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2011年12月 2日 (金)

天にかける橋

三十一にもいちおう親戚というものが存在し、浅いながらもつきあいがある。その必要経費とでも言うべきか、つきあいの一環として三日ほど関西に行ってきた。

初日は飛行機で羽田から伊丹へ。自分の計画であればこの距離で絶対に飛行機など使わない。多少なりとも発言権があるなら断固として反対したところだろうが、この件について三十一には選択肢がないらしい。昼過ぎの飛行機で一路伊丹へ。搭乗した機体は、本来 B727 の予定だったが機材の変更があって B777-200 となった。新しくなる分には文句は言わない。この飛行での(三十一にとって)唯一の収穫は、離陸に使われた滑走路が RWY05、つまりほぼ1年前に供用を開始した桟橋式の D 滑走路である、ということだ。もっとも、ターミナルビルからはるかに離れた D 滑走路にたどりつくまでかなり時間がかかり、実飛行時間よりも地上滑走時間のほうが長かったのではないかと思うくらいだ。
伊丹からタクシーに乗ってホテルに落ち着いたのは夕方少し前。三十一から見れば余分な、でも三十一をこの旅行にひっぱりだした人々から見れば本来の任務であるところの用事をすませてその日は一泊。

さて二日目の昼間は自由時間。夜は拘束されるけどね。
いくつかプランを考えたのだが、結局選んだのは天橋立往復というもの。もちろん三十一のことなので単純な往復にはなりようがない。困ったのは、目的地である北近畿タンゴ鉄道(KTR)の特急以外の列車が持参の小型時刻表に掲載されていなかったこと。しかたがないのでネットで調べて自作の時刻表を作成してそれをもとに計画を立て、なんとか確定して実行に移す。
乗ったのは朝8時大阪発の特急「こうのとり」。もちろん期待していたのは新型 287系だけれど、発車前に駅備え付けの大型時刻表で確認したところ、どうも 287系ではないらしい。実際、朝ラッシュ真っ最中の大阪駅に入ってきたのは1ドア、ステップつきという明らかに 485系改造の 183系車両。乗り慣れたというほど回数をこなしたわけではないが、すっかりお馴染みの 485系そのものには目新しさはない。しかし 287系の列車を選べるほどスケジュールに余裕があるわけでもない。割り切って乗り込み、進行方向左側に席を占める。車内はそこそこ混んでいた。列車はやがて淀川橋梁を越え、尼崎から福知山線に入る。ここはちょうどかつての福知山線事故で多数の死傷者を出した現場だ。列車ははっきりと速度を落としてこの区間を通過する。「羮に懲りてなんとやら」という故事を思い出した。福知山線内最初の停車駅は宝塚。いまを去ること実に 40 年近く前、三十一はここからほんの数駅のところに住んでいた。しかしそのころのかすかに残った印象と、実際に目の前にした景色は全く異なるものだった。これは年月がしからしめたものか、それともそもそも三十一の記憶が不正確だったのか。すぐ目の前はもう山で、その中腹まで住居がびっしりと建ち並んでいた。名にしおう高級住宅地ではあるのだが、ここから大阪まで電車でせいぜい 30 分あまりとは、東京では考えられない職住の近さだ。宝塚を出ると線路は途端に山中を行く。これがかの武庫川渓谷か。かつては風光明媚な路線と言われていたが、新線に切りかえられて路線のほとんどはトンネルとなり、車窓の風景はかなり損なわれたという。それでも、ときどき線路がトンネルの外に顔を出すと、眼下を流れる渓谷とやや色づいた山の木々はまるで都会を遠く離れた観光路線のようだ。やがて道場駅を通過。なんの変哲もない田舎駅だが、三十一はかなり昔から名前だけは知っている。なぜならこの駅は神戸市内(北区)にありながら唯一「神戸市内区間」に含まれない駅で、時刻表の巻末ピンクのページの営業案内にも、「神戸市内区間」の説明に「道場駅を除く」と注意書きがあったし、今もある。そういう理由で名前だけは印象に残っていた。このあたりまで来ると渓谷を抜けて開けた盆地に入りつつあり、かえって家が多く見られる。駅の回りに古い市街地、あたりは一面の田んぼでそのところどころにとってつけたような大型マンションという特色ある風景だ。このあたりも東京なら充分通勤圏内だし、現にその種の需要を見越して開発されているのだろう。
いつのまにか線路は単線となり、周囲の景色はもはや郊外とは言い難い。下滝で 287系の 3008M こうのとり8号と行き違い、柏原ではまとまった数の乗客がおりていった。やがて分水嶺を超えて線路脇の川はこれまでと違って列車の進行方向に向かって流れるようになったと思うと山陰本線に合流して高架の福知山駅にすべりこむ。

福知山駅は初めてではないが、前回は乗り換えの時間が少なくて改札を出ることができなかった。今回は乗り換えに 10 分とられているのでいったん JR の改札を出て駅舎を外から眺めてから、今度は KTR の改札を入る。「大江山浪漫号」という大層な名称のついている快速列車は、ハイデッカーの特急車両を使っている。3両編成だが、一番手前が2号車、真ん中が1号車で先頭は増号車という扱いだ。三十一はいつものごとく「無計画旅行の友」である増号車に乗り込む。平日の昼間だからかもしれないが、案の定誰も乗っていない。大丈夫か KTR。運転席直後の席に座り込むがハイデッカーなので前方が見づらい。背もたれを最大限倒して半分寝た状態でできるかぎり前方視界を大きくとろうと試みる。なかなか辛いぞこの姿勢は。
ところが、これから列車が行く宮福線は JR 末期に工事が行われて、第三セクターに移行後に開通した路線。トンネルや高架橋が多く、あまり景色はよろしくない。「観光列車なので途中一時停止することがあります」とアナウンスが流れていたものの、実際に一時停止をしていたのは、なんとかいう神社の鳥居が見えるという1ポイントだけ。景色そのものを売りにして一時停止することはなかった。宮津で列車は進行方向を変え、旧国鉄からひきついだ宮津線をひと駅区間だけ走って天橋立に到着。

予想の範囲内ではあるけど、天気悪いなあ。まあ山陰なので天気が悪いのが普通。ある程度は覚悟の上で、雨がふっていないだけマシと考えることにした。次に乗る予定の列車まで2時間弱。この間どうしようかと、駅附属の観光案内所でパンフレットなど見てしばし悩む。定番と言えば展望台から鑑賞するというものだろうが、素直に定番にいけないのが三十一である。気になったのが展望台に昇るリフトの金額がパンフレットに無いことで、歩いて5分くらいとのことだったのでいったん現地で値段を確認してから判断しようと思い駅前を歩き出す。宮津線を踏切で横切る。あれっ、宮津線って電化してたんだっけ。宮福線と、宮津線の西舞鶴~天橋立間は電化しているらしい。これは完全に JR からの乗り入れ用だなあ。線内の普通列車はみなディーゼルだ。
展望台までのリフトは往復 850 円とか。ちょっと高いかなとも思ったが、それほど法外な値段とまでは言えないので、この際登ってみよう。たぶんもう二度と来ないだろうし。
正確にはリフトではなくモノレール、ということらしいが車体はまるっきりスキー場のゴンドラで、上から吊るのではなくモノレールの上を走る構造になっている車体が2両というか2箱連結されている。片隅に運転台があって、お兄ちゃんが立って運転する。立ち席込みで20人くらいの定員と思われるが、10人余りが乗り込んで発車。高度があがるにしたがって天橋立が見えてくる。10分弱くらいで展望台着。
天気は、今にも雨が降りそうな曇り。展望台からながめる日本三景・天橋立はもちろん写真などですっかりお馴染みではあるが、肉眼で見ると想像していたよりもずっと迫力がある。正直「悪くないじゃん」と思った。これは天の邪鬼な三十一においては最大級に近い誉め言葉だ。そして天橋立から右手にはかつて駆逐艦初霜が終焉を迎えた宮津湾がひろがる。たぶん20分くらいいて天橋立を堪能して山下に降りる。このあと、列車の発車まで時間が許す限り天橋立を歩いてみる。

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豊岡行きの列車に間に合うように駅に戻る。側線に 485系 700番台の特急列車が留置されていたので写真をとっていたら、ちょうど 287系を使った 5083M はしだて 3号が入ってきた。乗り込む列車は KTR のディーゼルカー 2両編成。三十一が乗り込む天橋立から先、終点の豊岡まで後ろ寄りの車両のドアは開かないという。どうせ三十一は終点まで行くのでその後ろ寄り車両に席を占める。実はこの先、宮津線の車窓はそれほどよくない。天橋立駅からしばらくは、天橋立の松並木を裏側からながめることになるがそれも数分。線路は内陸に入っていって、終着にいたるまで海はまったく見えない。沿線最大の集落である峰山では、一個小隊ほどの高校生が乗り込んできた。通学にはまだ時間が早いような気がするが、なにか行事でもあったんだろうか。まだ期末の時期でもないだろうに。高校生は駅ごとにぽつぽつと降りていき、久美浜でほとんどいなくなった。右側にはほとんど湖にしか見えない久美浜湾が雨にふけっていた。いつのまにやら本格的に雨が降ってきている。円山川を渡ると終着の豊岡。

豊岡には鉄道部があってこの地域の車両基地になっている。近頃貴重な DE10 ディーゼル機関車の姿も見えた。ここからはキハ189系に置き換わったディーゼル特急はまかぜで大阪に戻ろうと思い、自動券売機で特急券と乗車券を買う。ところが、自動券売機では播但線経由の大阪行ききという選択肢が出てこない。そりゃそうだな、普通に考えると大阪まで行くのにわざわざ姫路を回ろうという物好きはいない。短絡経路の福知山線経由で大阪まで買っても、播但線経由の特急に乗れるような気がする(そんな特定区間がかつてはあった)のだが、今でもそれが通用するかどうか定かではない。列車の時間が迫っていて調べる時間もなかったので、播但線経由で一番遠くの目的地となる三ノ宮まで買うことにする。あとで調べたところ、福知山線経由で大阪まで買えばよかったらしい。かつての特定区間は今も健在だった。

現物を初めて見るキハ189系の 4D はまかぜ 4号は 3両編成で、自由席は先頭の1両のみ。意外に混んでいて席を探すのに苦労した。江原~八鹿間の宿南信号場で下りの 3D はまかぜ 3号と行き違う。和田山からは播但線に入って姫路に向かう。ここからは初乗車区間のはずだが、前面展望ビデオの「はまかぜ」を見たことがあるので、初めてという気がしない。生野峠の分水嶺を超えると明らかに天候が変わり、空が明るくなってきた。電化区間の始まりである寺前ではすっかり雨はやんでいた。姫路駅に近づくと、高架となった駅にアプローチするために播但線も高架上にあがる。車内で「姫路城」という声があがり、それにつられて右手を見ると大規模修復の真っ最中である姫路城が仮設構造物に覆われていた。
姫路からは方向を変えて山陽本線と東海道本線を行く。三ノ宮で列車を乗り捨て、後続の新快速に乗り換えて大阪へ。大阪で再び一泊。

翌日は N700 系の新幹線「のぞみ」で帰京。ああやっぱり新幹線は飛行機より面倒がなくていいなあ。

2日目の旅程:
0813 大阪→0948 福知山 3001M
0958 福知山→1043 天橋立 1609D
1240 天橋立→1410 豊岡 227D
1425 豊岡→1648 三ノ宮 4D
1651 三ノ宮→1713 大阪 3949M

東京では見ることができない車両を多く目撃できたという点では楽しい旅でした。

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