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2011年4月16日 (土)

"節約"という気分

最近、会社のトイレに設置してあるエアータオル(手をかざすと温風が出てくるアレだ)が「節電のため」として使用停止になり、代わってペーパータオルが装備された。

三十一の記憶が正しければ、ペーパータオルは資源の浪費だからというのでエアータオルが普及し始めたような気がするのだけれどもねえ。エアータオル1回分の消費電力と、1回分のペーパータオルを製造するための消費電力はどっちが大きいのだろう? 三十一にその回答の持ち合わせはないが、答えがどちらであってもおかしなことになる。エアータオルのほうが電力が大きいのであるなら、そもそもペーパータオルをやめることは省エネにならない。パルプの原料である木材の消費を減らすことはできるだろうが、そうすると今度は電力消費量の増大と木材の消費量の減少という、直接換算できない要素を天秤にかけなくてはいけなくなる。いっぽう、エアータオルのほうが電力消費が少ないなら、これをやめてペーパータオルにするのは節電にならない。エアータオル停止は間違いなく東京電力管内の電力消費削減につながるが、ペーパータオルを作っているのは東京電力管内とはかぎらない、と言われればそれはそうなのだが、だったらエアータオル停止を決めた総務担当者は代わりのペーパータオルがどこで製造されたか知ってるのかね。

もしかしたら、総務担当者はこういう要素をすべて考慮した上でエアータオル停止のほうが省エネになると判断して決定した、ということも無いとは言えない。けれど三十一がそんなことはまず間違いなくないだろうと確信している。

わずかでも手近にできることから始めていこうという姿勢は尊いのだが、それが姿勢だけでなく本当に意味があるかというのも少し冷静になって考えてほしい。三十一には真偽を判定する術がないのだが、太陽電池パネルの寿命が尽きるまでに発電する電力量は、その太陽電池パネルを製造するのに必要な電力量に及ばないという話すらある。「エコカー」の切り札とされて各社が開発に余念のない電気自動車だが、日本の発電能力の過半は火力発電所によるものなので、考えようによっては燃料を発電所で燃やすか各車両のエンジンで燃やすかの違いでしかないとも言える。もう少し細かい話をすると、発電所では重油やコークス、LPGといった燃料が使用可能で、大量に高温で燃焼できる分効率がいい、とは言えよう。いっぽうで発電所から各家庭まで送電される間には少なからぬロスが生じるが、これもガソリンを配送するコストと比べてみる必要がある。「電気自動車を普及させようとするなら、それは原子力発電の推進とセットでなければ意味がないはず」と(震災前から)指摘していた人がいるが、あまり問題とされてはこなかったようだ。

理科に対する苦手意識が希薄な小学生のうちに、"エネルギー保存の法則" と "熱力学の第二法則" をたたき込んでおくべきじゃないかと思う。このふたつは、授業で教わる数多の物理法則の中に埋没してしまっているが、実は世界 Universe を規定する根本法則だ。これらを真に理解しているかどうかで行動様式が変わってくるのではないかと三十一は期待している。

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