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2012年5月12日 (土)

「朝鮮儒教の二千年」


地域としての朝鮮はかつて「東方礼儀の邦」「小中華」「東華」と自称していたくらいで、儒教道徳がもっとも純粋な形で浸透した国と言われている。
儒教の本家はいうまでもなく中国だが、その中国では仏教や道教が一定の影響力を保っていた。一番影響力が強いのは実際には儒教よりも道教かもしれない。しかし、朝鮮半島では高麗時代に仏教が力を持っていたが、李朝時代にはその反動もあってか儒教が重視され、国の規模が適度であることもあって、かなり徹底された。李朝の創設者である李成桂は熱心な仏教徒だったと伝えられるが、その即位にあたっての教書では「儒教立国」を宣言した(といって排仏を明言したわけでもない)。
しかし時代が進むにつれて先鋭化が進む。排仏は徹底されて政治的な影響力はほぼ失われた。儒教は科挙と結びついて政治思想を占有する。ことに朱子学が重視されて儒教の中でも陽明学などほかの学派は排除された。朱子学は日本でも特に江戸時代に官学として用いられたが、実際にはその大義名分論がとりいれられたに過ぎず朱子学の本旨である性理学は受容されなかった。朱子学はもともと、現世主義を規範とする儒教に理論的根拠を与えようとしたものですぐれて形而上的であり哲学的である。いきおいその議論は観念的となり、片言隻句を争ってさまざまな派閥がうまれ、その派閥が政治的党派と結びついて流血の政争をもたらした。李朝後半を通じて政局を支配した朋党がこれである。この朱子学一尊主義がもたらしたのは朋党の禍だけにとどまらず、実学の軽視をもまねいた。


専門家でもない三十一がこんなことを言うのは不遜だが、韓国・朝鮮人の国民性はこういうところから来ている部分もあるのかなあと思ってしまった。

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