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2010年10月15日 (金)

「皇族と帝国陸海軍」


著者は「類書がない」と自慢しているが、もともと三十一はこんなページを作っているくらいでこの種のテーマには興味があった。そういう意味では三十一にとって新しい情報はあまりなかったのだが、たんねんに拾われた細かいエピソードの中にはなかなか興味深いものもあった。

欧米の君主国では王族が軍務に就くのはごく一般的なことで、イギリスのヨーク公アンドリュー(現女王の次男)がフォークランド紛争でヘリコプター乗員として戦地に赴いたのはよく知られたエピソードだ。欧米的な君主国を目指した戦前の日本が欧米の王族のあり方にならったのは無理からぬ話である。しかしもともと欧米の帝王は諸侯の中の第一人者という性格が強く、ほとんどが騎士・領主階級の出身である。彼らが軍を率いるのはそうした伝統にかなった振る舞いと言えよう。それに対して日本の天皇は、神代の昔の神話は置いておくと、もっぱら祭祀王として扱われてきて軍や戦争といった"穢れ"からは隔離されてきた。そういった伝統の上に欧米流の軍人王族という習慣を接ぎ木した形になり、こうした軍人皇族の「使い方」が確立していない日本では、いろんな人間がそれぞれの立場で彼らを利用しようとして、当の軍人皇族たちはそれに振り回されることになる。

この本に関連して特に取り上げておきたい点がふたつ。
まず、軍人皇族といっても陸軍では同期生と比べて明らかに進級が早かったのに対し、海軍では少なくとも若いころは平民出身の同期生と比べて特に進級が早いわけではなかった。その理由を著者は「人間が相手」の陸軍に対して「機械が相手」の海軍では皇族といえども経験をつまない人間をむやみに進級させるわけにはいかなかった、とまとめている。これは確かに一面の真実で、こういった違いがつまりは陸軍と海軍の雰囲気の違いにつながったのだろう。しかし海軍も末期には皇族の進級が早くなり、高松宮などは日記で「残念なこと」と書いている。このころには海軍の伝統的な雰囲気もだいぶ変わってきていたようだ。

もうひとつ、一般にはあまり知られていない(と著者が言う)軍人皇族のなかでもさらに知られていないのが軍人王族である。戦前の日本では「王族」は「朝鮮王族」を意味する(正確には「王族」「公族」総称して「王公族」と呼び、旧朝鮮国王からの血統の遠近で区別していた)。この本の中ではこれら王族にもそれなりの分量を割いて触れられていて、その点は好感がもてる。それでも三十一が求めている情報量にはまだまだ足りないのだが。これら王族は皇族の中ではかなり微妙な位置に置かれていて、昭和天皇などはできるだけ他の皇族と公平に扱おうとしてかなり気を遣っていたらしい。しかし太平洋戦争の終戦間際、天皇が皇族を集めてポツダム宣言受諾を伝えたとき、皇族の多くは天皇の決断を支持するろうな発言をする中、李王(旧朝鮮王家の当主)は単に「承りました」とのみ答えたというエピソードがある。これは実はこの本には載っておらず別の本で見た話なのだが、日本の敗戦はつまり故国朝鮮の解放を意味するわけで、旧朝鮮王家としての立場と、皇族の一員、あるいは帝国軍人としての立場に夾まれた彼らの複雑な感情がうかがい知れる。

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