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2011年11月17日 (木)

「幼年期の終わり」



ここ数日、電子レンジがときどき異音をあげるようになり、今朝も食事の準備をしようと冷凍のチャーハンを放り込んで作動させたところ大きな音を立て始めた。どうもモーターが震動して筐体と共鳴しているらしかったので、少しでも抑えようと手で側面の外板にさわったまさにその瞬間、ぶっつりとスイッチが切れてそれっきりうんともすんとも言わなくなった。
しょうがないのでまだ冷たい冷凍のチャーハンを別の容器に入れ換えて冷凍庫にしまい、朝食には切り餅をオーブントースターで焼いた。今週末にでも買い換えに行かなくちゃ。

電子レンジの話が表題の本とどういう関係があるのかと言えば、実はまったく関係がない。ただ言わずにいられなかっただけです。

さて本題。
これはもう、SF者には説明の必要もない古典中の古典。SFを読まない人にもクラークの名前は轟いているだろうが、そのクラークの出世作だ。むしろ今まで読んでいなかったというほうが不思議。実は、これまでもプロローグだけは立ち読みで何度も読んでいた。文庫にしてわずか8ページのこのプロローグの末尾の1行、「人類はもはや孤独ではないのだ。」を初めて読んだときの「そう来たか」という感覚は未だに新鮮に思い出される。要するに、プロローグだけ読んだところでおなか一杯になっちゃったのかな。

人類よりはるかに進んだ文明をもった知的生命体(オーバーロード)との邂逅、そしてオーバーロードによる統治。これだけでもSFとしてのプロットは充分成立している。単にSFにとどまらない、SFの形を借りた文明論を展開するのも可能だろう。おおかたの読者ははじめのうちそのような展開を想定していたに違いない。三十一もそうだった。しかしクラークの目はさらにその先を行く。ネタバレになるので詳しくは述べないが、オーバーロードの助けを得て人類は究極の進化を遂げる。のちの「2001年」につながる発想がここにはすでにある。

そう、「のちの」と述べた通り、「幼年期」は「2001年」に先行する。いまでも充分衝撃的なこの作品が公開されたのは1953年、スターリンが死んで朝鮮戦争が休戦になった年だ。このころはまだ、もっとも楽天的な人間でも人類の宇宙進出はずっと遠い未来と考えていたに違いない。当のクラーク自身もこの作品のプロローグの中で人類が初の宇宙飛行に挑もうとしていた時代を「1945年から30年以上経った」時期に置いている。その時代にこれだけ内容の濃いSFを書けるのは驚きというほかない。改めてクラークという存在の意味を思い知らされた。

ところで、Amazon の書影は古いものである。三十一が買った新装版の表紙はこれとは違うイラストになっているが、Amazon には新しい書影がみつからなかったのでやむを得なかった。手元にある新装版は「2010年7月15日 34刷」とあるので、少なくとも一年以上前には変わっているはずだけどねえ。

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