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2010年11月 8日 (月)

「怪帝ナポレオン3世」


かのナポレオンの甥で、二月革命後の第二共和制で大統領に就任し、白色クーデターで独裁権力を握りついには皇帝を名乗って第二帝政をひらいたナポレオン3世は、その最後の間抜けさもあってこれまで過小評価されてきていた、と著者はいう。
実は三十一はそれほどナポレオン3世について詳しくなかったので「そんなもんかなあ」と思うだけだが、確かにあまり肯定的な印象はなかった。ただ、19世紀半ばという革命の時代にあってほとんど自分の才覚ひとつで20年も大国フランスの最高権力者にすわっていたのは何かとりえがあったんだろうと漠然と考えていた。

この本を読んだあとであっても、その問題に対する答えが得られたわけではない。それでもナポレオン3世が単純な陰謀家でも、単なるお飾りでもなかったことだけはわかる。そもそも現実世界に「完全な善」も「完全な悪」もない。そんなものは「水戸黄門」の中にしか存在しない。一筋縄ではいかない人間の集まりがもたらす混沌の結果が歴史なのだ。

さて恒例とでもいうべきか重箱の隅をつついてみよう。
著者はフランス史家のせいかドイツ王室についてはそれほど詳しくないらしい。普仏戦争の記述で「皇太子カイザー・ヴィルヘルム2世の率いるプロシャ軍」、あるいは「フリードリヒ・ヴィルヘルム王子率いるプロシャ第三軍」とあたかもそれぞれ異なる部隊であるかのように記述されているのはどちらも同じ「皇太子フリードリヒ・ヴィルヘルム率いるプロシャ第三軍」のことである。また失脚後イギリスに亡命したナポレオン3世を訪問したヴィクトリア女王が「ヴィッキーとフリッツが心配していた」と伝言したその「ヴィッキーとフリッツ」について「ドイツ皇帝夫妻」と注釈しているが正確にいうなら「のちのドイツ皇帝夫妻」というべきであろう。フリッツはのちのドイツ皇帝で当時皇太子のフリードリヒ、ヴィッキーは皇太子妃でヴィクトリア女王の王女で同名のヴィクトリアのことだ。

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