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2012年10月 9日 (火)

「ザ・コールデストウィンター」

キムイルソンが死んだのをきっかけにしてこんな文章を書くことになり、そのために少し朝鮮半島に関する本を読む必要があった。それ以来、朝鮮戦争に関する本を書店でみかけるととりあえず手にとってみる習慣がついてしまった。けっこう分量があったので少し迷ったのだが、結局は買ってしまう。

朝鮮戦争は、第二次世界大戦とベトナム戦争に挟まれてわりと影が薄い。特にアメリカでは、無条件で誇りにできる前者と、無条件で反省すべき後者の間にあって関連書籍も乏しいようだ。「忘れられた戦争」という評価もあるが、何よりも如実にこの戦争の本質を示しているのは、参戦した兵士が言った言葉 "Die for tie" (引き分けるために死ぬ)だろう。

この著者はさすがにアメリカ人だけあって、本来当事者であるべき現地の北朝鮮軍と韓国軍についてはあまり触れられていない。特に韓国軍はほとんど出てこないし、たまに出てきたとしてもまったく評価されていない。まるでアメリカ軍と中国軍だけが戦争をしているかのようだ。そのアメリカ軍だが、もちろん負けるわけにはいかないが必要以上に勝つわけにもいかないジレンマを抱えていた。勝ちすぎてソ連を刺激し、欧州正面で全面戦争になるリスクをおかすだけの自信はアメリカ政府と軍上層部にはなかった。だからごく限られた戦力、資源、人材だけで現地軍は戦わなくてはいけなくなる。
それに不満をもったのはマッカーサーだった。厳密に言えば、マッカーサーは全世界に展開するアメリカ軍の中のいち戦域指揮官に過ぎない。自分の担当区域以外の戦略に口を出すのは越権行為だ。ところがマッカーサーは当時のアメリカ軍でずばぬけた経歴と実績を持っていて、軍上層部はおろか大統領でさえも格下だった。少なくともマッカーサー本人はそう思った。大戦中にヨーロッパ戦域の総司令官だったアイゼンハワーは、かつてマッカーサーの副官をつとめていた。統合参謀本部議長のブラドレーも陸軍参謀総長のコリンズも、マッカーサーよりも10期以上後輩だ。かろうじて対抗できるとすれば大戦中の陸軍参謀総長マーシャルくらいだろうが、当時マーシャルは大戦中の激務がたたってほぼ隠居の身だった。そして何よりも大統領のトルーマン自身がマッカーサーから見ればルーズベルトの急死で棚ボタの大統領職を得たに過ぎない人物だった。
マッカーサーは「自分は長年の極東勤務で東洋人のことを知り尽くしている」と豪語し、中国軍は参戦しないと断言して仁川上陸作戦を強く主張した。統合参謀本部は押し切られる形でこれを承認し、そして上陸作戦は図に当たって北朝鮮軍の優位は雲散霧消した。マッカーサーの威光はかつてないくらいに高まり、誰もマッカーサーに異をとなえることができなくなった。

マッカーサーは誰よりもこの戦争に勝ちたかった。勝つことで自分のイメージを維持し高めることができるからだ。その欲望に現実をあわせようとした。だから中国軍の参戦を示す兆候に目をつぶって北進を命じ、大兵力をもって参戦した中国軍の前に後退を余儀なくされたときには、兵力や手段に制約を設けた本国のせいだと責任を転嫁した。だが最終的には国という大きな組織の前に敗北を喫する。マッカーサーは解任され、公聴会ではその発言の矛盾が明らかになりそのイメージは失墜した。

マッカーサー抜きの極東では「引き分けるための戦争」がしばらく続く。しかしこの本ではそれについてはほとんど触れられない。実は、この本の主題は戦争そのものではなく、戦争で顕在化したマッカーサーとトルーマンと共和党と民主党の政治的な闘争を描くことにあって、戦争はそのための背景説明に過ぎなかったのかもしれない。

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