« 「皇族と帝国陸海軍」 | トップページ | 「日本の領土」 »

2010年10月20日 (水)

次の10年

胡錦涛現主席の後継となる、中国の次期指導者が習近平にほぼ決まった。

もともと、第17期党大会(2007年)で中国共産党の最高指導層に選出された面々のうち、胡錦涛の後継候補として見られていたのは習近平(1953生)と李克強(1955生)だった。それに加えて李源潮(1950生)や汪洋(1955生)の名前も挙げられてきたが、トップを行く二人に比べるとやや出遅れていた。李源潮と汪洋は中央政治局には入っているものの、常務委員にはなっていない。

習近平は太子党(党高級幹部の子弟のこと。父の習仲勲はもと副総理)だが、ちかごろでは太子党であるというだけでは必ずしも有利にはたらかない。しかし習近平は太子党であることをひけらかさずに、よく言えば庶民的、悪く言えば野暮ったい印象を持たれている。戦略的要衝ではあるものの経済的には貧しい福建省で長年はたらき、次いで北隣の浙江省にうつった。そして転機になったのが2006年、上海の最高権力者である党委員会書記を当時つとめていた陳良宇が汚職の疑いで失脚し、その後任に抜擢されたのが習近平だった。上海は前総書記で依然として影響力を保っている江沢民の地盤である。習近平は陳良宇の汚職を摘発しながら、その累が江沢民にまでおよんで無用の混乱を惹起しないようにうまく制御して上海の行政を安定させた。これは中央政府の期待にかなった措置だった。そして翌年、習近平は中央政治局常務委員として党中央に迎え入れられた。

いっぽうの李克強の父はやはり党員ではあったが習仲勲とは並ぶべくもない下級幹部にすぎなかった。しかし李克強は文革中に青年期をすごしながらも学習をつづけ、文革後には大学で経済学を学んだ。共産主義青年団(胡錦涛の古巣)で長年勤務し、その間には経済学博士の学位を得ている。その後河南省、遼寧省で党/政府の責任者として産業構造の改革を指導し、その結果は党中央から高く評価された。そして2007年、習近平とならんで中央政治局常務委員に選出された。

かつて、胡錦涛が50歳で党中央政治局常務委員に抜擢された際、常務委員の中に胡錦涛と同年代の人物はいなかった。その時点で胡錦涛はすでにライバルのいない、オンリーワンの後継者と考えられていた。しかし習近平と李克強は同時にそろって中央政治局常務委員に昇格している。ここには、その時点でどちらを後継者にするか絞りきれなかった胡錦涛の逡巡と、そのいっぽうで二人を競わせてどちらが後継にふさわしいか見極めようという目論見があったと考えられる。
しかし、最高指導者たる総書記の後継の本命と考えられていたのは、やはり習近平のほうではなかったか。というのは、ともに政治局常務委員とされたふたりに合わせて与えられた職務からそう考えられるのである。習近平が得たのは、党中央書記処書記・中央党校校長・国家副主席であった。いっぽうの李克強が得た職務は国務院副総理である。つまり、習近平は党務を、李克強は政務を担任することになった。これはむろん適材適所を狙ったものであろうが、党が政府を指導するという中国の国是からすれば、李克強が政府でトップにまで上り詰めたとしても、習近平が党でトップを占めたとすればその下風に立たざるを得ない。実は習近平の党中央書記処書記・中央党校校長・国家副主席という肩書きはかつて胡錦涛が通ってきた道である。そして胡錦涛は国務院副総理の肩書きを持ったことはない。

ひょっとしたら、習近平は李克強と比較して特別に能力的に優れているわけではないのかもしれない。ただ、習近平の能力がもっぱら党務で発揮され、李克強が政務畑を行っているから必然的に習近平が上に立つことになっただけとも考えられる。もっとも、それぞれが立場を逆にしたとして習近平が政府でトップに立てるか、あるいは李克強が党務でトップになれるかどうかというと疑問なしとしない。いずれにせよ、2012年の第18期党大会とそれに続く2013年の全人大では、習近平の総書記・国家主席就任と李克強の国務院総理就任が予想される。ただし、胡錦涛が中央軍事委員会主席を習近平に譲るのはさらに数年遅れる可能性がある。

|

« 「皇族と帝国陸海軍」 | トップページ | 「日本の領土」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/196234/49799948

この記事へのトラックバック一覧です: 次の10年:

« 「皇族と帝国陸海軍」 | トップページ | 「日本の領土」 »