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2011年5月29日 (日)

レッドバロン

昨日のことだけど、久しぶりに映画を見てきた。東京から千葉に転勤になって以来、会社帰りに映画館に寄っていくという芸当ができなくなってしまった。

んで、見たのはレッドバロン。このタイトルでわかる人はわかるだろうけどわからない人はまったくわからないだろう。第一次世界大戦のヒコーキものだ。

レッドバロン公式サイト

切符を買うために窓口に並んでいるときや、エレベーターを待っているときに周囲にいたのは、普段きっと映画なんかみないであろうと思われるそこそこ年を食った男性が多かった。
このひとたちは、いつもはきっとカメラを抱えて飛行場のあたりをうろついてるんだろうなあと、なんか納得してしまった。

個人的には、この映画はハリウッド製ではなくドイツ製ということで、金はかかっていないかもしれないが内容はきっちり作り込んでいるだろうと期待していったんだが、一番最初に出てきたセリフが明らかに英語だったのでちょっとがっかり。

話は実質的に1916年という戦争もすでに半ばの時期から始まっていて、背景の説明があまりない。リヒトホーフェンのフルネームであるマンフレート・フォン・リヒトホーフェンも(字幕を見ているかぎりでは)ほとんど呼ばれることがなく、日本の観客の中には最後まで主人公のファーストネームがわからなかったひともいるのではなかろうか。

まあそんなことはこの映画を見に来ているオジサンたちにはどうでもいいことで、問題はヒコーキや空中戦のシーンがどれくらい作り込んであるかである。

ドイツ側で出てきた機体はおそらくアルバトロスと、フォッカー三葉機のように思われる。イギリス側ではソッピースと説明があったがソッピース・キャメルかなあ。途中で出てきた爆撃機は一瞬ゴータかと思ったけど、連合軍の機体だからそんなわけない。空中戦のシーンはアップが多すぎて展開がよくわからない。状況説明を兼ねた引きのシーンがもう少しあってもよかったように思う。そうでないと見ているほうの勉強にならないぞ(目的が違う)。

正直言って不満はたくさんある。例えばリヒトホーフェンは初め騎兵隊に入っていて戦争開始後に飛行隊に移ったとか、観測気球の周囲には対空機銃が多数配備されていて気球攻撃はかなりリスクの高い戦闘だったとか、パイロットが安易に機体を見捨てないようにという理由でパラシュートの装備を軍が許可しなかったために機体が火を噴いたらまず助からなかったとか、そういうストーリーを理解するために必要な肝心な情報がまったく提供されていないように見える。

ただの悲恋ものになっちゃってるような気がして残念。でも DVD か BD が出たら(値段しだいだが)買うかもしれない。

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2011年5月23日 (月)

トラよりもスズメバチが好き

長良につづいて組み立てたのが「ヴェスペ」だ。

P5050007

長良は1日だったけど、ヴェスペは4日くらいかかった。そんなに難しいキットじゃないけれど、それなりに丁寧に作りたい気分だったのだ。
このキットが発売されたとき、三十一は店頭で見てその瞬間に買うことを決断した。正直言えばフンメルのほうが好きなんだがヴェスペもかなり好きだ。年齢を重ねるにつけて、パンターやらキングタイガーやらといったスマートなフォルムよりも、ヴェスペやフンメルといった自走砲あるいはマルダーさらにはヴィルベルヴィントのような無骨でアンバランスな造形に惹かれるようになってきた。AFVを知らない人にはわかりにくいだろうから、もっとわかりやすい例を挙げるなら、P-51とソードフィッシュを並べたときにソードフィッシュのほうが「かっこいい」と思ってしまうようなものだ。この例えも充分わかりにくいなあ。

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2011年5月15日 (日)

「十字軍物語2」



この作者の本はいつも面白く読み終えることができる。この本も多分4日間くらいで楽しく読み終えた。しかし今回は読んでいて少し違和感を感じた。面白すぎるのだ。

その理由としては、わかりやすいというのがあるだろう。さすがに単純な善玉悪玉という構図にはなっていないものの、有能なサラディンと無能なイスラエル王という対照的なキャラクターを抜き出して必然的な十字軍国家の破滅へとつながる道筋を描き出している。三十一が読んでいてつくづく思ったのは、「ああこの人は歴史家ではなく小説家だなあ」ということである。現実の歴史はそんなにわかりやすくない。歴史を過不足なく評価しようとするとどうしてもある程度わかりにくくなってしまう。その面倒さを避けていては本当の歴史をわかったことにはならない。わかったような気がしているだけだ。三十一もかつてはそんな感じだったのかもしれないね。

善玉・悪玉はなくとも好き嫌いははっきりしているようだ。例えばテンプル騎士団と聖ヨハネ騎士団ではどうみても後者に肩入れしている。塩野七生はボードワン4世、バリアーノ・イベリン、サラディンが好きで、ギィ・ド・ルジニャン、ルノー・ド・シャティヨンが嫌いらしい。聖ベルナールもきっとあんまり好きじゃないよね、このひと。

三十一がこれまで多くの歴史書を読んできて目が肥えたのか、あるいは作者の力量が衰えたのか、またはその両方なのか。

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2011年5月 5日 (木)

長良を作りながら

また久しぶりにプラモを作ってみました。

P4160010

タミヤの700分の1 ウォーターラインシリーズの "長良" である。あいかわらず塗装しないままの素組みなので3時間くらいで完了。掲載した写真は、はじめのうちフラッシュをたいて撮ってみたのだが単色でメリハリがなくなってしまったのでフラッシュなしで撮った。逆光気味だがこちらのほうが形状がわかりやすいだろう。

ところでこのキットだが、何年か前に物置と化していた部屋の中から発掘されたものだ。発掘されたのが数年前だから買ったのはそのずっと前になる。発掘された地層からするとかなり古く、下手をするとこの部屋に引っ越してきた頃かもしれない。だとすると14・5年前になるぞ。無駄に物持ちがいいなあ。

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2011年5月 4日 (水)

ランカスターとケンブリッジ

このブログを昔から読んでいる人は三十一が華族という過去の制度に多少興味があることに気付いていることと思う。

華族というのは要するに戦前日本の貴族制度なのだが、貴族制度の本家であるところの、というか現代でもほぼ唯一貴族制度が生きている国であるイギリスで最近イベントがあったのは日本でも大きく報じられていたので今さら説明する必要もないだろう。ただ、新婚夫婦が宮殿のバルコニーに姿を現したときに上空をフライパスしていたのはどうもランカスタースピットファイアのように見えた。

日本ではあまり報じられていないが、この結婚によってあらたにケンブリッジ公領が創設されて新郎が公 (Duke of Cambridge) の、新婦が公妃 (Duchess of Cambridge) の称号を得た。公領の創設は 1986年に王家の次男で新ケンブリッジ公の叔父になるアンドルー王子がヨーク公になったとき以来である。王家の三男で末っ子のエドワード王子は現在ウェセックス伯位しか保持しておらず、兄が公位であるのに比べて格下だが、これは父のエジンバラ公位を将来継承する予定だからと言われている。

さて日本の華族制度はイギリスの貴族制度に範をとったと思われているかもしれないが、実はほとんど似ているところがない。本来、どこの世界でも貴族制度は土地所有と強く結びついており、大土地所有の事実がまず先にあって、その実力を背景にして政治的経済的社会的な影響力を行使したのが貴族だという一面がある。日本においても奈良時代の豪族や平安の貴族は大土地所有者だった。しかし平安末期から既存の上級貴族は不在地主化し、地方の実権は在庁官人やのちの武士層に移った。近世末期には上級貴族は土地から切り離されて宮廷貴族化し、土地所有層は諸侯という別の階級になった。明治以降、土地を持たない宮廷貴族と土地を支配していた諸侯はいずれも華族にまとめられたが土地からは切り離されてしまう。個人の財産として土地を所有することはあっても、所領としての土地保有はなくなった。

しかしイギリスでは名目上であっても「貴族とは所領をもつもの」という概念が生きている。実態がなくなっても名目を残すのがイギリス流というものだ。だから、日本では華族の爵位は「イエ」に与えられるものだが、イギリスでは貴族の爵位は領地についてくる。たとえばある人物を公爵とする際には、日本ではそのイエの当主に爵記が授けられるのに対し、イギリスでは「公領創設」の特許状が公布される。今回のケンブリッジ公位の創設も正確には "Creation of Dukedom of Cambridge" (ケンブリッジ公領の創設)と表現されるのだ。特許状には(名目上の)領地と、領地名、そして相続条件が記載されている。ほとんどの場合、相続条件は最初の叙爵者の男系の嫡出子孫とされているが例外もある。ファイフ公家は 1889年にいったん創設されたが、男系の子孫がなくそのままでは断絶が確実だったため、1900年改めて女系の相続を認めた特許状が出された。1889年の特許状を改めたわけではなく追加で出たのである。1889年に創設されたファイフ公家は1912年に断絶したが、1900年に創設されたファイフ公家が現在にいたっても存続しているということになる。
なお、日本では実子がない場合は養子をとってイエを相続させれば爵位も相続できるが、イギリスでは血縁が相続条件であるからまったく血縁のない人物が養子になって爵位を得ることはできない。婿養子であっても普通はダメである。ただし資産の相続は当然女系でも可能であるので、爵位は遠い親戚に移ってしまったが資産そのものは女系の子孫に相続されるというケースはけっこう多い。

もうひとつ、日本とイギリスの大きな違いとして、日本では爵位はイエに与えられるものであるから、伯爵から公爵に昇格したとするとこれまでの爵位(伯爵)が言うなればとりあげられて代わりに公爵が与えられる。しかしイギリスでは爵位は土地につくものである。これまで伯爵であった(ということはつまり伯爵領を所有していたということだ)、それに追加で公爵位が与えられる(=公爵領が与えられる)ということになる。だからイギリスの特に高位の貴族では複数の爵位をもっていることがある。例を挙げると、現在のクイーンズバリ公 (Duke of Queensberry) は、加えてバクルー公 (Duke of Buccleuch)、ダンフリースシャー侯 (Marquess of Dumfriesshire)、ドンカスター伯 (Earl of Doncaster)、ダルキース伯 (Earl of Dalkeith)、エスクデイル男爵 (Baron Eskdaill) の爵位を保有している。ただし通常は最高位の爵位だけを名乗っている。

現代の日本では貴族制度は憲法で禁止されているが、戦前の日本であっても華族に大した特権があったわけではない。経済的に華族特有の権利はほとんどなく、ただ「華族の体面を保つ」という義務だけが課せられた。政治的には貴族院の選挙権被選挙権があったが、その代わりに衆議院の選挙権被選挙権はなかった。イギリスでも近年では貴族の特権が奪われつつある。いまや世襲貴族には上院の議席は与えられず、ときの政府が任命する一代貴族が上院議員の大半を占めている。所領や資産も相続税のために手放すケースが多い。階級格差は確実に縮まりつつある。

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2011年5月 1日 (日)

2011年4月の打ち上げ

4月の打ち上げは6回で、全て成功。うち有人が1回。

Orbital Launch Chronology

4/4 22:18 バイコヌール / ソユーズFG (Soyuz TMA-21)
4/9 20:47 西昌 / 長征3A (北斗2-G8)
4/15 4:24 バンデンバーグ / アトラスV (NROL-34)
4/20 4:42 スリハリコタ / PSLV (Resourcesat 2, Youthsat, X-Sat)
4/22 21:37 クールー / アリアン5 (Intelsat ND, Yahsat 1A)
4/27 13:05 バイコヌール / ソユーズU (Progress M-10M)

今年になって初めてのインドの打ち上げだ。PSLV というロケット自体はかなり成功率が高いので打ち上げ再開には適当だと考えられたのかもしれない。去年失敗した GSLV はまだ開発途上なのか、それほど確率はよくない。スペックを比べてもそれほど大きな違いがあるようには見えないんだけどねえ。

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