« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »

2012年6月24日 (日)

あきた美人ライン

金曜の夜、翌日の行程を考える。
ひとつの制約は、日曜の夕方には帰宅していたい用件があったということ。そこでまず帰京手段を考える。まず考えたのは、夜の「あけぼの」で帰るというもの。だが、調べてみるともはや空きはないらしい。そこで、夜はどこかに泊まって日曜の昼くらいに新幹線で帰るというのを考える。ところがこれまた昼過ぎの新幹線には空席がない。「はやぶさ」も「はやて」も「こまち」も全席指定、立ち席という手もあるが3時間半立つのはあまり嬉しくない。アサいちの列車なら多少は席があるようだが、3人掛けの真ん中しかない。それもなあ。日曜朝の列車で帰るんなら、土曜日夜の列車で帰っても大差なかろうと思って、土曜日夜の列車を調べてみるとこちらはそこそこ空きがあるらしい。ちょっと早いが 18:28 新青森発の「はやて」は E5系を使っている最終列車で、おまけにネットからの申し込みなら15%割引になる。あとで変更がきかないところがネックだが、これにしてしまえ。こうして後ろが決まった。

後ろが決まってしまったのでスケジュールに余裕があまりない。候補としては、津軽線の非電化区間、津軽鉄道、男鹿線、由利高原鉄道などが考えられるが、「乗りづらい」「先が危ない」という(失礼)理由で秋田内陸縦貫鉄道。少しでも増収になってくれればと急行料金が必要な急行「もりよし2号」を使うことにし、それに間に合うように前後のスケジュールを確定する。

朝はわりとゆっくり。奥羽本線(南線)の普通列車で大曲へ。この区間は秋田新幹線と共用で標準軌と狭軌の線路が並んで走っている。701系電車の運転席直後の席から前を見ていると、しばらくは標準軌と狭軌の単線並列という感じだが、羽後境あたりから先では三線軌道と標準軌による複線になる。余談だが、「三線」という言葉にはふたつ種類があって、ひとつはこのあたりと同じくひとつの線路に3本のレールが敷かれており異なる軌間の列車が走行できるようにしているもの、そしてもうひとつは2本のレールからなる線路が3組敷かれているという複線(上下線2本)と複々線(上下線二組合計4本)の中間というもので例えば函館本線の札幌-桑園なんかがその例だろう。まぎらわしいので違う表現にしてほしいと思っているが今さらどうしようもない。
閑話休題、天気は雨が強くなったり弱くなったりという感じであまり芳しくない。西日本のほうは大雨らしいのでそれよりだいぶマシだと思うのだが。大曲で列車を乗り捨てる。駅舎の写真をとるために駅前に出てみたがけっこう強い雨で早々に駅舎内に戻る。自分が濡れるのは気にならないがカメラが濡れるのが嫌だったのだ。さすがに防水じゃないのでね。ここから田沢湖線の列車に乗るのだが、これも一見すると何の変哲もない 701系。だが田沢湖線は完全に標準軌に改軌されているので、この路線を走る普通列車も標準軌となっており、同じ 701系でありながら 5000番台として区別されている。
Img_2066
こちらは連絡橋から見下ろした駅構内。標準軌と狭軌と三線軌道が並んでいるのがわかるかな。
Img_2065

羽後四ツ屋でこまちと待ち合わせ。相手が遅れていて3分くらい余計に待たされた。角館で秋田内陸縦貫鉄道に乗り換え。急行列車といいつつ、ホームに待っていた列車は何の変哲もないディーゼルカー単行。
Img_2067

田沢湖線の列車からはそれほど乗り換えている様子がなかったのに、実際に乗り込んでみると観光とおぼしき乗客でほぼ満席。どっから湧いてきたんだと一瞬思ったが、きっと「こまち」から乗り継いでるんだろうな。ブルジョワめ。運転席のほぼ真後ろ、ロングシートに座る。列車自体はワンマンだが、アテンダントが乗っていて観光案内のアナウンスと車内販売を担当している。単行のディーゼルカーの車内を車内販売のワゴンが往復しているのは不思議な光景だ。峠をひとつ越えて小盆地に出ると松葉。かつての国鉄角館線の終着駅だがいまでは何ということのない中間駅だ。この先は第三セクター転換後に開業した新しい路線だが、経営の厳しさを物語るかのようにバラストの薄さが目につく。長いトンネルを越えると阿仁マタギ駅。ここから比立内、阿仁合で乗客がぼつぼつと降りていく。阿仁合は秋田内陸縦貫鉄道の本社所在地で運転上の拠点であり、車両が留置されているのが見えた。運転士もここで交代。アテンダントは引き続き乗務するらしいが、発車する列車に手を振ってくれた別のアテンダントのほうが三十一の好みで「アテンダントも交代すればいいのに」と思ったのは内緒だ。晴れていれば右手に急行列車の愛称の由来となった森吉山が見えるそうだが、今日は雲に隠れて見えない。だが三十一は百名山でもない森吉山なんて山を初めて知りました。だから「もりよし」という急行の名称もあまりピンとこない。最近のイメージ先行の列車名に三十一はあまり感心しないが、もうちょっとキャッチーな名前のほうがよかったんじゃなかろうか。
天気がよくないということはあっても、正直代わり映えのしない景色で眠くなってきた。周辺は山林で沿線人口はそれほど多くないし、起終点の角館と鷹巣を結ぶだけの流動需要があるとも思えない。全長 94km と第三セクターとしては比較的距離が長いことも設備負担になっているだろう。上下分離などの思い切った施策がとられないかぎり、見通しは明るくない。昨日は五能線で渡った米代川を渡ると、奥羽本線と合流する終点の鷹巣。
ここでふたつの選択肢がある。特急料金と運賃を別に払って一番近い特急で大鰐温泉に向かい、弘南鉄道で中央弘前に出て、徒歩でJR弘前まで行って新青森に向かう、というのが最初に考えたプランである。しかし三十一は特急を見送った。弘南鉄道の中央弘前駅とJR弘前駅は4-500m離れていて、知らない町を歩いて乗り換える必要がある。特急を使えばそれだけの時間は充分確保できるはずだが、なにしろ今日は天気が悪い。雨の中知らない道を歩くのはあまり楽しくないだろう。普通列車を使って大館、弘前で乗り継いで新青森に向かうことにする。
新青森から E5系「はやて」に乗って東京に向かう。すわった瞬間、「あ、これは寝れる」と思った。シートのホールド感が半端なく、目をつぶったらそのまま寝てしまいそうだったので起きているのに苦労した。JR東海の N700系と比べてもシートのできはかなり良いように三十一には思えた。あのカラーリングは好みではないが、単に趣味という以外の実用的な理由で E5系を狙って乗車するのもアリだなと思った。
Img_2068

23日の旅程:
秋田(1024)→大曲(1114) 2428M (701系)
大曲(1143)→角館(1206) 8832M (701系5000番台)
角館(1217)→鷹巣(1416) 1002D (AN-8803)
鷹巣(1502)→大館(1522) 1661M (701系)
大館(1555)→弘前(1637) 665M (701系)
弘前(1739)→新青森(1814) 673M (701系)
新青森(1828)→上野(2202) 3040B (E5系)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年6月23日 (土)

ゆずとりんご

さっき戻ってきました。
できたらもう一日くらいいたかったんだけど、そこには事情というものがあるのだ。そのへんは言える範囲で明日にでも。今日はもう休みます。

休み明けに会社に持っていくつもりの土産。
Img_2076

左が高知の、右が青森の菓子。

我ながら何してるんだか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年6月22日 (金)

馬が3頭と車が3台とではどちらがうるさいんだろう

今日のメインディッシュは五能線。
メインディッシュというよりはむしろ、単品料理というか、オールインワンというか、まあそんなところだろう。

701系の電車で弘前に向かう。東北地方の電化区間ではお馴染みだ。JRのみならず、いわて銀河鉄道や青い森鉄道でも使われている。押しボタン式のドア開閉にはもう驚かないが、開けたら閉めるのがマナーになっているとは気づかず、開けっ放しのまま座ったら次に入ってきた人が発車前でもドアを閉めていた。三十一の知るかぎり、これは全国的なマナーではないはずだ。特にこの時期は開けっ放しでも寒くも暑くもないので、強いて閉める必要はないと思うんだが。とは言え、郷に入っては郷に従え、もし次に自分がボタンを押して開けることになったら、その時は(続く人がいないかぎりにおいて)閉めるようにしよう。
時間帯としては通学にも通勤にも少し遅いので、それほど混んでいるわけではない。昨日も通ってきた新青森を初めとして各駅に停車していく。大釈迦で峠を越えると浪岡。浪岡町はさきごろ青森市に合併されたが、地形としては弘前との連続性が高いように思えるんだけどねえ。五能線との分岐駅は川部だが、弘前まで行く。五能線の列車は弘前始発なので。川部では分岐していく五能線を確認しようとした(分岐の向きによって座るべき方向が決まるので)が、見落としてしまった。まだ眠い。
弘前でいったん下車。2009年に二泊した町。きっぷのとれない「リゾートしらかみ」が後から来て先に発車していった。ああ胸くそ悪い。その後は下りの「あけぼの」が通る。「あけぼの」には一度乗らねばなるまいと思っているのだが、なかなか機会がない。よくウヤ(運休)になるしね。
Img_1968

五能線の列車はキハ48の2連。進行方向左側に後ろ向きで座る。川部で進行方向が変わるので、その後は進行方向右側、つまり海側となる。川部から非電化の五能線に踏み入れ、リンゴ畑の中を進む。岩木山は雲にかすんで見えない。五所川原のホームはいわゆる「汽車ホーム」のように見える。津軽鉄道に乗り換えるとおぼしき乗客がまとめて降りていった。このあたり、左右は田んぼで天気も悪く、ついつい眠くなる。鯵ヶ沢の手前で急に海が見えたと思うとここで13分停車。眠気覚ましに缶コーヒーなど買ってみる。ついでに自分が乗っている列車の写真など撮る。
Img_1969
逆方向の列車と行き違って発車。ここで小さな峠を越え、海はしばらく見えなくなる。再び海が見えるようになると、北金ヶ沢駅でまたもや長時間停車。相手は「リゾートしらかみ」でした。綺麗に見えるけど、相手も今自分が乗ってるのと同じキハ48なんだと気づいてやや興醒め。ま、三十一が興味があるのは車両そのものではなくもっぱら時間帯と所要時間だが。この先、線路は海に寄り添って走り、駅のホームはほぼ例外なく左側、つまり山側に置かれている。千畳敷、大戸瀬、風合瀬、驫木、追良瀬とそれらしい名前の駅名が続く。五能線は難読駅名が多いことでも有名だが、読めますかね。ここに挙げたのは順に「せんじょうじき」「おおどせ」「かそせ」「とどろき」「おいらせ」と読む。「風合瀬」という字を見て「かそせ」と読める人はあまりいない。
Img_1970

深浦でこの列車はいったん終点となる。昼時でもあり、次の列車まではほぼ1時間半あることなので、普通に考えれば昼食をとるのにちょうどいい、ということになるんだろうが、想定の範囲内ではあるが食事のとれそうなところが見あたらない。ちょっと歩いたところに喫茶店を兼ねた定食屋があったんだが、「臨時休業」の張り紙と「忌中」の札が。駅前の国道を渡ったところにベンチがあったので、そこで時間を潰す。霧雨が降っていたが気にしない。接続の列車が出るころにはだいぶ小降りになっていた。
Img_1971
次の列車は同じくキハ48の2連だが、車両は変わっているようだ。ぎりぎりに行ったら海側のボックス席は全部とられてしまっていた。いったんは山側のボックス席に座ったのだが、思い直して海側のロングシートに腰を据える。荷物を背もたれ代わりにして横向きに座る。艫作(これも難読。「へなし」と読む)が五能線のほぼ最西端で、岬を回り込むとあとはひたすら南下する。「ウエスパ椿山」、「十二湖」、「白神岳登山口」といかにもな駅名が並ぶ。あいかわらず雲は多いが、切れ目には青空がのぞくようになってきた。雲量をはかれば多分8を切って「晴れ」と判定されることになるだろう。車内アナウンスによれば大間越と岩館の間は「もっとも景色のよいところ」ということで今では普通になった徐行サービス。このあたりはちょうど県境で、秋田県に入る。
八森を過ぎたあたりから、左側の山と、右側の海がどちらも線路から遠ざかっていくようになり、つまりは平地の幅が広がって山と海の境目に無理に線路を通す必要がなくなった、ということか。もうこのへんは能代平野の片隅になるのだろう。「北能代」という駅名が出てきたのでさては次が「能代」かと思ったら次は「向能代」(むかいのしろ)だった。能代と米代川を隔てて向かい、という意味だろうか。悠々と流れる米代川を渡るととたんに市街地となり、能代駅。さらにひと駅進んで奥羽本線と合流すると東能代だ。
奥羽本線の東能代は能代の市街地から離れていて、市街中心に位置する能代駅までは非電化単線の五能線でつないでいる。五能線には、この一区間だけを走る列車が下り15本、上り13本もある。奥羽本線が市街地から離れた位置を通ることになったのは、沿岸航路の中継地として栄えた能代の住民が反対したせいだとする説があるが、米代川と日本海に囲まれた半島状の土地に広がる市街地に近づけて線路を敷くとかなり遠回りになり、秋田と青森を接続するという奥羽本線の主目的から考えて能代はショートカットした、というのが実際のところではなかろうか。

理由はともかく、東能代は秋田県北部の拠点駅のひとつではあるのだが、駅前は寂しい。五能線の列車に接続する特急列車を見送って、ローカル線パスで乗ることができる普通列車を1時間待つ。やってきた列車はまたもや 701系。ああ、電化路線に戻ってきちゃったんだね。高校生の帰宅時間に重なって、車内はそこそこ混んでいる。3両編成の一番後ろ、ワンマン仕様(この列車には車掌が乗っていたが)の乗務員室を通じて後方がよく見える位置に立つ。後方展望ビデオってのはあまり見たことがないけれど、これはこれで面白い。このあたりは単線と複線が入り交じっていて、それがよくわかる。途中北金岡(だったと思う)では EF510 が牽引する貨物列車とすれ違った。コンテナがほぼ満車でちょっと嬉しくなる。追分では(後ろ向きなので)合流してきた非電化単線の男鹿線を見る。一瞬、ここで乗り換えて男鹿まで往復しようかと考えたんだが、今日はもう五能線でお腹一杯なのでやめておく。また機会もあるだろう。それより、はやく宿に落ち着いて明日の予定を考えないといけない。土崎では同じように非電化単線の線路が合流してくるのを見る。秋田港へ向かうJR貨物1種の線路だ。次は終点秋田。

今日の旅程:
青森(0755)→弘前(0843) 642M (701系)
弘前(0933)→深浦(1206) 2826D (キハ48)
深浦(1332)→東能代(1518) 326D (キハ48)
東能代(1628)→秋田(1725) 1660M (701系)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年6月21日 (木)

新しい青い森

豪雨を避けて青森に来ている。

台風4号が去って、さて残りの休みはどこに行こうかと頭を悩ませた。四国のときもそうだが、三十一は便利なきっぷの有無で行き先を決めることが多い。北海道に何度も行ってるのも、「北海道フリーきっぷ」という使い勝手のいいきっぷがあるおかげだ。
しかし最近の傾向としてフリーきっぷタイプは数を減らし、むしろ往復きっぷタイプが巾をきかしている。三十一のような人間には面白くない世の中だ。

結局三十一が選んだのはこれ。
東北ローカル線パス (JR東日本)
JR以外の私鉄も含めて東北全域の鉄道の普通列車が乗り放題、3日間で6000円という価格はお得なようだが、実は普通列車だけで長距離移動は難しい。ポイントを絞って、必要なら移動に特急を(もちろん別料金になる)使うことも考えるべきだろう。あと、ひそかに津軽鉄道が抜けている。
北東北のJRのうち、東北本線から東側、大船渡線より北はだいたい制覇した(ただし岩泉線を除く。ついに乗る機会がなかった)ので、今度は日本海側を中心に攻めようと考えている。その中で優先順位が高いのが五能線だ。景色がいい路線はたいてい不便だ。五能線もその典型で、まともに全線を制覇しようとすると一日仕事だ。「リゾートしらかみ」ならもう少し早くこなせるのだが、代理店におさえられてるのかこれまで窓口できっぷがとれたためしがない。
ちなみに東北地方で完乗のハードルが高い双璧のもうひとつは只見線だと思うんだが、そちらは2009年にイベント列車を使って制覇できたので、その後は五能線をどう料理するかが三十一のひとつの課題だったのである。

東北ローカル線パスは週末限定、利用可能になるのは最速で明日から。今日のうちに移動しておいて、明日からこのきっぷを使い始めよう。これまで列車を乗り換えたことは何度もあるけれど下車したことは一度もない青森に宿を確保する。新青森まで開通してから初めてとなる東北新幹線「はやて」で向かう。残念ながら E5系ではなかったけど、もし時間があわせられるようなら帰りに検討するかもしれない。

「はやて」は大宮から仙台まで無停車、そのあいだほとんど寝ていた。その次の停車駅は盛岡だが、そのあいだも寝たり起きたりだった。さすがに新乗車区間は起きていないといけないので、盛岡を過ぎたあたりからは意識して起きていた。しかし八戸から先の新乗車区間も、これまでの区間とそれほど代わり映えしない。ただし、途中の七戸十和田駅が最近の新幹線駅にしてはめずらしく高架ではなく地平だったということが目についた。このあたりは台地で切り通しになっているんだろう。上野から3時間半で新青森着。JTB時刻表「おもな駅のご案内」で最後に残った三十一がこれまで下車したことも乗り換えに使ったこともない駅だ。
P6210008

ここから青森までは乗車券だけて特急自由席に乗ることができる。いまはターミナルだがいずれ新幹線が新函館まで開通すると途中駅になってしまうので、それほど大げさな設備は必要なくなるということで在来線の設備は島式ホーム1面2線のシンプルなものだ。ただし、そのうち1線をもっぱら特急の折り返しに使用し、もう1線を上下線で共有するという使い分けをしているようだ。

今日の旅程:
上野(1502)→新青森(1833) 3031B (E2系)
新青森(1841)→青森(1848) 4031M (789系)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年6月20日 (水)

リーチ(愛媛タンキ)

生まれて初めて四国に渡り、高松駅に到着した三十一。さてこれからどうしようか。現在時刻は11時。帰りの夜行は21時過ぎ。いちおうあと10時間あるが、帰りの列車に万一乗り遅れるとかあるいは列車そのものがウヤ(運休)になったりしてしまった場合にあとの手を考えるためにも、少し余裕を持って戻って来ねばなるまい。

二個所を回るだけの時間はない。候補となるべき方向は3つ。松山方面、高知方面、徳島方面だ。この中でまず消えたのは松山方面だ。高松・松山間は全線電化されている。実は今回の旅で三十一は一度も架線の下から出ていない。非電化単線鉄道愛好会会長の三十一としては、やはり一度は非電化路線に出なくてはなるまい。松山の先、宇和島方面まで足を伸ばせば非電化になるのだが、宇和島まで往復するのは時間的に(できなくはないが)厳しい。
現在地高松から一番近い非電化路線は徳島方面の高徳線だ。高徳線は海沿いでわりと風景もいいらしいし、所要時間も1時間程度で手頃だ。徳島に着いたあとは、鳴門線を往復するとか、牟岐線方面に向かうとか、徳島線から阿波池田を経由して土讃線でもどってくるとか、いくつかバリエーションが考えられる。だが結局、三十一が選択したのは高知だった。土讃線はふたつのスイッチバック、大歩危小歩危の渓谷、吉野川を渡るあたりの佃の大カーブ、鉄橋上に駅がある土佐北川、と見所が多い。途中、徳島県西部池田町を経由するので、今回の旅で四国4県のうち3県を訪れることができる。
ただ、実際にダイヤを調べてみると、岡山から高知方面に向かう「南風」はかなり頻繁に走っているものの、高松から高知にむかう「しまんと」はそれほど本数が多くなく、次の列車は夕方。これを待つわけにはいかない。では高松から高知方面に向う人々はどうするかというと、「南風リレー」と銘打った快速列車が走っていて、宇多津-多度津間の適当な駅で乗り継ぐらしい。荷物をコインロッカーに放り込み、駅構内で軽食をとってから7000系電車の「南風リレー」に乗り込む。車内はロングシートとクロスシートが互い違いに配置されているが、特急利用者ばかりではなく普通に快速としても利用される列車なので、直前に乗り込んだ時点でもうそこそこ席は埋まっていた。西に向かって発車するとまもなく高徳線を左に分岐し、さらに上下線の間隔がひらいたその間には車両基地があって各種車両が留置されている。やがて海側に貨物駅が見えてきた。何か珍しいカマ(機関車)がいないだろうかと思って目をこらしてみたけれど、EF65が一両いるだけだった。坂出を出ると未乗区間に入る。宇多津から先、多度津までの間ではどこで列車を乗り換えてもいいんだが、高松で買ったきっぷの特急券が多度津からになっていたので多度津まで行く。多度津は古風な地平駅だった。降りた乗客の大半は向かいにとまっていた土讃線のディーゼルカーに乗り換える。同じ番線で特急を待つのは三十一を含めて数組らしい。自由席の号車を確認してそのあたりで待つ。7分の待ち合わせでやってきた特急に乗り込み、左側窓ぎわの席に座る。右側と左側、どっちが景色がいいのかわからなかったので、適当に選んだのだが、実はこれがハズレだった。行き当たりばったりだとこういった予習ができない。
多度津を出て土讃線を走り始めた列車だが、最初の駅である金蔵寺でいきなり運転停車。上り南風と交換して次は善通寺に停車。善通寺と言えば三十一には11という数字が頭に浮かぶ。陸軍創設当時は丸亀に置かれていた連隊はやがてここ善通寺に移され、以後日露戦争前の第11師団設置を経て現在では陸自第14旅団司令部が置かれており、一貫して四国の防衛の要となっているのが善通寺である。駐屯地が見えないかと思ってきょろきょろしてみたのだが見あたらなかった。琴電琴平線の線路が土讃線をアンダーパスすると琴平駅。いうまでもなく「こんぴらさん」の最寄り駅だ。電化はここまで。ここから待望の非電化路線となる。讃岐山地を越えるために高度を上げていくはずだが、思ったよりも勾配はきつくない。印象としてはほぼ平地で、言われてみれば心持ちのぼっているかな、という感じだ。しかし、遠景に見られた円錐状の独立峰がだんだん近づいてくるとともに重なりあって見えるようになり、山が近づいてきているのが感じられた。讃岐財田を過ぎると急に勾配がきつくなり、やがてトンネルを経て阿波国に入る。このあたりにスイッチバックの坪尻駅があるはずだが見つけられなかった。急に景色が開けると、眼下に吉野川が流れる盆地が見えた。だけど、これも右側なんだよなあ。ここからあの盆地におりるというのがちょっと想像しづらいくらいの高低差だが、山裾にそって一気に高度を下げると吉野川を渡り、左から徳島線が合流すると佃。ここでまたもや上り特急を待って、次の阿波池田に停車。三十一の世代では甲子園の常連池田高校でお馴染みだ。ここからは四国山地越えで、吉野川上流の渓谷沿いに分け入っていく。世に名高い大歩危小歩危だ。このあたりは路線改良のためにあちこちで線路が付け替えられており、そちこちにトンネルが介在する。小歩危渓谷は車窓左側に見えるのだが、やがて線路は渓谷をわたって大歩危は右側になる。見えやしねえ。山間の小駅である大歩危に特急が停車するのは、祖谷渓への観光の便を考えてのことだろう。大歩危トンネルを過ぎると通過する駅名が土佐なんとかに代わり、高知県に入ったことがわかるが川の流れる方向は変わらずまだ分水嶺を超えていないことがわかる。県境と分水嶺が一致していないのだ。この区間で注目は土佐北川と新改だが、どちらも見つけられないまま視界が急に開けたと思うと土佐山田に到着。ここはもう高知平野の入り口だ。後免では土佐くろしお鉄道のごめんなはり線が左から合流してくる。そして高架の高知駅に到着。

Img_1837

高知駅前にはとでんの停車場がある。「都電」ではなく「土電」、つまり土佐電気鉄道である。駅前広場に中岡慎太郎と坂本龍馬と武市半平太の巨大な銅像が聳えたっているのだが、三十一はこういうのは趣味ではない。
Img_1836

とりあえず今回の旅行での最高到達点であるから、なにか土産を買っていかねばなるまい。駅で会社向けと実家向けの土産を物色しているあいだに一番早い上り特急は出てしまっていたので、次の特急まで時間をつぶす。高知滞在時間は1時間半。のぼり特急で高松に向かう。今度は左側に席をとる。おまけに自由席車両の3号車は今度は先頭になるので、運転席を通じて前が少し見える。おお、前面展望ビデオで前に見たことがある土讃線と同じ景色だなあ、あたりまえだけど。
景色は格段に左側のほうが良い。新改のスイッチバックも、坪尻のスイッチバックも乗降ホームが見えるのはこちら側。土佐北川は、まあ前面が見えるから気づくことができた。大歩危渓谷はずっと左側だし、吉野川を渡って讃岐山地をのぼる時に眼下に池田の町と吉野川の流れを見おろすことができた。ただ基本的には折り返すなので詳しくは省略。書くほうも大変だし。
多度津駅で再び予讃線と合流、発車したところで煉瓦造りの給水塔と静態保存のSLが見えた。SLは軸配置1Cのモーガルで、でもテンダーに段差はついてないのでハチロクらしい。宇多津で南風を乗り捨てる。ちょうどこの駅で徳島からやってきた「うずしお」を併結して岡山に向かう。またもや「南風リレー」で高松を目指す。夕方で混んでいるせいか、席があいてない。運転席の直後に立つ。7時前、まだ明るいあいだに高松に到着。

サンライズが出る9時までに夕食をとろうと駅前で地図を見ていると、1ブロック先に高松城跡があり、その堀を埋め立てたところに琴電の高松築港駅があることがわかった。もう7時近いが、まだもう少しは明るいだろうと見に行くことにする。高松城は御三家水戸家の分家で18万石を領した松平家の居城で、石垣も立派なものだ。
Img_1838
いっぽうの琴電の駅はこじんまりしていて、いかにも地方私鉄のターミナルという趣。

適当に夕食をとり、コインロッカーに預けた荷物を回収してサンライズに向かう。確保した部屋は14号車11号室。14号車ってことは一番先頭だなあ、一階かな二階かなと想像しながら向かう。デッキに入って案内を見る。11号室へは下向きの階段を使っていくように案内掲示がされており、「ああ一階か」と思いながら階段をおり、通路を歩くが11号室がないぞ。通路をつきあたったところにある階段をもう一度のぼると、そこに11号室があった。この先は運転室で行き止まりだ。一階でも二階でもない、サンライズでは数少ない地平レベルで、一番奥まったところにある、ある意味特等席だ。ただ、事故があったり火事になったりしたときには逃げにくいだろうな。そのときは運転室のデッキから逃げられるのかな。
Img_1839
どうせこの前の通路を通る人はいないだろうからと、扉をあけっぱなしにしたままで発車を待つ。すると、運転席から指差喚呼やブザー音、操作音が丸聞こえであることに気づく。これは思ったよりもあたりかもしれないぞ。ここを狙って指定するテツもいるんじゃないかな。もはや景色は期待できない時間帯なので本を読んだりしてスゴしているうちに岡山でサンライズ出雲と連結し、そろそろ寝ようかと思いはじめたころに停車したのが三宮。翌朝、静岡で目が覚めたのは、運転士が交代するときのドアが開閉する衝撃で起こされたのだった。時刻は4時40分だが、もう明るくなってきている。このあとは寝たり起きたりしながら、提示の7時8分に東京着。

18日午後から19日の旅程:
高松(1213)→多度津(1243) 125M (7000系)
多度津(1250)→高知(1442) 39D (2000系)
高知(1613)→宇多津(1807) 52D (2000系)
宇多津(1810)→高松(1838) 160M (121系)
高松(2126)→東京(0708) 5032M (285系)

今回、四国4県のうち3県を訪問したので東京から地続きの46都道府県のうち、一度も足を踏み入れたことがないのは愛媛県だけになった。まさか愛媛が最後に残るとは。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年6月19日 (火)

初めての四国

日曜の夜、三十一は新大阪のホテルで悩んでいた。はじめの予定では、このまま翌日四国にわたり、フリーきっぷを使って4日間かけて四国全域を回るはずだった。
トクトクきっぷ(四国グリーン紀行) (JR四国)
そこに襲来したのが台風4号である。明後日(というのはその時点から見ての明後日で、まさに今日にあたるのだが)の夜には四国沖に達する見込みということで、道中のどまんなかに台風に直撃されることになる。一晩ホテルに缶詰になるのを覚悟の上で決行するというのも一瞬考えたが、結局は戦略的撤退を選択することにする。
実は、今回から荷物にデジイチという大物が加わることになったので、カメラとノートPCを収納できるカバンを新たに調達して使っていたのだが、実際にこれを使ってみると思いの外使い勝手がよくなかったのだ。このカバンのカメラスペースには標準ズームを装着したボディと、中望遠ズームが一本、そのほか付属機材を収納できるようになっている。しかし実際にカメラを持ち出してみると、三十一の使い方では標準ズーム一本でほとんどことが足りるのだ。今回の旅行では、18-55mmの標準ズームしか実際には使わず、一応55-250mmの望遠ズームも持ってはいったのだが出番がなかった。仮にもう少し寄った画をとりたいと思った場合を考えても、18-130mm くらいのズームレンズを一本持っていれば充分だろう。なんだ、ダブルズームキットじゃなくて 18-135mm のズームレンズキットでよかったんじゃん。まあこういうのは実際に使ってみないとわからないものだ。いっぽう、ノートPC収納スペースはもう少し大きなPCを想定しているらしくスペースが余り気味で、かといって細かいポケットがあるわけではないので本体と付属パーツをむき出しで放り込む羽目になる。実際にはあまったスペースには着替えのシャツなんかが詰め込まれることになった。で、汎用スペースはというと一週間分の着替えを詰め込むだけのスペースはない。三十一はもっぱらビジネスホテルを使う予定なので、タオルや歯ブラシ、シャンプーなどは持参せず、下着と靴下の着替えだけを持っていくのだが、それすら入らない。入らないことはないのだが、折りたたみの傘を忍び込ませるのも難しいくらいにパンパンになってしまった。結局かなり荷物を減らした形で出発したのだが、例えばホテルで着る部屋着を忘れてくるなど、いろいろと不都合が出て、このままあと数日の旅行を続けるのに我慢できそうもなかったのだ。

さていったん帰京するにしても、このまま真っ直ぐ帰るのは面白くない。撤退するにしても相手(誰?)の出鼻をくじくために一撃を加えておくのにしくはない。台風の影響が出始めるのは19日からと見込まれるので、18日は多少動けるはずだ。どこかに寄ってから帰ろう、とだけ決めてその日は寝て、翌朝起きて実際に計画を練り始める。
まず考えたのは伊勢神宮に寄って帰るというもの。だが伊勢神宮に行くなら、難波から近鉄特急に乗るのがセオリーだが、だとするとわざわざ新大阪に宿をとった意味がなくなってしまう。まあそれには目をつぶるとしても、昨日とほぼ同じルートを戻ることになってしまって面白くない。伊勢付近に宿をとるのは難しいだろうから、一番確実にホテルを確保するとなると名古屋だろう。難波→近鉄→伊勢→近鉄→名古屋→泊? 昨日の行程をほぼ裏返しにしたみたいじゃないか。
だったらいっそ紀伊半島を回っていくか。ここ新大阪からなら紀勢本線方面の特急「くろしお」が発着している。紀伊半島を一周して、おまけに伊勢神宮まで寄ってくるのは一日では難しいだろう。いっそ新宮とか紀伊勝浦あたりで一泊して温泉に入って、翌日伊勢→名古屋→帰京でもいいだろう、と思って検討しはじめたところ、つけっぱなしにしていたテレビのニュースが「昨年の豪雨で大きな被害を受けた紀伊半島では台風に備えて・・・」と報じているのが耳に入った。確かにこの状況で紀伊半島一周はリスクが高いかもしれない。

さて三十一がこの手の計画を立てる際に、重視している要素のひとつが夜行列車である。できるだけ夜行列車を利用することにしているのだ。それは多少なりとも乗車率を上げることで、少しでも寿命を延ばそうというのである。しかし東海道山陽筋で使える夜行列車と言えばサンライズしかない。今夜のサンライズは使えるか? 台風が四国沖に来るのは翌日の夜。今夜はまだ大丈夫だろう。今夜のサンライズ瀬戸で帰京、とまずこれが軸として決まる。サンライズも出雲のほうはかつて乗ったことがあるので、できれば瀬戸のほうにのりたい。新大阪からなら始発的の高松までは問題なくいける。ざっくり計算すると昼ごろには高松に着けそうだ。それから夜までの間にいける範囲で足を伸ばそう。こうして大まかではあるが方向性は固まった。

ホテルを出て新大阪の新幹線改札に向かう。
一番速いのぞみで岡山へ。新大阪を出た新幹線は宮原の車両基地を眼下に見ながらゆっくりと走る。左前方から東海道本線が接近してきたが、まさに交差しようとしたあたりで新幹線が右へ、在来線は左へと今度は離れていく。やがてトンネルに入り、新神戸にとまって再度トンネルに入り、外に出るともはや郊外。西明石通過は気づかず、姫路通過の際には修理中の姫路城を探したがどうも見逃したようだ。相生通過も見逃して、岡山着。岡山駅で列車を降りるのは初めてだ。JTB時刻表のはじめのほうに「おもな駅のご案内」というページがあって、全国の主要駅の構内図が掲載されているのだが、掲載されている27駅のうち、まったく降りたことがない駅はこれまで岡山、高松、新青森の3つだけだった。新青森はごく最近できた駅なので仕方ないと考えると、岡山は三十一にとって早いうちに制覇さるべき目標のひとつであった。しかし実際に降りてみるとそれほど複雑な構造ではない。大型商業施設を組み込んだ東西自由連絡橋があって、改札口はその通路に向かって開いている。ご多分にもれずかつては東口が表玄関だったらしく、西口と東口ではかなり様相が異なる。乗り換えにそれほど余裕はないのだが、その間にだいたいの作りを把握してその上これから乗るマリンライナーの指定券まで確保することができた。
ここからいわゆる瀬戸大橋線、正式には宇野線と本四備讃線を使って四国に向かう。生まれて初めての四国だ。宇野線は、かつて151系の特急が走ったり、20系の寝台特急が走ったりしていたのがまるで嘘の様なひなびたローカル線だ。一見すると電化しているのが不思議なくらいだが、実際に三十一が四国に渡るために乗っているマリンライナーが走っているのだから重要幹線であることは確かだ。地形は干拓地らしい見わたすかぎりの田んぼで、ところどころに畳表の広告がみられる。そういえば、イグサの特産地だっけ。小学校の地理で習ったよ。宇野線区間の間は、マリンライナーもゆっくり走る。二階建てグリーン車の二階を奮発したので見晴らしは良い。高架駅となった茶屋町からは本四備讃線に乗り入れる。ここから明らかにスピードが上がった。宇野に向かう宇野線が左に分岐していくはずだが見あたらない。さては見落としたか、と不安になりはじめたころになってようやく高架の本四備讃線をくぐった地平の宇野線が見えてきた。電化の架線がなかったら北海道か東北あたりのローカル線みたいだ。
新設路線らしくトンネルが多い。児島の競艇場が見えると児島駅。ここはJR西日本とJR四国の境界駅で、両社間を直通する列車は必ず停車して乗員が交替する。三十一が乗っている1号車からはその様子がよく見えた。児島を出るとこれまた初めてとなる瀬戸大橋。正直あまり期待していなかったのだが、いい意味で予想を裏切られた。天気はそれほどよくなかったのだが、変化に富む瀬戸内海の景色は飽きない。天気がよかったらもっと素晴らしかったろう。三十一はきっとまた四国に来るだろうと確信した。
緑に染まった島々が姿をひそめ、石油コンビナートが現れると四国。讃岐平野は基本的に平らだが、円錐状の山がぽつりぽつりと聳えているのと、ところどころに見える溜池がアクセントになっている。高松到着。地平の頭端駅という形に意表を突かれたが、よく考えてみればかつての連絡船駅なわけで、函館と同様の地平頭端駅であるのは不思議でもなんでもない。
まずは帰りのきっぷを確保。今夜のサンライズ瀬戸シングル。シングルDXを奮発しようかと考えたんだが、さすがにそこまでの贅沢はできないのでかつて乗ったことがあるシングル。

とりあえずここまででいったん締めます。つづきはまた。

午前中の行程:
新大阪(0845)->岡山(0930) 3A (N700系)
岡山('0954)->高松(1051) 3119M (5000系)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2012年6月18日 (月)

四国ング

今サンライズ瀬戸で帰京中。

スマホからの投稿なのであまり詳しいことは書けない(できるひとはできるんだろうけど三十一には無理や)けれど、今日は新大阪から岡山を経由してまず高松へ。
そして高知に往復し、いまサンライズ瀬戸で東京にむかっている。
本当ならもっと四国各地をまわるつもりだったのだが、なにせ明日の夜には台風がちょうど四国沖に達する見込みだそうで、とじこめられてしまっては目もあてられない。
そこでじっしつてきに日帰りになってしまったが、今日の夜行でいったんひきあげることにした。

それだけが理由というわけではないのだが、その辺の事情もふくめて近いうちに改めて。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年6月17日 (日)

ミナミの提督

名古屋から7時ちょうど発の特急で大阪に向かう。

起きられた、というよりよく寝られなかったという方が正しいな。
近鉄の名阪特急は大阪難波まで2時間ちょっとで4千円くらい。新幹線と比べると確かに時間はかかっているけれど、安い(と思う)だろうし、大阪の北のはずれ新大阪ではなくミナミの真ん中難波に直結するという意味では利用価値はあると思えた。正直なところ、三十一は関西人二世ではあるのだが親戚は神戸だとか西宮だとか高槻あたりに多く棲息しているので、キタはともかくミナミにはあまり馴染みがない。というより、実はあまり大阪にも行かないんだよなあ。西宮、神戸あたりなら多少は馴染みがあるんだけど。このあたりの感覚は東京の人にはわかりにくいかもしれない。

近鉄名古屋駅は地下にある。一番端が特急専用ホームになっていて、ここから大阪行き特急、あるいは賢島行き特急などが出ている。新幹線と比べるとフリクエンシーと言う点では不利は否めない。しかしそこそこ空席はあったように思う。直前でも窓ぎわの席の予約が難なくとれて、軽い朝食を携えて乗り込む。発車するまでにほぼ食べ終えてしまい、東海道線の下をくぐって地上に出るころには食後のお茶まで完了していた。
はじめのうち近鉄名古屋線は関西本線とつかず離れずという感じで走っている。やがて長良川揖斐川木曽川を渡り三重県に入る。桑名、四日市と通過していくが名阪特急は止まらない。実は途中停車駅は実質的に津だけで、津の次はもう大阪都心部の鶴橋まで止まらないのだ。名古屋と大阪という二都市を直結することに完全に特化していると言っていいだろう。
四日市を過ぎたあたりで近鉄はJRの関西本線と袂を分かってさらに南下する。最初の、そして実質的に唯一の途中停車駅である津はJRの駅と併設だが、JRのほうは紀勢本線の駅で非電化である。実はこのあとくらいからかなり記憶があやしい。久居を通過したのは覚えているのだが、ポイントを乗り越えて分岐していく衝撃を感じたのが、名古屋線と大阪線の分岐駅である伊勢中川だったのかどうかさだかではない。おぼろげに山の中を走っていた記憶はあるのだが、はっと気づいて時計を見るともう9時に近く、すでに奈良を過ぎて生駒山を越えて大阪府に入ってきているようだ。道路標識に「藤井寺」などという地名がみうけられるので八尾あたりらしい。
大阪環状線と交差する鶴橋で久しぶりの(でも三十一の主観ではそれほど久しぶりではない)停車。鶴橋を出ると地下に入ってかつての近鉄のターミナル上本町にとまり、さらに電気な人には有名な日本橋を通過して終着の近鉄なんばに到着。

この近辺には南海難波、JR難波、近鉄なんばに地下鉄(御堂筋線・四つ橋線・千日前線)の難波駅があるが、それぞれ少しずつ離れていて余所者には優しくない。今夜のホテルは、明日の移動の便を考えて新大阪駅前に確保してあるので、とにかく御堂筋線から離れずに移動することにする。

夜の9時過ぎにホテルにチェックイン。今夜は酒の力を借りて寝ることにしよう。

昨日は名古屋、今日は難波。48じゃないよ。その気になって調べればわかると思うけど。

今日の旅程:
名古屋(0700)→近鉄難波(0914) 57レ (21020系)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

途中下車

名古屋に来ている。

親が関西の出身で現在の居住地が関東であるから、東京と関西の間をこれまで数えきれないくらい往復してきた。ということはつまり、同じだけの回数名古屋を経由してきたことになる。しかし、ついぞこれまで名古屋の街を歩いたことはなかった。
先年、中央本線踏破をしたときに帰京のために名古屋から新幹線に乗り換える際に一度改札を出たのだが、たぶんそれくらいじゃないかなあ。ああ、そういえば30年前に周遊券を使って九州まで行ったときにも名古屋で在来線の列車を乗り継いだ記憶がある。でもそのときでも駅構内からは出なかったと思うし、そもそもほとんど記憶がない。
とは言っても今回もそれほど街をうろついたわけではない。夕方に着いて夕食を求めて駅周辺をうろついたくらいだ。それでも、これまでの累積滞在時間の10倍以上にはなるだろう。

東京から地続きの46都道府県のうち、これまで一度も足を踏み入れたことがないのは四国4県だけになった。それとは別に最近考え始めたのが「少なくとも一泊した都道府県」だ。もちろん、これまで通過してばかりだった名古屋を含む愛知県には一泊もしたことがなかった。

明日は大阪に向かう予定だが、朝起きられたら初乗車の近鉄を使うつもり。起きられなかったら安直にお馴染みの新幹線に流れるだろう。

東京(1400) -> 名古屋(1541) 231A (N700系)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年6月 9日 (土)

「英国軍艦勇者列伝」


「世界の駄っ作機」というシリーズをModel Graphix 誌上に連載している"岡部ださく"と似た名前の著者が Navy Yard 誌上に連載していた記事をまとめたもの。
この本の最初のほうで「イギリスの軍艦に目覚めた子供のころ(たまにそういうのに目が覚めちゃう子供っているんだぞ、後の人生が大変だけど)」というセリフがあるけれど、三十一も子供のころではなかったがイギリスの軍艦に目覚めてしまってその結果いままさに人生が大変なことになっている。

三十一もご多分に漏れずとっかかりは第二次大戦の日本海軍の軍艦から興味をもったわけだが、そこからの関心の広がり方が普通の人とちょっと違ったようで、どんどん時間軸をさかのぼって技術的な発達史のほうに興味をもつようになった。そうなるとどうしても避けて通れないのが英国海軍である。戦艦も巡洋戦艦も空母も軽巡洋艦も駆逐艦もイギリスで生まれて育ったと言っていいだろう。日本海軍の初期の軍艦はその大半が海外からの輸入であったが、そのさらに大半はイギリス製だった。明治から大正はじめくらいまでの日本の軍艦の発達史は、イギリス海軍の軍艦発達史を知らずには語ることはできない。こうして始まった三十一のイギリス軍艦への関心だが、やがて日本の軍艦とは無関係にイギリス軍艦そのものに興味が出てきた。

岡部氏は第二次大戦のイギリス軍艦を中心に記述していて、特にトライバル級駆逐艦への愛が文章のそちこちから伝わってくるのだが、実は三十一はトライバル級よりもひとまわり小型の標準型艦隊駆逐艦である J/K 級あたりのほうが好みなのである。さらに言うと、三十一は第二次大戦よりもう少し古い時代のフネに興味がある。この本の最後の章では唯一第一次大戦当時の巡洋戦艦タイガーを取り上げているが、タイガーはジュットランド以前の超弩級巡洋戦艦のひとつの到達点で、その系譜をひもとくとライオン級→金剛級→タイガー級という流れになる。イギリスの巡洋戦艦の発達を知らなくてはなぜ金剛級がああいう基本配置になったががわからないし、ライオン級とタイガー級の設計変更の間には日本から受注した金剛級で採用された新らしい配置が成功をみたという事情がある。

兵器、特に軍艦という兵器は他国との相対的な比較において意味を持つ。世界の中でどの位置にあるかということを意識しなくてはいけない。他国の動向を無視して「当社比」の改善に満足しているわけにはいかないのだ。ある時期まで、世界において軍艦の優劣を測る物差しは間違いなく英国であった。日本のような国であれば、他国の動向を見て追随していくという方法もとれるだろうが、最強の海軍国であることを宿命づけられた英国には、他国のあとを追う立場になることは許されなかった。質量両面でつねに世界の先頭に立つことを求められた結果、特に19世紀後半の技術変革期にはさまざまな形式の軍艦が建造されその多くはやがて消えていった。しかしこれも最強の海軍国であり続けるための必須の投資であったろう。
まるで突然変異と適者生存の原理に従う進化の営みを見ているようだ。そういえばダーウィンはイギリス人だったね。この軍艦の発達を見て進化論を思いついた・・・というわけではないだろうけど。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2012年6月 6日 (水)

今年になって3人目

野田総理は4日、内閣改造を行なった。目的のひとつは問責決議を受けた田中直紀防衛大臣の事実上の更迭にあったという。そもそも田中大臣が就任することになった今年初めの改造でも、当時の一川防衛大臣の交代が目的と言われていたんじゃなかったかな。

半年の間に二度の改造を余儀なくさせた防衛大臣のポストは鬼門だと思われたのかもしれないが、後任となったのは非議員の森本敏であった。保安隊の昔までさかのぼっても、防衛関係閣僚に非議員が起用されたのは初めてだ。森本氏は元自衛官の安全保障専門家で、これまでのような「素人」大臣とは違ってその力量には不安は少ないが、選挙による信任を経ていない非議員が非常時に重大な政治決断をせまられる職に就くことは筋が通らない、とする論調も多く見られる。

三十一がこの人事を最初に耳にしたとき、「選挙公約に責任がない非議員をもってきて、普天間の政策転換の泥をかぶらせようとしたのかな」と思ったのだが、いずれにせよ党内の国会議員に防衛大臣の重職(と思っているかどうか怪しいものだが)を任せられる人材がなかったということは問題だ。今から考えると北澤さんはだいぶマシなほうだったのかもしれない。
そもそも政党は政治的意見の近い人々の集まりだから、「防衛軽視」という共通の政治的意見を持った人々の集まりが民主党なのかもしれない。野党ならそれでもいいけど、政権を担当するからにはせめてもう少し勉強してもらいたいものだ。それで困るのは国民なんだからね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年6月 1日 (金)

2012年5月の打ち上げ

5月の打ち上げはなんと11件。年初からの4ヶ月間で19件だから、倍のペースになる。

4日 18.42GMT ケープカナベラル/アトラス5 (AEHF-2)
6日 07:10GMT 酒泉/長征2D (天絵1B)
10日 07:06GMT 太原/長征4B (遥感14、天拓1)
15日 03:01GMT バイコヌール/ソユーズFG (Soyuz TMA-04M) 有人
15日 22:13GMT クールー/アリアン5 (JCSAT 13、Vinasat 2)
17日 14:05GMT プレセツク/ソユーズU (Cosmos 2480 Kobalt-M)
17日 16:39GMT 種子島/H-IIA (しずく、Kompsat 3、SDS-4、鳳龍弐号)
17日 19:12GMT バイコヌール/プロトンM (Nimiq 6)
22日 07:44GMT ケープカナベラル/ファルコン9 (Dragon C2+)
26日 15:56GMT 西昌/長征3B (中星2A)
29日 07:31GMT 太原/長征4C (遥感15)

Orbital Launch Chronology

注目を集めたのは SpaceX 社の Dragon で、一般ニュースでも取り上げられていた。COTS では初の国際宇宙ステーション (ISS) へのデリバリーになる。
だがそれを除くと、ごく普通の、いかにも普段の業務を粛々とこなしているという印象がある。

日本では、H-IIA が初めて外国の衛星打ち上げを行なったことで「いよいよ商業打ち上げに本格参入」と浮かれている向きもあるようだが、予定軌道がたまたま主衛星である「しずく」に近かったために格安で提供できたという事情があり、今後も同じような便宜が得られる保証はない。というか、まずそんなことは期待できない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »