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2011年12月31日 (土)

今年最後の買い物

今日は冬コミ2日目、ミリメカの日。
いつものごとく昼からでかけて風虎通信の新刊だけ買って、あとはちょっと見て回ったけど特には何も買わず出る。

というわけで今回の収穫。

Pc300011

会場を出てからふと思ったんだが、コミケって"コミック"マーケットだったんだなあ。三十一はコミケで"コミック"を買ったことはほとんど無い。あ、ゲンブンコミックは買ったっけ。

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2011年12月29日 (木)

「十字軍物語3」


この本を読んでいる途中で「これはどうしても触れておかねばなるまい」と思ったのは、実は本筋とはあまり関係ない個所であった。
イギリスの獅子心王リチャードの弟になるジョン王は、在位17年の間に大陸の領土をほとんど失ったために「失地王」と呼ばれるようになった、と記述されているがこれは正確ではない。
日本では一般に「失地王」と訳されているが現地では John the Lackland と呼ばれる。"lack" という動詞には、はじめは所有していた何かをあとで失ったというよりは、本来あるべきものが欠けているという語感が強い。イギリス王ヘンリー2世には、夭折を除けば4人の息子があったが、ジョンはその末っ子だった。長兄ヘンリー、次兄リチャード、三兄ジョフリーにはそれぞれ領地が与えられたが、末っ子のジョンが生まれたときに父王ヘンリーが「もう与える領地がない」と言ったことから「土地無し lackland」と呼ばれたというのが本来の謂われである。
しかし日本では "lackland" を「失地王」と訳したのと、在位中に領土をことごとく失ったという事績を結びつけて、ここで引用されているような俗説が流布してしまった。これは実は英国史をある程度知っている人間なら常識なのだが、いったん世間に流布してしまった俗説はおもいのほか強固である。だが、著者は俗説を鵜呑みにした同じ巻の中で「原史料の全文に虚心に向かい合う」ことの意義を得々と説いている。三十一がこれを読んでやや鼻白む気持ちになったとしても無理はないだろう。

さて「十字軍物語」はこれで完結ということだが、200年にわたって繰り広げられた十字軍とはいったいなんだったろう。西欧の側からすれば、十字軍を主導した法王のもくろみに反して教皇権の相対的な弱体化をもたらした。軍事力をもたない法王が異教徒との妥協の余地のない闘争を推進する以上、現実に軍事力をもつ世俗諸侯を頼らざるを得ない。またイスラム側では、ムハンマドの創始以来400年あまりを経て拡大の末分裂の様相を呈しつつあったイスラム世界に、再編のきっかけとなる刺激を与えたということが言えるだろう。サラディンによるアユーブ朝の成立から、奴隷上がりの軍人によるマムルーク朝の成立や、やや時代がくだるがオスマントルコの勃興もこの文脈で語ることができる。

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2011年12月28日 (水)

日の丸JSF

航空自衛隊の次期戦闘機の機種決定について (防衛省)

なんだかんだでもう一週間以上前のニュースになる。
連休のあいだ遊んでいて更新をサボってしまったのと、そのあと今週の前半は急ぎの仕事で怒濤の展開が待っており、そのせいでこんなに遅れてしまった。

防衛装備品の中ではやはり戦闘機というのはニュースバリューが高いらしい。正直、戦闘機よりも艦船のほうがよほど調達価格も高いのだが、艦船がニュースになったことはない。しかし戦闘機は、毎度毎度選定がニュースになる。今回も一般メディアが比較的大きな扱いで報じていた。

だがしかし、三十一のみるところこれは完全な出来レースであろう。評価基準を数値化して合計点でもっとも高いものを選定した、と聞くと一見公平なようだが、(1)性能、(2)経費、(3)国内企業参画、(4)後方支援の評価項目のうち、(1)性能に50点を与え、さらにその「性能」を採点するのは空幕であるから、結局は空幕担当者の胸先三寸であり、実際、F35 採用の決め手となったのは「性能」点であったらしい。世界最高性能をほこる F22 を目指して果たせなかった空幕にしてみれば、どうしても最新の F35 が欲しかったことだろう。
もうひとつ、競合相手である F/A-18やユーロファイターと比べて、F35 はその開発が未完了である点が弱点とされてきたが、この弱点は評価4項目では評価されていない。開発や納期の不確定さには目をつぶった形だ。普通に我々が買い物をするときに、それが即納できるかそれとも入荷待ちなのかというのはけっこう大きな判断材料だと思うのだがどうだろう。

F35 は最終的に 42機調達されて、F4 の2個飛行隊を置き換えることになっている。その先のことはわからないが、MSIP 未改修の F15 を F35 で置き換えることも充分考えられる。そうなれば最終調達は 100機を越え、1機あたりの調達価格もだいぶ落ち着くだろう。せっかく最新機種を選ぶのであれば、充分使いこなしてほしいと思うのは納税者として当然の権利だろう。

それにしても、本当に F35 が必要だったかという疑問はなしとしない。空自の現主力戦闘機と言っていいだろう、F15 を採用したのは開発国のアメリカを除くと、日本、イスラエル、サウジアラビア、そして韓国である。その間に F16 を採用した国はもっとずっと多い。F16 を買った国でも、性能面で単純に比較すれば F15 には勝てない。それでも F16 を選んだのは、費用対効果が高いと見たからであろう。創設期の F86 以来、F104、F4、F15 と常に米空軍の最新機種を選んできた空自は今回も最新機種を選んだ。ブランドに群がるバブル時代を思い出す。空自もまだバブル時代、冷戦時代の思考を引きずっているようでげんなりする。

個人的には、日の丸をつけたユーロファイタータイフーンをちょっと見てみたかった。

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2011年12月19日 (月)

ジョン様が退場してジョン様が登場

North Korean Leader Kim Jong Il dead after heart attack, state media reports (cnn.com)

健康状態の不安は以前から言われていたことだが、急なニュースでびっくりした。それと同時に思ったのは、死去から2日後とは言え「意外と素直に発表したなあ」という感想である。武田信玄は「3年の間我が喪を秘せ」と言い遺したそうだが、北朝鮮は戦国時代の武田家ほどの危機感は持っていなかったことになる。実は 1994 年にもほぼ同じ感想を持ったものだ。1994 年というのは父親のほうが死んだときである。

キム・イルソンが死んだ 1994年7月から約半年をかけてこんな文章を書いたことがある。現在の自分から見ると実につたないものだが、当時の雰囲気を知るのに多少なりとも意味があるだろうと思って敢えて残している。82歳の「偉大な首領」から53歳の「親愛なる指導者」への継承の際にも大いに不安視されたものだが、今度は70歳の「指導者同志」から28歳の「大将閣下」への継承だ。不安を感じずにはいられない。独裁者である祖父と父に甘やかされて育った三代目が自制心を保つのは難しいだろう。カジノで何十億かスるくらいで済んでくれるなら可愛いものである。

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空を見る者

昔「スカイウォッチャー」っていう雑誌があった記憶があるんですが、いつのまにかなくなってるね。

この blog では、タイトルがなかなか決まらなくて中身を先に書いてからあとで決めることがけっこう多く、おかげでたまにタイトルを入れ忘れることがあるのだが、今回はまずタイトルから決まった。

だいたい三十一は普通よりは多く空を見ていると思う。飛行機やヘリコプターの爆音が聞こえるとほぼ間違いなく空を見上げるし、屋外に出たらなんとなく雲量の目測をしていることがある。今日はたぶんゼロから1くらいの快晴。

それが先日、皆既月食をカメラで狙ってから以降、以前にも輪をかけて空をよく見るようになった。月食のときにはあまりうまく撮影できなかったけれど、それ以降ときどき月を撮っている。これがけっこう面白いのだ。ちゃんと撮れると、250mm (35版で400mm相当くらいか) でもクレーターらしきものが判別できる。ティコ・クレーターの光条もはっきり見える。こうなると欲が出てくるもので、もう一回り大きい 400mm クラスの望遠レンズが欲しくなってきた。そうすると三脚もしっかりしたものを買わなくてはいけない。カメラは金食い虫だというのは覚悟していたつもりだが、こうなると切りがないなあ。
Moon111212

2011/12/12 22:15JST Canon EOS 60D + EF-S55-250mm IS (250mm) F7.1 露出 1/250 秒 ISO100 (トリミング)

そういえば、もうすぐ発行予定の「大人の科学」の附録はニュートン式の反射望遠鏡だそうだ。三十一はもちろん注文した。

さて来年の 5月21日には金環日食が東京でも見られるとのことであり、三十一はすでに太陽撮影用の ND100000 フィルターを入手済みで準備万端。あいかわらず望遠レンズで悩んでいるけど。

フィルターやリモートスイッチ、予備のバッテリーなどの小物が増え始めているので、そろそろ整理のためにカメラバッグが欲しくなってきた。理想を言うなら保管用の銀箱と携帯用の軽量ケースが欲しいところだ。そういえば、ずいぶん昔に航空祭用に買った一眼レフがまだ部屋のどこかにしまってあるはずで、カメラ本体はともかくソフトケースは使えるかもしれないと思って探してみたところ、家電の空箱を積み上げてあったその裏側にひっそりと隠れていた。すっかり埃まみれだが、大した痛みは見あたらないので拭けば使えないことはなさそうだ。とりあえず内容を検分してみると、フィルターケースやブロワーといった小物が出てきた。これは使えそうだなあ。さて問題のカメラ本体。コンデジを手に入れてからもう10年以上使っていないはずだが、カメラバックとケースに守られて状態はきれい。バックの中をあさると電池がふたつ出てきた。ためしにひとつ入れてみる。動かないよな、やっぱり。もうひとつ。お、電源が入ったぞ。キャップを外してファインダーを覗く。AF も 測光も動くなあ。シャッターもおりる。動作は問題なさそうだが、いまどきフィルムカメラを何に使えばいいんだろう。ニコン F シリーズみたいな高級機ならともかく、ペンタックスの普及機だ。型番から調べてみたところ、20年前の機種で当然のことながら下取り価格はゼロ。どうしようかな。

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2011年12月15日 (木)

2番じゃだめなんです。

民主党政権は、来年度予算として要求されている "はやぶさ2" について「大幅に縮小すべきである」との見解を示しているとか。

「科学技術立国」というお題目が唱えられ始めてずいぶん経つが、この掛け声と実際の政策の不一致はどうしたことだろう。何の投資もしないで「日本人は優秀」という根拠不明の神話に依存するのは政策ではなく宗教だ。

松浦さんのブログで知ったのだが、"はやぶさ" のプロジェクトマネージャーである川口教授がコメントを公開している。

はやぶさ後継機に関する予算の状況について (JAXA はやぶさプロジェクトサイト)
※URL は今後変更されそうな予感。

このコメントは多くの示唆を含んでいるが、三十一が我が意を得たりと思ったのは次のくだりだ。

日本は、お手本と格付けがないと生きていけないかのようだ。はやぶさでこの分野で世界の最前線、トップに立ったが、トップに立つとどうしてよいかわからなくなるのだろう。NASA も欧州も、我々を目指しているのに、なにか安定しない。
進んでトップの位置を明け渡し、後方集団にうもれようとしているかのようだ。
どうして2番ではだめなのか、この国の政府は、またも、この考えを露呈したかのようだ。トップの位置を維持し、独走して差を開いて行こうという決断を行う ことに躊躇してしまう。世界の2番手にいて、海外からの評価と格付けに神経をとがらせるばかり。堪え忍べと叫び、自らの将来を舵取りするポリシーに欠ける。

目立つのが嫌いな日本人はどうしても一歩引いてしまうのかもしれない。バブル景気の崩壊がその臆病さに拍車をかけた面もあるだろう。だが生き馬の目を抜くような市場では、一歩引いたとたんに競争相手からかさにかかって攻められ、たちまち転落してしまうというシナリオが容易に想像できる。「世界初」にのみ価値がある学問の世界に住む川口教授から見れば、「2番をめざす」という発想は理解に苦しむだろう。実際、「2番をめざす」のは首位をめざすよりもかえって難しい。

「科学技術立国」と並んで誰もが否定できないお題目である「選択と集中」について考えてみても、現に世界のトップにある分野に継続投資しないで何を「選択」するのやら。

「科学技術立国」を目指して「選択と集中」を進めるというのであれば、"はやぶさ2" に投資せよ。その術があるなら、三十一個人としてもいくらか投資してもいいよ。出せる金額はたかがしれているけど、有志が多数集まればニュースのネタくらいにはなるんじゃないかな。

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2011年12月11日 (日)

赤い月

先週は天気がよかったり悪かったりしたが、金曜の夜からは晴れた。
土曜日の夜中に関東地方でも見られた皆既月食だが、欠け始めのタイミングでは薄い雲がかかっていたものの動きが速く、やがて晴れるだろうと期待していたのだがまさにその期待通り、皆既になる前にはすっかり晴れた。三十一は自宅マンションの階段最上部の踊り場、屋根のないところで観測した。

Fulleclipse20111210
2011/12/10 23:15JST Canon EOS 60D + EF-S55-250mm F3.5-5.6 IS (250mm) F5.6 露出2秒 ISO400 (トリミング処理)

結局、食が始まる前の 21時40分くらいから食が終わった後の 1時20分くらいまで吹きさらしの(風もほとんど無かったし壁もあるので、風自体はそれほど気にならなかったが)踊り場に立ちつくしたわけで、年齢に似合わない無茶をしてしまった。もっとも、初めは「河原に行こうか」とか考えていたので、その意気込みに比べるとかなり軟弱になったが。ひょいと振り返ると自分の部屋が見えるところだったし。

一応持ち物としてはカメラ一式、懐中電灯、双眼鏡、お茶の入ったボトル、そして天文年鑑というかなり重装備で、服装もフードつきのコートを着込んでその下にも何枚か重ね着した。それでも観測を終えて階段を下りるときにはかなり体が固まっていて足がスムーズに動かなかった。

この部屋に引っ越して来て 10 年以上になるが、これまでまったく言葉を交わしたことのない隣室の高校生とおぼしき息子と初めてまともに会話したのが想定外の収穫であったかもしれない。

この皆既月食を機会にデジイチを手に入れた。ヨドバシカメラなどをいくつか回ってみたものの、結局ボディからレンズ、SDカード、レンズプロテクターやレンズフード、リモコン、ボディケース、液晶保護シートに三脚まで、すべて一式を Amazon でそろえてしまった。


今見ると値段が変わっていて即納でもなくなってるけど、三十一が買ったタイミングではもっと安くて、在庫もあったのですよ。
ちなみにこちらはリハーサルを兼ねて前日に撮影した満月。
Fullmoon20111209
2011/12/9 23:40JST Canon EOS 60D + EF-S55-250mm F3.5-5.6 IS (250mm) F7.1 露出1/1000秒 ISO400 (トリミング処理)

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2011年12月 7日 (水)

2011年11月の打ち上げ

月初め恒例の更新だが、今月に限って少し遅れた。先月末から今月頭にかけて不在にしていたことと、その不在にしていた3日間分ためてしまった NFL 放送を消化するのに追われていたために後回しになってしまった。たった3日と言うなかれ、その3日分を消化している間にもどんどん見なければいけない試合がたまっていくのだよ。実際にはまだ消化しきれていない。

それに加えて、週末にもイベントがあったりしてなんだか近頃忙しい。週末のイベントというのは某アイドルのライブに行ったりしていたのだ(48じゃないよ)。

閑話休題。
先月は9件。年初から通算すると11月末で75件となり、すでに去年の総打ち上げ数 (74) を越えている。

Orbital Launch Chronology

11/4 12:51:41UTC Baikonur / Proton K (Cosmos 2475-2477, GLONASS-M)
11/6 20:16:02 UTC Baikonur / Zenit 2SLB (Phobos-Grunt)
11/9 03:21UTC 太原 / 長征4B (天巡-1, 遥感-12)
11/14 04:14:03UTC Baikonur / Soyuz FG (Soyuz TMA-22)
11/20 00:15:14UTC 酒泉 / 長征2D (試験-4, 創新-1 3)
11/25 19:10:33UTC Baikonur / Proton M (Asiasat 7)
11/26 15:02UTC Cape Canaveral / Atlas V (Mars Science Laboratory - Curiosity)
11/28 08:25:58UTC Plesetsk / Soyuz 2.1b (Cosmos 2478 GLONASS-M)
11/29 18:50:04UTC 太原 / 長征2C (遥感-13)

火星に向けた探査機の打ち上げが 2 件 (Phobos-Grunt と Mars Science Laboratory)。このうち Phobos はソ連時代以来ひさしぶりのロシアによる火星探査。ロシアはさらに、Proton と Soyuz を使って GLONASS を合計 4 機軌道に投入し、測位システムを着々と構築しつつある。一覧にはないが、今月の1日に中国も北斗を打ち上げた。

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2011年12月 2日 (金)

天にかける橋

三十一にもいちおう親戚というものが存在し、浅いながらもつきあいがある。その必要経費とでも言うべきか、つきあいの一環として三日ほど関西に行ってきた。

初日は飛行機で羽田から伊丹へ。自分の計画であればこの距離で絶対に飛行機など使わない。多少なりとも発言権があるなら断固として反対したところだろうが、この件について三十一には選択肢がないらしい。昼過ぎの飛行機で一路伊丹へ。搭乗した機体は、本来 B727 の予定だったが機材の変更があって B777-200 となった。新しくなる分には文句は言わない。この飛行での(三十一にとって)唯一の収穫は、離陸に使われた滑走路が RWY05、つまりほぼ1年前に供用を開始した桟橋式の D 滑走路である、ということだ。もっとも、ターミナルビルからはるかに離れた D 滑走路にたどりつくまでかなり時間がかかり、実飛行時間よりも地上滑走時間のほうが長かったのではないかと思うくらいだ。
伊丹からタクシーに乗ってホテルに落ち着いたのは夕方少し前。三十一から見れば余分な、でも三十一をこの旅行にひっぱりだした人々から見れば本来の任務であるところの用事をすませてその日は一泊。

さて二日目の昼間は自由時間。夜は拘束されるけどね。
いくつかプランを考えたのだが、結局選んだのは天橋立往復というもの。もちろん三十一のことなので単純な往復にはなりようがない。困ったのは、目的地である北近畿タンゴ鉄道(KTR)の特急以外の列車が持参の小型時刻表に掲載されていなかったこと。しかたがないのでネットで調べて自作の時刻表を作成してそれをもとに計画を立て、なんとか確定して実行に移す。
乗ったのは朝8時大阪発の特急「こうのとり」。もちろん期待していたのは新型 287系だけれど、発車前に駅備え付けの大型時刻表で確認したところ、どうも 287系ではないらしい。実際、朝ラッシュ真っ最中の大阪駅に入ってきたのは1ドア、ステップつきという明らかに 485系改造の 183系車両。乗り慣れたというほど回数をこなしたわけではないが、すっかりお馴染みの 485系そのものには目新しさはない。しかし 287系の列車を選べるほどスケジュールに余裕があるわけでもない。割り切って乗り込み、進行方向左側に席を占める。車内はそこそこ混んでいた。列車はやがて淀川橋梁を越え、尼崎から福知山線に入る。ここはちょうどかつての福知山線事故で多数の死傷者を出した現場だ。列車ははっきりと速度を落としてこの区間を通過する。「羮に懲りてなんとやら」という故事を思い出した。福知山線内最初の停車駅は宝塚。いまを去ること実に 40 年近く前、三十一はここからほんの数駅のところに住んでいた。しかしそのころのかすかに残った印象と、実際に目の前にした景色は全く異なるものだった。これは年月がしからしめたものか、それともそもそも三十一の記憶が不正確だったのか。すぐ目の前はもう山で、その中腹まで住居がびっしりと建ち並んでいた。名にしおう高級住宅地ではあるのだが、ここから大阪まで電車でせいぜい 30 分あまりとは、東京では考えられない職住の近さだ。宝塚を出ると線路は途端に山中を行く。これがかの武庫川渓谷か。かつては風光明媚な路線と言われていたが、新線に切りかえられて路線のほとんどはトンネルとなり、車窓の風景はかなり損なわれたという。それでも、ときどき線路がトンネルの外に顔を出すと、眼下を流れる渓谷とやや色づいた山の木々はまるで都会を遠く離れた観光路線のようだ。やがて道場駅を通過。なんの変哲もない田舎駅だが、三十一はかなり昔から名前だけは知っている。なぜならこの駅は神戸市内(北区)にありながら唯一「神戸市内区間」に含まれない駅で、時刻表の巻末ピンクのページの営業案内にも、「神戸市内区間」の説明に「道場駅を除く」と注意書きがあったし、今もある。そういう理由で名前だけは印象に残っていた。このあたりまで来ると渓谷を抜けて開けた盆地に入りつつあり、かえって家が多く見られる。駅の回りに古い市街地、あたりは一面の田んぼでそのところどころにとってつけたような大型マンションという特色ある風景だ。このあたりも東京なら充分通勤圏内だし、現にその種の需要を見越して開発されているのだろう。
いつのまにか線路は単線となり、周囲の景色はもはや郊外とは言い難い。下滝で 287系の 3008M こうのとり8号と行き違い、柏原ではまとまった数の乗客がおりていった。やがて分水嶺を超えて線路脇の川はこれまでと違って列車の進行方向に向かって流れるようになったと思うと山陰本線に合流して高架の福知山駅にすべりこむ。

福知山駅は初めてではないが、前回は乗り換えの時間が少なくて改札を出ることができなかった。今回は乗り換えに 10 分とられているのでいったん JR の改札を出て駅舎を外から眺めてから、今度は KTR の改札を入る。「大江山浪漫号」という大層な名称のついている快速列車は、ハイデッカーの特急車両を使っている。3両編成だが、一番手前が2号車、真ん中が1号車で先頭は増号車という扱いだ。三十一はいつものごとく「無計画旅行の友」である増号車に乗り込む。平日の昼間だからかもしれないが、案の定誰も乗っていない。大丈夫か KTR。運転席直後の席に座り込むがハイデッカーなので前方が見づらい。背もたれを最大限倒して半分寝た状態でできるかぎり前方視界を大きくとろうと試みる。なかなか辛いぞこの姿勢は。
ところが、これから列車が行く宮福線は JR 末期に工事が行われて、第三セクターに移行後に開通した路線。トンネルや高架橋が多く、あまり景色はよろしくない。「観光列車なので途中一時停止することがあります」とアナウンスが流れていたものの、実際に一時停止をしていたのは、なんとかいう神社の鳥居が見えるという1ポイントだけ。景色そのものを売りにして一時停止することはなかった。宮津で列車は進行方向を変え、旧国鉄からひきついだ宮津線をひと駅区間だけ走って天橋立に到着。

予想の範囲内ではあるけど、天気悪いなあ。まあ山陰なので天気が悪いのが普通。ある程度は覚悟の上で、雨がふっていないだけマシと考えることにした。次に乗る予定の列車まで2時間弱。この間どうしようかと、駅附属の観光案内所でパンフレットなど見てしばし悩む。定番と言えば展望台から鑑賞するというものだろうが、素直に定番にいけないのが三十一である。気になったのが展望台に昇るリフトの金額がパンフレットに無いことで、歩いて5分くらいとのことだったのでいったん現地で値段を確認してから判断しようと思い駅前を歩き出す。宮津線を踏切で横切る。あれっ、宮津線って電化してたんだっけ。宮福線と、宮津線の西舞鶴~天橋立間は電化しているらしい。これは完全に JR からの乗り入れ用だなあ。線内の普通列車はみなディーゼルだ。
展望台までのリフトは往復 850 円とか。ちょっと高いかなとも思ったが、それほど法外な値段とまでは言えないので、この際登ってみよう。たぶんもう二度と来ないだろうし。
正確にはリフトではなくモノレール、ということらしいが車体はまるっきりスキー場のゴンドラで、上から吊るのではなくモノレールの上を走る構造になっている車体が2両というか2箱連結されている。片隅に運転台があって、お兄ちゃんが立って運転する。立ち席込みで20人くらいの定員と思われるが、10人余りが乗り込んで発車。高度があがるにしたがって天橋立が見えてくる。10分弱くらいで展望台着。
天気は、今にも雨が降りそうな曇り。展望台からながめる日本三景・天橋立はもちろん写真などですっかりお馴染みではあるが、肉眼で見ると想像していたよりもずっと迫力がある。正直「悪くないじゃん」と思った。これは天の邪鬼な三十一においては最大級に近い誉め言葉だ。そして天橋立から右手にはかつて駆逐艦初霜が終焉を迎えた宮津湾がひろがる。たぶん20分くらいいて天橋立を堪能して山下に降りる。このあと、列車の発車まで時間が許す限り天橋立を歩いてみる。

Pa170016

豊岡行きの列車に間に合うように駅に戻る。側線に 485系 700番台の特急列車が留置されていたので写真をとっていたら、ちょうど 287系を使った 5083M はしだて 3号が入ってきた。乗り込む列車は KTR のディーゼルカー 2両編成。三十一が乗り込む天橋立から先、終点の豊岡まで後ろ寄りの車両のドアは開かないという。どうせ三十一は終点まで行くのでその後ろ寄り車両に席を占める。実はこの先、宮津線の車窓はそれほどよくない。天橋立駅からしばらくは、天橋立の松並木を裏側からながめることになるがそれも数分。線路は内陸に入っていって、終着にいたるまで海はまったく見えない。沿線最大の集落である峰山では、一個小隊ほどの高校生が乗り込んできた。通学にはまだ時間が早いような気がするが、なにか行事でもあったんだろうか。まだ期末の時期でもないだろうに。高校生は駅ごとにぽつぽつと降りていき、久美浜でほとんどいなくなった。右側にはほとんど湖にしか見えない久美浜湾が雨にふけっていた。いつのまにやら本格的に雨が降ってきている。円山川を渡ると終着の豊岡。

豊岡には鉄道部があってこの地域の車両基地になっている。近頃貴重な DE10 ディーゼル機関車の姿も見えた。ここからはキハ189系に置き換わったディーゼル特急はまかぜで大阪に戻ろうと思い、自動券売機で特急券と乗車券を買う。ところが、自動券売機では播但線経由の大阪行ききという選択肢が出てこない。そりゃそうだな、普通に考えると大阪まで行くのにわざわざ姫路を回ろうという物好きはいない。短絡経路の福知山線経由で大阪まで買っても、播但線経由の特急に乗れるような気がする(そんな特定区間がかつてはあった)のだが、今でもそれが通用するかどうか定かではない。列車の時間が迫っていて調べる時間もなかったので、播但線経由で一番遠くの目的地となる三ノ宮まで買うことにする。あとで調べたところ、福知山線経由で大阪まで買えばよかったらしい。かつての特定区間は今も健在だった。

現物を初めて見るキハ189系の 4D はまかぜ 4号は 3両編成で、自由席は先頭の1両のみ。意外に混んでいて席を探すのに苦労した。江原~八鹿間の宿南信号場で下りの 3D はまかぜ 3号と行き違う。和田山からは播但線に入って姫路に向かう。ここからは初乗車区間のはずだが、前面展望ビデオの「はまかぜ」を見たことがあるので、初めてという気がしない。生野峠の分水嶺を超えると明らかに天候が変わり、空が明るくなってきた。電化区間の始まりである寺前ではすっかり雨はやんでいた。姫路駅に近づくと、高架となった駅にアプローチするために播但線も高架上にあがる。車内で「姫路城」という声があがり、それにつられて右手を見ると大規模修復の真っ最中である姫路城が仮設構造物に覆われていた。
姫路からは方向を変えて山陽本線と東海道本線を行く。三ノ宮で列車を乗り捨て、後続の新快速に乗り換えて大阪へ。大阪で再び一泊。

翌日は N700 系の新幹線「のぞみ」で帰京。ああやっぱり新幹線は飛行機より面倒がなくていいなあ。

2日目の旅程:
0813 大阪→0948 福知山 3001M
0958 福知山→1043 天橋立 1609D
1240 天橋立→1410 豊岡 227D
1425 豊岡→1648 三ノ宮 4D
1651 三ノ宮→1713 大阪 3949M

東京では見ることができない車両を多く目撃できたという点では楽しい旅でした。

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