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2010年7月27日 (火)

「『大日本帝国』崩壊」


王国と帝国、国王と皇帝は何が違うのか。前者は単一民族国家あるいはその君主で、後者は他民族国家のそれだと言われている。著者は「大日本"帝国"」をこの文脈で読み取った。つまり、朝鮮や台湾、樺太や南洋群島といった異民族植民地を支配下におく"帝国"が敗戦とともに崩壊し、単一の日本人だけからなる(と当時は考えられていた)国家に生まれ変わったと解釈し、その"帝国"の崩壊を描写したのである。

だがしかし、敗戦前の日本人が「大日本帝国」を「他民族国家」という意味での"帝国"とみなしていたかと言うと、その意識は希薄であっただろう。そもそも「大日本帝国」という呼び方のもととなった「大日本帝国憲法」発布当時、日本は植民地をまったくもたない国家だった。そのころは君主国を一般に「帝国」、君主を「皇帝」とする用法が珍しくなかったから、単に「君主国」という程度の意味で"帝国"と称したのだろう。また自国名に美称として"大"の字を冠するのも東洋の伝統の中ではそれほど突飛なことではなかった。「大日本帝国」という国号は現代の目から見ると大げさなようだが、実はそれほど深い意味はないのである。

閑話休題。
敗戦の結果、朝鮮や台湾、関東州、樺太や南洋群島といった「外地」は日本から切り離された。それ自体は連合国のカイロ会談以来の既定路線ではあったものの、それを受け入れた日本はもちろん、強制する側の連合国にとっても日本から切り離されたこれらの地域に関する善後策の準備はまったくなかった。有名な連合国極東最高司令官一般命令第1号では各地域の占領および武装解除の分担を決めたものの、それは軍政の分担でしかなくその後の枠組みはまったく未定だった。しかし戦後まもなく始まった冷戦は軍政の分担がそのまま両陣営の勢力範囲となり、確たる指針もなく定められた線引きがずっと固定されてしまった。

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