陸将    後藤達彦        自衛隊中央病院副院長

右の柱の「自衛隊主要幹部表」も更新してるのでよろしく。

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2010年7月17日 (土)

めざせ学閥打破

今年の夏から秋ぐらいには海幕長が交代すると見込んでそろそろ次期海幕長レースの予想でもしようかと考えていた矢先に7月26日付の異動が公表され、そこには赤星海幕長の勇退と新海幕長として杉本海将の任命が含まれていた。
さては三十一に予想させる時間を与えないつもりか(そんなわけない)。

陸将5名、海将3名、空将1名が勇退し、陸将6名、海将3名、空将1名が昇任。それぞれ異動があった。陸将がプラス1名になったが医官である。今年あった異動の中で規模としては昨年度末に匹敵する大きなものとなった。その中では空自は比較的小幅である。

この中で三十一が注意をひかれたのは、渡部悦和陸将(第2師団長)の陸上幕僚副長への転任である。渡部・新陸幕副長はU出身(東大)で、防衛大出身でない陸上幕僚副長は20年以上前にさかのぼる。防大1期生が陸将に到達した1980年代後半から陸上幕僚副長は例外なく防衛大出身者だったのだが、独占に風穴をあけたことになる。これが一時的な現象なのかそれとも今後もこういう人事が行われるようになる第一歩なのか注目していこう。

とりいそぎ、将人事を以下にまとめた。

赤星慶治・海幕長(防17)>退職
杉本正彦・自衛艦隊司令官(防18)>海幕長
倉本憲一・航空集団司令官(防19)>自衛艦隊司令官
畑中裕生・海自幹部学校長(防22)>航空集団司令官
吉田正紀・海幕指揮情報通信部長(海将補 防23)>海自幹部学校長

松岡貞義・横須賀地方総監(防18)>退職
高嶋博視・統幕副長(防19)>横須賀地方総監
河野克俊・護衛艦隊司令官(防21)>統幕副長
松下泰士・自衛艦隊幕僚長(海将補 防22)>護衛艦隊司令官

武田壽一・呉地方総監(防19)>退職
泉三省・大湊地方総監(防22)>呉地方総監
武居智久・海幕防衛部長(海将補 防23)>大湊地方総監

酒井健・北部方面総監(防19)>退職
千葉徳次郎・防大幹事(防21)>北部方面総監
宮下寿広・第4師団長(防22)>防大幹事
木野村謙一・東方幕僚長(陸将補 防23)>第4師団長

角南俊彦・中部方面総監(防19)>退職
荒川龍一郎・陸幕副長(防21)>中部方面総監
渡部悦和・第2師団長(東大22相当)>陸幕副長
田中敏明・陸幕教訓部長(陸将補 防23)>第2師団長

三本明世・陸自富士学校長(防19)>退職
山本洋・第7師団長(防21)>陸自富士学校長
岩田清文・陸幕人事部長(陸将補 防23)>第7師団長

師岡英行・陸自補統本部長(防19)>退職
安部隆志・第6師団長(防21)>陸自補統本部長
久納雄二・西方幕僚長(陸将補 防22)>第6師団長

寺田和典・技本陸上担当技術開発官(防20)>退職
市田信行・第5旅団長(陸将補 防21)>技本陸上担当技術開発官

上田完二・空自幹部学校長(防19)>退職
彌田 清・北部航空方面隊司令官(防21)>空自幹部学校長
齊藤治和・統幕運用部長(防22)>北部航空方面隊司令官
廣中雅之・空幕人教部長(空将補 防23)>統幕運用部長

後藤達彦・中央病院副院長(陸将補 防医2)>昇任

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2010年7月15日 (木)

「日本の歴史21 明治人の力量」


この巻の担当時期は「明治後半」ということだが、具体的には憲法施行と議会開設から韓国併合・天皇崩御までの政治史を中心に記述している。そのキーワードは「不羈独立」だ。万国に対峙して独立を保つことを究極の目的として政策が実行されてきた。日清日露の両戦役もその一貫でしかない。

政治史的にはやはり議会開設が大きい。明治憲法体制では帝国議会の権限にいろいろと制限があって政府は帝国議会に制肘されることなく政策を決めていったという印象が強いのだが、確かに現在の憲法での国会に比べると力不足ではあったものの議会開設後の政府は議会対策に腐心し苦労してきた。はじめのうちは議会も政府もお互いの関係がよくわからずに手探り状態であったが、回数を重ねるうちに不文の慣習や補足の規定が整備されて、また政府も議会も互いの折り合いのつけかたがわかって来て初期議会のようなむき出しの対決は影を潜めていく。そうなっていくひとつの要素として筆者は「政権に縁がなかった時期には政党は政府に対して無理な注文をつけても平気だが、いざ政権の望みが出てくると無理な注文は自分に降りかかってくるので引っ込めざるを得なくなる」と指摘している。いつの時代も一緒だと思ったのは三十一だけではあるまい。というか、100年前から進歩してないのかよ。

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2010年7月12日 (月)

「己の欲せざる所を人に施すことなかれ」

さて参議院選挙の結果は与党の過半数割れが確実となり、またまた「ねじれ国会」になってしまった。ただし去年の総選挙前の「ねじれ」状態とは攻守が逆転している。

自民党政権時代の「ねじれ国会」では、参議院で多数を占めている民主党は小沢代表のもとで政権奪取をめざして対決姿勢に終始した。それが功を奏したのか総選挙でも多数を獲得して衆参両院で多数党となり政権交代を実現したわけだ。ところがそれから1年も経たないうちに参議院での多数を譲ってしまった。

前にも書いたが、「ねじれ」状態は少数与党と多数野党が個々の政策について協議し歩み寄って政策を形成していくプロセスが根付いていくチャンスだったと思うのだが、民主党自身はその道をとらずに遮二無二政権奪取に突き進んだ。その結果が、今まさに自分に降りかかっているわけだ。こうなると、かつて「ねじれ国会」で与党として多数野党との折衝に苦労した経験をもつ自民党がどういう手に出てくるかが重要だ。「己の欲せざる所を人に施すなかれ」の精神で大人の対応、つまり参院多数党の立場を利用して民主党政権の政策に場合により譲歩しあるいは修正を要求し、自党の政策をできるだけ反映させていこうとするなら、「野党」の存在意義を示しやがては逆の政権交代を実現できるかもしれない。野党化して官僚とのパイプが細くなった自民党にどれほど政策立案能力が発揮できるかが問題だが。
しかし、これ幸いとかつての小沢路線のごとく対決姿勢に走るようなら、日本の政治の、ひいては日本の未来は暗いぞ。そういう意味では自民党の責任は重大だ。

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2010年7月10日 (土)

キヨき一票

明日の参議院選挙は、ほぼ1年前の総選挙とはまた違った意味で注目されている。
去年の総選挙は政権交代がなるかどうかが争点だったが、今年の参議院選挙ではその政権交代の評価が問われている。

見ていると、いまだに政権交代に期待を繋いでいるむきがあるようだけど、政権交代自体はひとつの手段あるいは結果であって、政策ではない。政権が変わればこれまでのしがらみにとらわれることなく政策の見直しができるだろうというのは確かに政権交代のひとつのメリットではある。しかしそれもやはり手段であって問題は最終的に出てくる政策だ。目先を変えることにばかりこだわって実効性がきちんと評価されていない政策が採用されるようでは何をか言わんやである。

さて三十一は例の如く市役所の期日前投票に行ってきた。出口で「朝日新聞です」と名乗る人物から声をかけられ「出口調査って本当にやってるんだ」と思ったが無視。他の新聞社だったら応じたかもしれないけど。スーツは着てたけど学生アルバイトっぽかったな。

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2010年7月 8日 (木)

年明けまであと2か月

気がつけば、新しい年が始まるまであとほぼ2か月となった。早いものだなあ。

2010年シーズンのNFL開幕は9月9日、そしてフットボールシーズンを予告するホールオブフェーム・ゲームは8月8日だ。(いずれも現地時間)
日本ではプレシーズンの中継はないので、ビデオ予約と消化に追われる毎日が始まるまではまだやや猶予がある。しかし、三十一は1TBのHDDレコーダーに中継された全試合を録画しているのだが、これがほぼ一杯で開幕までに空きをつくらないとどうにもならない。レコーダーの追加増強を考えなくもなかったのだが、今から買うならやはりブルーレイ搭載機種ということになる。しかし店頭で見てみるとまだ値段がこなれきっていないようだ。ということでしばらくは現状を維持することにした。
改めて見てみたところ、1TBのHDDにフットボールの試合が280以上。2008年のスーパーボウルから2009年のスーパーボウルまでが含まれている。あと2か月で少なくとも半分はDVDにダビングして消したいなあ。できれば全部ダビングしていっぺんHDDを初期化しておきたいけど、なかなか簡単ではなさそうだ。

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2010年7月 7日 (水)

「日本の歴史20 維新の構想と展開」


前の巻は読むのに数か月かかったが、この巻は多分3日くらい。何が違うんだろうなあ。

五箇条の御誓文から明治憲法の発布までがこの巻での対象となる。つまり、維新にあたっての新国家建設の基本方針表明に筆を起こし、具体的な国家像を規定した憲法発布で擱筆したことになる。タイトルの通りの内容だった、と言うよりは内容を正しく示すタイトルがつけられたのだろう。

基本的には通史だが、その中でもふたりの対照的な人物を中心的にとりあげている。
ひとりは佐倉藩の江戸留守居役であった依田学海。はじめは藩の重役として藩政改革に奔走し、のちには藩を代表して中央の公議所に公議人として出仕した。五箇条の御誓文にある「広く会議を興し万機公論に決すべし」を体現する機構である。しかしやがてこうした会議は骨抜きにされて有司専制が前面に押し出されてくる。
そしてもうひとりは薩摩藩出身の内務官僚、三島通庸である。三島は各地の県令(県知事)を官選知事として歴任(当時の知事は中央から派遣される官僚で、公選ではない)し、県会の意向を無視するかたちで道路建設などを推し進めた。民衆の意見を考慮することなく、しかし自らの構想する事業は結局民衆(と国家)を利するという強烈な自負のもとに施策を断行するその姿勢はまさに「有司専制」である。

それでも全体的には、江戸時代に比べると民衆の理解を得る必要性をより強く認識していたようである。社会構造を根本から変革することをめざした維新期においては、実際の変革の対象であり担い手である民衆の理解が不可欠だからだ。当時在京していた外国人が「民衆は憲法について何も知らない」と記したのは有名な話だ。たしかに実際の憲法の概要が公表されたのは直前であり、内容は発布まで公表されていなかった。だが憲法の大枠はこれまでの政策の集大成であり、ある程度予測の範囲内であった。こうして完成した明治国家は、これから現実の洗礼をうけることになるがそれは次巻以降のお話。

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2010年7月 4日 (日)

「大正野球娘。4」


思いのほか早く出たような気がする。もっと遅れて出ると思ってたんだけどなあ。正直出るのかどうかも疑ってたんだけど。

冒頭で「大正15年1月1日」と年代が特定されているけど、この時代の東京は震災復興中と言っていいだろう。内務省復興局が復興事務局に縮小されたのはこれから4年後の昭和5年で、復興事務局の廃止は昭和7年のことだった(某ペディアによる)。前のほうの巻でそのあたりの話がちらっと触れられたような記憶があるのだが、この巻ではまったく触れられていないなあ。女高生はそんなこと気にしないのか。

大正時代ということになっているけど、どうも現代の我々が思う大正時代を基準にしているように思えてならない。少し前に読んだ「痴人の愛」がほぼ同じ時代、少し前かな? を題材にしているはずだが、さすがにまさにその時代を生きた谷崎が書いただけあって当時の人々の感覚と合致しているに違いない。それを思い起こすとちょっと違和感があるのだよ。

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2010年7月 1日 (木)

2010年6月の打ち上げ

6月の打ち上げは一挙に増えて12回。
年始から6月まで、ちょうど半年の合計は35回となってほぼ例年のペースになってきた。

2日 01:59GMT プレセツク(ロシア)、ロコット(SERVIS-2)

2日 15:53GMT 西昌(中国)、長征3C(北斗 2)

3日 22:00GMT バイコヌール(ロシア/カザフスタン)、プロトン(Badr 5)

4日 18:45GMT ケープカナベラル(アメリカ)、ファルコン9(Dragon)

10日 08:01GMT ナロ(韓国)、KSLV1(STSAT 2B)、失敗

15日 01:39GMT 酒泉(中国)、長征2D(実践 12)

15日 14:22GMT ICBMサイロ(ロシア)、ドニエプル(Picard、Prisma、BPA-1)

15日 21:35GMT バイコヌール(ロシア/カザフスタン)、ソユーズFG(Soyuz TMA-19)、有人

21日 02:14GMT バイコヌール(ロシア/カザフスタン)、ドニエプル(TanDEM-X)

22日 19:00GMT パルマヒム(イスラエル)、シャヴィット(Ofeq 9)

26日 21:41GMT クールー(仏領ギニア)、アリアン5(Badr 5A、COMS 1)

30日 15:35GMT バイコヌール(ロシア/カザフスタン)、ソユーズU(プログレス M-06M)

今月は軍事衛星がないなと思っていたら、イスラエルが打ち上げていた。イスラエルのロケットは地球の自転に逆らって西向きの地中海に向けて打ち上げている。むろん、東側を敵性国家に囲まれている地政学的条件による制約だ。

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