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2012年10月16日 (火)

「平将門と東国武士団」


吉川弘文館の新しいシリーズ「動乱の東国史」の初回配本。

三十一がものごころついて初めて見た大河ドラマは「風と雲と虹と」だった。
断片的な記憶しかないのだが、平将門という名前が刷り込みされたことは確かだ。

ガッコの日本史では教科書的な通り一遍な説明しかされずに拍子抜けだったのだが、ガッコの授業から縁が切れて趣味でその手の本をいろいろと読むようになると、武士団発生史というテーマにおいて平将門の乱というのはかなり重要なイベントであることがわかってきた。
大河ドラマでは加藤剛演じる主人公の平将門はまるで源平合戦の武将のように鍬形のついた兜をかぶり、緋縅の大鎧を身にまとって馬上から太刀をふるっていたけれど、考えてみれば将門の乱という時代は壬申の乱と壇ノ浦の合戦のほぼ中間、戦法も過渡期にあったはずであんなに完成されたステロタイプな武士像であったとはとても思えない。もともと関東地方は、畿内政権が東北地方を征服するための戦力供給源であったので、ほかの地方に比べると戦争が身近にあったはずだが、将門の乱とそれからおよそ100年後の平忠常の乱という大きな争乱によって戦法や戦術、武装などの発展が促されたと考えるべきだろう。

将門の乱から100年あまり、東北地方を舞台にして二次にわたる戦乱があった。前九年の役、後三年の役だ。清和源氏嫡流にとってこの合戦は奥羽への勢力扶植という目的を達成することができなかった失意の結果に終わったが、「武家の棟梁」たる源氏にとっては「累代の家臣」という神話の舞台として後世に語り継がれることになる。しかし実際には源氏の軍勢にしめる東国武士の比率はそれほど大きくなかったらしい。むしろ主力は京都で官位にあったとき、あるいは貴族に仕えていたときに主従関係を結んだ家臣であった。

いわゆる武士の「故郷」は地方なのか京都なのか、というのはよく議論になるのだが、どちらか一方に割り切れるものではなくその両方に拠点を構えて行き来していたのが実態であろう。その場合でも、特に高位の武士(つまり武家の棟梁になり得るような武士)においては比較的京都に軸足が置かれていたことが見て取れる。源氏が東国武士団を家臣団に編成したのは、源平合戦からそれほどさかのぼる時代ではない比較的最近のことであった。

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